Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『虹かける』第二話

2015-04-13 00:01:00 | 自作小説3
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 「有田くぅん、スマイルぅ」
と困ったような声で、大げさに泣きそうな顔をした社長が小走りで寄ってきた。いけね、と思う。この小さな観光物産館では、社長が店長を兼務していて、率先してお客さんに笑顔をふりまき、そして部下である店員たちにまであり余った笑顔をみせる。
 こんなことを言えば怒られるかもしれないが、社長の笑顔はどことなく面白い。何が彼の笑顔の面白さを作っているのかは、はっきりとはわからないのだけれど、たぶん、その一つの理由として、自分の笑顔に確固たる自信を持っていることがあるだろう。その笑顔で、相手は胸がキュンとはしないだろうし、社長の歯がキラリと光るわけでもない。そうであっても、人を惹きつけるような、弱い磁力を発するかのような笑顔というものは存在するのだ。顔の作りのせいだろうか、あと笑い皺の顔とのバランスだとか。ぼくは、社長のそんな人間臭くて人の好さを感じさせる笑顔は嫌いじゃない。
 そのとき、十一月までに貯められるお金を考えてぼうっとしていた。それでお客さんが自分の真ん前にやってきてなんとなしに商品のことを訊いているのにも気付かずに、つまらない表情で――真剣な表情が他人からはつまらないと言われるその顔で――棒立ちしてしまったのだ。
「あ、すいません、スマイル、スマイル」
と、あまり得意ではないのだけれど、無理やり口角を持ち上げて笑顔を作ると、社長は
「そうだよぉ、それね」
と満足そうに微笑み、自分の持ち場へとサササと去って行った。ぼくは気を引き締め、お金の考えごとは頭の隅へと追いやって、お客さんの対応に集中することにした。そうすると、時間は見上げた飛行機のようにいつの間にか過ぎ去っていくのだった、飛行機雲すら残さないくらい見事に。
 今日の勤務時間である六時間が過ぎ、お先に失礼します、と物産館を出て自転車に乗り、五月下旬のまだ陽が高い時間帯のさわやかな空気をたくさん胸に吸い込みながら下り坂の多い帰り道を走って、自宅へ続く交差点を通りすぎてもなおペダルを漕ぎ、カズの自宅まで自転車を飛ばした。カズは午前中に隣町の缶詰工場にアルバイト勤務をしたいがために面接を受けに行ったはずで、その手ごたえはいかほどだったかを聞きたかったのだ。
 到着し、部屋に入れてもらったぼくに、麦茶の入ったコップを差し出しながら、カズは困り顔の中からほのかな照れた微笑みのような表情をみせる。彼は
「どうだった、うまくしゃべれたかい」
と問うぼくを一瞥すると、ううんと唸ってパソコンと向き合ってしまった。感触はかんばしくなかったのかな、と心配になった気持ちのまま、イスに座りマウスを握ったままディスプレイを見つめる巨体の幼馴染を見やる。彼のイスはぎいぎい音を立てていて、彼がひとつところに体重を預けて座っているのではなく、もじもじと軽く体をよじりながら座っていることがわかった。パソコンの画面を見ているようでも、心はそこにはないのだろう、あれこれ思案をしているのだろうと思えた。そんなわけで、パソコンの動作音とイスのきしむ音は響いてはいるものの、お互いの間にはしばしの沈黙が訪れ、ぼくはカズが出してくれたよく冷えた麦茶を持ちあげ、ホースで水を与えられる夏の動物園のカバよろしく一気にごくごくと喉を鳴らした。ああ、おいしい。自転車の長時間運転によって喉が渇いていたから、胃袋だけではなく内臓にまで沁みていくような冷たい感覚を気持ちよく感じながら飲みほした。すると、
「まあ、わかんないよね、どうだったかってさ。今まで面接を受けたことがないんだから。
面接官が笑ったり、饒舌になったりしたら受かる可能性が増えるのかとか、全然わかんないよ。淡々としてたさ」
とようやく答えてくれた。そうか、そうだよな、と思って、自分がひと月ほど前に面接を受けたときのことを思い返してみた。
 社長はやっぱり笑顔で――といってもその日初めてその笑顔を見たのだけれど――ぼくの職歴の無さについてまず質問をした。脚がわななきそうなくらい緊張していたのだけれど、これは訊かれるだろうなと前もってその返答を考えてきていたので、黙りこくってしまうことなく話しだすことができたのだった。それは、自分のやる気の無さ、生きていく力の弱さを認めた上で、そこから抜け出したいんです、というようなことだった。ぼくは今まったくのゼロですが、だからこそ、なんにも吸いこんでいないスポンジのようなもので、もしもここで働くことができれば、どんどん、こなしていく仕事のやり方だとかを吸収していけると思います、それに他の仕事のクセがついていないから、素直に覚えていけると思います、そう言いのけたのだった。ウソではない。ウソではないのだが、最後のほうなんて勢いがついたのか、自分でも意外に思ったほど、ずいぶんと主張することができた。たまに、こう、想定している以上のことができる自分がふと表に出てくることがあって、そんなときは、助けられたな、とまるで他人事のように自分のそういうところに感謝することがある。そういうこともあるなぁと思いながら、カズにも
「職歴がないことは訊かれたろ。そこは返せたかい」
と大事なところに的を絞って訊いてみた。すると
「人の役に立ちたいって言ってきた。ほんとはお金が欲しいのが一番だって正直に言おうかと思ったんだけどさあ、直前で勝手に口がそう言ったんだ」
と、カズはえへへと笑った。カズにも自分の想定を超えて現実的にうまくやってのける自分がいるのだな、と共感を覚えて、そうか、受かるといいよな、いや受かってほしいわ、そう心から願いながら呟き、それから
「茜はどうなんだろ」
と茜の職探しのほうに話を振った。茜のほうもずいぶん気になる。
 新聞のチラシによさそうなアルバイトの求人があった、という報告をつい先日、ぼくらはそれぞれスマホではなく金銭的な理由でガラケーを使っているのだけれど、その携帯のメールで受けていた。それ以来、なにも音沙汰はないし、こちらからも連絡をしていなかったのだ。
「そうだ、カズ、古新聞はあるかい」
と訊くと、彼はすぐさま察して立ちあがり、別の部屋へ消えていったかと思うと、そのチラシを手にしてあっという間に戻ってきた。
「グッジョブ」
と言葉短くその行動の素早さを褒めると、
「機を見て敏なり、かな。ちょっと違うかな」
と言いながら、まあそれよりもとばかりに、テーブルの上にチラシを広げてこちらに見せてくれた。すぐさま覗きこんでみる。そこには「未経験者歓迎」の大きな文字と、それに次ぐ大きさで、「遺跡発掘調査員募集」の文字が躍っていた。
「このへんに遺跡なんかあったっけ」
と訝しむと、カズは目ざとくチラシに書かれている勤務地の箇所を見つけ出して指差した。それはこの街から車で四十分ほどかかる、隣町との境目付近の、道路の周りは草木が鬱蒼としていたり、山への入り口だったり崖になったりしている区域だった。もちろん、バスが送迎をしてくれて、装備品も向こうが用意してくれると書かれていた。
「虫除けスプレーはこっち持ちで必要だろうな」
とカズは一升瓶のような丸くて太い腕を組みながら、またたく間に想像力を働かせる。チラシの下の方には札幌の北郷大学が行う調査だと記載されていた。
「土器が出るのかな。石器かな。面白そうじゃないか、これ。なんか、いいなあ」
と、ぼくは畳に寝転んで天井を見上げながらそう言ってしまうと、ぼくら三人が考えている計画が、ちゃんと軌道に乗って目標を達成しそうな気がしてくるのだった。計画にはお金が必要だった。というか、お金を貯めることそのものが、とりあえずの目標なのである。

