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被災者をつなぐ「まけないぞう」

2016-03-20 07:30:00 | 報道/ニュース

3月9日 おはよう日本


神戸の災害ボランティア団体 被災地NGO協働センターの増島智子さん。
東日本大震災の直後から3か月に1度の割合で東北に通い続けている。
この日向かったのは岩手県大船渡市。
復興に向けて宅地造成の工事が急ピッチで進められていた。
後ノ入応急仮設住宅では月に2回
定期的に「負けないぞう」作りが行われている。
「負けないぞう」の楽しみはおしゃべりをしたりおやつを食べたりしながら
みんなで過ごす何気ない時間である。
震災から5年
自宅を再建した人やアパートに移り住んだ人など仮設住宅を離れてしまった人も
「負けないぞう」作りには集う。
「負けないぞう」は1個400円で販売し
そのうち100円が作り手の被災者に手渡される。
「きょう 給料出たから飲みさ いくべか。」
「みんなでこうやて和気あいあい話するのが一番楽しいから。」
「きょう象さんだよって必ず呼んでくれる。
 助かります。」
「負けないぞう」がばらばらになった仮設受託のコミュニティーをつないでくれている。
増島さんが「負けないぞう」に取り組み始めたのは
東京からボランティアとして駆け付けた阪神淡路大震災のとき。
ただ支えられるだけでなく
自分たちにもできることがある。
「負けないぞう」と通じて前向きな気持ちを取り戻す被災者の姿を
増島さんはずっと見てきた。
(被災地NGO協働センター 増島智子さん)
「ほんとに象さんはひとつのきっかけであって
 そこからいろんなつながりとか何かが生まれていく。
 そこが一番ですよね。
 明日への希望じゃないけど生きる力になる。」
「負けないぞう」に支えられて新たな人生を踏み出した人もいる。
陸前高田市に暮らす佐々木洋子さんである。
佐々木さんは津波で自宅を失い
仮設住宅では周りの人との人間関係に苦しんでいた。
そんな佐々木さんを救ってくれたのが増島さんが教えてくれた「負けないぞう」だった。
(仮設住宅のころの佐々木さんの手記)
「自分は歴史も財産の失ったというむなしさでうつになっていた。
 でも私でも何か役に立つことがないのか。
 いまは象さんを作ることが
 自分も生きようという心をかきたててくれる。」
「負けないぞう」を作り始めて4年
佐々木さんは去年9月に仮設住宅を出て家を建てた。
佐々木さんたち東北の被災者が作った「負けないぞう」は
全国各地の被災地にも届けられている。
去年9月に起きた茨城県の常総水害。
「負けないぞう」を受け取った被災者からのメッセージである。
「勇気をもらいました。」
神戸で生まれた「負けないぞう」は被災地と被災地を結びながら
1人1人の被災者を支え続けている。
(被災地NGO協働センター 増島智子さん)
「心の復興って誰が推し量るかわからないしね。
 みんな違うからね 1人1人ね。
 こうなりましたって見せられない。
 でもそこをやっていかないと阪神みたいに孤独死がたくさん出てしまったりとか
 そこをどうやってつなぎ止めていくかとか
 被災者の方と関係性を作っていくか。
 被災者の方が作り続けている間はずっと続けたいなと思っていますけどね。
 細く長くですけどやっていきたいなと思っています。」



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LAで大人気!B級グルメ“POKE”

2016-03-19 07:30:00 | 報道/ニュース

3月3日 キャッチ!


1年を通して強い日差しが降り注ぐアメリカ西海岸ロサンゼルス。
ベニスビーチの近くに最近話題の店がある。
POKEの専門店である。
開店から1年余 連日大勢の客でにぎわっている。
(店主 デール・リアキさん)
「開店以来 驚くほど繁盛していてお客さんがいっぱい来てくれます。
 みんなポケが好きなのよ。」
この店の1番人気は“ポケ丼”。
1食日本円で1,000~1,400円。
ハンバーガーなどが700~800円なのに比べて割高だが
低カロリーで栄養価が高く
野菜も多く摂れて
健康的だと好評である。
生のマグロやサケなどの切り身を
タマネギやキュウリ、海草などにしょうゆをベースとしたオリジナルのたれを混ぜて
ごはんの上にのせる。
あとはお好みに応じてアボカドやゴマをトッピングして出来上がり。
お客の多くは近隣のIT企業で働くビジネスマンたち。
脂肪分の多いハンバーガーなどを敬遠する健康志向の若者である。
ふだんから日本食をよく食べるという。
(客)
「新鮮だし健康的だよ。
 アボカドやサーモンも入っているのがいいね。」
「これまではファーストフードだったけど
 今は健康的なものを食べています。」
いまこうしたポケ料理を提供する店がロサンゼルスを中心に急速に増えている。
この1年で数十件の店が新たにオープン。
地元の新聞や情報誌などで特集が組まれるほど注目されている。
どの店も「うちこそが元祖だ」と主張しているが
その中でも有力な店のオーナーは
ハワイで食べたポケ料理がヒントになっているという。
実はこのポケはもともとはハワイの伝統料理である。
ポケはハワイの言葉で「切り身」を意味する。
昔から生の魚を食べるハワイの食文化に
日系の移民が持ち込んだ
しょうゆやどんぶりなどの文化が融合して生まれたと言われている。
ハワイのポケは魚屋や惣菜屋にズラリと並ぶ庶民的な料理である。
地元の人たちには子どものころから慣れ親しんだ
いわばハワイのソウルフードである。
(店主 レナード・カムさん)
「ポケはハワイ語であることからも
 ポケはハワイの文化であり
 “アロハの心”に通じるものがあります。
 ポケはハワイの人たちの人生
 ハワイそのものなんです。」
そんなハワイのポケがセレブが集うハリウッドにも流れている。
去年開店した店は
まるでパリの高級洋菓子店のような
白を基調としたおしゃれな雰囲気。
地元の客だけでなく世界各地からの観光客などで連日にぎわっている。
この店のオーナーは日系人のジュリアン・フクエさん。
実家はロサンゼルスのすし屋で
かつては自身もすしを握っていたということだが
ここ数年のポケブームに乗って新しい店に勝負をかけている。
競合店が増えるなか
他店との違いを出すために
ごはんのうま味を引き立てるお酢を少し加えている。
お寿司よりも気軽に食べてもらえるポケを
ロサンゼルスの新たな名物にしたいという。
(店主 ジュリアン・フクエさん)
「今のところ順調で多くの人たちが来てくれます。
 こんなに順調にいくなんて開店当初は予想もしなかったよ。」
ロサンゼルスで注目されるハワイ生まれのポケ。
健康に良いおいしものを食べたいという人たちの支持を得て
人気が高まっている。


