イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

モリトモ問題に思う

2018年03月12日 | Weblog
モリトモ問題について、決裁文書の書き換えが明らかになって大臣の首を切れということになっているけれども、法律違反だ!首を切れ!という前に、どうして危険を冒してまで書き換えをしなければならなかったのか、いやいや、その前にどうして8億円も値引きしなければならなくなってしまったのか、野党の皆様にも与党の皆様にもそこのところをよく検証をしてもらいたいと思う。

僕にはこれが政治問題だとはどうしても思えない。もっと小さな事、例えば、客と店のトラブル、もっと端的に言うと悪質なクレーマーと店員とのやり取りの末の結果と同じようなものではなかったのかと思えてならない。

どうしても土地を安く手に入れたい輩は恫喝と、あったかなかったかわからない人脈を使って自分の思い通りに事を運んでしまったというこではなかったのか。
現場の人間にしてみれば、首相の息のかかった学校を建設する。早く決裁しないと首相の顔に泥を塗ることになるといわれれば顔が真っ青になったことだろう。

犯罪のすべてには動機がある。そうすれば、高々10億円の土地取引に首相夫妻が加担することが彼らの利益に値するものとは世の中のをわかっていない僕にとっては理解できない。だからそこはカゴイケ氏が勝手に首相の名前を使って、奥方をおだてて利用しただけに過ぎないと思えるのである。モリトモ氏はN会議のメンバーだったという報道もあるが、こんな小物に便宜を図る筋合いもなかったはずだ。世の中を分かっていないとは言え、そんなに僕の考えも方向違いとも言えまえ。

ここで上司が腹を括れるくらいの度量があれば、できないものはできないとクレーマーと戦えたはずだが、国会で自分に都合のいいような答弁しかしないような上司は、多分そのとき、「そんなもん、現場で解決しろよ。」というような態度しか見せなかったはずだ。結局押し切られて言いなりになって、現場の人は自殺にまで追い込まれてしまった。国税庁長官は首を切られて当然だが、現場の人たちがかわいそうで仕方がない。

「ぐ~んと、下げないかんよ。」というレコーダーに残ったモリトモ氏の言葉が如実に物語っている。カゴイケ嫁の数々の言動も僕が経験した限り、クレーマーに特有の論法だ。
名前が消された政治家がカネを受け取ったかどうかは別にして、クレーマーは攻撃相手を多方面に求める。そうして付け入る隙を探すのだ。そしてその狡猾なクレーマーは、攻撃した相手を手先にして本命を攻撃させる。政治家か秘書にブリブリ文句を大量に言いつけて秘書たちも仕方なく財務局に手を回したというところだろう。秘書たちも手玉に取られたということだ。そして結局すべてが現場に収束される。

恫喝や恐喝まがいの犯罪ぎりぎりのところでは誰も助けてくれないのだ。それは法律も、組織もどちらも助けてくれない。去年、UAゼンセンのクレームに関するアンケートで回答者の70%が恫喝や脅迫まがいの経験をしたということが小さなニュースになっていた。大きい小さいは別にして、モリトモ問題に似たことは日常茶飯事におきており、誰も解決方法がわからずに上司にも助けてもらえず泣き寝入りをしている人たちが数え切れないほどいるということを野党の皆様にもわかっていただきたい。その犠牲者が自殺した財務省の職員だったに違いない。そんな人たちを助ける方法を考えるほうが先決ではないのかと思うのだ。
きっと国税庁長官というひとは、かつて僕に、「君らも大変やな~」と言った庶務部長と同じような無責任な人であったのだろう。