 前にも言ったように、そもそものきっかけはカズだった。そして、今考えても単純としか思えないのだけれど、そのきっかけに触発されて思い浮かんだ計画を二人に持ちあげたのがぼくだ。そのぼくが考えた計画は、発想が練られてもいないしひねられてもいないようなものだったのだが、それでも、二人は、
「いいじゃん、やってみよっか」
と、これから遊びを楽しむんだ、といったノリで、二つ返事でこの《運命をともにする計画》を受けてくれた。そうやって、それまでの生活とは百八十度方向が違うような、ぼくたちの、目標へ向けた攻撃的で行動的な日々への転換が始まったのだ。
 では、その計画とは何なのか、これから手短に語ってみる。どうか、馬鹿にしないでついてきて欲しい。昨年の晩秋のとある日、カズはいつものようにネットの中をあてもなくぶらぶらしながら偶然見つけたブログ記事の話を、たぶん興奮によって長めになったのであろうEメールで送ってよこした。それには、そのブログの書き手が、約一七〇倍になる馬券を当てて、およそ一七〇万円を手にしたことを、その証拠となる本物の馬券の画像とともに記事にしてひけらかしていた話だった。詳しく説明すると、その書き手は、競馬のレースの一着と二着に、選んだ二頭の馬が入れば当たりとなる馬番連勝(通称は「馬連」という)の馬券を、一つの組み合わせ当たり一万円で三つの組み合わせ、つまり三通りを購入し、その一つが万馬券と呼ばれる一〇〇倍超えの大穴馬券で、それを的中させたとのことだった。カズは、そんなのは希有な例だとはわかるけど、実際に当てた人がいるのを知ると、すごく羨ましいよね、とメールを締めくくっていた。たしかに、一七〇倍の馬券を三通りの組み合わせだけで当てるなんて、よっぽど競馬に詳しい上に、極めてツイている人にしかできない芸当だと思った。そうして、ふと、競馬のテレビ番組を欠かさず見るようにしていた競馬好きの大学時代の同じ学部の知人の存在を思い出したのだった。そういえば、あいつ、卒業したら馬券を買いまくるって、勉強そっちのけで競馬の研究してたよな。彼は機嫌の好い時にこう言いふらしたものだ。
「いいか、大穴を狙って儲けたいなら、少額でもたくさんの組み合わせで攻めろ。低配当で稼ぎたいなら、一つの組み合わせに絞って大きく賭けろ。それで負けたのなら仕方がないさ。中途半端なのが一番よくねえんだ」
また、こう教え諭すような口調で言ったこともある。
「初心者は単勝馬券を買うべきだね。そのほうが配当は低いことが多いけどさ、当たりやすいんだよ。それに遊べるし、わかりやすいのよ、一頭の馬を見てりゃ良いからな。好きな名前の馬だとか、栗毛の綺麗な目立つ馬だとか、そういう理由で単勝馬券を買って儲けちゃうことだってあるんだよ」
当時、競馬とはそういうものなのかどうか、ぼくには少し計りかねたのだけれど、カズからのメールを読んで、じゃあ、買いたい馬を一頭に絞って、大金をかけてみたらどうなんだろう、それならば馬連よりもわかりやすいし、まるで儲けやすいんじゃないだろうか、という考えが、雨後の水たまりを滑りに来るあめんぼのように、当然、といった体で頭の中に登場したのだった。
 こうしてみるみる近づいてきた一獲千金への道筋。それは論理的な思考によらない単なる思いつきの夢想だったとしても、ぼくには妙に現実感を帯びたもののように感じられたのだ。幸運が、なんだか目に見えてくるようだった。幸運の形は馬券の形をしていて、それはレース後ほぼ必ず、誰かが獲得することができる。楽観的すぎるかもしれなかった。でも、その夢想に心を浸らせることによるとろけるような感覚は、ついぞ最近は味わったことのない、全身の筋肉がリラックスしてほぐれでもするかのような気分の良さだった。そうだ、来年の今頃までに、三人で五十万円貯めるのはどうだろうか。そして、その五十万円を一気に、一つのレースで何倍にも増やそう。それが、ぼくら三人が、時間がかかりながらも働き出した理由。それが、ぼくらの計画。カズはそれで自動車免許を取って車を買うその購入費の足しにするのが目的。茜は福島に少しの間里帰りする旅費代と苦しい生活費の大きな足しに。ぼくは家の改修の足しとして。近頃足腰が弱ってきた母のためにバリアフリー化を考えていた。
 それまで家に引きこもって失ってしまっていた自分たちの時間を、一挙にお金に変えて取り戻そう、そんな、ついぞ思い浮かびもしなかった、てごわい現実から逆転勝ちしようという気持ちが、ぼくらに結束感をもたらしたような気もしている。