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有田焼の挑戦 伝統工芸品の未来をかけて

2016-03-18 07:30:00 | 報道/ニュース

3月1日 おはよう日本


透明感のある白さと藍色や赤などの鮮やかな絵付け。
有田焼は旅館や料亭で和食を彩る食器として
絶大な人気を誇ってきた。
ヨーロッパでは「東洋の白い宝石」とたたえられ
海外でも高く評価されてきた。
しかしいま有田焼をめぐる状況は厳しさを増している。
佐賀県有田町。
美術品としての有田焼は今も人気を博す一方
生活スタイルが大きく変化するなか
食器としての売り上げはピーク時の5分の1にまで減少。
販売店の閉店が相次ぐようになった。
こうしたなか伝統産業有田焼を守るため新たなプロジェクトが始まっている。
プロジェクトリーダーの百田憲由さん。
先祖代々この地で有田焼に携わる仕事を続けてきた。
現在は販売店を営む一方で商品の企画開発も行っている。
時代に合った商品を作らないと有田焼は生き残れないと考えている。
(有田焼 販売会社 百田憲由さん)
「時代のせい
 世の中のせいではどうしようもない。
 自分たちで今の世の中にあったビジネスの仕方を作っていかないといけない。」
目指したのは“世界で売れる有田焼”。
現代のライフスタイルに合わせた商品を作ることで
これまでと違う客層に買ってもらおうという狙いである。
5年前に外国人のデザイナーを呼び
地元の職人たちと共同で開発を始めた。
プロジェクトに参加した職人の1人 山口幸一郎さん。
窯元の4代目である。
これまでは伝統に基づいた食器を中心に手掛けてきた。
(窯元 山口幸一郎さん)
「松竹梅の絵柄を施した染付が伝統的な有田焼らしい絵柄。」
しかしプロジェクトが山口さんに求めたのは
これまでの有田焼の伝統には無い“光沢を抑えた器”をつくること。
普段の食卓で使うには目立ちすぎない方がいいというのである。
山口さんはこの要求に強い違和感を覚えた。
これまでは常に伝統的なデザインを参考にしてきた山口さん。
有田焼の世界では高級感を出すために光沢を出すことが常識だったからである。
(窯元 山口幸一郎さん)
「艶感があるのが有田の焼き物という感覚。
 その部分にちょっと不安。」
山口さんは支持に従わなかった。
有田焼の伝統である艶をあえて出したのである。
しかし百田さんから投げかけられた言葉は
これまでの経験を否定する厳しいものだった。
“あなたの感性はいらない・・・”
(有田焼 販売会社 百田憲由さん)
「あなた方の感性で作ったものがいま市場の中で売れていたら
 有田の現状はこういうことになっていないでしょう。
 俺は変えたいんだ。」
とにかく売れなければ意味が無い。
百田さんの強い決意を知った山口さんはこれまでの考え方を取り払い
製品作りに打ち込んだ。
光沢を出さずに高級感を出すにはどうすればいいのか。
試行錯誤した山口さんが行きついたのは
霧状に塗料を吹き付ける「吹墨(ふきずみ)」という伝統技法だった。
完成した新しい商品。
和食にも洋食にも合い
料理の色どりを邪魔しないシンプルなデザイン。
多くの人に愛される食器を目指した。
商品の名前は「1616」。
有田焼が始まった400年前の1616年にちなんだ。
伝統と革新。
両方の意味を込めた新たな有田焼が誕生したのである。
海外のインテリア雑誌が主催したコンテスト 
エル・デコ インターナショナルデザインアワードで評価され
テーブルウェア部門最高賞を受賞。
そしていまこうしたデザインは国内の若い世代からも支持を集め始めている。
東京都内に暮らすある家族はこれまで有田焼には関心がなかったが
デザイン画着にいり20種類以上買い揃えた。
(利用者)
「有田焼は高級な食器のイメージ
 柄物だったり
 いつもの食卓では使えないのかなと思っていた。
 こんなに私たち若者の世代に生活に合うんだなと思った。」
伝統をただ守るのではなく
時代に合わせて革新していく。
百田さんや山口さんはその姿勢が有田焼を守るためには欠かせないと考えている。
(有田焼 販売会社 百田憲由さん)
「有田に最終的に注文が来て
 産業としてうまく回っていく環境を作る。
 どうこの有田焼をせかいにつたえていくか
 これから見せていくかが大事になってくる。」
(窯元 山口幸一郎さん)
「積極的に開発する上で
 改革しなければいけない部分もある。
 新たに踏み出したことが次に歴史につながっていける
 そう感じる。」
いま百田さんや山口さんはより多くの職人たちとともに
プロジェクト第2弾の商品開発を行っている。
さらにこれまでに無い有田焼を作ろうという取り組みは他にもある。
2月に発表された香水の瓶。
100年以上続く有名ブランドの特性ボトルを有田焼で作った。
これまでになかったファッションなどの分野への進出。
有田焼の伝統的なデザインを守りながらも
用途を変えることでニーズを掘り起こそうというのである。




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中国 セメント業界~過剰生産力に苦悩

2016-03-17 07:30:00 | 報道/ニュース

3月1日 キャッチ!