これは僕の友達の話だが、つい最近も同じような悪質な客に当たってしまったそうだ。
事の発端は買った化粧品が不良品に違いないというクレームからであった。検査に出すとまったく問題ないものであったのだが、その後、「私がクレームを言ったからスタッフの態度が自分に差別的になった。いつもたくさんサンプルをもらっていたのにくれなくなった。」などと言い始め、それが特定のスタッフの誹謗中傷に発展してきたのだ。
大体、こんな輩の大半は、自分が何か利益を得たいのではない、「こんな非道は自分が正してやらねば誰がやる~!」みたいなおかしな正義感を前に出す。彼が考えるに、それは誰にも相手をされなくなった寂しさの裏返しでしかない。
たとえて言うなら、友達の中で女王様気取りでいたら、知らない間に廻りに誰もいなくなって寂しくて仕方がない。私を女王のままにしてくれるのは何を言っても誰も反抗しないお店の中だけしかなかったということだ。
ユイちゃんにはアキちゃんという生涯の友がいたが、このクレーマーには残念ながらそんな友達がいないらしい。
ちなみにこのクレーマーは昔からいろいろ難癖をつけては問題を起こし、かつてはスタッフに土下座をさせたこともあったらしい。

彼は立場上自分が突破されると後がないということと、根は臆病者なのでクレーマーを前にすると逆上して何をするかわからないという自覚があるのでそこは部下を通して戦術を駆使していたらしいが、結局、東京にあるメーカーの消費者相談窓口から電話をさせたら、相手は会話を録音されていると思い、「この電話の内容は弁護士に聞かせたりするのか?」というような質問をして自壊したそうだ。やっぱり、自分もやばいことをしているという自覚があったということだ。ほかにも彼の職場には、コーヒーが飲みたくなると売場にやってきて大声を出して担当者を呼び出して高いコーヒーを出す喫茶店に連れて行くというおっさんもいるらしいのだが、だれも抵抗することがなくやりたい放題になっているらしい。こいつの殺し文句は、「俺は株主で親会社の役員にも知り合いがいる。」というものらしい。

こんな出来事はこの業界ではほんの氷山の一角でとにかく言ったもの勝ちで言わなきゃ損のような状態らしい。役所とておなじような状態なのだろう。まさか役人が大声を出して反抗してくることはなく、言いたい放題、要求したい放題だったに違いない。

だから、野党の皆さんも与党のみなさんも、本当に国民のことを思うのなら、こんなグレーな境界線のところで人々を困らせている輩から助けることができるシステムを作ってあげてほしい。
特に野党の人たちの目的は大臣や首相の首を取ることだけが目的で、代わりに政権を取ってやろうなんて気があるのかないのか、もし間違えて政権を取ってしまったとしてもかつての民主党の二の舞になるだけということを考えると、彼らもまた、大声で反抗してこない与党(最近はそうでもないようだが・・・)に言いたいことを言うモリトモと同じ人種ではないのかと思うのは僕だけだろうか・・・。




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「檀流クッキング」読了

2018年03月09日 | 2018読書
檀一雄 「檀流クッキング」読了

一度読んでみたい本だった。何回か古本屋で見たことがあったけれどもなぜだか買わずにいてたまたま図書館で違う本を探していたらこの本があった。
この本を知ったきっかけは「イカのスペイン風」というレシピをどこかの本で見た時であった。そのレシピが掲載されている本が「檀流クッキング」だということだった。
オリジナルのレシピではイカのワタ以外に墨も混ぜ込むらしい。次にコウイカを手にできるのは今年の最後の方になるけれどもオリジナルのレシピに挑戦してみよう。

作家が料理を始めたきっかけというのが、母親が蒸発したことだったそうだ。父親は学校の先生で、自ら食材を買い出しをして料理をするなどということは教師という矜持が許さなく、妹たちのために止む負えず自分で料理を始めたらしい。
作家が片手間で作る料理なら僕でも作れるのではないかと思ったが、これはかなりの本格的料理で、なかなか真似のできるものではない。東大出身だそうだが、東大生は本格料理もいとも簡単にやってのけるようだ・・・。
そして、一流作家の書く文章はレシピを想像するよりその文章に魅せられてしまって、結局僕が真似できるものはほぼ無かったという結果であった。