 遺跡発掘調査の仕事に応募したのかどうか気になって茜にメールを入れるとすぐに返信が着て、夕方、三人で神社で会うことになった。
 去年、この計画をスタートさせてから約半年、計画とは裏腹に、ぼくらはやはり腰が重たくどっしりとしてしまって、それにだらだらどろどろもしていて、それぞれの家に引きこもりがちで動きがなかった。言いだしっぺのぼくにしたって、それまでよりも求人のちらしをちょっと多く見るようになったり、ハローワークに通う機会を少しの気持ち分くらい増やしたりしたのだけれど、これといった求人に出会うことがなく、もう頓挫するかな、と思えた春先、それは雪融けの季節で、きっと巡り合わせの悪さみたいなアンラッキーな部分も雪とともに溶けて消えてしまったかのようで、そう思えるくらい、ぼくにとっては観光物産館の仕事は、好都合というか、願ってもない良い話だったのである。そして、今年の雪融けは、たぶんにカズや茜にとっても気分の上での雪融けでもあり、こうやって、三人で仕事の話をすることになろうとは、向いている方向が大きく様変わりしたのがやっと現実に影響を及ぼし始めていて、感慨深さもあったりする。
 神社にはぼくとカズが先に着き、あとから茜が時間通りにやってきた。茜はグレーと黒のボーダーのパーカーにジーンズといった格好で、いつもながらにボーイッシュなのだけれど、そんな格好でも性的な魅力は抑え切れていなくて、久々に会えたということもあったが、ぼくの心臓の鼓動は少し速く深くなる。そんなぼくとは反対に、
「よお」
とリラックスした笑顔で片手を振るカズが横にいる。茜は大好きな仲間だ、それ以上でも以下でもない、そんな宣言がいつか近いうちにぼくの内面を察したカズから飛び出すんじゃないだろうかとちょっと心配になったりもしながら、ぼくも、カズにあわせて、
「よお」
と手を挙げた。すると、茜も肩のあたりで小さく手を振って、嬉しそうに返してくれた。
「ニジ、仕事は終わったんだね、おつかれ様。カズは面接だったんだってね、おつかれ様」
ぼくらは茜の仕事探しのことが気になってしまう。
「茜はどうなの、遺跡の話は」
たまらず口火を切ったのはカズだった。
「実はね・・・」
そう、声のトーンを落として茜はたっぷりと間を取った。ぼくらはそれからどうしたかを早く知りたくて、二人とも、口を半開きにしてしまった状態でいまかいまかと待った。茜はぼくらの注意を一身に受けていることをしっかり確認するように、一度深く瞼を閉じて、そして開くのと同時に
「もう受かっちゃったんだよ、ごめんね、言わなくて」
と笑った。
「なぁんだ、よかったじゃん、なんで言わないのさ」
緊張の抜けた吐息とともに一気にカズは言った。ぼくも、よかったよね、とお祝いの気持ちを伝えながら、いつから勤務なのかを訊いてみると、六月の第二月曜から、ということだった。
「じゃ、あとはカズかあ」
そう言いながら、ポンポンと彼の肩を叩いて励ます。途端に、
「プレッシャーだなあ」
と夕焼け空を仰いで困った顔になったので、
「おい」
と気合をつけるかのように言葉をかけて、それから茜のほうを振り向くと、茜も夕焼け空に心を奪われている様子だった。見事な夕焼けだね、と声をかけると、
「あの日の次の日の朝も、こんな夕焼けみたいな朝焼けだったんだよなぁ。あの日から全てが変わってしまったな」
と震災の事を思い出しているのがうかがえた。

 その二日後、当人も含めた三人の心配をよそに、カズは見事に缶詰工場からアルバイトの面接の合格通知をもらった。これで、三人とも、なんとか職について、目標に向かってお金を稼ぎだす段になる。五月の最終週からカズは工場に通い出し、六月の第二週から茜は発掘現場へ向かうようになった。ぼくは相変わらず自転車で観光物産館へ通っている。それぞれに、仕事に対する不安な気持ちとやる気を併せ持ち、さらに三人の夢を思い浮かべながら、道端に自信たっぷりに咲き誇るたくさんのルピナスに――それは天に向かって真っすぐ姿勢よく咲いていて、そのあり様に――自分を重ね合わせるようだったかもしれない。少なくとも、ぼくにはルピナスから得る心象的な感覚に、近しく感じるものがあった。あるいは、ちらほら咲き始めたアジサイにもだった。あの丸く青紫色の花冠たちが、ぼくらの労働を祝福しつつ、冷静であれ、と職場で空回りしないように出してはいけない足を制してくれるかのように感じられた。そう、だから、ルピナスとアジサイ、いずれも、自分たちの応援団みたいだ、とぼくはこっそりと彼らに仲間意識を感じていて、妖精視するかのように、大事に思う気持ちでときどき目をやったりしていたのだった。

 そしてその頃、競馬界では今年のダービー馬が決定していた。日本一のレース、映えある日本ダービーを制したのは、三番人気だったレインボウアローという馬だった。父はキングカメハメハ、母はアフターザレインで、母の父はレインボウクエスト。レインボウクエストは世界一のレースである凱旋門賞で二着でゴールインした馬だったのだが、そのとき一着に入った馬がレインボウクエストの進路妨害のために降着となり繰り上げ優勝している。まさに、一度雨が降った後に輝いた、名前の通り虹のような馬である。そして、引退後、種馬となって大成した。レインボウアローは祖父であるレインボウクエストからその「虹」の名前を受け継ぎ、今年のダービーを制したのだった。
 ぼくはこのレースを、仕事から帰ってきてから妙な緊張感を持ってインターネットの動画で見たのだった。先行と呼ばれる、集団の前目につけて直線で抜け出して逃げ切る戦法を得意としていたことも実は事前に知っていた。なにせ、名前が名前だ。ぼくの虹矢という名前を英語にしただけじゃないか。四月にこの馬の名前を知った時には、ひっくり返りそうなくらい驚き、それとともに、レインボウアローは現れるべくして現れた馬で、これは神がかり的な大きな運命を示している、と信じこむ寸前の心理になったほどだった。
 それはそれとして、このダービーのニュースと、レインボウアローという馬についてのことを、さっそくその夜ツイッターで二人に話したのだが、二人ともやはり大きなギャンブルをすると決めた後なので興味を持ってこのレースを見ていたようで、勝ち馬の名前についても、奇遇だよね、とか、もうジャパンカップで買う馬は決まったね、とか書いていて、好意的に受けとめていたようだ。そうなのだ、ぼくらの勝負レースは十一月のジャパンカップに決まっていた。世界から強豪が集うレースなので、どの馬が勝ってもおかしくないし、きっとオッズも割れるのではないかと踏んだのだ。ぼくとしては、出来ればジャパンカップにレインボウアローが出走してほしかったし、もしも出ることになったら二人にはこの馬を推そうと思っていた。
 魅力的なその鹿毛の馬は、この瞬間からすでにぼくらの夢を、その背に乗せていたのかもしれない。
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『虹かける』第一話