中国河北省の石家庄の郊外。
セメントの原料となる石灰石が手に入りやすいことなどから工場が集中し
「セメント回廊」と呼ばれてきた。
しかし2009年ごろから需要を大きく超える過剰な生産能力が目立つようになり
業績が悪化する企業が増加したという。
約2年前から地元政府は企業側と補償などについて合意したうえで
35社の工場を閉鎖。
地域のセメント生産能力を約4割削減した。
2年経った今も閉鎖された工場があちこちに残されたままである。
関連した設備や材料までそのまま放置されている。
工場で働いていた大勢の人たちは
別の仕事を求めて町から次々に姿を消していったという。
町の小売業では売り上げが大幅に落ち込むなど
地域経済に大きな打撃を与えている。
(小売店店員)
「この1年の売り上げは以前の1か月分しかありません。
 仕事に来ていた人は別の土地に移りました。」
(住民)
「別の工場などを建設して地域の雇用問題を解決してほしい。」
過剰な生産能力を背景に価格の下落が続くセメント業界では
業績が赤字に転落して倒産に追い込まれる企業が相次いでいる。
去年 倒産に追い込まれたセメント会社は
多くの従業員の給料が長期間支払われず
会社の周辺で抗議活動も行われた。
(元従業員の家族)
「1万元の給料のうち支給されたのは1,000元だけで生活ができません。」
業界全体に広がる不況は大手の国有企業にも経営方針の転換を迫っている。
セメントの生産量が国内2位の国有企業は
去年1~9月の売り上げは前年比で13%減少。
新たな収入源を求めていま力を入れているのが
セメント工場の海外展開である。
今後5年でインドネシア・ミャンマー・ラオス・カンボジア・ロシアを中心に投資を拡大し
海外での生産能力を
日本のセメント業界全体に匹敵する年間5,000万トン程度にまで引き上げようとしている。
中国が提唱するアジアとヨーロッパをつなぐ経済構想「一帯一路」が進展すれば
関連各国で道路や港などのインフラ建設が進み
セメント需要が拡大すると期待しているのである。
これに合わせてセメント工場も機械の製造の供給先を転換。
中国国内ではすでに新規の工場建設が見込めないため
インドネシアなど東南アジア向けに切り替えている。
(セメント工場 執行役員)
「事業地域を海外に分散させ
 収入と生産能力を引き上げることで
 国内業績の不振を軽減するのです。」
こうした思惑に対し中国経済の専門家は
企業の海外進出には一定の時間がかかることもあり
業績悪化をどこまで食い止めるか不透明だと指摘する。
(みずほ銀行中国 細川美穂子主任研究員)
「過剰な生産能力を廃棄して
 競争力の向上がスムーズにいけばよいのですが
 失われるGDPの規模もあると思うので
 かなりの下押し圧力になる。」

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被災した犬 周りを笑顔に

2016-03-16 07:30:00 | 報道/ニュース

3月1日 おはよう日本


1匹の白い犬。
東日本大震災の半年後に宮城県からやってきた被災犬 クレア。
東日本大震災では飼い主と離れたり手放されたりした犬が数多くいた。
それを知った香川県獣医師会は
現地で被災犬を引きとり
香川県で新しい飼い主を探した。
被災犬クレアの新しい飼い主になった香川県丸亀市の大喜多由紀子さん。
「震災のときに前飼っていた犬が病気中で
 震災の直後に天国に行ってしまった。
 しばらく犬を飼うことは考えられなかった。
 報道などで被災した犬や猫がすごく悲惨な状況に置かれているのを見て
 この子をぜひ幸せにしたいと思いました。」
被災したクレアとの生活は大変なこともあった。
大きな音が苦手なクレア。
サイレンなどが聞こえてくるとパニック状態になってしまうのである。
(大喜多由紀子さん)
「ふだんはほとんど吠えたりしないんですけど
 もしかしたら震災のときのサイレンの音とか記憶の中にあるのかなと思いまして
 大丈夫って声かけて抱きしめると治まります。」
そんなクレアの楽しみは散歩。
散歩中に声をかけられることも多いという。
クレアが走っていった先にいたのは散歩中によく出会う老夫婦。
ふたりもクレアに会うのを楽しみにしている。
飼っていた愛犬が死んだ直後にクレアと出会い
その姿を重ねた。
「来てくれるだけで幸せ。
 この子から元気もらえます。」
大喜多さんは震災にあったクレアが毎日穏やかに過ごせたらいいと考えていた。
しかしいま人を癒す存在になったクレアを見てその思いは変わってきた。
(大喜多由紀子さん)
「つらい思いをしたかわいそうな被災犬というふうに私自身が捉えていたんですけれども
 今後もしクレアを必要としてくださったり
 何かお役に立つ場面があるのでしたらば
 徐々に何かできることがあればなと思うようになりました。」
大喜多さんはクレアを連れて近くの城東幼稚園を訪問した。
子どもたちの癒しになれるのではと考えたからである。
しかし大きな音が苦手なクレアは子どもたちの大きな声に緊張している。
大喜多さんは子どもたちにクレアが被災犬であることを伝えた。
「5年前に東北の大震災があったんですけれども
 知ってる?
 そう 東日本大震災です。
 そのときに地震に遭いました。
 いろんな人が助けてくれて丸亀までやってきました。」
真剣に大喜多さんの話を聞く子どもたち。
クレアも苦手だった子どもたちと戯れるまでになった。
「楽しかった。」
「うれしかった 来てくれて。」
「クレアちゃん また元気に来てね。」
(大喜多由紀子さん)
「震災でクレアの運命も大きく変わったと思うんですけれども
 いろんな人に支えられて命をつないできたと思いますので
 これからもしクレアが被災犬ということで
 何かを伝えられたり感じていただくことがあるのだったら
 どんどんそういう活動にも参加したいと思っています。」
震災から5年。
つらい過去を乗り越えつつある被災犬が人々に笑顔を届ける。

 

