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<strong><仰げば尊し...>       ‘06</strong>-3-7

2006-03-07 20:42:01 | Massy's Opinion
五寒 二温の異常気象の此の頃、それでも桜の蕾は膨らんでいる。3月は卒業式、4月は入学式、入社式と華やぐ季節になる。今迄の自分を振り返ると色々な先生方に教わった事を想い出した。僕自身の中には、第二次大戦後の混乱期に迎えた小学生時代に出会った先生の言葉が未だに記憶に新しい。

<先生の言葉>                    1946年10月30日  (WR’05-8-13)
先生 佐藤 良夫 1946年 当時 杉並区立高井戸小学校 5年~6年担当
推測: 新潟師範出身 以降 青山学院大学文学部に学び、慶応大学文学部で児童心理学を学び再び教壇にたつ 文学青年 中学時に家庭教師をして貰った

先生が、黒板に書いて教えてくれた物を一冊の小文集にしていた 多感な時代に話されたことでその考え方は、現在に至るまで「座右の銘」となっている。
この一冊のノートは「我が最良の年」 愉快に過ごして来た小学校時代の教訓を書き綴ったものである。

学問だ。学問だ。何よりも学問だ。すぐれた学問のないところに、すぐれた個人は、生まれない。すぐれた学問を持つ人は、必ずすぐれた人間である筈だ。すぐれた学問とすぐれた人間とは、同じものであるとことを、先生は信ずる。
みんなよ、若き少年よ、すぐれた学問をもって生き抜いてくれ。学問を忘れるな。
死んでも死んでも決して学問を忘れるな。学問は魂だ。学問は魂だ。若き少年達よ生涯学問への執着をもて。
 「真実の学問だ」「真実の学問を忘れるな」      1946年10月21日

みんながみんなの力でみんなの仕事をしているのを
先生は今見た。
先生はみんなの力を信じている。
そうしていつもその日のくるのだけを待っていた。
若き少年よ 若き少年達よ 自分の力を信じてくれ 自分の力を信じてくれ。
そしてこの自分を この自分を自らの手で丁度芸術家がすぐれた彫刻を生み出すよう   
に自分自身をそのまま、すぐれた芸術作品として生み出してくれ。 先生はその日だけをまっているのだ。
「真実」「真実」 “花のような社会を作れ”   1946年10月日時不明
  
人間は真実の上に築いた学問でなければ決して力とはならないと先生はいつも思う。
    「誠実」「誠実」                1946年11月日時不明

白露の ごとくあれ!                  1947年(昭和22年春)

真実は 必ず人の胸をうつものである 常に感謝の気持ちをなくさぬよう。

人生行旅の如しと個人も言へり。正に教師の如きも行旅の如く人渡場の渡守の如し。
君ら教え子達を学校と言う舟に乗せ卒業と言う向う岸に渡し終ると共に旅人の渡守を忘るる如く、教師も又君らより忘れらるるとせば寂しさ譬もなし。
されど我が限りをつくせる魂が教え子達君らの心の一隅に宿され永久に生きて温かきうるおいと共に燃ゆる温かさを持つとせば師の喜び限りなきものあるべし。
いつかは別るるべき宿命持つ我と教え子達よ 清らけく美しく豊かにあの大空にます巨木のそれの如くに生き抜くべし。 
秋来たらば公孫樹の一時に落葉すれど春と共に限りなき命の伸張を若葉のみどりに見せるであろう。
我が愛する教え子達よ、君達も又、永久にかの大樹の大空に屹立する姿たるべし。
5年を送るにあたり、春の暖かき光を浴びつつ此処に一葉の写真を取りぬ。
幾年か後、君たち教え子が大人となり老人となり、又、白髪の老翁となりたる時、これを見てその昔高井戸なる小学校に就学云々せし生徒たりしを思い、その懐かしく愉快なるは譬えるものなきを信ず。
教え子達よ、我が愛する少年達よ、幸あれ永久に 我が教え子達よ初五を了るの日に春の日を浴びつつ。