2015-04-12 00:01:00 | 自作小説3
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 観光物産館でのアルバイトを始めてからおよそひと月がたった。今日もいつもながらにほどよく忙しく――つまり、少し余裕残しの、それゆえの充実感を感じるような忙しさで――退勤した今、まだ明るい空を見上げながら、ふうと息をつく。
 二十八歳にしてアルバイトの、ぼくがやっているのはどんな仕事か、ちょっと興味を持ってもらうことにして、その説明をすると、朝は午前八時までを目安に自宅の家から自転車にまたがって、終いには上り坂で息を荒げながら、トータル三十分くらいをかけて出勤する。息が整うのを待たずに店に入れば、まず「あぁ、今日も始まるなあ」と、わくわく感のある甘い緊張感の中でエプロンをまとい、それからタイムカードを機械に通して、すぐさま午前九時の開店前までに終えなければならない品出しを始める。それはたとえば北海道ならではの、かわいらしい小熊のキャラクターや勇ましいサラブレッドの彫り物をした金属片がついた昔ながらのキーホルダー、そして、とうもろこしやじゃがいもなんかを菓子製品化したものや缶詰や粉末のスープにした加工品、エゾシカやキツネなどの動物のぬいぐるみ、などなど代表的なものはこれらだが、商品の種類はもっと多様で、全国的な広い視野でみれば個性的に間違いはないのだけれど、道民として落ち着いて見回せばどこの北海道の物産館でも売っていそうなものばかりだったりする。ぼくも初めこそ、多彩な商品のカラフルさに気分が明るくなりながら仕事をしていたのだが、一週間もしないうちにはやくも見飽きてしまい、それと同時に棚や台などのそれぞれの商品の定位置を、なんとなくではあるが意識せずに覚えてしまった。
 週に一度、月曜日にだけ短い朝礼がある。しかし、いくつになっても人前で話すことが得意ではないらしい社長の幾分紅潮した笑顔から発せられる挨拶や訓示の最後の文句である
「・・・今日も一日、スマイルを忘れずに。スマイルあるところに幸せとお客さまはやってきます。それではみなさんよろしくお願いします。以上です」
というのはどうやら毎度の決まり文句のようで、そこの箇所だけは慣れた感じで声の抑揚と発音のスピードが明らかに違って、こなれている。聞き慣れてくると、その最後の文句には、労働意欲を高めるスイッチを押してくれる何かしらの力が宿っているのかもしれない、と不思議に思えてくるほど、
「さて、やるかっ」
とこれから始まる一日に向けて、なぜだかボルテージがあがる効能があるのだった。
売っているものの中には初めてここに来てぱっと館内を見渡した人ならば、おもしろいなあ、と感じるであろうものが多いと思うので、そういった商品の魅力で商売の勝負をするものなのだろうと思いながら、それまで警備員しかしたことがなくて客商売は初めてだったぼくはしばらく仕事をこなしていた。そのせいなのか、ちょっと働く気持ちが商品任せになっていて、ぼんやりしていたところがあったのだが、それが違うということは、最近になってだんだんわかってきたところでもある。それは社長の言うように、商品力よりも、従業員たちがお客さんによい印象を与えながら接客することのほうが大事らしいということだった。そしてそれは今のところ正しいと思っている。
 そうやって、物産館が開店しているときはあらかた館内にいて接客したりレジを打ったりしているのだけれども、ときおり、
「有田君、ちょっと」
と事務室のほうに呼ばれ、パソコンの表計算ソフトで、レジのコンピュータが自動生成した、商品名と数値の羅列の、荒い表を清書するのを頼まれてやる。自分の個人のパソコンではインターネットやメールをすること、そしてアイチューンズで音楽を管理することばかりやってきていたので、正直、その表作りの仕事をしてほしいと言われたときは、できる気がせず若干血圧が下がったような、力が抜ける気さえした。だってソフトの操作も画面に表示される多数のアイコンの意味も、異世界の地図のように全く解読できないのだから。でも、事務長は
「初心者でも大丈夫だから」
と、これを見ながら少しずつできるようになってほしい、と笑顔で、図解入りの入門書を貸してくれた。これはぼくにとって重要なアイテムだ。こうしてぼくは、いささか頼りなげな船に乗っているような船乗りのようではあっても、《表計算ソフトの大洋》という深く広大な大海原に漕ぎだすための重要なアイテムであるコンパスを入手し、新発見の陸地を見つけながら、そこで得た特産品や宝石などに相当する、きれいに罫線で仕切って整えた商品販売個数表を中心とする二、三種類の表を、誇らしげではあるのだけれど、そこは謙虚になんでもない感じでその都度、事務長に提出するのだった。

 繰り返しになるが、ぼくは今年の四月で二十八歳になった。名前は有田虹矢で、二人の仲間はぼくをニジと呼ぶ。子どもの頃は、レイン坊などと呼ばれたこともある。でも、このあだ名はかっこう悪いと思っていて好きじゃなかった。札幌の私立大学を卒業してからまもなく地元に戻ったが、あまりぱっとしなかった成績が暗喩するかのように、それからいままでたいした職歴も無い。この観光物産館のアルバイトに就くまでにも、仕事をしていない期間は二年半くらいもあった。
こんな身にはよくあることなのだけれど、いったい何になりたいのか、お金を稼ぐ気はないのか、そういうことを両親や親戚などから、折をみて叱責のように言われたことが何度かある。そういうときには、本当に済まないような気持ちになったし、意欲のない自分を責めたりもした。しかし、しょうがないとしか言えないのだ。もちろん、不利な条件として、あふれんばかりであってほしかった求人だっていくらでもあったわけじゃないし、目移りするようにさまざまに、極彩色のように輝いていてほしかった職種も限られていた。まあ、でも、これらはいいわけにすぎないとは思う。ただ、言うに事欠いて言うわけではないのだけれど、とにかく自分が働くというイメージがまったくつかめないのだから、そもそもの一歩すら運べない。いやいや、目をつむってでも一歩進めれば、イメージが湧いたのかもしれない、だが、その輝ける勇気を、ぼくは残念ながら眩しく光る砂金の一粒ほども持ち合わせていなかった。何になりたいのか、お金をどんどん稼ぎたくないのか、ぼくへの好意から言っているのだとするそういった問いを浴びせられても、まるで好みじゃない柄のハンカチをプレゼントされて、それを持ち歩かなければならないときのように、自分となじむ感じがしない。自分自身と現実とのズレを感じてしまう。
 では、どうしていきなりアルバイトを始めたのか。それは、幼馴染のカズこと鈴井和夫のある一言に端を発するアイデアに拠るのだけれど、そのアイデアについてはまた後で語ることにしよう。その前に、カズ自身のこととぼくとの関係、そして忘れちゃいけないもう一人の大事な仲間、本堂茜について語りたい。