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サウジアラビアの女性 スマホが広げる可能性

2016-03-16 07:30:00 | 報道/ニュース

2月27日 おはよう日本


人口約3,000万人のサウジアラビア。
黒い衣装で全身を覆い
公共の場では素顔を隠す女性たち。
イスラム教の厳格な解釈によって行動の自由が大きく制限されている。
家庭によっては男性の許可がなければ外出もできない。
女性による車の運転は禁止され
男性が運転する車を利用するしかない。
外での活動に制約が多い女性たちにいま変化をもたらしているのがスマホである。
サウジアラビアではここ10年で一般にも通信サービスが浸透した。
スマホを含む携帯電話の所有台数は
平均で1人あたり2台近くになる。
女性たちはスマホで手軽に写真や動画を投稿。
ブログなどを通じてパソコン以上に気軽に多くの人と交流出来るようになっている。
写真投稿サイトで人気が高まっている女性 マシャエル・ラシードさん。
マシャエルさんはファッションを中心に毎日情報を更新し
2万人以上に定期的に見られている。
(マシャエル・ラシードさん)
「スマホでファッションショーを見たり
 最新の海外ブランドをチェックしたり
 スマホは女性に与えられた貴重なもので
 これ無しの生活はだれも想像できません。」
スマホは選挙でも重要な役割を果たした。
去年12月 全国で2,100の議席が争われた地方議会選挙。
サウジアラビアで初めて女性の立候補が認められた。
しかし女性は
不特定多数の男性がいる集会などで選挙運動禁止
というルールが設けられた。
そこで女性の候補者が選挙戦で頼りにしたのがスマホである。
ツイッターなどのソーシャルメディアを駆使して有権者に投票を呼びかけ
900人余の女性候補者のうち20人が当選した。
(女性候補者の陣営 ハイファ・ナジュドさん)
「今はソーシャルメディアがすべてです。
 ソーシャルメディアを使えばもっとも効率よく誰にでも情報を伝えられます。」
女性の間にスマホが普及するなか新たな動きも出ている。
これまでスマホの修理を行う店にいるのは男性の店員ばかりだった。
スマホに保存されている個人的な写真などは家族以外の男性に見られてはならず
女性たちは修理に出すのをためらってきた。
その結果 こんな女性も。
「今のスマホで25台目です。
 修理にも出せないし捨てられません。
 個人的な写真を見られるのが怖いのです。」
そこで最近首都リヤドに登場したのが女性専用のスマホ修理店である。
店の中は女性が親しみやすいデザインになっていて
修理を待つ間くつろげる場所もある。
店のオーナー マリヤム・スバイさん。
機械修理の技術を独学で見に付け
女性専用の店を始めた。
評判は街中に広がり
いまでは修理の依頼が1日に100件を超えることもある。
(女性専用スマホ修理店オーナー マリヤム・スバイさん)
「女性たちは男性の店では安心できないので利用しません。
 だからこの店を始めたときすごく喜んでくれました。」
マリヤムさんが店を始めたのはもう1つ別の思いがあった。
サウジアラビアの女性は就くことが出来る職業が限られている。
マリヤムさんは店を持つことで女性に働く場を提供できると考えた。
店では5人の女性を雇い
技術を教えて働いてもらっている。
(従業員)
「ここはサウジアラビアで初めての店です。
 この仕事は特別で誇りを持って働けます。」
(マリヤム・スバイさん)
「若い女性たちに仕事を見る蹴るチャンスを作りたかったのです。
 これは私たちの国にとって新しい挑戦なのです。」
様々な制約があるサウジアラビアの女性たち。
スマホは新たな可能性を広げている。




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南アフリカ “生きる力”育むボクシングジム

2016-03-15 07:30:00 | 報道/ニュース

2月25日 キャッチ!


南アフリカ ヨハネスブルグ。
中心部にあるヒルブロウ地区は国内でも治安が特に悪い地域として知られている。
その一角にあるのがヒルブロウ・ボクシングジム。
30人ほどの若者がチャンピオンを目指し
毎日練習に励んでいる。
これまで多くのボクサーを育て
南アフリカチャンピオンも誕生している。
夕方になるとジムにやって来るのは学校帰りの小学生たち。
貧しい家庭の子どもたちにとってスポーツに接する大切な機会となっている。
子どもたちにボクシングを教えているのはオーナーのジョージ・コシさん(46)。
元プロボクサーである。
17年前にこのジムを設立した。
ジョージさんがボクシングを始めたのは16歳のとき。
ジュニアヘビー級のハードパンチャーとしてKO勝ちを重ね
南アフリカで最高6位にまで上りつめた。
ところがチャンピオンも射程に入った1997年
突然の悲劇に見舞われる。
帰宅したところを強盗の男たちに襲われた。
(ジム オーナー ジョージ・コシさん)
「連中に銃で足を撃たれ
 目も撃たれて見えなくなった。」
瀕死の状態で外に投げ出されたジョージさんを病院に運んだのは
路上生活をしていた子どもたちだった。
一命はとりとめたものの
右目は失明し
足は重傷。
再びリングに上がることは出来なくなった。
チャンピオンになる夢を奪われ
失意のどん底に落とされたジョージさん。
それでも子どもたちに命を救われたことで
あきらめないことの大切さを実感したという。
(ジム オーナー ジョージ・コシさん)
「リングでも人生でも倒されることがある。
 それでも立ち上がってあきらめないことが大事だ。」
指導者に転身したジョージさんは1人でも多くの子どもにボクシングの良さを伝えたいと
自分のジムに加え
他の地区でもボクシング教室を開いている。
この日ジョージさんが訪れたのは近くの公園。
たむろしている子どもたちの中にはアルコールやドラッグに手を出している子どもも少なくない。
幼いころ路上で暮らしていたこともあるジョージさんは
たくみに子どもたちを仲間に誘う。
この日は周りで見ていた3人の高校生たちが練習に飛び入りで参加した。
(高校生)
「初めてだったけどボクシングが気に入ったよ。」
(ジム オーナー ジョージ・コシさん)
「ボクシングをやれば犯罪に近づくことも少なくなる。
 だから子どもたちにやって欲しい。」
ジョージさんが抱くもう一つの夢は
ジムから世界チャンピオンを誕生させること。
いま最も期待をかけているのがモラピリ・コテ選手である。
才能があるにもかかわらず伸び悩んでいた彼を
ジョージさんが発見し自分のジムに去年勧誘した。
すでに両親を亡くした独身のコテ選手に生活全般のアドバイスも授けている。
現在 ジュニアバンタム級8回戦で戦うコテ選手。
3月には大事な試合を控えている。
(プロボクサー モラピリ・コテ選手)
「ジョージは両親みたいな存在だし
 本当にすべてを受け止めてくれるよ。」
(ジム オーナー ジョージ・コシさん)
「彼はとてもハングリー精神がある。
 チャンピオンになれるよう支えていきたい。」
悲劇から立ち直り
ボクシングを広めようとするジョージさん。
若い世代に人生に立ち向かう勇気と希望を与えている。