僕もへたくそながら料理を作るのが大好きだ。そのきっかけというのはメジロだった。ハマチの大きいのではなくて鳥のほうだ。もう時効だということで書いてみるのだが、数年にわたってメジロを飼っていたことがあった。エサというのは専用の練り餌があるのだが、健康を保つためには青菜を練り餌に混ぜて与える必要がある。いつも野菜をもらう叔父さんの家から大根の葉っぱをもらってきてそれを細かく刻んでミキサーにかけて準備をするのだが、それを刻んでいるうちになんだか野菜のみじん切りが妙に上手くなってきた。大体刃物というのは上手く使えるようになってくるほどもっと使いたくなってくる。同じころ、ニュースステーションが始まる前に、「味の招待席」という桂米朝が司会をしている5分間番組があって、それにも触発され、じゃあ、いっちょ料理でもやってみるか!というのがきっかけだ。かなり不順であるが・・。

この本は、昭和44年から産経新聞に連載されたものらしく、当時はパエリアや麻婆豆腐という今ではありきたりの料理がかなり珍しい料理であったようだ。それを読みながらこのまえの法事の席を思い出していた。

亡くなったおばさんの旦那さんというひとは面白くて子供好きな人であった。よくかわいがってもらった。魚釣りが好きな人で、夏になると小アジやボラ釣りにやってくる。父親が、「すだのおいやん、釣りにくるで~。」というとうれしくてたまらなかった。おいやんと釣りに行くのももちろん楽しいのだが、おみやげに必ずケンタッキーフライドチキンというものを買ってきてくれるのだ。今でも店舗があるのかどうか知らないが、和歌山市の長崎屋の前に店舗があってそこで買ってきてくれるのだ。僕の両親にはそんな気の利いたことは望むべくもなく、生まれて初めて食べたフライドチキンには、世の中にはこんな美味いものがあるのあと感動した。それからは、すだのおいやんは次はいつ来てくれるのだろうか・・・とそればかり考えるようになったのだ。そして、その息子(いとこ)のやっちゃんと言う人は僕に人生初の喫茶店を体験させてくれた人である。歳の離れたいとこなのでかなり大人びた人であった。
これも今でもあるのだろうか、日赤病院の前の喫茶店であった。コーラとミルクを割ったコーラカウという飲み物と、スパゲティというものを始めて味わった。当時、我が家でスパゲティと呼ばれていたものは、うどんにケチャップを混ぜて炒めたものであった。うすうす、これはちょっと外国の食べ物ではないのではないかはと感じてはいた。だから、ナポリタンだったか、イタリアンだったかは覚えていないのだが、本物のスパゲティというものの味に感激したことを覚えている。まあ、このスパゲティも今から思うとどうも本場のものとはかけ離れたものではあったはずだが、そんなことはどうでもよい。まだ、パスタという言葉が日本には無かったころのことではなかったのだろうか。ちなみに、日本にパスタと言う言葉を広めたのは西川治というひとだそうだ。

僕にとってはすだのおいやんもやっちゃんも東のほうからやってくる、最先端の食べ物を味わせてくれる稀人であったのだ。
そんな強烈な思い出をよみがえらせてくれる本であった。

