まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

育休、どんどんあげればいいのに

2015年07月25日 | 日記

新聞をながめていたら、「厚生労働省の研究会は、育児休暇の対象を里親にも広げる方向を打ち出した」(24日読売)なんてことが書いてあり、ちょっと違和感がありました。その記事にのっていた調査では、休暇の対象が「法律上の子のみ」という企業が約6割。孫まで認めるとした企業は、たったの0.7%しかない。

少子高齢化社会の到来ははっきりしているわけで、それを前に、子供を産みなさい、育てなさいといっている国の方針とかけ離れています。これじゃいかんですよね。

景気が良くなってきている、給料は上がってきているとはいわれていますが、社会の上部の話で、平均値のような気がします。
不安定な雇用の中で、共働きでなんとかという人たちは、子供ができたら育児時間がとられ、仕事を続けられず、子供に恵まれ幸せなはずの生活が、子育て貧乏です。そう考えたら、きっと子供をつくらないでしょう。
独身の人は、一人でいるのが一番身軽なわけで、結婚もしない。これが現実なんではないでしょうか。

法律上とか、難しい言葉の分類は、よく分かりませんが、どんな形であれ、生まれた子供たちは、自分の意志で生まれてきたわけではないのに、これからを生きていかなければならない。そして、その子たちが社会を背負ってくれることは間違いない。大人は、直接の育児や税金を通じた間接的な育児で、子供全体を育てなければいけないと思うんです。

その中でも、自分たちが直接子供を引き取って育んでいこうという里親は、制度的にはむしろ優遇されるべきで、実の親子関係より不利益なのはどう考えてもおかしい。

どんな形であれ、養育関係を客観的に証明できれば、子育ての時間、育休をどんどん取れるようにしてあげたらいいんじゃないでしょうかね。

戸籍上の形が整っているだけが親子じゃないし、血縁があるだけが親子じゃない。喜怒哀楽を共有した時間、お互いを思いやった時間が親子関係をつくるのではないかと最近思います。

お金をばらまいて、さあ、子供をたくさん産んでくださいというのもひとつの方法ではあると思いますが、経済的に苦しくても、小さい子にとっては、親、おじいちゃん、おばあちゃんと過ごした時間はかけがえがない豊かさだと思うんです。

経験から言って、子育ては、どんどん悪くなっていく老人介護と違い、特別なケースを除けば、ほんとうに手(時間)がかかる期間は、そう長くはありません。その他の時間は、まわりが直接手を貸さなくても、環境の中で子供たちは育っていきます。この時必要なのが必要最低限のお金ですね。
時間がかかるときは、たっぷり時間を、お金がかかるときは、補助をばらまくのもいいですが、親も子もしっかり働いて稼げような仕組みを作る。これがいいと思うんですが。

わが子世代のためにも、子育ては社会全体の仕事という意識が育って、子育てと仕事が両立できる社会がくるといいなぁと思います。
って、うちの子たち、いつ結婚するんだろう??
まあ、それぞれだからいいけど・・・

バイト先の責任者から昨夕連絡があって、暑いから明日もやすんじゃったら!?ということだったので、今日もバイトは休みにしました。
カミさんは、工事の立ち合いとかで出勤なので、熱さで弱っているワンコとジーで留守番です。
庭先の灌水や開墾した畑に除草剤をまいたりしながら、ちょっとずつ体の慣らしですね。
ホースでワンコに水かけたら喜ぶかな?

そろそろ梅の土用干しもしなくちゃなぁ。

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コメント
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