外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(12)~チュニス最終日後半・オスマン朝支配時代のお屋敷編~

2020-05-05 18:43:53 | チュニジア

 

今回はチュニス滞在7日目、最終日の話の続き。

 

ゼイトゥーナモスク周辺で引き続きうろうろしていたら、地元の人らしき男性がふいに近づいてきて、英語で「近くにスルタンのパレスがあって、屋上の見晴らしが素晴らしいから、行ってみるといい」とだけ言って、そそくさと立ち去って行った。何者?ただの親切な人?

 

せっかくなので、そのパレスとやらを探そうとしたが、建物の名称も住所もわからないので見つかりそうもない。

 

朝から歩き回って疲れてきたので、あきらめて帰ろうとしてその辺にいたおじいちゃんに道を聞いたら、おじいちゃんはなぜか真顔になって、「オスマン朝時代の地方長官の屋敷がこの近くあって、そこの屋上からの景色が素晴らしい。見たいか」と、さっきの男性と同じようなことを(アラビア語で)言った。そのお屋敷はこの辺では有名な観光スポットで、観光客を見かけたら教えないといけないことになっているんだろうか。うなずいたら、おじいちゃんはついてくるよう合図をして、黙って歩き出した。どうやら連れて行ってくれるようだ。

 

くねくねと入り組んだスークの細い路地をけっこう歩き、時々おじいちゃんの知り合いに遭遇しつつ、たどり着いた先は民芸品店らしき建物だった。土産物屋かと思ったが、そういうわけではないようで、お客の姿はない。おじいちゃんは、「ここだ」と言って中に入り、勝手知ったる風にどんどん階段を上って、屋上に私を導いた。

 

そうしてたどり着いた屋上がこちらでございます。

 

左手にゼイトゥーナモスクの塔が見える。

 

 

なんなの、このステキな眺めは・・・・怪しい人かもしれないと思いつつも、ついてきて良かった。あの男の人にもシュクラン(ありがとう)を言いたい。

 

 

 

 

下を見るとこんな感じ。屋根の下はスークや民家だろう。

 

 

犬たちはお昼寝タイム

 

 

風景を堪能し、満足して建物に入ると、猫に遭遇した。至れり尽くせりとはこのことか。

 

 

 

 

ランチタイムですかね。これは母猫だそうで、近くに子猫がいた。

 

なんなの、この可愛さは・・・

 

 

撫でようとすると向こうから寄ってくる。

 

 

とりゃ~

 

 

子猫も堪能したところで階下に降りると、かつての館の主の寝室があった。金色の天蓋付きの広いベッドで寝ていたようだ。

 

 

 

さらに下の階には、手織りの絨毯の保管室があった。おじいちゃんの説明によると、この建物は政府の管理の下で伝統工芸の職人組合が使用しており、絨毯を中心に様々な手工芸品が保管されている。これらの作品は、政府の認可を得て海外に輸出されているそうだ。保管室は絨毯の品質を保つため、冷房が効いていた。

 

ここで昼寝したかった。

 

 

建物入り口の控えめな看板。

 

 

ここの屋上の写真は地球の歩き方やその他のチュニジア観光案内にもよく使われているのだが、日本語はもとより、英語でもアラビア語でも建物名や解説はどんなに検索してもなかなか見つからなかった。謎が多い穴場スポットなんである。そもそもマグレブ諸国(チュニジア、アルジェリア、モロッコ等)の観光情報はフランス語が中心で、マイナーな場所の情報はアラビア語でも見つけにくいのだ。

 

 

しかし、この記事を書くにあたって念のためにもう一度検索したら、思いがけずこのフェイスブックのページにたどり着いた。奇跡だ。(大げさ)

https://www.facebook.com/pages/category/Arts---Entertainment/Groupement-artisanal-1084427695076949/

 

 

住所や電話番号は以下の通りなので、チュニスに行かれたらぜひ見つけ出して下さいませ。

 

groupement artisanal(伝統工芸組合)

58 souk el Leffa, 1008, Tunis

Tel: +216 71 575 224

 

ちなみに、この建物があるスーク・エル・レッファ自体もオスマン朝支配時代に出来たものだらしい。(ウィキはこちら)「レッファ」は「巻物」という意味なので、布地等の巻物を売っている「巻物スーク」ということだろう。

 

建物を出たら、おじいちゃんはまた「ついてこい」の合図をして、さらにどこかに私を導く。

 

たどり着いた先は、香水屋さんだった。

 

 

 

彼はこうやって土産物関係の店に観光客を連れて行って、手数料を稼いでいるのかな?

