鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

箱根の古代道 下

2014年11月11日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
■ 記 2009年03月30日 箱根の古代道 7

googleの航空写真をご覧になりましたか?
やられて無い方の為に、、、

google画面の左最上部を注目
「ウェブ 画像 地図 ニュース 動画 Gmai その他 ▼」
から、地図を選択!

検索欄に「ターンパイク」と記入

「航空写真」を選択

この様な手順ですが、、、

今回の画像は、「箱根の古代道6」を拡大しただけです。
画面 右上より左下にかけて、黒いラインが見えます。
半端でなく、、キッチリ見えるでしょ?
単なる獣道や、人の踏み跡でこの様なラインは出来ません。
それは、丹沢などの沢道を考えると、列を作って沢登りをした時代がありますが、
今では、道を探すのも困難です。
歩きやすいルートを探して登ると、岩が滑らかに磨り減っていたり、足掛かりが適当な間隔で有ったりで、この場所は歩き込まれた道と確認できる。
その位、、、大規模に人工的に作られた道でないと、自然界では痕跡など残らない。
っと「ぼ輔」は考えているのです。
古代道は、緊急に作った道でも その程度の規模は有ったと言う事です。
googleの航空写真とはいえ、これは衛星写真でしょうね!
数年前のgoogle映像は、こんなに鮮明ではなかった!
とても良い状態で使えてウレシイ!
でも、立体視出来ると、、、こんなものではないのです!!
単なる場所の特定だけでなく、道の構造まで見えてくる。

■ 記 2009年04月08日 箱根の古代道 8

立体視した時の画像を載せましたが、
画質が悪いのを承知で小さくしました。
何故か? 
ワザワザ画像を取り込んで大きさを調節して見るマニアックな方は少数派では?と言う考えです。
立体視は如何ですか?
桜山林道は未だ出来てない時代ですが、
ターンパイクは写っているので、これを基準に古道を確定してください。
山の峰を通すと一言で言い切っても、程度は、、、
この場合峰より一段下がっている場所です。
箱根西坂の尾根とは違い、、この東坂は、箱根外輪山の巨大尾根です。
外輪山の内側は、とても急激に落ち込む崖になっています。

実は、、
記事を書くのも良いけれど、、、興味は他の場所に移っている!
箱根をもっと深く掘り下げる興味は有るのですが、、、
鎌倉だって、一段深く掘り下げて紹介しようという興味もある。
でも、それ以上の興味の沸く場所、、、
静岡の薩垂峠や日本坂は???そちらの興味に写っているのです!
居ながらにして旅行気分が味わえるのが空中写真ですから!
それも、、バルーンに乗って空の上から探す気持ちです!
立体的な景色は、情景まで映し出す!現地を直接歩いても、この感覚は味わえないのです。
現地を歩いても、大半は藪漕ぎ(登山用語で、藪を書き分けて歩く)が低い山の特徴、、
景色や、感動を味わえるのは、宝探しと同じ!
でも、これらの情報が有ると無いとでは大違いです。
コレと思ったが最後、、、、藪の中でも確かめずに居れなくなる!

写真は国土地理院の空中写真(ckt-77-2_c14_12)(ckt-77-2_c14_13)を合わせたモノです。


■ 記 2009年04月16日 箱根の古代道 9

関白道の現地入りです。
こちらの映像は、極めて古いと考えられる道です。
特徴は、掘割で直線的です。
なぜ?古いと解るのかは上記の理由ですが、この手の道のセオリーとして、必ず脇道が近くに並走してあります。
脇道が出来る理由がありますが、、、それは主道が歩き難くなった為というのが通常でしょう。
特に山間の坂道は、雨の為に消耗が激しい。
鎌倉の朝比奈では、基の地質が岩盤なので、消耗が少なく残ったと考えられ、稀な例でしょう。
しかし、、この場所の脇道がある理由は、それだけでは無さそうです。
次回の写真をお楽しみに!

■ 記 2009年04月18日 箱根の古代道 10

さて、この写真は単なる石ですが?
1m程の大きさでこの周囲に似合わない火山性の岩とは異質な石です。
っとなれば、人為的に運ばれた石、、、
大きさは、石垣城の石垣に使われた石と同じ!
関白のやり残した石と考えられます。
石の周囲の状況は、

■ 記 2009年04月24日 箱根の古代道 11

右の掘割状の道は、関白道以前より有ったと考えられる道。
左には、S字状の踏みしめられて作られたと考えられる道があり、その真ん中に石が放置されています。
画面ではとても道と認識しにくいのですが、、この辺りが平面映像の限界です。
では、この関白道が石を運ぶのに使われ、掘割道は使われなかったのか?
 一夜城の莫大な量の石を80日の短期に運ぶ訳です。
それを実現するには、この細いオリジナルの古代道だけでは足りないと考えるのです。 その様な理由で脇道が作られたと考えます。
「蔦の細道」が細すぎて、秀吉は「宇津の谷峠」を切り開いた! この「宇津の谷峠」も秀吉が作った説と鎌倉時代に作った説があります。鎌倉時代に作られ未整備の「宇津の谷峠」を秀吉が整備して使える様にしたと考えるのが自然と思います。
鎌倉の朝比奈峠も同様に、古代東海道の痕跡が有るのに「朝比奈三郎義秀が太刀で一日一夜にして切り開いた道」という伝説が生まれた。
あの切り通しが一夜で作れる規模の道とは誰も思わないのですが、、、
 単に古代の文献が無いので、俗説に従う!!
なんとも、非科学的な立場の方が多い。
文献と遺構の両方が補いあう事で真実が見えてくる。
文献は無いに等しい! 遺構は、、発掘しなければ出てこない??? それが古代道の特徴と考える節があります。
文献は無くても、遺構は探せるのでは? っと言うコンセプトのブログです。
■コメントから、■
●石から (三品)
2009-04-26 09:08:11
石を手がかりにして、色々なことが推論できるんですね..
●石の状況 (ぼ輔)
2009-04-27 16:35:53
1590年4月6日には、箱根湯に本陣を敷き、7日に15万とも22万ともいわれる兵で小田原城を取まいた。 同年6月26日に城が完成するこの間80日程です。
城垣は、野面積みと呼ばれる工法で、自然石を加工しないで積み上げる方法です。
川原等の石を加工せずに使うため、角の丸い石が使われています。
それにしても、、、
ぼ輔の妄想癖も、ハナハダシイのかも!
古道探しの一番面白い処もこの推測の場面です。


■ 記 2009年05月06日  箱根の古代道 12

箱根の古代道の巻 終り
この写真は石の有った場所から数百m西の場所です。
脇道とオリジナル古代道とが合流した場所です。
東に向かって撮影しています。
右側の脇道は平坦で広い特徴があり、左の古道は、掘割状で狭い道です。
重量物を運ぶ為には、狭いより広い方が楽なハズ。
側溝も水ハケが良ければ不要、、あえて堀切状の道の形にコダワル必要もない訳で、、、
そんな訳で、実用的な脇道と考えます。
オリジナル古代道は、あくまで、道を迷わせない構造と、直線的な状態をしています。
考えさせられる事は、この道幅にあります。2m前後の道幅は、富士噴火により急遽作られ、その後一年ほどで廃棄された道として妥当な道幅と考えます。
官道、、駅路としての道の品格を感じる処は、道の設計思想にあります。
箱根山全体を観察して、一番直線的に峰を通せるルートである事ですが、古代道らしい設計思想をこの道に感じるのです。
コメント
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