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<strong><犬雑感 Ⅰ>   (月刊 「自動車販売」’94-3掲載) '06-8-15</strong>

2006-08-15 11:33:59 | Massy's Opinion
●増田弘
☆今月はGyuチャン 追悼月間 犬にまつわる12年前の寄稿を振り返って見た。

・変化の年と言われている1994年は、十二支の戌年である。と言うことは、戌年生まれの小生も、誕生日をもって「還暦」となる訳で、自動車販売業界に飛び込んで40年近く、若いつもりでも周囲の変化が激しく、何とも複雑な感じで新年を迎えたのが偽らざる心境である。
 私と「犬」との付き合いは、戦後学童疎開から東京に帰って来た時に始まる。母に反村されながら、最初に飼った犬は雑種だったが、確か5才位で死んでしまった。その次に近所のブリーダーから「犬を飼うなら血統書付きがいいよ、雑種も純粋犬も食事代は一緒だよ」と言われてなるほどと思い、父親にねだって買って貰った犬が、忘れもしない新宿の三越で当時3千円の柴犬であった。 ところが、この柴犬は半年を過ぎても、耳が立たず、ボール紙をばん創膏で耳に貼りつけたりして随分苦労をしたが、遂に死ぬまで耳は立たなかった。その後は、コツカー、エアデール、コリー、ビーグルと様々な犬種を飼った。そして今は、ゴールデンレトリーバーを2頭、親子で飼っている。 この中で、特に思い出されるのはコリーで、これは自動車の下取りとして、セールスが1万5千円で取らされた犬を、「飼ってくれ」と犬、大好きの私の処に泣きついて来たので、私が飼う破目になったのである。犬も良い犬で、血統も「まあまあ」だったので繁殖をした。コリーはご存知のように、トライ(黒)、セーブル(茶)、ブルーマール(3色)と三種の毛色が生まれるので、種牡の選定から仔犬の生まれるまでが楽しみであった。 このコリーの仔犬は展覧会に初めて出したり、私の犬好きの基礎犬であった。コリーは15年位飼ったと思う。

・さて、今飼っている「ゴールデンレトリーバー」は、コリーが死んで次にビーグルを飼い、その後しばらくブランクがあり、もう「死に別れは辛いから犬は止めよう」と家族で考えていたのだが、また「どうしても欲しい」と言うことになり、犬探しを始めたのである。今から6年前、次に流行する犬種はなんだろうか?と考え「ブルドッグ」、「ペアデットコリー」、「チベツタンテリア」、「ゴールデン」の4種を選び、ブリーダー歩きをして、ゴールデンに決めたのである。 生後30日位の仔犬の「ジイーット」人を見る目付が、家へ帰ってからも忘れられず、ワイフと相談して値段は35万円と高かったが、思い切って買うことにした。今まで、何種類、何頭もの犬を飼って来たが、犬質、性格ともに本当に一番良い犬でショウでも良い成績を挙げ、遂に、JKCチャンピオンを取ったのである。(英国系ゴールデンでは、至難に近い)

・一昨年から、「東京南ゴールデンレトリーバークラブ」と言うグループを40人位で作ったが、今は何とこのゴールデンが昨年の人気ナンバーワンの犬種になり、会員も280人位になっている0毎月1回「しつけ教室」を砧公園で開催しているが、約70頭位のゴールデンが集まって来る。しかし殆ど喧嘩もしないし、誠に見事なものである。
と言うようなことで、犬へののめり込みは年々激しくなるばかり、早起きと散歩が苦痛になるときがあるが「目は口ほどに物を言い」ではないが、私が帰宅しての一声と、じっと見つめ「話しかけるよな」眼差しには、「仕様がないなあ、散歩に行ってやろう」となる。そして、歩き出すと尻尾をチギれんばかりに振って歩く姿を見ることは、正に「忙中閑あり」である。

☆8月12日の思わぬ出来事。
この日は「慶応野球部応援団」の緊急オフ会が新宿であり、行きしなに京王デパートに寄った。丁度、7階の催事場で「大骨董市」が開催されていて、色んなお店が出ていた。フト眼をとめると「マッシーコレクション」と言う陶器のお店が出ていた。「えー、何でマッシーなの?」と疑問に思い、そこに居た中年の綺麗な女性に「失礼ですけれど、マッシーって、いつ頃からおやりに成っているのですか?」「家の主人の名前なんです」と向こう側を指差す。そこには大きな体をして日本人大リーガー1号の村上雅則さんがいた。「ああ、この人奥さんなんだ」早速、名刺をだして、「家でMassyと言う喫茶店を40年くらい前からやっていましてね」「えーと何処かの駅の改札の前ですよね...そうそう、神谷町でしたよね。病院へ行く時ですから...」それからマッシーとの話に成り、塾高出身の事、夏の予選は法政二高に負けたことを話すと「遠藤凱孝さん元気ですか?彼とは当時1勝2敗で負け越しているんですよ」「え!ゴルフ...」「野球ですよ」「良く覚えていますね?今、塾高野球部OB会の副会長をしていますよ」「高校時代のことは忘れられないですよ。慶応強く成りましたね。二高は良い選手を皆慶応に取られるから...とか言い訳ばかりして...」こんな話で30分位話し込んでしまった。僕は村上さんが「マッシー」と呼ばれているのも知っていたし、「何時か話はしたいなァ」と思っていたので、思いがけない出会いであった。この事を野球好きのよくSanFranciscoへ行く若い人に話をしたら、今でも Giantsのホームグラウンドには「マッシー」の写真が飾られているとの事だった。
P,S 参照、ブログ '05-8-15 「Massy ネーミングの由来」