鎌倉より南東の三浦方面の鎌倉城境界は何処か?
その場所を、この地図から予測して欲しいのですが、、、
傾斜を黒く強調した地図ですが、、、如何でしょうか??
そんな訳で、次回は私の考えた境界を書き加えてみます。
これ等から、何が判るか?
鎌倉幕府に敵対するのは、世界最大の広い国土と兵力を持ったフビライハンの軍隊で、どの様に迎え撃つか?
文献が一切無い鎌倉城の構成が浮かび上がり、幕府の覚悟が浮かび上がってくるわけです。
国内の隣国との争いでは有りません!
攻めてくる敵は、韓国、中国、イラン、イラク、アフガン、モンゴル等の国力を合わせた世界最強の軍隊が押し寄せるのです。
日蓮が「国難」と叫ぶ以前に、幕府は中国渡来の禅僧より、モンゴル兵の話は聞いており、元の勅使の首を切り、覚悟を決めると、、
、、博多湾に関西の武士に20㎞に及ぶ元寇防塁を作らせた。
元寇対策は、それだけでは無く、鎌倉を攻めるであろう! っと考えるのは当然です。
関東の武士は何をして居たのか? 文献は有りません。
その遺構は鎌倉に残って居る訳ですから、文献が無いなら遺構にかたらせるのが筋です。
結果は、神風が吹いて、、日本は守られた! っと言う落ちです。
肝心の鎌倉幕府が立てた元寇対策は歴史から忘れ去られたのです。