最近どうも疲れ気味です。
先日、院へ修士号授与決定者の掲示に
私の名前があり、少し安心したものの
喜びの気持ちはそんなにこみ上げてきませんでした。
それよりも、短大時代に卒業予定者の掲示を見たときの方が
嬉しかった記憶があります。
この違いは何だろう??と思いました。
準学士も学士も、私に大きな自信を与えてくれました。
なぜこんなにも納得がいかないのに「修士」なのだろうと…
結局は、2年間で研究のすべてなんてわからない。
入り口に立って、ちょっと足をつっこんだくらい
研究とは長期戦で、イキナリすごい論文が書けるものではないんだなと…
でも2年前は、修士を出たら、すごい論文が書けるようになっていると思っていました。
まぁ、そこが成長なのかもしれません。
あの時、学士だけに満足しなくてよかった。
次に進んで、自分の無力さと、かすかな魅力を感じることが
私の院生生活には必要だったのだと思います。
これから何年もたって、日常や社会、研究などを通じて
2年間の反省などが次に繋がっていったとき
「やっぱり私は修士だったんだ」
と思えるのかもしれません。
院の先生方は、いくつになっても非常に研究熱心。
「好きなことをやって食わせてもらっているんだから」
と、ある先生がおっしゃったときは
探究心と向上心に対する終わりのない世界だと感じました。
そこが、研究の魅力でもあり、研究者の魅力でもあるのだなと思いました。
先日、院へ修士号授与決定者の掲示に
私の名前があり、少し安心したものの
喜びの気持ちはそんなにこみ上げてきませんでした。
それよりも、短大時代に卒業予定者の掲示を見たときの方が
嬉しかった記憶があります。
この違いは何だろう??と思いました。
準学士も学士も、私に大きな自信を与えてくれました。
なぜこんなにも納得がいかないのに「修士」なのだろうと…
結局は、2年間で研究のすべてなんてわからない。
入り口に立って、ちょっと足をつっこんだくらい
研究とは長期戦で、イキナリすごい論文が書けるものではないんだなと…
でも2年前は、修士を出たら、すごい論文が書けるようになっていると思っていました。
まぁ、そこが成長なのかもしれません。
あの時、学士だけに満足しなくてよかった。
次に進んで、自分の無力さと、かすかな魅力を感じることが
私の院生生活には必要だったのだと思います。
これから何年もたって、日常や社会、研究などを通じて
2年間の反省などが次に繋がっていったとき
「やっぱり私は修士だったんだ」
と思えるのかもしれません。
院の先生方は、いくつになっても非常に研究熱心。
「好きなことをやって食わせてもらっているんだから」
と、ある先生がおっしゃったときは
探究心と向上心に対する終わりのない世界だと感じました。
そこが、研究の魅力でもあり、研究者の魅力でもあるのだなと思いました。
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