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スターウォーズに携わる日本人製作者の思い

2016-03-15 07:30:00 | 報道/ニュース

2月25日 おはよう日本


10年ぶりに散策が公開された「スター・ウォーズ」。
作品の中で縦横無尽に飛び回る宇宙船は細部まで作り込まれている。
この映画の製作チームの1人 成田昌隆さん(52)。
成田さんは約40年前の作品で使われた模型や新たなデザイン画をもとに
CGコンピューターグラフィックスで新たな宇宙船を作り出した。
こだわったのはディテールである。
アンテナやエンジンの形状など徹底的に作り込み
実在するのではと錯覚するほどの本物らしさを追求した。
(成田昌隆さん)
「基本的に小さい部分は
 モデラー(造形作家)がすべて自分でデザインしてはめていくんですね。
 それが難しいところでもあって醍醐味でもあるんです。」
愛知県出身の成田さんは模型と映画が大好きな少年だった。
大学卒業後 証券会社でIT技術者として働いていた成田さん。
転機となったのはアメリカの駐在員になったことだった。
渡米後再開した模型作りで全米の大会に出品したところ
最優秀賞を受賞した。
大好きな模型作りの技術と
IT技術者として培ったコンピューターの技術。
2つを組み合わせればハリウッドでも通用するのではないか。
そう考えた成田さんは家族と相談して
45歳のとき会社を辞めることを決意した。
(成田昌隆さん)
「CGの仕事ができるという保証は全く無かったわけで
 でもその時はそんなふうに全く思わなくて
 自分はこれがやりたいんだ、と。」
ハリウッドでにある映画の視覚効果の学校に入学し
CG制作を学んだ成田さん。
模型作りで培った本物らしさへの徹底的なこだわりが強みとなり
めきめきと頭角を現した。
その成田さんがあこがれ続けていたのが中学生の時観た「スターウォーズ」だった。
その「スターウォーズ」の生みの親 ジョージ・ルーカス氏が設立した視覚効果の会社 ILMに入社。
今回の新作を任された。
第1作の公開からリアルタイムで作品を見てきた成田さん。
宇宙船を構成する部品を1つ1つを細かくデザインする。
(成田昌隆さん)
「アンテナがぶつかって外れるシーンが過去の作品にある。
 だから今回の作品では無くなった想定で新しいアンテナを作ったんですね。
 ですから今回は四角。」
見る人にリアルティを感じさせるディテールが随所に表現されていて
成田さんならではの世界観が体現されているという。
(成田さんの上司 デビッド・フォグラーさん)
「出来る人は限られているがマサ(成田さん)はそれが出来るんだ。
 あの宇宙船の仕上がりは彼によるものだ。
 とにかく最高の出来だね。」
成田さんは「夢に向かって踏み出すのに遅すぎるということはない」という。
(成田昌隆さん)
「最初から自分なんかダメだと思わずに
 何とかできるんじゃないか
 頑張ればできるんじゃないかと思うことは絶対大事だと思いますね。
 やっぱりあきらめない。」




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“EUの優等生”ポーランドに異変?

2016-03-14 07:30:00 | 報道/ニュース

2月24日 キャッチ!


ポーランドはリーマンショックやヨーロッパの信用不安が広がる中でも一貫してプラス成長を維持し
「EUの優等生」を言われてきた。
GDPの推移を見てみると
2004年のEU加盟以降
この10年で2倍になった。
しかし国民1人あたりのGDPを見てみると
EU28カ国中24位にとどまっている。
急速に経済成長したものの
その恩恵は一部の人たちだけが受けて
多くにはいきわたっていないと不満が高まっている。
そうしたなか去年10月に総選挙が行われ
当時の最大野党「法と正義」が圧倒的な勝利をおさめ
1989年の民主化後 初めてとなる単独政権を発足させた。
「法と正義」は11月の政権発足以降 
矢継ぎ早に様々な政策を実行しているが
その政治手法をめぐっては国の内外から強い懸念が寄せられている。