 

ガイド料を払おうと思っていたので別にいいのだが、ここの香水は化学薬品を使わずに手作りしているということで、けっこう高価だった。結局、ジャスミンの香水の小瓶を1本だけ、30ディナールのところを20ディナール(現在約740円)に値切って買う。他の店のものより割高だが、柔らかい良い香りだし、記念になるからまあいいだろう。

 

ここでおじいちゃんと別れて、昼寝すべくホテルに向かった。

 

ついでにゼイトゥーナモスクに上ってみたが、やはりムスリム以外は入れないということなので、すごすごと立ち去る。

 

 

途中で見かけた猫たち。私も一緒に寝たい。

 

 

 

スーパーでビールとワインを買って、ホテルで飲んで1時間半ほど昼寝してから、夕方また出かけた。

 

 

新市街に出て、お洒落な本屋でチュニジア人作家の小説を購入。

 

 

この本だ。チュニジアの現代の中流家庭の暮らしぶりがよくわかる佳作だった。本屋の店主も、「お、その本を選んだか。お主なかなかやるな」という顔をしていた。ふふっ

 

 

本が意外に高く(28ディナール=千円余り)、手持ちのディナールがわずかになってしまったので、酒の飲めるチュニジア・イタリア料理店「カプリ」で夕食をとるのはあきらめ、以前入った安食堂「モハメド・アビド・パスタカサ」で魚のクスクスを食べた。量が多く、昼食を抜いたにも関わらず完食できなかった。大きな胃が欲しい・・・

 

とっても美味しかったのに~

 

 

翌日はイスタンブールに移動するので朝5時起きだ。早く寝なければ・・・

 

(続き)

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(11)~チュニス最終日前半・スークと猫編~

2020-05-02 18:02:28 | チュニジア

 

 

コロニャ暦元年も5月に入った。時が経つのは早いものだ。

 

日本は感染拡大が遅かったこともあり、まだまだ自粛が続くようだが、世界的には既に規制緩和に向かっている国も多い。イタリアも感染者数はまだ多いものの、死者数は大幅に減少しており(5月1日の新たな死者269人、感染者1965人)、トルコも新規感染者の数を回復した人数が大きく上回るようになった(5月1日の新たな感染者2188人、退院者4922人、死者84人)。元々感染者が少ない段階で外出禁止措置を取ったヨルダンでも、最近車での買い物が認められたり、バスの運行が再開する等、少しずつ緩和に向かう動きがみられる(ヨルダンではここ数日、国境を出入りするトラック運転手を除くと、国内での感染者がゼロ。検査は1日3~4千件規模で実施)。アルジャジーラのニュースも、コロニャ以外の報道が多くなった。

 

というわけで、私も長らく中断していた去年の9月の海外旅行記を再開しようと思う。(実はコロニャ関連のことを書くのに飽きてきた)

 

前回はチュニス滞在の6日目について書いた。(これ

 

読み返してみると、コロニャ暦の先史時代の話、という印象が強い。なつかしい遥か昔の物語ね・・・

 

 

チュニス滞在7日目にあたる最終日(2019年9月5日)は、旧市街のスーク(市場)を歩き回った。今回はその前半分の写真を載せる。ちなみに、5月1日のチュニジアの新たな感染者は14人、死者は1人だった。(死者総計41人、感染者総計994人)

 

 

道すがら見かけたおしゃれな古本屋さん

 

 

この日は平日だったのだが、スークは賑わっていた。毎日こうなのだろう。

 

 

新学期用品のリュック。当然キティーちゃんがいる。

 

 

車の下のかわいこちゃん

 

 

デーツ屋さん

 

中央市場のチーズ売り場に行くと、試食させてくれた。

 

