イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「星を継ぐもの」読了

2016年06月05日 | 2016読書
ジェイムズ・P・ホーガン /池 央耿 (翻訳)  「星を継ぐもの」読了

たまたまネットで見つけた解説に興味をそそられた。
月の裏側で発見された真っ赤な宇宙服を纏った死体は5万年前のもので、遺伝子的にはまったくの現代人と同じあった。その後しばらくして木星の衛星ガニメデで2500万年前に遭難したと思われる巨大宇宙船が発見された。
というものであった。

ストーリーはこのふたつの事件と現代人のつながりを科学的な事実をもとに推理するというものだ。

これからこの本を読んでみたいと思うひともいるかもしれないのであらすじは書かないでおきたいが、
この物語の時代、人類は人種や宗教、イデオロギーの壁を乗り越え地球規模の統合国家を作り上げたことにより軍事予算は限りなく削減されその財源を宇宙開発に振り向け、惑星間の移動、開発が可能になったという前提でストーリーは進められている。
はたして本当の世界で、これほどの宇宙開発をすることができるのだろうか。30億年後、末期の太陽は膨張をはじめ赤色巨星となり地球の軌道を飲み込んでしまうというのは確実だそうだ。そのときには当然、人間は地球を飛び出して宇宙に進出してゆかないと生き残ることはできない。そこまで未来ではなくても気候の変動や伝染病などで人類が地球に住んでいられない状況を迎えるかもしれない。そのとき、今まで持ち続けた様々な軋轢を乗り越えることができるのだろうか。
今の僕が知る限りのことではそれはまず無理だろうと考える。残念ながら・・・。この日本の国一国の中でさえ政治の世界も経済の世界も、“共同して”という言葉にはほど遠い。
それとも、もっと前向きな人ならそんなこととは別の考え方を持つことができるのだろうか。

少しだけストーリーの中身を語ると、5万年前の人類は自滅したと断定され、現代人は様々な障害を乗り越え統一国家を作り上げ平和の中で宇宙進出を着実に進めている。自分たちは5万年前の人類の過ちは犯さないのだと結ばれている。
しかし、著者は現代人類をそんなことができる人々であるとみていたのだろうか?実は5万年前の人類こそがお前たちなのだという皮肉を込めてこの物語を締めくくったのではないのだろうか。
それとも、この本は1977年に書かれたものだそうだが1977年といえばベトナム戦争が終わり冷戦下といえども平和と高度成長を迎えた当時の情勢だからこそ書けた物語だったのだろうか。

この本にはあと2冊、続編があるらしい。今のところ読んでみようという気にはなっていないが、それらを読むと本当の著者の思いがわかるのだろうか。


現在の惑星科学からするとどう読んでもおかしいというところがないではないが、そこはSF、これはこれとして読んでおけばよいことだろうが、SFより、現代の科学が解明した惑星科学を含めた宇宙の話を聞いているほうがよほどSF的で驚かされる。
コメント
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