 カズは巨漢の主である。それも横幅のほうに特化した、すれ違う人たちの目を強く引くようなタイプの、ぼくと同い歳の男だ。かわいそうなのはそのような巨漢でありながら気が弱いというところにあって、例えば道を歩いていてじろじろという他人の視線を感じ取ると、それだけでもう、もじもじとどんどん下を向きはじめてしまう。巨漢によくある汗っかきでもあるので、そのもじもじした状態が長い間続くと、さらにそれが女性の視線によるものだったりすると、じゅわあっと大量の汗をかいてしまい、その汗をかいている自分を、よせばいいのにさらに俯瞰的な意識上の視点で、《おかしな自分》として見つめてしまって余計に恥ずかしくなり、さらにさらに汗をふきださせてしまう。そのさまは、はた目で見ていると、気の毒以外のなにものでもない。だから、人の目が気になってしまうカズは必要以上に外に出ることはなかった。家に引きこもりがちなのだ。そして無職の状態が続いている。何も、生来の、重症的気弱さではなかった。それは高校時代のある事件がきっかけになっている。
 その事件については、川原でカズと茜とぼくとでたき火を囲んでいる時に、ぼくはほとんどのことは知っていたのだが、茜のためにカズ本人の口から、ゆっくり、途切れ途切れに、迷いながら、ときに震えすらした言葉によって伝えられた。
 高校一年生の時に、身体のごつい先輩たちにスカウトされるがまま柔道部に入部したカズは、夏休みを迎えるまでにある女の子に、厳密には彼女の吹くフルートの音に恋をした。片思いの恋と言えるかどうか、よくわからない。その女の子は、過疎化が進み生徒数が年々少なくなっていくこの街唯一の高校の廃部寸前になってしまっていた吹奏楽部に所属する女生徒で、B組のカズとはクラスが違ったのだが、同じ一年生だった。その女生徒の家は高校から徒歩で通える場所にあり、カズはバスで自宅から通学していた。というか、そのバス停と女生徒の家とは一〇〇メートルも離れていないような近距離の、いわば同じ町内で班分けするならば同じ班に入るくらいの近い範囲内に存在していた。
それは夏休み目前のある日のことだったが、バスを待つ部活帰りのくりくりの坊主頭のカズは、何件か立ち並ぶ二階建ての家々の一つの二階の部屋の内の、その窓の網戸から濾すように出てきた、フルートの奏でる旋律を聴いた。それはところどころで音が止まる、まだその楽曲に馴染んでいない練習したてのものであることがうかがえるものだった。音色が流れているのを聴くとき、それはカズにとってとても心地よかったようだ。時折、音が途切れると、はっと現実に引き戻される気がして、そしてまた音が鳴り出すと、ふかふかの羽根布団に身体を預けているときのような柔らかな幸福感に見舞われたんだ、とカズはたき火の中に小さな木の枝を放りこみながら懐かしんだ。そういう日が何日か続き、一度、その女生徒の家の前までいって、そのときも流れていた音色に耳を傾けてしまったことが、物事の明暗を分けた。好きになった女生徒の吹くフルートの音色にうっとりしていると、何気なくその音が途絶えて女生徒が窓から顔をのぞかせた瞬間があった。そしてその眼下に、丸くたたんで帯を巻いた柔道着を肩から背中に下げ、微笑みを浮かべながら立っていたカズがいた。カズの微笑みは、実は彼の素の顔にうかぶ表情だったりもする。素で、幸せっぽい人、それが十代半ばまでのカズだった。今では、素で、困っているっぽい人、そんな顔つきの人になってしまったのだが。きっとその時には、いつも以上の微笑みのカズがいたことだろう。そんな日を境に、夏休みは始まった。
カズは部活のある平日の午前中は学校に通い続けた。そして、何も気付くことなどなかった。もう取り返しのつかない状況になってしまってから何かがおかしいことに気付いたのだが、それは、すでに二学期の始業式のことで、クラスメイトも他の組の生徒たちの多くも、どこかさげすむような、遠巻きにするような、せせら笑うような、そんな一学期とは違う距離感の中にカズを置いていて、それにカズは違和感を覚えたのだった。もともと、同学年の中でも発言力のあるポジションにいたわけではなかったためなのか、それは関係がないのか、判然とはしないが、生徒同士の力関係によるポジショニングのもっとも下のポジションへカズが転落させられたのは速かったようだ。カズは陰でストーカーと呼ばれていた。夏休みの間に、主だった生徒たちの間で、主にメールでそう噂を回されたらしい。夏休み直前に女生徒が窓から顔をのぞかせたとき、部屋の中に友だちの女生徒もいて、彼女が噂を始めたらしいのだが、そのことを知った時には、カズはもう完全に生徒社会の外においやられてしまっていた。
 ぼくはカズと同じ高校に通っていて、そのときから、カズにしてみると唯一の友だちになったのだ。でも、それはぼくが大学へと進学するまでであり、それからぼくが卒業して帰郷するまでは、たまに電話やメールで言葉を交わしたり実家に戻った時には会ったりもしたのだけれど、カズはほぼひとりぼっちの日々を過ごしていた。噂にたいしては、ぼくにしてみても、そのような思い込みの強いまるで一方的な噂を元にする仲間はずれの行為を、ちょっとでも駆逐できなかったことが悔やみとして残っていながらも、大勢の人たちのそういう一方的な力の方向性を正そうとしても、一人や二人では、まるで象と相撲をとるくらい歯が立たないことを学び、それ以来、はからずも少数派としての所作を二人して身につけてしまった感があったりする。
 ただ、その川原のたき火での告白の席で、茜が言ってくれた言葉が忘れられない。それがどれだけカズとぼくを慰める言葉だったか、心がぼうと熱くなったことを今でも覚えている。茜は我慢ならないかのように、でも、いつもの茜らしい東北言葉のイントネーションでこう始めた。
「それでストーカーだっていうの。ねえ、二人ともビートルズの『ノー・リプライ』って歌知らないかな」
カズはその歌を知っていたが、ぼくにはわからなかった。
「『ビートルズ・フォー・セール』の一曲目だね、覚えやすいメロディの歌。その歌がなんだっていうの」
そうカズが、なんだろう、という顔をして茜にたずねかえすと、彼女はさらに続ける。
「カズ、歌詞は読んだのかな。歌詞の内容が面白いんだけど」
「いや、英語の詞も、訳したものも読んでないなぁ。CDを聴いただけ」
それを聞き、茜は涼しげで美しい眼元の感じのまま、じっとカズを見据えて
「あの歌って、居留守を使った女の子を責める歌なの。それも、家にいることを外から目撃して、居留守だって断定してるんだよね、それも二度も。そんなの、歌詞の主人公の男が、女の子を疑って家の周りからずっと監視していたっていうことじゃない。裏を返せば、そういうことがわかるわけ。それこそ今でいえばストーカーなんて言われるかもしれないことだよね。でもね、そういう内容の歌が、六〇年代のイギリス、いやビートルズだから欧米や日本とかの先進国もなのか。そういった大勢の人がふつうに聴いてたわけ。歌詞の主人公の男がやってた行動はとりあえず受け入れられてたの。それが今じゃ、まあ、どうしようもないストーカーが実際にいるせいか、ひどいっていう方向に、ストーカー未満の行動さえくっつけられちゃったりしてさあ、ヒステリックっていうか、過剰っていうか、カズの場合はきっと面白がられてるんだよね、そんなのずっと気にすることじゃないよ。ビートルズのメンバーでもやってたかもしれないような、子どもの感覚が抜けきってない十代では自然って言えるような行動だよね。そういうわけだから、カズは苦しみすぎたよ、その苦しみにサヨナラしなさい」
と、その理由をぼくらに投げかけて、同時にやさしい言葉で包み込んでくれた。
 まだ明るい時間帯のたき火ではあったけれど、炎はめらめらと眩しく燃えさかりながら揺らめいて、その揺らめきはつねに新しい形を作りだしてはまた形を変え、なんとなしに眺めているぼくらの心を退屈させないどころか落ち着かせもする。空は青く高く、薄く引いたような雲が流れていて、たき火の煙もそんな空にゆっくりと吸い込まれていった。