 

「カラスミも試食する?」と聞かれたが、目が笑っていたので冗談だったのだろう。遠慮した。

 

スルメ発見

 

 

以前眠っているサビ猫を見かけた植物コーナーに行くと、別の眠り猫に遭遇した。たむろしていた若者たちによると、彼らのうちの1人に顔が似ているから、彼と同じアフダル(=緑)という名前を付け、ここで餌付けしているらしい。特に似ているとは思えなかったが・・・

 

 

アフダルくん(ちゃん)、かわいすぎないか。

 

遊んでくれた。幸せとはこのことか。

 

 

中央市場を離れて歩いていると、また車の下にかわいこちゃんを発見。

 

 

お友達(?)登場

 

寝てるから諦めて行ってしまった。

 

 

ここにも眠り猫が。まだ昼前だけど、皆さんもうお昼寝ですかね。

 

あ、起きた。

 

小型三輪トラックのタイヤの先にも、頭隠して…なヒトが転がっていた。

 

ピューマになった夢を見てそう。

 

 

脇道

 

 

定期的に壁を塗る必要があるのだろう。

 

 

チュニジアらしい白壁に青いドア

 

衣料品店。魅力的なドレスが多かった。

 

衣料品店の中の布コーナーにいた猫さん。ここの店の人が餌付けしているそうだ。名前はないとのこと。吾輩か。

 

色合いが美しいスパイスのお店。先っちょの尖がった部分を崩したくなるが、大人なので我慢する。

 

整然と並んでいて清潔感がある。

 

 

ゼイトゥーナモスクのそばの食堂。お昼ご飯を食べる客で賑わっていた。

 

 

 

(続く)

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(10)~チュニス6日目・タバルカ遠征編~

2020-02-17 04:11:16 | チュニジア

 

チュニス滞在6日目は、北部の地中海沿岸の町タバルカに日帰りで遠征した。

 

なぜタバルカを選んだかというと、アルジェリア国境に近いからだ。アルジェリアでは去年、約20年にわたって政権の座についていた高齢で病身のブーテフリカ大統領の5期目への立候補に抗議する大規模なデモが発生して拡大・継続し、これが政権交代に繋がったという画期的な事件があったのだが(デモはその後も継続)、その様子をアルジャジーラで追っているうちに、「まあ~デモが終わった後に皆でゴミ集めて捨ててる~同じく反政府デモが起こっているスーダンでは治安部隊(民兵組織)が丸腰のデモ隊を攻撃して死者が大勢出てるのに、アルジェリアではほとんど死者が出てない~ここらで軍事クーデターが起きるのがアラブ的な流れなのに、ここの軍参謀総長(昨年末死去)は口は出すけど手は出さない~なんてステキな国かしら~」とうっとりし、ものすごく行ってみたくなったのだ。

 

アルジェリアの首都アルジェでの2019年12月17日のデモの様子(フランス24の記事の写真) 仏植民地時代の名残らしき建物もステキ

「‫عاصمة الجزائر مظاهرات‬‎」の画像検索結果

 

アルジェリアは個人旅行では観光ビザを取るのが大変そうなので断念したが、チュニジアのお隣だから、国境付近まで行ったら向こうの雰囲気も伝わってくるかも!と考えた(行ってみたら、そうでもなかったが)。また、重い荷物を下げてチュニスから移動する根性はないが、少しは他の地域も見ておくべきだろうということで、ガイドブックに載っているそれなりの観光地で、日帰り出来るタバルカに行くことにしたのだ。

 

前置きがやけに長くなったが、そういうわけで、この日はちょっとがんばって遠出した。でも早起きする気合はなかったので、朝食をパスして9時半ごろまで眠り、ゆっくり洗濯をしてから出かけた。廊下で出会った朝食係兼掃除係の小柄な女性には、「あなた朝ご飯に来なかったけど、どうしたの?大丈夫?」と声を掛けられた。優しい・・・すいません、眠かっただけなんです~

 

北バスステーションに向かっている時に通りかかったおうち。ドアの脇の小さいドアの飾りがハート直撃

 

バスステーションに到着して、タバルカ行きのルアージュ(乗り合いミニバス)に乗り込む。乗客8人が揃って出発したのは12時間際だった。

 

運転手さんが呼び込みもやる。

 

車窓からの風景。オリーブ畑

 

前日に聞いた通り、約3時間でタバルカに着いた。午後3時から観光するっていう・・・時間が遅くなると帰りの便がなくなるか、あるいは8人分の運賃を払ってルアージュを借り切る羽目になるので、2時間ほどで観光を済ませて戻って来る心積もりをして、市内中心部に向けて歩き出す。

 

タバルカ猫、警戒警報発令中?

