大正12年の関東大震災の坂下の惨状です。
震災の津波に洗われても、それなりに土塁のラインが黒く写っています。
浜辺は1m程浮き上がり砂浜は広くなり、新田義貞の攻め込んだ岩礁も浮き上がり埋め立てられ 戦後には稲村ケ崎を切通し国道134号線が開通した。
震災前とは違い、土塁の際迄民家が造られています。
その土塁の段差は、段差を強調した下図と見比べれば理解できると思います。
桃色の矢印の間の点線が国道に侵食されて無い、、、元寇防塁の想定部位です。
A点は国道と別れた場所で、B点は元寇防塁の終わる場所です。
次回は、稲瀬川とA、B点の現状を見てみましょう。
由比ヶ浜に「元寇防塁」が存在する事は、、2017年では考えもしなかった。
その状況は「コメントより、」2017年02月記載
その様な訳で、このブログの主張は決して「正しい史実を記載した。」訳では無く、思考していく経過を書いて居る訳です。
更なる情報を入手したらば、、結論は違ってきます。歴史に真実を求めること自体無理が有ります。 しかし、根拠の無い憶測は排除すべきと考えて居ます。
例え反対意見でも、、「他人の見方や考え方は、刺激に成ります。」そんな訳で、、
(素朴な疑問)さん に謝意を表します。