 さて、茜のことを話したくてうずうずしている。なんといっても、ぼくらは本当に茜を好いているからだ。とくにぼくは――それはカズはどうなのかは知らないという意味において――セクシュアルな意味でも惹かれている。あの切れ長の澄んでいて鋭い眼、少し幅の狭い口のなまめかしさのある魅惑の唇、すうっと整った眉に、品のある小さな鼻、ショーットカットの黒い髪の毛、インディペンデントな印象を与える肩の水平なライン、全体的にすらりとしていても、存在感のある胸、ちゃんとくびれている腰、弾けてしまいそうな溌剌とした尻、長く真っすぐな脚。それだけはっきり彼女の外見的な素晴らしさを挙げることができながらも、実は、じろじろ、だとか、爪先から舐めるように、だとか、彼女の全身をくまなく見たことは恥ずかしさゆえにないのだけれど、それでも、「もうたまらない感じ」という言葉を使うのならば、彼女に対してだし、それはうんうんと納得するくらいぴったりくるとぼくは思っている。だから、たまにカズが茜と例の川原で、そこらに転がっている大きな石に腰をかけあいながら、気持ちよさそうに一緒に歌を唄っているのを目にすると、カズにはうっすらと嫉妬を覚えるのだが、同時に感じる《ほのぼの感》のほうがそれにまさってしまうので、「なんだよ、いいなぁ」と微笑んでしまうのだった。二人は『翼をください』がお気に入りの歌のようである。
 茜は今二十一歳で、東日本大震災による原発事故の被害を避けるために五年前に福島県福島市からこの街に避難してきた。震災当時十六歳の高校一年生だった茜は、放射性物質の飛散に心臓を凍らせるほどの恐怖を感じた両親の意向で家族三人この街に避難してきたのだが、彼女本人は、地元に残った祖父母とともにそこに残りたかったらしい。けれども、両親はなかば強引に、そして、まだ原発事故の規模がどこまで拡大するのかわからない時期だったこともあり、その恐怖感から茜ともども故郷を去ることにしたのだ。ただ、その後、知ってのとおり事故は最悪の事態を免れ、福島市など避難区域外の空間放射線量は落ち着き、戻ろうと考えればまた故郷に戻れたのだが、その頃もまだ両親、特に母親は放射能を忌み嫌い、怖れ、さらにそれだけではすまず、精神面でも急にいらいらしたり泣きだしたりして不安定さを見せるようになってしまった。茜は擦り減った母親の神経をなだめるためにこの街に居続けている。荒涼とした母の心の大地に、また川が流れますように、草木が育ちますように、そう祈りながら、日々を送っている。
 そして、何もないという意味において、純然とした田舎たるこの街では「あの」福島から来た人間だからという理由で、特に同世代から彼女は好奇の目でみられるようになり、それでは済まずにだんだん差別的な目でみられるようになってしまった。「あの」事故のさなかに、街を歩いていたんだって、それって放射能を浴びたってことだよね、と。それは放射能への忌避だけではなしに、そこに茜の美貌への同年代の女の子たちの強い妬みが介在したがゆえの差別でもあったのではないだろうかとぼくなんかは思っているのだが。そして、その年代の女の子たちの持つ特有の権力にかしずかされるように、男の子たちも、本当ならば茜と屈託なくしゃべったり仲良くしたりしたかったに違いないのに、誰が茜のキスを奪うかの競争だって始めたかっただろうに、冷たくつっけんどんに、あるいは無視を決めこんだ接し方をしたようだ。そんな状況にいたので、茜もまたカズのように、なんとか高校に通い続けて卒業証書を手にした後には、就職もせず、なんとなく引きこもりがちの生活を送るようになってしまっていた。
 ぼくとカズの良かったところは、原発事故発生当時から、いろいろと情報をネットで取り続けたことにあり、錯綜する放射能関係の情報のどれを信頼するかについて、客観的な事実のデータを元にして情報を発信している人たちの情報をまず優先順位の一位とし、さらに除染の取り組みや農作物や水産物などの放射線検査の結果を、あまり多くではなかったけれどもネットで閲覧するようにして、そうしているうちに見えてきた、信頼できる専門家や有識者や被災地の人たちの、各々のツイッターやブログなどで発信する言葉を摂取することで、放射能を怖がり過ぎずに意識することができた点にある。ぼくとカズはそれぞれで得た情報を逐一、主にメールで伝えあい、それぞれに自身のパソコンでチェックしなおすというようなことをしてきた。そして、これだと思うような本も何冊か読んだのだが、そういう種類の本はとてもありがたかった。だから、放射能はとても嫌な存在なのだけれど、伝染病のように人から人へうつるなんていう一部で持ちあがった噂を即時否定することができたし、スーパーで福島産の桃が売られ始めたときに、応援する気持ちで買って食べ、そのおいしさにあらためて驚くこともできたし、出荷にこぎつけた農家の人たちが流した汗と涙を感じることもできた。それについては、おめでたい、という人もいるだろう。放射線検査についても懐疑的な見方をする人たちだ。だけど、ぼくらは、それを信じることにしている。はてしない疑心暗鬼に陥ってしまうことこそを、ぼくらは心配した。ぼくもカズも無職で、家に居てなにもすることがないから情報収集をしていたという理由もあるのだが、それにしたって、あの当時のあの震災のインパクトに突き動かされざるを得なかった感覚は忘れることができない。なにかできることはないのか、被災者の力になりたい、でも、なれないし、やれることも何も思い浮かばない。状況把握に努めるだけで精一杯で、そのわりに把握しきることはできなかったのだが、そうやって、東北、ひいては福島に感情移入をして情勢をみてきたことが、茜との出会いを生んだのかもしれない。
 自治体主催の就職支援セミナーにカズと二人で参加したときに、休憩時間にこの街の情報専用の掲示板があるという話になって、そこで、福島から避難してきた人を悪く言う書き込みがあったことを、目を吊りあがらせながら非難していたら、たまたまぼくらと三人一組になって、小売サービス業の接客の仕方のシミュレーションをこなしていたのが茜で、彼女はそのとき、
「わたしのことなんだ、それ」
と短くすばやい口調で話に入ってきた。
 ちょっと自分たちを卑下するかのような言い方になるけれど、ぼくらにはたぶん一生縁がなさそうにすら思える、とびきり美しい女の子と、その瞬間からお互いを大切に思い合う仲間になったのだった。そして、ついでに言うと、ぼくら三人はみんなひとりっ子だった。ひとりっ子同士で通じ合うものって、うまく言えないけれどなにかしらあって、それは自分たちの性格に通底するものだったりする。茜とぼくら二人がこんなにも仲良くなれたのには、そんなひとりっ子気質の部分にも関係しているものがあるのかもしれない、と思っている。
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報告と予告