 

「ZAPATISTA(サパティスタ)」と壁に書かれている。他の場所でも見かけた。サパティスタ民族解放軍はメキシコの先住民族主体のゲリラ組織らしいが、チュニジアにも影響を与えたのだろうか。

 

ぐったりした野菜を売る女性たち

 

スイカはトラックで売られていた。

 

朝食抜きでお腹が減っていたので、観光の前にまず腹ごしらえをする。

 

「Pizzeria(ピッツェリーア)」が「Pizzaria」になっているお茶目なお店でランチにした。

 

どこがレバノン風かわからないレバノン風シャワルマサンドと、サラタ・マシュウィーヤ(=焼きサラダ)とコーラで7.5TD(300円弱)

 

シャワルマ(ケバブ)サンド。お肉がたっぷり

 

ちなみに、レバノンのシャワルマサンドはこんなかんじ(ネットから拝借した写真)これはビーフだが、チキンももちろんある。

「lebanon shawarma sandwich」の画像検索結果

 

 

パンが焼きたてのようで柔らかく、いい匂いがした。サラタ・マシュウィーヤは、ナスやトマト、パプリカなどを焼いてペースト状にしたもので、ハリッサ入りなのか辛かったが、美味しかった。

 

満腹になって店を出たが、歩き出して間もなくトイレに行きたくなったので、通りがかりのレストランで借りる。小ぎれいなレストランだったが、トイレには鍵がかからなかったので、ドキドキしながら用を足した。そういえば、ナポリでもトイレの鍵がかからないところがあった。余談になるが、私は中東にハマる前にイタリア生活を経験しているので、大抵の事には驚かない。水回り関係の不具合にも、役所の手続きの不毛さにも、公共交通機関が予定通りに動かないことにも。ありがとう、イタリア~

 

なんかいわくありげなモザイク

 

バイオリンのオブジェ。タバルカは、毎年7月にジャズ・フェスティバルが開催されることで有名らしい。

 

 

観光スポットの「ジェノバ人の要塞」と「針岩」がある海岸は中心部から歩いてすぐだった。タバルカの街はコンパクトで観光しやすい。シーズンでないせいか、他の外国人観光客は見なかったが。

 

麦わら帽子タイプのパラソルを設置した海岸

 

ゴミだらけの海岸だが、子供は楽しそうに遊んでいた。

 

ヒジャーブで髪を覆った姿で海水浴を楽しむ女性たち

 

ジェノバ人の要塞。タバルカが16世紀半ばから約200年間ジェノバ人の一族の支配下にあった時代に建てられたらしい。行く時間も根性もなかったので、遠くから眺めたのみ。

 

名物の「針岩」。この周辺はデートスポットのようで、カップルを見かけた。若者のグループもいた。

 

こういう岩で出来ていた。

 

 

時間がないので、針岩の周辺を一回りしてから早めに街中に戻り、少し散策して5時頃にはバスステーションに戻った。

 

魚食堂があった。海辺だから新鮮な魚介類が食べられそう。

 

下の方におでんマーク(ちくわ抜き)があるドア

 

「パン屋」と書いてある壁。もう廃業していると思われる。

 

マネキンの人口密度の高い服屋さん

 

タバルカはなぜか猫が少なかった。

 

近寄ったら微妙な顔をされた・・・かわいい

 

帰りのルアージュに乗ったら、行きと同じ運転手さんだった。道中はほとんど寝て過ごしたが(他のお客も同様)、ふと目覚めた時、すごいスピードでビュンビュン飛ばしているのに気が付いた。後で知ったが、チュニジアでは交通事故が多いらしい。くわばら、くわばら・・・

