今朝あまり暑くならないうちに、仏壇を飾ったお盆飾りを片付けた。
お盆、お彼岸などでご住職がきてくれたとき、『明珠』という小冊子を置いていってくれる。
この冊子は、全国のご住職さんが、仏教の教えを、分かりやすい身近な例と言葉で解説してくれたもので、一般生活での仏教との関わりを考えるとき、とてもありがたい内容である。
片付け作業の合間に、今回のお盆号のページを繰ってみた。
今回は、「仏道とは、仏の願いを共有し、実践する道である。その具体的な姿が、自未得度先度他(己いまだ渡らざる先に他を渡す)である。そしてその姿を絶えることなく人から人へ受け継ぎ伝えていくことだ」という解説が印象に残った。
生きていく上でのおおきな目的はこれですよ、というようなお話だった。
ところが実生活では、多くの場合、「清らかな心をもっていたから、福の神のお恵み(たくさんの財)を受けた。ああ、良かった」とはならない。むしろ逆のことが多い。
たくさんの財や権力を手に入れるには、たくさんの人を踏み台にし、押しのけていかなければならない。
それによって得た力の使い方によっては、たくさんの人の生活を助けたりすることもあるのだから、いっときのその行動を悪いとはいえないが、踏み台にされ、押しのけられた方にすれば、とても辛い時間だ。
利益⇔損害、親密⇔疎遠。
ひとつの行いには、必ず表裏の関係がある。
そういうことも含めて、日々欲深く、煩悩だらけで生きるというこは、仏の願いに近づく修行ということか。
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<今日は何の日>
今日は、お盆に帰ってきた先祖の霊を送り出す、遅れ盆送り火です。
<今日は何の日>
今日は、お盆に帰ってきた先祖の霊を送り出す、遅れ盆送り火です。
わが家周辺では、昨日、15日に送っていきます。