去年11月に政権を発足させたシドゥウォ首相。
就任早々に一般家庭に児童手当を導入するなど
国民の生活に配慮した政策を実行している。
(ポーランド シドゥウォ首相)
「今ポーランドで起きている変化は
 すべて有権者が望んだものです。
 ポーランド国民は我々が示した政治プログラムの実現を望んでいるのです。」
一方で新政権は矢継ぎ早に政府の権限を強める政策も断行している。
まず憲法裁判所の判事の1部を政権に近い人物に代えるとともに
判決を出す際に必要な判事の数を引き上げた。
憲法裁判所は政府の権力の行使に歯止めをかける役割も持つ機関だが
この判事をめぐる人事改革に野党側は強く反発。
「政府に都合の悪い判決が出ないように裁判所を機能させなくするのが狙いだ」
などと訴えている。
さらに世論の形成に影響力を持つ公共放送にも改革の手を入れた。
公共テレビやラジオの総裁を解任。
新しい総裁は政府の担当閣僚が任命できるようにしたのである。
この決定で公共放送の独立が失われたと早くも批判にさらされている。
新しい総裁は
政府に批判的だと判断したジャーナリストを次々に解雇したからである。
そのうちの1人記者は
解雇された前の総裁の活動を支持すると表明しただけで突然辞めさせられたという。
(解雇された記者)
「これまで政府が公共放送に直接影響を及ぼすことは一切なかった。
 公共放送の記者として公平な報道姿勢を貫いてきましたが
 侮辱された気分です。」
これら一連の司法やメディアに対する政府の介入に
野党支持者は猛反発している。
1月23日には市民約2万人が集まった。
ワルシャワでは去年12月から毎週のように大規模な反政府デモが行われている。
(デモ参加者)
「政府に民主主義を尊重する気がないなら
 私たちが守らなくてはなりません。」
デモを主催する市民団体を起ち上げた マテウス・キジョウスキさん(47)。
コンピューター関連の技術者だった。
活動の広がりによって今やポーランドの有名人である。
キジョウスキさんが起ち上げた政府を批判するフェイスブック上のグループのメンバーは現在5万人を超えている。
政府が現在の政治手法を改めるまで活動を続けていく考えである。
(デモ団体主催 M・キジョウスキさん)
「新政権は政治を変えられても
 “法の支配”の原則までは変えられません。
 政権をしっかりと監視していくことが我々の目的です。」



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京町家をまもるために

2016-03-13 07:30:00 | 報道/ニュース

2月24日 おはよう日本


京都の街並みに溶け込んだ歴史ある住宅 京町家。
IT企業を経営するアメリカ人のサイモン・バウマーさん。
去年 京都に移り住み
築約100年の京町家を購入した。
庭などを通じて季節を感じられるところが気に入っているという。
(サイモン・バウマーさん)
「毎日 過ごす部屋を変えていて
 それぞれ素敵な体験ができます。
 冬はこたつ部屋で暖まったり
 春や夏は窓をあげたりして外の天気を楽しんだりしています。」
バウマーさんにこの町家を販売した不動産会社。
京都ブームを受けて外国人が購入したり
観光客向けの旅館にしたりと需要が増加。
町家を改修した物件が良く売れているという。
(不動産会社 西村直己専務)
「問い合わせは台湾とかシンガポールとかアメリカとかいろいろありますけど 
 『お金は10億円ぐらいあります』という方も来られる場合もあります。」
こうした熱い視線が注がれる一方
チャンスを生かせずに消えていく京町家も。
京都市中心部にあった京町家の邸宅。
料亭として使われていたが
去年取り壊され
ホテルが建設中である。
さらにそのすぐ近くにあった明治時代の京町家。
維持費や固定資産税の負担などを理由に去年売却され
マンションが建設される予定である。
いまも毎年600~700軒ほどの京町家が活用されずに取り壊されているとみられている。
こうした状況を変えたいと活動している人がいる。
京町家の保存と再生に取り組んでいるNPO法人の小島冨佐江理事長。
嫁いだ先が京町家だったことをきっかけに
24年前から活動を始めた。
(NPO法人 京町家再生研究会 小島冨佐江理事長)
「京都が京都であるためには
 私はこういう町家というか木造の文化は絶対に継承しないといけないと思う。」
気付いたときには京町家がとり壊されていく。
そうしたケースを何度も見てきた。
(NPO法人 京町家再生研究会 小島冨佐江理事長)
「水面下で売却の話が動いているものは全く出てこない。
 ある日突然京町家をつぶしていることがあるので
 愛着のある建物が壊れていくのはとてもショッキングな話。」
こうしたなか小島さんたちは京町家の所有者にその価値を再認識してもらう取り組みに力を入れている。
去年から改修工事が行われている京町家の長屋。
昭和14年に建てられ
5世帯が入居できるが高齢化などで空き部屋が増えていた。
大家の女性は隣に計画されたマンションの業者から打診を受けて
土地ごと売却することも一時考えたという。
ところが小島さんが知り合いだったこの大家の女性からたまたま相談を受けて建物を見たところ
土間のある構造など京町家の特徴が残っていることがわかった。
(NPO法人 京町家再生研究会 小島冨佐江理事長)
「最初見たときは
 取り壊すのはもったいないという言い方をした気がします。
 町中の戦前の昭和初期の住宅として良いものだと思いました。」
小島さんたちは京都ブームの中で京町家の需要があるとアドバイス。
大家の女性は改修して再び貸し出すことを決めた。
「昭和初期の建物でタイルとか建具とか『値打ちがある』と言われたので
 値打ちがあるものであれば
 住みたいという人がいるなら
 直して貸すだけ貸した方がいいかなと。」
その後 東京の夫婦など2世帯の入居が新たに決定。
ほかの部屋でも入居に向けた話し合いが進むなど
小島さんたちの活動が実を結びつつある。
(NPO法人 京町家再生研究会 小島冨佐江理事長)
「古いものをあかんから捨て去るのではなく
 丁寧にメンテナンスしながら新しい方々に引き継ぐ。
 その引き継ぎ役を私たちがしているのをみんなが持てば
 もう少し町の中は変わってくるのではないかと思う。」
京都の街並みを形作ってきた京町家。
どう引き継いでいくのか模索が続いている。



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長寿社会

2016-03-12 07:30:00 | 編集手帳

3月2日 編集手帳

 

 頼山陽の『日本外史』巻九に、
戦国武将の三好長(なが)慶(よし)を語った一節がある。
〈長慶老いて病み、
 恍惚(こうこつ)として人を知らず〉(岩波文庫)。
人を識別できなかった、と。
有吉佐和子さんの小説『恍惚の人』の表題はこの記述に想を得たという。

いつの世にも悲しい病である。
最高裁は、
家族に賠償責任はないとする判決を言い渡した。
認知症で徘徊(はいかい)中の男性が列車にはねられて死亡した事故をめぐり、
振り替え輸送費など賠償責任の有無が問われた裁判である。

読売歌壇に載った歌がある。
〈我がいのち一日(ひとひ)伸ばすに妻はいのち一日縮むる老老介護〉(阿部長蔵)

伴侶や親を見守る目配りに労を惜しむ人はいない。
高齢者同士の老老介護や遠距離介護では、
それでも目の届かぬときがあろう。
認知症患者のもたらす被害をどう救済するかに課題を残しつつも、
まずは穏当な判断と受け止めた方が多いはずである。

孝行息子の頼山陽は詩に詠んだ。
〈五十の児に七十の母あり
 この福、
 人間、
 得ることまさに難(かた)かるべし〉。
なんと幸せなことか、と。
いまは八十の子に百の母さえめずらしくない長寿社会を、
人は生きている。

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進化する人工頭脳 高まる活用の機運

2016-03-11 07:30:00 | 報道/ニュース

2月23日 キャッチ!


