☆週間新潮 掲示板 幻のクラブ「日比谷イン」11・30日号
「I was Born in1934」いつも自己紹介の時にこう言うフレーズを使っています。
週刊新潮60年位読んでいるのでしょうか? 今週先生の記事の中に僕の親友「三保敬太郎」君の名前が出ていましたので、「日比谷イン」と共にとても懐かしくなり、あの時代の「匂い」までが浮かんで来ました。確か、高校2年の時彼と机が前後で並んでいました。
その頃、彼は慶応の学生バンド「Cool Notes」でピアノを弾いていました。色んな所に出演していましたが、確か、「日比谷イン」では、かなり長い期間出ていました。僕が一番初めに行ったナイトクラブは「ミっちゃん」が出ていた「日比谷イン」でした。確か裏バンがハワイアンバンドで、「マヒナスターズ」がメジャーになる前でした。「CooLNotes」は主にシアリングナンバーを中心に所謂クールジャズをやっていたと思います。彼は夜の仕事で学校では遅刻が多く、随分「代返」をしましたが、学年が終わると優等生になっていました。僕は、彼の影響でJazzにはまり込みました。「Six Joes」ドラマー南弘さんが家の近所に居まして、我が家へ良くべニーグッドマンのSP盤を聞きに来て、デンジルベスト風のブラシュの練習をしていました。当時、銀座2丁目のマキシムが「Joes」の出演場所でした。内幸町の「マヌエラ」コンデとゲイセプテット、飯倉の「ゴルデンゲート88」 乃木坂の「コスモポリタン」(小西徹、宮沢昭等当時の若手が多かった)銀座の「銀馬車」等良いクラブがありましたね。いずれも進駐軍の士官用のクラブで「Off Limits」に成っていましたが、‘52~53年ころから日本人も入れるようになったような気がしますが、「日比谷イン」が一番早く解放されたのではないでしょうか?僕の記憶では値段も安かったような気がします。場所としてはいまの「松本楼」の辺りで、2階建てで1階はドライブスルーみたいになっていて駐車が出来ました。兎に角、敬太郎君の影響から店に入りやすかったので、随分、通いました。ご存知かと思いますが、敬太郎君は初めTBSに入りました。自動車好き、スポーツ好きで特にアイスホッケーを好んでいました。優男ですが、或る時、彼のマンションに行ったら、下駄箱の上に鉄アレイが置いてあったので驚きました。「何でこんな物があるの?」って聞きましたら、「トレーニングだよ」って言っていました。「へッ、彼奴こんなことで努力しているんだ」と思ったことがあります。父上が43歳で日本コロンビアの社長だったとか慶応幼稚舎の頃からクラシックピアノを習っていたとか...自動車の日本グランプリにフェアーレデイーで出たり、映画監督をやったり奇才・異才でしたね。「日比谷イン」の事を知っている人はもう少なくなったでしょう。昔の「CoolNotes」のメンバー西条孝之介さん、笹さんとかに聞けば解るかもしれませんが、「客」として行ったことのある人は、本当に少なくなったでしょうね。今度、風営法が改正されて、昔みたいに踊れるライブハウス出来るようになれば景気も良くなるのではないかと思います。ついつい懐かしくなり駄文を記してしまいました。お暇な折にご一読頂ければ幸いです。
P.S.
想い出ついでに...社会人になって初めての給料を貰った4月末、三保君が49年式のフラッシュサイドのフォード買いました。勿論、駐留軍人の払い下げです。彼の初めてのドライブで女の子を二人誘い箱根へ行きました。所が、早雲山のてっぺんでエンジンから湯気が出てきてエンコしてしまいました。「さあ困ったなァ...親父に電話したら怒られるに決まっている...」結局、女の子を乗せたまま男二人で下り坂を利用し車を押して、宮ノ下まで降りて来ました。今みたいに車が多くなく、そんな事ができたのでしょう。ハンドルを握りながら押すのですから...三保君は、免許取ったばかりだったので「俺怖くて運転できないよ」と言うし本当に必死の思いでした。宮の下で偶然、当時、クラリオンの営業部長で僕の居た会社に売り込みに来ていたので顔見知りだった、小山田さん(後に社長)の車が通りがかり、異様な僕らの姿を見て、運良く止まってくれました。僕らの会社で売ったブルーバードでしたので、直ぐ解ったのです。それから、ロープを買いに行き湯本まで引っ張って貰いました。この時のご縁で後に「ピンクムードショウ」を三保君が手掛けるように成りました。それから親父に電話して、東京から迎えの車に来て貰いました。
三保君は「仕事が有るから」とか言って、自分の女の子と湯本から電車で帰ってしまいました。初めて貰った給料はその日一日で全部無くなりました。今では、考えられない様な冒険でした。さて、この時のフオード49年式の後、敬太郎君は赤いMGAを買いました。オープンのカッコの良い車です。何人の女の子を乗せたやら...その車をジャズ評論家の「いそのてるを」さんが買いました。そして、奥様がぶっけてしまったそうです。これは、自由が丘のライブハウスで奥様から聞いた話です...。
杉並区浜田山 増田 弘