★Massy’s Opinion
*さて先週のブログで、犬の事を書いた。ホントに犬との付き合いは長い物に成った。
決して僕だけが好きだった訳ではない。親父も相当に好きだった。犬だけでなく生き物が好きだったのだ。第二次世界大戦が終盤に近付いた頃。芝の御成門旧田村町6丁目からこの東京の西部地区に家を探していたようだ。聞いた話では。荻窪周辺を候補地に探していた相だがその時、現在地が見つかったとのことである。「人間魚雷」が話題になっていた頃、人間魚雷の船には、古い自動車のエンジンが使われたとの事。其のエンジンの整備に芝周辺の自動車整備工場が使われたそうだ。今、西新橋1丁目の交差点にエネオスの本社と三井物産の本社がある。勿論、建て替えられているがその北側にはヤナセの大きなガレージが在った。
ヤナセは三井物産の鉱油部から独立したそうで、あの周辺には数軒の修理工場が在った。今、浜田山の億ションが建っている処は、三井の運動場だったが、そこに人間魚雷のエンジンを整備する工場を作る話も在ったらしい。そんな事で親父は浜田山に疎開を兼ねて引っ越しをして現在に至っている。当時は、周囲は畑と雑木林、兎に角、駅の周囲には、3公社5現業の酒屋、炭屋、たばこや位しかなかった、のどかな田舎だった。三井の雑木林には雪の降った次の日ウサギ撃ちに炭屋の坂本さんに連れて行って貰った記憶がある。神田川の水は冷たくてとても奇麗だった。今では考えられないが、ぬまず、鰻、ドジョウ、ヤマメ、タナゴ、フナ、メダカ、鯉本当に釣った事がある。僕の泳ぎは、此の神田上水で覚えた。川の縁を上流に向かって行くと「お釜」と呼んでいた湧水が出て居る所がある、そこには4月から今頃に掛けて、産卵の為に多くの魚が集まってくる。ミミズを餌に吊り糸を垂れると直ぐ釣れたものだ。今でも神田川には昔の魚が集まって来た処には、その後放流された鯉が集まってくる。不思議なものだ。
*さて周囲の環境は想像頂けたと思う。小学校5年生から高井戸小学校に通い始めたが、犬が欲しくて仕様が無かった。当時、小鳥屋は有っても、犬屋は殆どなかった。犬を飼って居る人から子供が生まれたら貰って来ると言う入手方法しかなかった。丁度、前記した炭屋の坂本さんの家で子犬が産まれたので伯父さんに頼んで、貰って来た。親父もお袋も反対はしなかった。これからが僕の犬遍歴である、個別に思い出してみよう。
・初めての犬。ビーグル系の雑種 白地に薄茶色の大きな反斑がった。背高35㎝、垂れ耳、尻尾、水平。眼玉大きくて、可愛い.鼻黒、「タロー」と名付けた。或る日、散歩に連れて行った時、猫に出会った。猫が怖がったのだろう。タローの鼻面に飛びかかって来て、顔を引っ搔いたのである。その時、爪がタローの眼に当たり瞳を傷つけてしまった。5歳位で死んだが左目は恐らく一生見えなかったのでは...と思う。此れ以来、僕は猫は嫌いになってしまった。今では、猫と犬と一緒に飼って居る人も居るが、僕には出来なかった。
・「マリ」僕の親友、政克ちゃん高校から僕が慶応に入りズット一緒。もう亡くなったが彼の父上が犬のブリーダーをやって居た。大型秋田、エアデール、チャンピオンクラスの犬を飼って居た。或る時、「ヒロちゃん、どうせ犬を飼うなら血統書付きを飼う方が良いよ、どうせ同じ餌代は掛かるのだから...」と言われた。それは「その通りだな」と思いタローが居なく成って寂しいので親父に頼んで、新宿の三越に畜犬売り場があるのでそこへ行き、柴犬の血統書付きを3000円で買って貰った。雌犬で子供を取ろうと思った。当時は放し飼いが出来たので庭中遊びまわり、当時、生垣区切って在った裏の畑へ出て、掛けずり廻り元気な犬だった。半年過ぎても「耳」が立たない。血統書は日本犬協会の物だったが偽り在りだった。或る時、散歩に行った時、畑の中にある「肥溜め」の中に落ちてしまった。肥溜めの表面が土を被り匂いがするのに間違えたのだろう。引き上げるのに臭いし大変だった。それから神田上水の農業用の小川に連れてゆき洗ってやった。この時は、2~3日臭くて大変だった。この犬もフェラリアで5歳位で死んだが、血統書付き。三越で買った柴犬なのに一生耳は立たなかった。ボール紙に伴創膏で立ち耳に固めて矯正したが遂に駄目だった。この時に血統書は発行している処が色々ある事を知った。
・1代目 「ファニー」当時、親父のやって居た自動車修理工場には、駐留軍人が整備や帰国することに成ると車の売却に来る人も多かった。ついでにペットの犬を誰か飼う人は居ないか?と言う依頼もあり、或る時、エアデールテリアの成犬を連れて来た人が居たらしい。
親父から「如何する?」「欲しいよ。僕が面倒見るから...」と言う事で家に連れて来た。雌のエアデールで結構、人なっこかった。当時は僕らに繁殖の知識もなく,交配の知識もないその内に妊娠してしまった。勿論、あれよ、あれよと言う間に無事出産確か5頭だったと思う。その内の1頭は白地に茶色の斑点の子犬が居た。それから他の子犬は飼ってくれる人が居たが、その白地に茶色の犬雑種丸出しで、「クルクル自分の尻尾を噛もうとするので,「独楽」となずけた。犬としては頭のいい「可愛いい犬」だった。矢張り、この時代、狂犬病の注射はしたが,フェラリァの注射もなく、大体5歳位が寿命だった。この経験は、犬の交配の時期や血統やメンデルの法則を勉強させられた。