2015-04-11 16:42:31 | days
昨日書いたとおり、
昨年末に小説を応募した『文學界新人賞』では
予選も通らずに敗退しました。

僕のは“こてこて”の純文学という感じでもなかったんですけれど、
それでもいいところがあれば、
一次通過、二次通過くらいまではありそうなものなので、
まずかったんだなあと肩をお落としています。
どこがどう悪いのか、いろいろ考えていますが、
頭を抱えるばかり。

それでも、書いた小説には伝えたいことがあり、
稚拙であったとしても、読めないほどじゃないと、
厚顔無恥かもしれないけれど(プライドが低いのかもしれないけれど)、
このブログにアップしようと思います。
また、こんな作風でこのくらいのレベルだと『文學界』には
通用しないというのがわかると思います。

最初は文学賞に応募する気はなかったのですが、
ちょうどいい長さで完成したので色気を出して
応募したんです。
最初からどこどこに応募すると決めて
ちょっとでも研究してから書くと、
もう少し違うものができあがったのかなあと
可能性の世界を思い描いてみても、
やっぱり五十歩百歩かな、なんて思えたり。

そういうわけで、
明日から4日連続で小説『虹かける』を
アップしていきますので、
どうかあたたかい目で読んでやってください。


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『羊どろぼう。』

2015-04-10 00:22:41 | 読書。
読書。
『羊どろぼう。』 糸井重里
を読んだ。

糸井さんの「小さいことば」シリーズ第5段です。
装画は奈良美智さん。

ぜんぜん関係のない話ですけれど、
『文學界』に応募した小説が、かすりもせずに予選落ちしまして。
まあ、なんとなく直感で2日前くらいからそうだろうなと思っていました。
なので、そのショックというか、人生の「万事休す」感は
そのときがピークでしたが、実際に今月号の文學界で予選不通過をしると、
今度はやさぐれたような、自棄するような気分になってきたので、
リセットするのにはきっとこの本がいいだろうと思って
手に取った次第であります。
そして、その効果は抜群でした。

なんていうか、毎日を過ごしていろいろと感じたり考えたりしていて、
どうしてだろうだとか、どうしてだろう未満でさえある感情や考えのタネが
こころに芽生えることってしょっちゅうだと思いますし、
その人なりの死角になっていて見えていない部分ってあると思うんです。
そんな要所要所をズバっとつくような
アフォリズムのような言葉が並んでいたりもして、
「ああ、そうか」だとか、「なんで気づかなかったのかな」とか、
ほぼ日か何かで以前読んでいて、
再度触れている言葉だってことがわかるものもあるのですけども、
それでも、再発見させられることが多かったですね。
そして、読んでいるうちに整体で治してもらっているみたいに、
こころの矯正をしてもらっているような感じもしました、笑える箇所を含めて。
また、時折写真が出てくる糸井さんの愛犬ブイヨンがかわいらしいです。

大好きなシリーズで、
今回もまた「助けられてるなあ」と身にしみている次第。
短いセンテンスの言葉が一ページを占有していて、
その余白、空白部分が気持ちの余裕を誘い出しますね。
反芻が苦にならないのは、
その空白部分によるところがおおきいのかもしれない。
老若男女にすすめられる本です。
ほぼ日ファンだったなら、抱いて寝たいくらいの本でしょう。


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『せんせい。』

2015-04-09 10:45:55 | 読書。
読書。
『せんせい。』 重松清
を読んだ。

学校の先生が主役や大事なわき役となって登場する
六篇の物語集。短編集です。

重松さんの書く話は、
年を取って読むたびに沁みる度合いが深まるように感じます。
人生経験の多寡によって、印象が変わるような小説なのかもしれない。
今作も、ぐんと沁みて、目に涙が滲んで、
その熱さを感じるような作品が多かったです。

また、読みながら、自分と教師という関係について、
振り返りさせられるようなところもあるんです。
僕はそういえば中学校は野球部で補欠だったけれど、
ぞんざいな扱いだったなぁとか思いだすわけです。
それで、その顧問の教師と20年以上たって、
道端で出くわしたことがあるのですが、
きっとあの先生は、この小説で書かれている
先生のように自問して悩んだりはしないだろうなぁと
残念に思いもしました。

そして、不当な窮地に立たされている、
つまり端的なもので言えばいじめだけれども、
そういう立場に立たされた子どもを思うと、
憤りとともにどうにかしてやりたいなと強く感じます。
そこを、うまく小説で、現実の苦みもとりいれた内容で書いているのが、
重松さんなんですよねえ。
本作では、とくに、「ドロップスは神さまの涙」という作品が
ぐぐぐっときました。

重松さんはもうメジャーな作家ですが、
もっと大メジャーになって読まれると
もっといいよなと思わせられる人です。


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『地政学入門』

2015-04-06 23:11:00 | 読書。
読書。
『地政学入門』 曽村保信
を読んだ。

「地政学」と聞いて、
すぐにどんな学問かを言えるくらいではなく、
ただ字面からどんなものかをイメージする程度の、
この学問を知らない多くの人と知識を同じくして
臨んだ読書でした。

国と国との地理上の特性を加味した、
外交だとか戦略だとかの学問だというイメージから始まって、
読んでみると、もっと細かくその国の歴史からくる
傾向なども考えたうえで練られる、
外交に関連する実践的学問というものでした。

1983年の本なんですよ。
戦後38年の年。
そして冷戦のさなか。
だからなのか、記述の深さや広範さが今にないくらいでした。
それはつまり、まだ平和のため、いや金のために目がくらんで
ボケーっとする前夜の時代だからなのか、なんて思いましたね。
このあいだも国会議員の人の発言がありましたが、
「八紘一宇」なんてものは体の良いスローガンであり、
ただ石油などの資源を確保するために東南アジアへ進出するために、
国民を納得されるためのイデオロギーとして開発された言葉だと
しっかり書かれていたりします。
今現在なんて、戦後の記憶が薄れてきていますから、
またバカな解釈をして国民を踊らせようとしているんだか、
自らが踊っているんだかわからない発言をする政治家が
けっこう出てきているように見える。
政治家に限らず、識者と呼ばれる人たちにもいる。
その言葉の表面だけをなぞって、文脈も考えないのはどうだろう。

そんなふうに、83年当時だからこそ出てくる、
歯切れの良い真実味ある文言がでてきます。

そして、アメリカが「世界の警察」としてやたらめったら
あちこちの国の粛清めいたことをやるのも、
実は100年以上前からそうだったこととわかる。
モンロー主義とかいう態度が拡大してそうなっているそうですが、
ちょうど100年くらい前の大統領が、
アメリカは「国際警察軍」と言っていたりする。