 

チュニスに到着してた時は、もう夜だった。メトロでリパブリック駅に出て、またカルフールで猫エサを補充してからホテルに向かう。途中で見つけたサンドイッチ屋さんで夕食用にマルフーフ(ラップサンド)を購入。

 

このお店で買った。パンから手作りで、具はシシュタウック(スパイシーな下味をつけたチキンのぶつ切りの焼いたやつ)。

 

ホテルに帰る前に、冷たいビールが飲みたくなったので、ハナーホテルにまた寄って、大ジョッキを頼む。夜はホテルの前のオープンテラスにテーブルが出ていた。向かいの建物の前のイベントスペースではコンサートをやっていて、最後に観衆が参加してチュニジア国歌を斉唱していた。選挙運動関係のイベントらしかった。大統領選が近かったのだ。

 

長旅の後に戸外で飲む冷たいビールは、幸せの味がした。

 

(続く)

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(9)~チュニス5日目・バーブ・サアドゥーンとバルドー博物館編~

2020-02-02 14:07:38 | チュニジア

 

2020年もすでに2月に突入してしまった。なんてことだ・・・

今年の1月の中東情勢は年初からやたらに激しかった。カルロス・ゴーン氏の逃亡騒ぎ、ソレイマニ司令官暗殺とその後の展開、リビア情勢のさらなる緊張、シリア政府軍とロシア軍のイドリブへの攻撃激化、そしてトランプ大統領の「中東和平案」発表。コロナウイルスの騒ぎも相まって、なんだか心身ともに落ち着かなかった。まあ、ブログの更新が滞っていたのは、そのせいではないが(いつものことだし)。

 

でも完全に忘れてしまわないうちに、なんとか昨年9月の旅行記の続きを書き終えて、他のことを書きたい…

 

というわけで、今回は、チュニス滞在5日目の記録。この日は午前中にメトロのバーブ・サアドゥーン駅付近にある北方面行きのバス・ルアージュ(ミニ乗り合いバス)のターミナルを下見し、午後はバルドー博物館を訪れた。

 

頑張って早起きして8時半に朝食ルームへ。ここは朝食の時間帯が早くて厳しかった(たしか9時まで)

 

スチームミルクに粉末スティックのネスカフェを混ぜるタイプのセルフカプチーノ、なんちゃってバゲット(柔らかい)、カップケーキ

 

朝食後、メトロのリパブリック駅まで歩いた。

 

途中で携帯・PC周辺機器を扱うお店が集まったビルを見かけたので、そのうちの1軒に入ってSDカードリーダーを購入。20TD(約770円)だと言われたので、試しに値切ってみたら、あっさり15TD(約577円)に負けてくれた。もっと値切ればよかったかな・・・

 

メトロに乗って、バーブ・サアドゥーン駅で下車し、北方面行のバスやルアージュが集まるターミナルを目指して歩く。翌日にアルジェリア国境に近い地中海沿岸のタバルカに日帰りで行くつもりだったので、乗り場や所要時間等をチェックしておこうと思ったのだ。

 

でもその前に、駅の近くで見かけた市場らしきところに寄ることにした。

 

アラブ的な、ガラクタばかり売っている露店。こういうの買う人、いるんだろうか。いるんだろうな・・・

 

何気に由緒ありげなモスク

 

ヘルバという苦い飲み物を味見させてくれたおじちゃん。体にいいらしい。良薬口に苦し。

 

店番猫 私が近づくと警戒モードに

 

「じろじろ見んなよ」

 

「ちっ、どこかで寝なおすか」

 

こっちの子は逆におねだりモード。

 

道端でデーツがたわわに実っていた。

 

あちこちで道を聞いて、ようやく北方面ターミナルに到着。

 

タバルカ行きのルアージュ乗り場を確認。その辺にいたおっちゃんたちに聞くと、所要時間は片道3時間、運賃は往復25TD(約960円)とのこと。片道3時間か、遠いな・・・朝起きれるかどうか不安だ。

 

