Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『これが私の優しさです』

2019-11-07 23:17:11 | 読書。
読書。
『これが私の優しさです』 谷川俊太郎
を読んだ。

谷川さんの「朝のリレー」という作品を、
たしか小学校の国語の教科書で読んでいて、
40歳をいくらか過ぎた今もなんとなくこの詩を覚えていて、
少し前、たまたまWEB上で読む機会があり、
初めなつかしく読んでみたら、
その詩自体のもつインパクトと、
初めて読んだ当時の心への響きがそのまま甦るかのようなインパクトが
同時に現在の精神上に発生して、
それらにうち震えながら、
「ほんとうに好いなあ」とこの詩のエネルギーとダイナミズムを味わったのでした。
そうなったら、もう、amazonで購入ボタンを押してしまいます。

本書は、谷川俊太郎のコンピレーション版といいますか、
すでに発表されたいくつもの詩集から、
何本かずつ選んで編集されたものでした。
だから、といっていいのか、
作風のふり幅が広いように感じました。

こういう言葉のつなぎ方、重ね方ってどういう発想なんだろう、
と思うものが多く、それを真に受けるかのように、
愚鈍にも平時の日常の、表象的な文脈に置いて理解しようとすると、
たぶん、心を病みかねない、
そう作用してしまう牙を持った作品だってあるような気がしました。
それも、初期の作品の中にです。
こういうのは、それなりに、読むにも技術がいるのではないか、と
詩にうとい僕なんかは思うのです。
すんなりほがらかに、そしてノーガードで接してしまうと、やけどをするというか。

巻末の、さくらももこさんの「鑑賞」と題された解説みたいな文章が、
え、と思ってしまいました。
こんなするどい人だったんだ、さくらさんって、と。

あと、これは言わずにはいられないのですが、
「男の子のマーチ」は痛快でした。
どこかで読んだ記憶があるんだけれど、
きちんと読んだのはたぶん初めてでしたが、
殻を破っているのがわかりやすい感じもあって、
楽しんでいる心の裏で、なるほど、と、わかったというわけではないのですが、
そう思えたのでした。
なんだか、たまに詩も読んだほうがよいようですね。

詩の技術って、小説の技術よりも技術性って高いのかもしれない。
なにかで、文章表現の頂点こそ詩作だ、っていうのを読んだことがありますが、
それは事実、そうなのかもしれないです。


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする