読書。
『ぼくの村は壁で囲まれた』 高橋真樹
を図書館で読んできた。
中東。
イスラエル隣接の二箇所、
地中海に面した小さな地域が「ガザ地区」で、
東側にあるやや大きな地域が「ヨルダン側西岸地区」。
合わせて、「パレスチナ自治区」と呼ばれている。
面積は合計で茨城県くらい、人口は約475万人。
以前は、パレスチナ自治区とイスラエルを合わせた地域が
「パレスチナ」と呼ばれていました。
それは1948年より前のこと。
パレスチナ自治区は、イスラエルに「占領」されています。
時折ニュースやドキュメンタリーでテレビに流れるのは、
ガザ地区の空爆など、それこそ戦争のような状態のときのものが
多かったように思います。
本書によると、普段の、平和であると思われているときでさえ、
パレスチナの人々は、
イスラエルの傍若無人で非人道的な行いに、
心を休めるような時間が無いことがわかる。
いきなりブルドーザーで家を破壊されたり、
詰問されて逮捕され、長い時には数年間も戻ってこられなかったりする。
あらたに建築物を建てることは許されておらず、
水や電気といったライフラインさえ、
イスラエル軍の気まぐれな都合で急に止められたりするそう。
自治区から「検問所」を通って外にでて仕事をしている人が多いのだけれど、
見つからないように毎度、鉄条網を越えて出入りする人も多いという。
また、イスラエルは自治区の土地や建物をどんどん奪っていくのですが、
それを「入植地」と呼んでいます。
19世紀、ヨーロッパの列強が行った、アジア・アフリカなどへの植民地化政策、
それを正当化するように、いまでもパレスチナにたいしてイスラエルは行っている。
そして、「分離壁」。壁でパレスチナ人からイスラエル人を守る、という目的で、
差別化し、どんどんパレスチナの人たちを小さな領域へ追いやっていきます。
パレスチナを語る上で、
この「検問所」「入植地」「分離壁」がおおきな三つのキーワードである、
とされていました。
こういうのを知ると、イスラエルは「ならずもの国家」だ、と思えました。
でも、イスラエルの非情さの裏には、イスラエルの民であるユダヤ人が、
2000年以上前から迫害を受けてきた歴史が影響しているのかもしれない。
イスラエル国家を一個人と置き換えて仮定すると、
心理としてそう論理的に整合するように見えてくる。
しかし、ユダヤ人を扇動したシオニストと
「アンネ・フランク」のイメージは別物だと著者は述べます。
第二次世界大戦のナチスドイツによるホロコーストでの犠牲者1100万人のうち、
ユダヤ人の犠牲者は600万人だったと言われているそうですが、
その「ホロコーストの犠牲者の国」というイメージをイスラエル政府が
外交戦略として徹底的に利用し、
自国への批判を封殺したり、
ドイツなどから多額の補償金を得てきた、というのがある。
この「ホロコーストの犠牲者のイメージ」を利用した根拠は、
第二次大戦後まもなく、まだ世界にホロコーストのイメージが強く浸透する前、
ホロコースト生還者に対してイスラエルのホロコーストを体験していないユダヤ人たちが、
「難民」「不良品」「廃棄物」「死に損ない」「石けん」
などと蔑称で呼んでいたところにあります。
最後の、「石けん」という蔑称ですが、イスラエルの言葉・ヘブライ語の俗語で、
「弱虫」の意味があるとのことです。
もともと、パレスチナはオスマン帝国の領地でしたが、
イギリスが第一次世界大戦で、アラブ・イスラエル・フランスへの三枚舌外交によって手に入れ、
その三枚舌ゆえに、のちに始末がつかなくなり、国連へ任せるようになった土地。
つまりイギリスが外交でイスラエル建国を許したことでパレスチナ問題の原因を作り、
国連がパレスチナを分割して、紛争を呼びこんでいます。
だから、イギリスを含めたヨーロッパと国連には、パレスチナへ負い目のようなものが