下見が済んだので、近くのカフェで冷たいジュースを飲んで休憩。この日は暑かったので、歩きまわると汗をかいた。

 

洋ナシのジュース。男性ばかりのカフェだったが、静かで涼しくて居心地が良かった。

 

 

お昼だったので、その近くの安食堂に入ってランチにした。冷房がなくて暑かったが、お店のおじ様がにこやかで感じが良く、料理も美味しかった。

 

キョフテジーとサラダとファンタ(写ってないけど)で4.4TD(約170円)。サラダはフレンチフライで覆いつくされている。

 

キョフテジーは、羊のレバーとジャガイモ・トマト・ピーマン・かぼちゃなどを卵と一緒にオリーブオイルで炒め煮したチュニジア料理らしい。レシピによって材料にバリエーションはあるが。なんにでもフレンチフライとバゲットがついて来るのは、元宗主国フランスの影響か。

 

食後、またメトロに乗ってバルドー博物館へ。メトロのチケット売り場の場所を尋ねた紳士は、案内してくれた上に切符を買ってくれた。親切な人が多いな、チュニジア。

 

メトロの車両は、車いすの人が降りる時にスロープになる補助板が出るようになっていた。

 

イタリアのサーカス「ORFEI(オルフェイ)」のポスター。チュニジアはイタリアの下に位置し、フェリーで行き来できるくらい近いのだ。

 

さて、いよいよバルドー博物館へ。ル・バルドー駅から近くて行きやすい。

 

建物付近の物売りのおっちゃんから、銀メッキのお守り(ハムサ)のペンダントを購入。2TD(約77円)だったが、おっちゃんは「本物の銀だよ!」と言いはった。

 

入り口付近に、2015年3月のテロの犠牲者の慰霊碑があった。イタリア人の犠牲者の名前の下に日本人の名前が続いている。

 

展示スペースに学芸員の姿はなく、監視カメラもどこにあるのかよくわからなかった。テロ以前に、盗難対策は大丈夫なのか。

 

 

「あ、きゅうり買うの忘れた~」という風情の河童風の像

 

さくさくっと見て回って、併設のカフェに休憩しに行ったら、そこは猫カフェだった。

 

お店の男性が毎日餌付けしているそうだ。ミケの母猫と子猫数匹、そしてまだ遊び盛りの白ソックスの黒猫がいた。

 

 

子猫を呼び集めて授乳する母猫

 

エサをくれる人(私)がいる気配を敏感に察知し、子猫を振り落としてこちらへ来る。

 

落ち着き給え。

 

お店の人に声をかけた上で、栄養を付けてもらうためにパウチを提供。

 

ミントティーを飲みつつ猫を堪能してから、博物館を離れてまたメトロに乗る。

 

駅の近くの風情のあるマクハー(喫茶店)

 

リパブリック駅で降りて、またカルフールへ。

 

カルフールの前に停まっていた車。

 

買い物を済ませ、またハナーホテルでベックスビールを飲んだ。暑い日はビールが美味しいねえ~ 夕食はこの日も焼いたチキンをテイクアウトしてホテルで食べた。前日とは違う店で買ったが、やはりローズマリーの風味が利いていて、とても美味しかった。

 

(続く)

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(8)~チュニス4日目・カルタゴ遺跡と子猫編~

2019-12-08 18:38:15 | チュニジア

 

今回はチュニス滞在4日目の記録。この日は午前中にホテルを移動し、午後にカルタゴ遺跡を観光した。


まずはホテル移動。

朝8時に起きて、あらかじめ目星をつけておいたジュネーブホテルに電話をかけ、空きがあるかどうか聞く。前日訪れた時に受付で翌日の空き状況を尋ねた際、「今はまだわからないから、明日の朝8時に出直して」と言われたのだが、そんな早朝に行っても無駄足になる予感しかしなかったので、とりあえず電話してみたのだ。昨日とは違う人が電話に出て、「空きがあるかどうかは12時にわかるから、12時に来て」と言う。ふっ、やはりな・・・このホテルは12時にチェックアウトが終了するのだ。


