1月の末から2月の上旬にかけて、黒海沿岸から内陸部にかけてバスで旅しました。ブルサから出発して、アンカラ(1泊)、アマスヤ(2泊)、トラブゾン(2泊)、リゼ(トラブゾンからの日帰り)、スィワス(1泊)、カッパドキア(2泊)、そしてブルサに戻るという慌しい行程でした。アンカラとスィワスは夜について翌朝すぐに出発したので、全然観光していません。なんでこんなに忙しい旅になってしまったかというと、
(1)黒海沿岸のロシアに近い都市、トラブゾンまで行く
(2)夜行バスを利用しない。体力がないので、夜はホテルで眠りたいから。
(3)なるべく行きと帰りで同じ道を通らない
(4)9日間で回り、学校が始まる前に戻ってくる
などの条件をクリアーするためなのでした。計画を立てているとき、なんか数学の方程式を解いているような気分になりました。数学、苦手だったんですよね。文系なもので。
しかし冬はトルコ旅行の季節じゃないですね。しかもちょうど寒波が来ていたので、黒海沿岸はともかく、内陸部のスィワスでは吹雪いてました。風邪を引かなかったのがとても不思議です。このように寒くて急がしい旅ではありましたが、なかなか楽しかったです。移動生活って癖になるのかもしれませんね。
私は以前にもトルコに3回来たことがあるのですが、毎回約1週間の短期旅行で、そのうち2回はイスタンブルのみの滞在、残りの1回はツアーバスで観光地を回っただけ(イスタンブル、アンカラ、カッパドキア、パムッカレなど)なので、今回の滞在中には、今まで行ったことのない地域に行きたいと思い、黒海沿岸を中心に旅することにしたのです。もっと暖かくなったら、東南部のクルディスタン地域に足を踏み入れたいのですが、今行ったら全身しもやけになっちゃう、と思ってあきらめました。
訪れたなかで、特に印象に残ったアマスヤとリゼ、それにカッパドキアについて書きます。
<ミイラを見るならアマスヤ>
アマスヤはアンカラからバスで8時間くらいのところにある、風光明媚な町です。黒海沿岸の都市サムスンからバスで3時間ほど内陸に入ったところです。町の中央には川がゆるやかに流れており、川沿いには古い民家を改装したホテルや博物館、レストランがならんでいます。
バスがアマスヤに着いたのは夕方6時半で、もう日が暮れているうえ、雨がしとしと降っており、さびしいかんじでした。黒海沿岸地方は雨が多い、と中学生の頃社会科の授業で習ったような気がします。しかも暗くてよくわからないけど、川沿いの山(丘?)には崩れかけた石の城みたいなものがあり、ライトアップされていて、ちょっとコワかった。川沿いのホテルのひとつ、TAHA・OTEL(地球の歩き方に載っている)に泊まりました。この周辺には古い民家を改築した多く、こげ茶色の柱、白い壁が印象的です。TAHA・OTELもそのひとつ。ダブルベッド、テレビ・シャワー付き、トイレが共同の部屋が30TLでした。トルコにはシングルルームはあまり存在しないようで、たいていツインルームに通されます。今回はダブルルームでしたが。シャワーが部屋に付いているのに、トイレは共同というのも、わりとよくあることです。惜しいなあ、トイレが部屋についていたほうが便利なのに!と思いますが、おそらくトルコ人にとっては問題ないのでしょう。
アマスヤの見所といえば、ミイラ博物館(正式名は「博物館‘ミュゼ’」)でしょう。ここの本館では古い貨幣だの土器だのが展示されている、ごく普通の博物館なのですが、庭の別館にミイラが6体展示されているのが特色です。うち4体はご家族らしく、お父さん(なんとかパシャという偉い人)とその愛人のミイラの間に、女の子のミイラと、それよりもさらに小さい男の子のミイラが挟まれて横たわっているという、凝ったレイアウトでした。茶色い骨に、飴色のビニール状の皮膚がしわしわと未練がましく貼りついていて、いかにも不細工でした。白骨のほうがいっそすがすがしいと、私は思うのですが。しかしこのご家族に一体何が起こったのか、今もちょっと気になります。
