ハウステンボスの『変なホテル』や大手銀行での人型ロボットの導入が話題になっています。
人工知能の技術革新も進み、ロボットが人を認識したり、会話をしたり、将棋の世界ではプロ棋士と対等に勝負したりするようになってきたのには驚かされます。
ロボットの技術も、子供の頃夢中になってみていた、リモコンで操る『鉄人28号』や人が乗りこんで操作する『ガンダム』のレベルから、人同様、自分で考え、自分で動く『鉄腕アトム』『ドラえもん』に近づきつつあるようです。
アトムやドラえもんは、人間と共存し、人を助ける理想的なロボットの姿ですが、人工知能を扱ったアニメや映画には、例えば『火の鳥 未来編』のように人間社会を支配してしまったり、『マトリックス』『ターミネーター』のように、人間を敵視してしまうようなものもあります。
それは、SFの世界、考え過ぎだよ、と言われそうですが、テレビ等でみる人型ロボットは、半世紀前の子供のころ、まったくのマンガの世界にあった映像です。そんなマンガの世界が今着々と現実になってきています。
あと半世紀したら、今、話題性として捉えられている人型ロボットが、受付けや介護・医療、清掃等の職場の主流となり、人の職場を奪っているかもしれません。
一部の尖鋭化した知的能力の高い人間と、人工知能がその他を支配している、そんな世界も絶対にないとは言えなくなってきたように思うんです。
iPS細胞から、人の精子・卵子を作りだせることが現実味を帯びてきたというニュースも流れています。無機質に人の命を作り出す実験をしているわけではないことは分かりますが、この技術が確立されたとき、使い方を間違えれば、人の命は、物と同じように、生産とか栽培できるものに変わってしまうかもしれません。これも、どこかでみたSFの世界ですね。
こういう最先端の技術は、明るい未来を感じさせる面もありますが、一面にものすごい暗黒面をもっていると感じます。
機械は、無限に近い過去、現在の事実を正確に記憶し情報処理はできますが、人が日常生きるのに、遠すぎる過去の事も、必要以上の日常データも必要ありません。
機械とちがい、人は、忘れること(なかったこと)にするができます。まあ、いっかという、曖昧な行動もとれます。過去・現在のことはきれいさっぱり水に流し、未来志向で生きて行く(行こうとする)こともできます。このあたりが人らしい術で、大切なのではないかと思います。
できないこと、どうにもならないことはたくさんあります。でも、それはそれとしてしっかり受けて止めて、泣いたり笑ったり、悲しんだり喜んだり、辛い辛い思いを乗り越えながら、それでも、自分なりの小さな幸せを感じて生きて行くのがいいんじゃないかなぁ。
行き過ぎた技術の実用化は、人間にとって、幸せなのか、不幸なのか・・・
以前『貧乏な人の定義』というタイトルでウルグアイ第40代大統領ホセ・ムヒカ氏の演説について書いたことがありましたが、ほどほど便利な所で止めておくのが人にとっては幸せなのではないかと思ったりします。
富士通が廃業した半導体工場で、半導体の管理技術を農業に活かし『富士通の野菜』をつくり始めたという話を聞きました。軌道に乗ったら、リストラした人たちにもどって来てもらって、また一緒に働生きたいと頑張っているようです。進んだ技術でも、こういう活かし方はいいんじゃないかと思いますね。