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「枕草子 (ビギナーズ・クラシックス)」読了

2018年03月05日 | 2018読書
角川書店/編 「枕草子 (ビギナーズ・クラシックス)」読了

去年の今頃も古典の入門書のようなものを読んでいた。今年は枕草子だ。
最初の書き出しはあまりにも有名だが、枕草子に書かれている文章は1段目のような自然を愛でた文章、宮廷内の生活を写したもの、いろいろなものを羅列した「ものづくし」の3つに分類されるらしい。
自然を愛でた段はなんとも優雅で繊細な世界の見方をしているなと思うけれども、「ものづくし」の段となるとけっこう毒づいている内容があったりしてこれはこれで、ああ、女の人が書いているのだという感じがする。宮廷生活について書かれた文章もきっとかなり控えめな表現をしているだけで、本当の清少納言の心の中は、あいつは嫌いだとか、どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ!みたいなけっこう生々しいものだったに違いないと思うのは僕だけだろうか。
一般に広まる前には推敲もされていたそうだから、これを書いたままにしておくとちょっとまずいのではないかなどと、僕がブログに勝手なことを書きなぐっているよりも慎重であったのではなかろうか。
それでも、けっこう際どいというか、下々の人々のことはけっこう汚らしく書き、当時は普通のことであったのかもしれないけれども、夜這いのことを平気で書いていたりして、そういうところも長年読み継がれてきたことの一因ではなかったのだろうかと下衆なことを考えてしまった。癪に障るものなどという段は、今の電車の中の様子とうり二つだ。

まあ、1000年前の人も現代の人も基本的に考えていることはまったく同じであるということか。方丈記もそうであったが、時代が変わっても、自然の美しさも変わらないけれども人間関係の悩みや他人と自分を見比べて何やら思うということはまったく同じだ。
紙に筆でしたためるか、キーボードをポコポコ叩くか、それ位の違いでしかない。

清少納言が仕えた中宮定子はいとこの彰子が入内してその座を追われるようにして寂しい最後を終え、清少納言もやはり晩年は寂しい最後であったらしい。彰子に仕えた女房は紫式部。紫式部日記には清少納言の悪口も書かれていたりするそうで、それを聞くにつけても、人間関係の悩みや恨みの奥深さ、栄枯盛衰というのはやっぱり1000年経っても変わらない。人間というのはまったく進歩のない生物であったりするのかもしれない。

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絶好のワカメ日和なのに法事に行く・・・。

2018年03月03日 | Weblog
今日は絶好のワカメ日和。しかし法事が・・・。
叔母の3回忌法要で、母親が行ってくれればいいのだが体が動かないのでお前が行けと言われれば仕方がない。
場所が橋本市ではワカメを採ってから法事に参加というわけにはいかないのだ。



この満月と雲のたなびきを恨めしく思いながら東へ向かう。


叔母の家は隅田八幡神社というところの鳥居の目の前にある。



ここは日本最古の漢字が書かれた銅鏡が奉納されている神社として意外と有名なところなのだ。

 

ちなみに氏子の中には俳優の溝端淳平がいる。昔からかなりのイケメンだったそうだ。

仏壇の前で和尚の唱えるお経が、「ワ~カ~メ~、い~そ~が~な~、し~ら~んど~。」って聞こえてくる。弘法大師が作ったありがたいお経のはずなのだがまったくうわの空だ・・・。


法事が終わり、せっかくなので九度山周辺を散策してみた。
叔母が亡くなった2年前、葬式の翌日が真田ミュージアムの開館日であった。あと1日頑張ってくれていたら開館日に間に合ったのだが2年越しの訪問となった。



法事の席で、すごくいいところだが1回行けば十分だと言われたがまったくその通りであった。しかし、真田幸村の生き方を改めて見てみると、こんな生き方をしてみたいとなぜだか心が昂られてくる。もう何もかもに対してやる気というものが失せてしまったいるはずなのであるけれども・・・。

ここへ来た目的はもうひとつ。その葬式の帰り、寄り道した道の駅に売っていたゴマ豆腐がことのほか美味しくてもう一度買いたかったのだ。一昨年の秋、高野山からの帰りにわざわざ迂回して寄ってみたけれども売ってはいなかった。
よく売れているのか、今日も残りが3個になっていた。



慈尊院を訪ねて京奈和道の途中にある道の駅でフキノトウを見つけた。これはラッキー。

 

家に帰って早速フキ味噌を作ってみた。また1年楽しめる・・。



週間予報では次の休みも天気が悪そうだ。早くワカメを採りに行かないとどんどん硬くなってしまうのだがこればかりは運を天に任せないと仕方がない。サラリーマンの悲しさだ・・・。




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