1月 グーグル傘下のイギリスの会社が開発した人工知能のプログラムが世界に衝撃をもたらした。
囲碁で始めてコンピューターがプロの棋士に勝ったのである。
囲碁はチェスや将棋と比べて選択肢が桁違いに多いため
コンピューターがプロの実力に追い付くにはあと10年かかるとされてきた。
(開発担当者)
「初めてプロ棋士を倒した。
 しかし人工知能にとって階段を1段上がったに過ぎない。」
ロンドンにあるインペリアル カレッジ。
人工知能の分野で最先端の研究を進めている。
この大学の研究所を訪れたのは日本のロボットや人工知能の研究者や技術者。
人工知能の分野で
アメリカと並んで最先端のレベルにあるとされるイギリスの技術がどこまで進んでいるのか
実際に目で見て吸収する狙いがある。
(大阪大学 石黒浩教授)
「手術用ロボットの次のステップは何ですか?」
(インペリアル カレッジ ヤン教授)
「それはもっと専門的なロボットの開発になると思います。」
視察で見て回ったのは人口知能を使った最新の手術ロボット。
体内での難しい手術を的確に行うため
人工知能の画像認識技術を利用して患部を3次元化し
血管などの状態を外で見ながら手術できる。 
加速する人工知能の開発。
いま世界ではこの技術を活用しようという機運が高まっている。
ドイツが提唱する「第4次産業革命」。
人工知能が制御するネットワークで
製品の設計から部品の調達・流通まで生産工程すべてを管理しようというのである。
工場内の機械も人工知能によって最適化され生産効率も高まる。
ものづくりが劇的に変わると言われ
この10年でドイツだけで1兆円の経済効果を生むという試算もある。
ロンドンで視察を行っていた日本の研究者たち。
日英の研究について情報交換を行うセミナーに出席した。
セミナーでは日英から研究者15人が
人工知能を使った車の自動運転や音声認識などの最新の技術を発表。
見た目はほとんど人間と変わらない日本のロボットも披露された。
質問した相手の声や動きを人工知能で認識し
微笑んだり眉をひそめたりしながら受け答えすることが出来る。
(セミナー参加作者)
「日本製の人間らしいロボットがとても印象的でした。」
「日本のロボットの技術と新しいつながりができるといい。」
日本でも開発が進む人工知能を使った技術。
各国の研究者の交流を通してさらなる進化が期待される。
(大阪大学 石黒浩教授)
「日英のアクティブな研究が全部聞けたので
 価値があったのではないかと思う。
 みんな似たような興味を持っていて少しずつ違う。
 そういうのを合わせるとまた1歩 前に進めるように感じた。」


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英語「話す力」どう学ぶ?中学校がフィリピンに注目

2016-03-10 07:30:00 | 報道/ニュース

2月23日 おはよう日本

日本での英語学習の課題は話す力がなかなかつかないことだと言われている。
そこで最近注目を集めているのが英語を公用語とするフィリピンである。
一部の私立中学校ではフィリピンの英会話学校と提携して
授業に取り入れる動きが広がり始めている。

都内の私立中学校 1年生の英語の授業。
インターネットで外国と結び英会話を学んでいる。
ネットの向こう側はアメリカやイギリスではない。
東南アジアのフィリピンである。
生徒と講師1対1でレッスンが行われている。
費用は1回25分で生徒1人あたり1,000円。
マンツーマンで教えるため必要な講師は1度に30人以上。
これだけの数をそろえられるのはフィリピンだけだと言われている。
(大妻中野中学校 宮沢雅子校長)
「コスト的にフィリピンは非常の合理的でネイティブの先生と1対1で長くしゃべれる。
 実践的英語ができることがこれからとても大切だと思う。」
フィリピンが注目されるのは費用が安いからだけではない。
フィリピン人の英語講師は“発音が聞きやすい”など
世界でも高い評価を得ている。
さらに外国人に教えるための国際的な専門の資格を持った講師も数多くいる。
特にこの英会話学校では講師たち全員がその資格を持っている。
この学校の経営者は
今後 日本の中学校のニーズはさらに高まると見ている。
(フィリピンの英会話学校 藤岡頼光理事長)
「いま一番重視しているのは
 日本人の中学生・高校生にあったカリキュラムを作り教えていくのが
 いま我々が追われているところ。
 国をあげて外国人に英語を教えるビジネスに力を入れていると思う。」
実際にフィリピンへ行って英語を学ぶ中学校も出始めている。
京都府の市立中学校は2月に初めて1週間の語学留学を行った。
参加した立命館中学校2年生の坂下賢二朗さん。
まずは講師の発音をまねることからスタート。
次に講師は通常の速さで理解できるまで同じ質問を繰り返す。
個人レッスンを中心に1日8~10時間 英語づけの日々を過ごす。
最初はほとんど聞きとれなかったという坂下さん。
4日目にはスムーズにやり取りができるようになったという。
(坂下賢二朗さん)
「ここではマンツーマンレッスンなので
 とにかくしゃべるしかないので
 英語をしゃべることへの抵抗がなくなった。」
子どもたちの英語を話す力をどう高めるか。
日本の中学校とフィリピンとの間で新たな連携が進んでいる。

 