本書には、地政学としては、こうこうこういうものが地政学だという、
本当に地政学にフォーカスした説明って言うのはありません。
ただ、19世紀から第二次世界大戦くらいまでを扱って、
その当時に出てきたのが地政学ですから、それがどう脚光を浴び、
世界に影響を与えてきたかを、細かい歴史とともに
見ていくというのが、おおまかな本書の流れです。

きっと、名前を聞いてもわからないとおもいますが、
マッキンダーとイギリス、ハウスホーファーとドイツ、
マハンとアメリカ(この結びつきの紹介は少しだけでした)、
というように、地政学の歩みと実際を見ていきます。

これを読んでもたぶん地政学はわからないでしょうが、
今の外交戦略にしても、その基礎の部分にこの
地政学はあるのだろうということはわかります。
対をなしているわけではないと思いますが、
国際政治学というものもあって、
それとはちょっと趣が異なるのが地政学でした。

この分野はなかなか近づいていなかった分野で、
僕にはちょっと難しめだったことは確かです。


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『約束された場所で』

2015-04-03 01:45:15 | 読書。
読書。
『約束された場所で』 村上春樹
を読んだ。

オウム真理教による1995年の地下鉄サリン事件。
その被害者の方たちのインタビューを集めたのが
前作『アンダーグラウンド』でした。
今作はオウム信者、元信者の方たちのインタビューを集めたものです。
巻末には河合隼雄氏との対談が二本おさめられていました。

読んでいてもっとも大きく感じたのが、
オウム信者(元信者)の人たちに自分の影を見るかのようだったこと。
生まれてくるのがもっと早かったら、
ぼくも危なかったかもしれないなと思う部分もある。
精神世界に興味がありながらちょっとふらりとしていたら、
オウム真理教に取り込まれるということ。

教祖の麻原は宗教家としてはすごかったと言われている。
言っているのが信者だからと、信者を頭が弱い人扱いして
「すごくなんかないさ」と言い切る人もいそうだけれど、
この本を読んでいると信者の人もちゃんと知恵や知識を持っていて、
その言葉は信用に足ると思えた。
そして、その信用に足る言葉で語られる麻原の人物像には、
たしかに凡人ではないカリスマ性と宗教家そして
ヨガの指導者としての秀でた資質を感じさせられるのでした。

オウム信者の人の言う言葉で気になったのが、
「現実世界には合わないから」というもの。
そういう概念で考えちゃったらどんどん浮世離れしていく。
生きにくいけれど、少しずつ生きやすい世の中にしていけたらというように、
現実から足を抜かないことが大事だったんじゃないかと、
読んでいた100ページ目くらいまでは思った。
しかし、その後、「救済」という教義のひとつに触れることになって
事態はもっと込み入っていたのだなと気づきました。
現実に合わないから理想郷であるオウム真理教に入っていった人々が、
修養して精神的に高いステージ入っていって、
自分が解脱者となったならば、
今度は救われなくて煩悩の塊であるふつうの人々を救おうとする。
それが、サリン散布という形で、
来世や死後の世界という概念に基づく、
殺人さえも救済としてしまう教義が実行されてしまった。

また、まえがきで春樹さんが書いている、
メインストリームからこぼれる人々をつかまえるサブ的なものが
日本には決定的に書けているというような話。
セーフティネットが無いから、
こぼれた人を新興宗教などが取りこんでしまったりする。
河合隼雄さんが対談で述べていますが、
何故こぼれおちる人々がでてきたかというと、
社会がどんどん煩悩を肯定する社会へと進化してきたからだということ。
享楽的で快楽的なものを追求し、合理的にそれらが行われる社会へと
変化してきた。そして、大多数の人々はそれで
「豊かになった」「便利になった」「楽しくなった」と感じるようになったのだが、
そうではなく逆に苦しくなる人々も、
当たり前だけれど、人間は多様なのだからいたわけです。
そういったこぼれおちる人々を作る社会にしていきながら、
そういう社会にしていった人々が、
そこに対応できない人々を排除しようするのは間違っているでしょう。
傲慢すぎるし、いろいろと問題があると思うし、感じられる部分もある。
だからこそ、今後オウム的なものがでてこないようにするための
方策の一つとしては、そういった人々のセーフティネットを作ること、
あるいは、マジョリティとなっている社会のシステム自体を変化させることが
大事になっていきます。

オウムはまだ存続していますが、
サリン事件などをきっちり清算しきれていないまま
存続しているのが問題だという話には賛成。
ああいう暴力が出てきたその原因を、
さっきもちらと書いたけれど教義なりシステムなりが内包していたと考えるべきだし、
実際にそうであって、それを洗い出して反省してやり直すという過程を踏んでいない。
教団内部のシステムを見つめ直さずに大元のところを変えずにまだ続いているというのは、
これからまたあのサリン事件的な逸脱へと転がっていく可能性が
払しょくできていないということになる。

なにがその人をオウムへ入信させたかを考えると、
通底する何かとしては、ものをよく考えすぎて、
その結果、社会へ溶け込みにくくなったというのがあげられると思いますが、
うまく言えないけれど、ぼくには、
その人間の、どこに死角があるかが大きく運命を左右する、
ということのようにも読めたのです。
何が見えていないかで、その人の運命が左右されたのではないかと。
そして、オウムはある種の死角を突いてくる性格を持っていたのではないかなと
思った次第です。

さらに、ちょっと話は変わりますが、
オウム真理教では自己を失くすことを目標としている教義があったらしい。
これは仏教に詳しいみうらじゅんさんも似たようなことを言っていて、
自分探しじゃなしに自分失くしこそが救いだっていうように言っていた。
でも、共通しているように見えるけれど違いはある。

オウム真理教では、自己を失くせといっていおきながら
その失くす自己をグル(教祖)に委ねさせる。
果てに、サリン事件の実行犯たちのようにグルの思いのままの
マインドコントロールとも言われた状態の人もでてきた。

本書に出てきた元信者の人によると、
自己失くしというのは仏教のなかにはないということでした。
逆に、自己あってこそらしい。
みうらじゅんさん的仏教解釈とはまるで逆なので、
どっちが正しいのかって思ってしまう。

自分探しよりか、自分失くしのほうが生きやすいのはわかるけれど、
失くした自己を誰かに掴まれてコントロールされたらどうなるかわかったもんじゃない。
矛盾して聞こえるけれど、自己を持ちつつ自己を捨てる勇気を持つことが、
わかりにくいけども生きやすさに繋がるのでしょう。

共感じゃないけれど、
信者や元信者の言うことには自分を重ねて思うことも多かったです。
ただ、決定的に、なにか、彼らは自分とは違う死角を抱えているような気はしました。
そして、巻末の対談では河合隼雄さんの言うことはズバンと本質を突いていて、
やっぱりすごいなと得心して読んでしまいました。


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