あるのではないか、と著者は書いていました。
ちなみに、最初の紛争である第一次中東戦争(1948年)によって生まれた難民は、
子孫を含めて560万人にも及ぶとのこと。
本書では取材されたガザ地区の少年・アラがこう言っています。
「ぼくは、外の世界にいる人たちがガザのことを知っていると思いたい。
ガザがどれほどひどい状況かということや、ぼくたちがどれおほど苦しんでいるのかということを」
ほんとうにひどい、イスラエルのパレスチナの人々への基本的人権を無視した行いは、
本書を呼んでもらうに尽きるのですが、
最低限のルールである基本的人権に関しては、
1947年に国連により「世界人権宣言」が採択されています。
イスラエルはこれをないがしろにしているんです。
パレスチナで起こっていることは、
「ホロコースト」や「アパルトヘイト」と同じようなものなんですね。
最後に、
本書に書かれていたイスラエルの平和活動家の中でよくいわれていることの解釈を。
「イスラエル人は、恐怖の囚人になっている」。
恐怖に捉われた人々は、相手を悪魔のように思いこみ、冷静な判断力を失う。
どんなに自分たちが圧倒的に有利な状況でも
「自分たちがやられている」と思いこめば、とことん打ちのめさないと安心できなくなってしまう。
それは、被害妄想的でもある。
視野が狭くなると論理的に考えることができなくなって、
感情的に反応するようになる、と。
そんななか、希望もありました。
「パレスチナ・ビジョン」というNGOがあり、
非暴力で社会を変えていこうとする若者が集まり育ってきているそう。
こういう、非暴力で社会を変える、というのは、
日本でもどこの国でも当てはまること。
世界中で、そういうよい影響を与えたり受けたりしつつ増幅していって、
よりよい世の中が実現するとほんとうにいいのになあと思いつつ、
そして、パレスチナの現状と歴史に憤りを感じつつ、
本書を読み終えることになったのでした。
『ぼくの村は壁で囲まれた』 高橋真樹
を図書館で読んできた。
中東。
イスラエル隣接の二箇所、
地中海に面した小さな地域が「ガザ地区」で、
東側にあるやや大きな地域が「ヨルダン側西岸地区」。
合わせて、「パレスチナ自治区」と呼ばれている。
面積は合計で茨城県くらい、人口は約475万人。
以前は、パレスチナ自治区とイスラエルを合わせた地域が
「パレスチナ」と呼ばれていました。
それは1948年より前のこと。
パレスチナ自治区は、イスラエルに「占領」されています。
時折ニュースやドキュメンタリーでテレビに流れるのは、
ガザ地区の空爆など、それこそ戦争のような状態のときのものが
多かったように思います。
本書によると、普段の、平和であると思われているときでさえ、
パレスチナの人々は、
イスラエルの傍若無人で非人道的な行いに、
心を休めるような時間が無いことがわかる。
いきなりブルドーザーで家を破壊されたり、
詰問されて逮捕され、長い時には数年間も戻ってこられなかったりする。
あらたに建築物を建てることは許されておらず、
水や電気といったライフラインさえ、
イスラエル軍の気まぐれな都合で急に止められたりするそう。
自治区から「検問所」を通って外にでて仕事をしている人が多いのだけれど、
見つからないように毎度、鉄条網を越えて出入りする人も多いという。
また、イスラエルは自治区の土地や建物をどんどん奪っていくのですが、
それを「入植地」と呼んでいます。
19世紀、ヨーロッパの列強が行った、アジア・アフリカなどへの植民地化政策、
それを正当化するように、いまでもパレスチナにたいしてイスラエルは行っている。
そして、「分離壁」。壁でパレスチナ人からイスラエル人を守る、という目的で、
差別化し、どんどんパレスチナの人たちを小さな領域へ追いやっていきます。
パレスチナを語る上で、
この「検問所」「入植地」「分離壁」がおおきな三つのキーワードである、
