★Massy’s Opinion
・東京法務局港出張所
先日 会社の謄本を取る用事があり、久しぶりに登記所に出掛けた。
1960年頃の登記所は、まあ、凄い混雑だった。自動車が売れに売れてそれに伴う名義変更の手續が大変手間が掛かった。東京の車検場も品川、足立の二か所に多摩が出来た頃は油だらけの作業着を着た自動車屋の作業員も沢山来ていて、兎に角、車検場に似ている同じような匂いがしたものだ。特に、港区芝界隈は、自動車工場が密集して居たからだ。僕は、生まれが芝御成門、仕事は殆ど芝界隈、赤坂、六本木、青山だったのであの辺は本当に良く知っている。今迄は、司法書士事務所に全部頼んでいたのだが、時間も十分にあるし、今話題のデジタル化、印鑑レスなんて真っ先に法務局が変わらなくてはならないだろう。
・先ず、空いているのに驚いた。女子事務員が来ているのにも驚いた。会社の謄本を取るので2階へ行き受付に居る女子事務員に「会社の謄本が欲しいのですが」と尋ねると、「印紙を買って、請求書の用紙を書き込んで2階の窓口に出して下さい」と親切に教えて呉れた。昔は男子事務員で怖かったが、随分態度が変わったものだ。請求書の記入もそれほど難しくなく簡単に取ることが出来た。暫く「一体、どんな用事で来ている人が多いのかな?」と謄本が出来るまで観察をしていた。
・その内に、「そうだ会社のマイナンバーカードを作って置こう」と考えて、受付嬢に聞いた。早速、請求書の記入をした。会社の登記簿謄本と異なり、企業のナンバーカードは代表者しか申請出来ないそうだ。従って、会社の代表者から僕が委任されたことにしなくては成らなかった。さて、記入をして居たら、委任の日付欄に「和暦で昭和、平成、令和」と印刷されて居る。チョット書き損なって、もう一枚用紙を取ってきたら、和暦が昭和、平成だけだった。
・これからデジタル化するには、先ず此の「暦」を「西暦」にしなくては駄目だろう。僕は書類は全て「西暦」にしている。ああ、これでは菅さんがいくら力説してもデジタル化はおいそれとはできないな。あらゆる法律のこの日付の管理の関わる処を変えなくてはなるまい。2007年に「電子記録債権法」と言う法律が公布されて居る。これは民法上の指名債権でも手形法上の手形でもない、新しい第三類型債権である。既に公布されてから10年余が過ぎているが、余り一般に知られて居ないし、利用もされて居ない。此の債権が使えるようになると民法の契約も大きく変わり、資金の流用も大きく変わって来ると思われる。果たして、菅総理も加藤官房長官もご存知だろうか?如何も今の政治家はお金と選挙しか頭にない様に思う。
・今、メガバンクの決算書なんて見ても数字が大きくて、およそ解らない。あの総会の時、雛壇に並んでいる役員全員が、決算書を全部読めるかと思うが?僕は読めないと思う。
手前味噌な話だが、僕の一番初めの上司は、メーカーから来た人で人に対する愛情は素晴らしい人だった。第二次世界大戦後、日産の労働争議は共産党系の強力な組合で、当時は日産の内は大変だった様だ。その時の話を随分と聞かされた。然し、数字は全然ダメ。それで僕は随分と経理を勉強した。やがてIBMが日本にも上陸して、当時の第一ターゲットは自動車産業であり、機械は、360-40と言う大型コンピュウターである。会社で導入する事が決ってプロジェクトチームが組まれ、僕はそのメンバーに入ったが、仕入れから原価計算、アフターサービスまで一台一連のカードで仕入れ、入庫、引き当て、原価計算、アフターサービス、と管理できるようにしてプログラムを組んだ。これは、当時、日産自動車のラインでボディーにカードを張ってあり工程ごとに、切り取って行くやり方をヒントにしたのである。 後年専業リース会社を作る仕事をしたが、先ず、勘定科目を作る処から始めた。特に車のリースは「経年数残価率」と言う所に重点を置いた。次の会社では、フリートのお客様の車1台、1台の簿価で管理したのである。セールスには、「御社の~号車簿価お幾らでしょう。これこれで下取りしますから、代替して下さい」と言う様に商談を指示した。これは、ミヤンマーへの350台の輸出の時、車集めには本当に効果があった。このプログラムは一人の外注プログラマーに一年で作らせた。トップが勘定科目を解らなくては会社の利益は出る訳はない。デジタル担当の大臣お解りかな?まず初めには西暦、和暦をどうするか?が一番大事だろう。久しぶりに登記所へ行って、そんなことを考えた。少し解りにくいレポートに成ってしまったが、マイナンバーカードと同じで今度の担当大臣がもし西暦を使う所から始めるならば、デジタル化は進むだろう。