読書。
『平和って何だろう 「軍隊を捨てた国」コスタリカから考える』 足立力也
を読んだ。
1948年だったかな?それくらいから軍隊がないという、
中米のコスタリカという国を考察しながら、
その彼らの思想をくみ出して、
最後には平和とはなんだろうかという問いに答える本。
中米で軍隊なしでやっていくのには、
どうやらパクス・アメリカーナに刃向かわず、それを受け入れた上で、
かつ、それをうまく使ってやるという老獪さと外交のうまさがあったみたいです。
そして、コスタリカは民主主義や人権に重きを置く国民性を持っていることも、
対アメリカ外交での強いポイントになったようです。
1980年代に永世中立国になる宣言をしたコスタリカをアメリカは無視したが、
ときのコスタリカ大統領は欧州を説き伏せて支持を集めて、
アメリカに再度迫り認めさせたとのこと。
パワーを持つ国をいかに使ってやるか、という感じ。
アメリカはなにせ、民主主義や人権などをかかげて、
それを強要していくような戦略で世界を制覇しようするので、
コスタリカが欧州からの支持を受けた上でアメリカに対して逆に、
「民主主義と人権のためだ」と迫ったのはけっこうなものだったのではないか。
日本もコスタリカの猿真似をしよう!というのではないし、
こういう形の平和の築き方っていうのも、
広いこの地球上にはあるのだ、というように読むといいのではないかと思いました。
また、あらゆる立場の人が、
圧力を感じずに思ったことが言えることが民主主義の前提だと、
本書に出てくるコスタリカの少女が言っている。
それでこそ、同じ目線での話し合いである「対話」ができる。
つまり、自由・公正・公平が保証されてできるのが「対話」というわけで。
これって日本じゃ希薄な価値観ではないでしょうか?
大切なことなんですけどね。
「民主主義」「人権」「環境」「自由」などを、
コスタリカの多くの人は、大事に思っているそうです。
たとえ、貧しくても。
そして、「そこそこがいいのだ」という価値観をもっていたりするようです。
そういう国民性の国って、なんだか未来は明るいような気がするのですが、
それはぼくだけの偏った想像ではないはずだと思うのですが、いかがでしょうか。
『平和って何だろう 「軍隊を捨てた国」コスタリカから考える』 足立力也
を読んだ。
1948年だったかな?それくらいから軍隊がないという、
中米のコスタリカという国を考察しながら、
その彼らの思想をくみ出して、
最後には平和とはなんだろうかという問いに答える本。
中米で軍隊なしでやっていくのには、
どうやらパクス・アメリカーナに刃向かわず、それを受け入れた上で、
かつ、それをうまく使ってやるという老獪さと外交のうまさがあったみたいです。
そして、コスタリカは民主主義や人権に重きを置く国民性を持っていることも、
対アメリカ外交での強いポイントになったようです。
1980年代に永世中立国になる宣言をしたコスタリカをアメリカは無視したが、
ときのコスタリカ大統領は欧州を説き伏せて支持を集めて、
アメリカに再度迫り認めさせたとのこと。
パワーを持つ国をいかに使ってやるか、という感じ。
アメリカはなにせ、民主主義や人権などをかかげて、
それを強要していくような戦略で世界を制覇しようするので、
コスタリカが欧州からの支持を受けた上でアメリカに対して逆に、
「民主主義と人権のためだ」と迫ったのはけっこうなものだったのではないか。
日本もコスタリカの猿真似をしよう!というのではないし、
こういう形の平和の築き方っていうのも、
広いこの地球上にはあるのだ、というように読むといいのではないかと思いました。
また、あらゆる立場の人が、
圧力を感じずに思ったことが言えることが民主主義の前提だと、
本書に出てくるコスタリカの少女が言っている。
それでこそ、同じ目線での話し合いである「対話」ができる。
つまり、自由・公正・公平が保証されてできるのが「対話」というわけで。
これって日本じゃ希薄な価値観ではないでしょうか?
大切なことなんですけどね。
「民主主義」「人権」「環境」「自由」などを、
コスタリカの多くの人は、大事に思っているそうです。
たとえ、貧しくても。
そして、「そこそこがいいのだ」という価値観をもっていたりするようです。
そういう国民性の国って、なんだか未来は明るいような気がするのですが、
それはぼくだけの偏った想像ではないはずだと思うのですが、いかがでしょうか。
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