とされていました。
こういうのを知ると、イスラエルは「ならずもの国家」だ、と思えました。
でも、イスラエルの非情さの裏には、イスラエルの民であるユダヤ人が、
2000年以上前から迫害を受けてきた歴史が影響しているのかもしれない。
イスラエル国家を一個人と置き換えて仮定すると、
心理としてそう論理的に整合するように見えてくる。
しかし、ユダヤ人を扇動したシオニストと
「アンネ・フランク」のイメージは別物だと著者は述べます。
第二次世界大戦のナチスドイツによるホロコーストでの犠牲者1100万人のうち、
ユダヤ人の犠牲者は600万人だったと言われているそうですが、
その「ホロコーストの犠牲者の国」というイメージをイスラエル政府が
外交戦略として徹底的に利用し、
自国への批判を封殺したり、
ドイツなどから多額の補償金を得てきた、というのがある。
この「ホロコーストの犠牲者のイメージ」を利用した根拠は、
第二次大戦後まもなく、まだ世界にホロコーストのイメージが強く浸透する前、
ホロコースト生還者に対してイスラエルのホロコーストを体験していないユダヤ人たちが、
「難民」「不良品」「廃棄物」「死に損ない」「石けん」
などと蔑称で呼んでいたところにあります。
最後の、「石けん」という蔑称ですが、イスラエルの言葉・ヘブライ語の俗語で、
「弱虫」の意味があるとのことです。
もともと、パレスチナはオスマン帝国の領地でしたが、
イギリスが第一次世界大戦で、アラブ・イスラエル・フランスへの三枚舌外交によって手に入れ、
その三枚舌ゆえに、のちに始末がつかなくなり、国連へ任せるようになった土地。
つまりイギリスが外交でイスラエル建国を許したことでパレスチナ問題の原因を作り、
国連がパレスチナを分割して、紛争を呼びこんでいます。
だから、イギリスを含めたヨーロッパと国連には、パレスチナへ負い目のようなものが
あるのではないか、と著者は書いていました。
ちなみに、最初の紛争である第一次中東戦争(1948年)によって生まれた難民は、
子孫を含めて560万人にも及ぶとのこと。
本書では取材されたガザ地区の少年・アラがこう言っています。
「ぼくは、外の世界にいる人たちがガザのことを知っていると思いたい。
ガザがどれほどひどい状況かということや、ぼくたちがどれおほど苦しんでいるのかということを」
ほんとうにひどい、イスラエルのパレスチナの人々への基本的人権を無視した行いは、
本書を呼んでもらうに尽きるのですが、
最低限のルールである基本的人権に関しては、
1947年に国連により「世界人権宣言」が採択されています。
イスラエルはこれをないがしろにしているんです。
パレスチナで起こっていることは、
「ホロコースト」や「アパルトヘイト」と同じようなものなんですね。
最後に、
本書に書かれていたイスラエルの平和活動家の中でよくいわれていることの解釈を。
「イスラエル人は、恐怖の囚人になっている」。
恐怖に捉われた人々は、相手を悪魔のように思いこみ、冷静な判断力を失う。
どんなに自分たちが圧倒的に有利な状況でも
「自分たちがやられている」と思いこめば、とことん打ちのめさないと安心できなくなってしまう。
それは、被害妄想的でもある。
視野が狭くなると論理的に考えることができなくなって、
感情的に反応するようになる、と。
そんななか、希望もありました。
「パレスチナ・ビジョン」というNGOがあり、
非暴力で社会を変えていこうとする若者が集まり育ってきているそう。
こういう、非暴力で社会を変える、というのは、
日本でもどこの国でも当てはまること。
世界中で、そういうよい影響を与えたり受けたりしつつ増幅していって、
よりよい世の中が実現するとほんとうにいいのになあと思いつつ、
そして、パレスチナの現状と歴史に憤りを感じつつ、
本書を読み終えることになったのでした。