とりあえず2度寝して、ゆっくり起きて朝食をとり、チェックアウト期限の11時ぎりぎりにホテルを出て、スーツケースを引きずってジュネーブホテルに移動した。受付のおじさまは、「電話してきた人?12時にならないと空きがわからないんだよな・・・」と言いつつも、私がお腹をすかせた子猫のような目でじっと見つめたら(自分の中のイメージです。実際には今にも呪いをかけそうなヤマンバに見えたのかも)、お掃除担当の人に電話してくれ、空いている部屋を見つけてくれた。いい人だ。

 

そういうわけで、無事にホテル移動が完了。掃除終了後に部屋に入って3度寝した。ホテル移動で体力と気力を消耗したんですもの・・・

 

ジュネーブホテルで滞在した部屋。1泊50ディナール(約1900円)。フランスホテルの部屋より安い分狭いが、Wi-Fiが付いていて便利。


珍しくシャワーカーテンがあるのがポイント高い



14時頃にようやく起きて、よっこらしょと観光に出かける。たまには観光もしなくてはね。

 

私は元来遺跡というものにあまり興味がなく、ヨルダンに1年半余り住んでいたにもかかわらず、世界遺産のペトラ遺跡にも行ったことがない。大昔の人々の暮らしや、彼らが築き上げた文明に対して想像力が働かない性質なのだ。しかも、広い遺跡を長時間歩き回る気合がない。だから今回もカルタゴ遺跡はスルーしようと思っていたのだが、前年にチュニジアを訪れた友人に「カルタゴのトフェの遺跡がすごかったからぜひ見て」と勧められたので、そこだけ見ようと思って出かけた。結果として、「ビュルサの丘」も見ることになったわけだが。トフェの遺跡はカルタゴ遺跡のうちのひとつで、フェニキアの風習によって神への生贄に捧げられた幼児の墓が並んでいるという。

 

ホテル最寄りのバルセロナ駅からメトロ(路面電車なのにこう呼ばれている)でチュニス・マリン駅に出て、郊外電車(TGM)に乗り換える。


イタリアの古いタイプのローカル電車に酷似している。


半時間ほどでカルタージュ・サランボ駅に到着。ここから遺跡までは徒歩で10数分だったと思う。(うろ覚え)


猫のお客がいる商店を見つけたので、水を買って道を聞く。


顔と床の色合いがマッチしている。

 

通りがかりに見かけたブーゲンビリア。ふさふさ



トフェ遺跡の入り口にたどり着いて中を覗くと、こんな風景が広がっていた。遺跡は左奥だが、猫に目が釘付け。


チケット売りの女性によると、トフェ単独のチケットはなく、あちこち回れる12ディナール(460円弱)のカルタゴ遺跡共通券しかないという。しょうがないのでそれを買う。彼女はここで猫数匹を餌付けしているそうで、ここの猫について色々教えてくれた。


彼女は英語も少し話せる。この子猫と大人猫に血縁関係はないそうだ。


エサくれモード


許可をもらって、前日にカルフールで買ったビーフのパウチを振舞う。プラスチックの皿も持参。我ながら準備万端だ。


おかわり~!(もうないよ)


大人猫さんは満腹になってお昼寝モードに。この猫は今妊娠中。前回のお産の時には4匹生んだが、オス猫に食べられてしまって全滅したらしい。残酷物語・・・


一通りお喋りした後、彼女が持ち場に戻ったので、私も本来の目的を遂行することにする。観光しに来たのだった。狭い敷地なのであまり時間はかからない。


フェニキアの人々が神への生贄に捧げた幼児の墓地。一番大事なものを捧げたのだろうか。


私がいる間にやって来た観光客は欧米人の若者2人組だけで、閑古鳥が鳴いていた。




サクッと観光を終えて駅に向かう。日差しが強くて暑いのであまり歩きたくなかったが、まだ日没には間があるし、共通券もあることだし、もう一つくらい遺跡を見るべきだろうと思い、3駅先のカルタージュ・ハンニバル駅から近い「ビュルサの丘」に行くことに決める。

 

カルタージュ・ハンニバル駅。カルタージュ・サランボ駅以上に殺風景で何の表示もなく、世界的観光名所の最寄り駅とはとても思えない。

 