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品種改良で花粉症対スギ

2016-03-09 07:30:00 | 報道/ニュース

2月23日 おはよう日本


スギから花粉を出さなくしようという驚きの研究。
花粉症の原因をもとから絶つ。
群馬県榛東村。
山々に囲まれた畑に植えられているのはスギの苗木である。
花粉がほとんど出ないよう品種改良された花粉症対策スギ。
一般的なスギの1%以下しか花粉を出さない。
苗木農家の松下好さん(59)は
花粉症対策スギの苗木をどうすれば一度にたくさん育てることが出来るのか
苦労を重ねてきた。
松下さんが取り組んでいるのが農業用ハウスでの栽培である。
冬の間も安定した栽培ができる。
さらに専用のポットを使うことで
これまでの7倍以上の苗を一度に育てることができるようになった。
出荷までの期間を1年短縮できる。
(松下好さん)
「花粉の飛ばない少ないスギが増えて
 皆さんが苦労している花粉症も和らぐのではないかという期待を持っている。」
しかし全国にあるスギは約112億本。
一昨年植え替えられた花粉対策スギはわずか250万本にとどまる。
こうしたなか注目されているのが国の森林総合研究所で進められている研究である。
プロジェクトのリーダーを務める窪野高徳さんはいまあるスギから花粉を出さなくするという研究を進めている。
(森林総合研究所 窪野高徳さん)
「自然界に存在する菌を使って
 花粉の飛散を抑えることができないかと考えた。」
注目したのがスギ黒点病。
スギの雄花が枯れる病気である。
窪野さんたちは病気のもとととなる菌を2年かけて解明。
菌の名前はシドウィア・ジャポニカ。
菌の培養方法などに3年を費やした。
金を使って開発した液体をスギに散布。
すると3か月後
(森林総合研究所 窪野高徳さん)
「雄花が枯れてしまうので花粉が飛ばない。
 雄花だけ枯らしている。」
スギ花粉の出どころは黄色く熟した雄花。
しかし液体をかけたスギは雄花だけが枯れて真っ黒になり花粉を出さなくなった。
なぜ花粉が出なくなったのか。
液体の散布によってスギの雄花に付着したシドウィア・ジャポニカ。
しばらく経つとその菌が寄生し
中の花粉の養分を吸収する。
やがて雄花そのものが枯れ
花粉の飛散を防ぐという仕組みである。
これまでの実験では8割の雄花に感染し花粉が出なくなった。
しかし実用化に向けては課題もある。
農薬として実際に散布するには
環境や人体への影響を徹底的に検証することが欠かせない。
さらにどうやったらスギ林全体に効果的に散布できるのか
具体的な方法を見つける必要がある。
(森林総合研究所 窪野高徳さん)
「スギの大木は高いところにも雄花がついている。
 なかなか人ではまくことができない。
 いま無人ヘリコプターを使って
 どう散布したら効率よく菌が感染するか試験をしている。
 少しでも早く実用化できるよう頑張っていきたいと思っています。」

 

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目指せ海上保安官! 転職者たちの決意

2016-03-08 07:30:00 | 報道/ニュース

2月23日 おはよう日本


北九州 門司区にある海上保安学校文字分校。
さまざまな職業から海上保安官に転職した人を訓練する全国ただ1つの施設である。
鍛錬に励む30代~50代の男たちは海上保安官に転職した研修生である。
1月13日 今年の新入生は32人。
前の仕事はトラックの運転手や高校教師とさまざまである。
筆記や体力などの厳しい選考を経て採用された。
これから半年間の訓練に臨む。
朝6時半 気温0度。
学校創設以来 毎朝行われる伝統のトレーニング。
体と精神を鍛える10分間である。
「何 寒そうにしてるんじゃ お前ら!
 助けに来た海上保安官が寒そうにしとってや
 こいつらなら大丈夫だって思ってもらえるんか!
 そこをしっかり考えろ。」
この厳しい世界にあえて飛び込む人たちには特別な決意がある。
神久剛さん(35) 元は宮城県の民放の技術職だった。
5年前の東日本震災ではテレビ局内で現地からの中継をつなぐ仕事などを担当。
助けを求める被災者を画面越しに伝えるだけの自分にもどかしさを感じたという。
(神久剛さん)
「伝えるという仕事自体もとても重要なことだと思っていたけど
 困っている人に手をさしのべられない状況だったので
 歯がゆい感じになった。」
津波の濁流にのまれる街を目の当たりにし
災害などの現場で自身の手で命を救いたいと海上保安官を目指した。
(神久剛さん)
「助けられる命があるならば1つでも多く手を届けたい。」
専門性を生かして貢献したいと飛び込んだ人もいる。
調理師の資格を持つ湯浅陽水さん(39)。
以前は陸上自衛隊で調理を担当。
順調に階級は上がったものの
5年ほど前からデスクワークが中心になった。
今回 あくまでも現場にこだわりたいと巡視船内では調理を希望した。
それでもいざとなれば救助に当たるため体の鍛錬は欠かせない。
(湯浅陽水さん)
「船の中だと食事だけが楽しみになるので
 乗組員を心身ともに支えていきたい。」
訓練後 湯浅さんが配属される船の調理現場。
緊張が高まる尖閣諸島をめぐる問題などを受け
新たな巡視船の配備が決まり増員されたのである。
遠く神奈川県に残してきた妻と息子に胸を張れる仕事がしたい。
それが湯浅さんの転職のもう1つの理由である。
(湯浅陽水さん)
「大きくなった時に
 自分の親がこういった仕事をしていることに誇りを持ってもらえればうれしいと思う。」
研修生は海上での取り締まりや航海に必要な法律を学んだうえで
即戦力として現場に送り込まれる。
研修生たちにはまたそれぞれの社会経験をもとに組織に新しい風を吹いこんでくれることも期待されている。
(海上保安学校門司分校 滝優人教務課長)
「家族がいる研修生もいます。
 1日でも早く現場に一人前の海上保安官として赴任させたい。」
新しい道で初心を学ぶ男たち。
“日本の海を守る”
この思いを胸に6か月の研修に挑む。

 

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