 

地球の歩き方の指示に従い、人気のない坂を上っていく。めずらしく迷わずにたどり着くことが出来た。

 

登りきったところに建っているサン・ルイ教会。

 

ここにはカルタゴ博物館もあるらしいのだが、存在に気が付かなかったことにして、ビュルサの丘の遺跡だけを眺めることにする。

(カルタゴ遺跡についてはこちらを参照してくださいませ。2017年8月の情報なので、チケットの値段等は変わっているが)

 

アラビア語表記は一部剥がれているが、「ビルサの男の埋葬地」と書いてある。ウィキペディア・アラビア語版の情報(これ)によると、紀元前6世紀頃に19~24歳で亡くなった高貴な家柄の若者の墓らしい。

 

趣きのある木が生えていた。もしや松?

 

海が見える遺跡。海、遺跡、青空・・・ここに露天風呂でもあれば完璧か(?)

 

気高くそびえたつ古代の柱。

 

 

ステキな遺跡ね、でも何かが足りないわ。あの小さくて柔らかくてふかふかで愛くるしいアレが・・・

 

キョロキョロしていたらアレが現れた。当然ここにも猫はいるはずだと思ったのだ。見かけたのはこの1匹だけだったが。

 

「何このおばちゃん、ストーカーか?」

 

「どこまでついて来るん、この人」 はいはい、すいませんね。もう帰りますんで。

 

 

 坂を下ってまた電車に乗り、チュニス・マリン駅に出る。そこからホテルにはハビーブ・ブルギバ通りを散策しがてら帰ることにした。これが正解だったようで、通りがかりのお花屋さんのところで、かわいらしい子猫たちに遭遇した。

 

なんなの、この可愛らしさは…君ら下町のアイドルか。

 

シャッターを持ち上げてる?

 

 

猫を眺めつつ歩いているうちに疲れが限界に達したので(昼食抜きだったし)、オープンカフェで休憩した。チュニスのオープンカフェは庶民的なところも多く、値段も安くて気軽に入れる。味もそれなりだが。

 

カフェ・クレームというものを頼んだら、若干泡立ったクリープ入りのネスカフェっぽいものが出てきた。

 

 

コーヒーを飲んで一息つき、ゆったりした気分で何気なく向かいを眺めた時、柵で囲まれて車や通行人が近づけないようになっている、物々しい雰囲気の建物が目に入った。

 

入口のところに「内務省」と書かれている。

 

 

「内務省」・・・

いかん。内務省はいかん。ここ数年チュニスでは大きなテロはないものの、このハビーブ・ブルギバ通りでたまに小さな爆弾テロ事件などがあり、内務省や外国大使館等はその標的になりがちだ。内務省が向かいにあっては、落ち着いてコーヒーを飲んでいられない。

 

というわけで、重い腰を上げて帰り道を急ぐことにした。フランス門の近くのグラン・マガザン(前日と違う方のスーパー)で酒を買って帰る。こちらの店では、レジの脇の別室にワインもビールも置いてあった。ビールはこちらも冷蔵庫に入っていない。

 

 

アムステルの緑色の缶があった。サイズが小さい。

 

支払いを済ませて店を出て、前のホテルの近くの焼肉系の安食堂に行き、熱々のチキンの丸焼き4分の1羽分とサラダをテイクアウトする。フレンチフライとパンが付いて5.5ディナール(約210円)。チキンはローズマリーと塩で味付けされているので、火傷しないように気を付けつつ中の方の味が付いてないところをむしって、野良猫さんたちに振舞いながら帰った。残りはホテルの部屋での私の夕食となる。

 

おすそ分けしたせいで、だいぶ肉が減っている・・・。ローズマリー風味のチキンはとても美味しかった。

 

赤ワインはチュニジア製で色が薄めだが、前に買ったものより美味しかった。一番左のビール「Mützig」はハイネケン系。真ん中の「Berber」がチュニジア製で、味はよく覚えていないが、セルティアよりは少しマシだったような気がする。

 

ああ、長い一日だった・・・(記事も長くてすいません)

 

(続く)

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