川のそばの低い山の上にある岩窟墳墓もここの名所です。昨夜はライトアップされていて不気味でしたが、昼間見るとただのさわやかな(?)古墳に見えます。しかし息を切らせながら石段をなんとか登ってみると、古い灰色の石の墓らしきものがあるだけで、しかも中に入れるわけでもなく、なんだ、これなら下から眺めてるだけのほうが楽でよかったかも、とちょっと思いました。その周辺は公園のようになっていて、大勢のトルコ人たちがタバコを吸ったり、家族でピクニックをしたりして憩っており、のどかな行楽地というかんじでした。見晴らしも良く、川(イェシル川)や、その向こうに並んだ家々、さらにその背後にある丘が見渡せます。家々の煙突から上がる煙のせいで淡く靄がかかったその風景を眺めていると、不思議に心が安らぎました。
アマスヤにはトルコ人観光客が多かったです。外国人の姿は見かけませんでした。観光シーズンでないせいでしょうか。アマスヤはこのようにミイラも古墓もある、実に趣き深いところなのですが、どうも観光地としての知名度が低いようです。宣伝が足りないのかもしれません。市の観光局、がんばってほしいです。
<お茶の町リゼ>
リゼにはトラブゾンから日帰りで行きました。本当はその日、トラブゾン近郊のスュメラ修道院に行くつもりだったのですが、バスがいっぱいだったので、あきらめてリゼに行くことにしたのです。リゼは黒海沿岸の紅茶の名産地です。トラブゾンからバスで1時間15分でした。
街の中心の広場には巨大なティーポットとティーカップのモニュメントがあります。私は京都のお茶の産地の出身なので、こういうものをみると心が躍ります。ああカメラを持っていれば写真を撮って日本の両親に送ってあげられるのに、と残念に思いました。いまどきカメラを持ってないのは私だけなのでは。広場から坂を少し上ると、民芸風の建物の、お茶博物館があります。係のおじさんに閉まっていたドアを開けてもらい、中に入ると、お茶の製造に使われていた古い道具などが展示してありました。ステキ、ああカメラがあれば、とまた思いつつゆっくり見て回りました。係のおじさんはわたしの後を付いて回るけど、目が合いそうになるとそらすのでした。恥ずかしがり屋さんなのかもしれませんね。この博物館は無料でした。
ここの向かいにも別のお茶博物館があり、こちらも似たようなものが展示あって、入場無料でした。ここも客は私だけでした。カフェテリアがあったので、チャイを注文し、係員のおじ様たちと一緒にテラスのテーブルに座って飲みました。彼らによると、リゼに観光客が来るのは夏であり、今は冬だから少ない、とのことでした。そらそうやわね、海辺の観光地やもんね。日本にもお茶はあるのか、などという、こちらの意表をつく質問を適当にかわしながらチャイを飲み終え、代金を払おうとすると、おごりだと言われました。リゼっていいところです。ちなみにチャイの味はごく普通で、特別においしくてはっとする、ということはなかったです。
この双子のお茶博物館を後にして、さらに坂をしばらく登りきったところに、ちいさな植物園(ホントに小さい)を併設した、オープンカフェがありました。ここからは茶畑や黒海が見渡せました。茶畑なんて久しぶり。ここまで来たのだから座ってお茶を飲むべきだろう、さっき飲んだばかりだけど、と思いながらうろうろしていたら、休憩中のウエイターが手招きしてくれたので、寄っていって彼のテーブルに座り、またチャイをご馳走になりました。彼は結婚して子持ちだが、まだまだ遊びたい盛りで(でも40代)、リゼは退屈でしょうがない、夕方には店が全部閉まっちゃうし、とかぼやくので、確かに穏やかで平和そうな町だけどちょっと退屈かもしれないねえ、と思い、うんうんうなずいておく。「ところで日本人と韓国人はなぜ一人で旅をするんだ?」と質問されたけど、わたしのトルコ語力では返事するのが難しかった。この旅行中、カッパドキア以外では、英語を喋る人にめったに出会いませんでした。トルコ語をがんばって上達して、いつか彼らとスムーズに話せるようになりたいな。
<カッパドキアはヘンなところ>
カッパドキアはトルコにおいて、特殊な場所だと思います。まず風景がヘン。変ですよね、あの妙な形の岩ばっかりある谷。世界の終わりみたいです。そしてあそこで働いている人々もヘン。だってトルコ人なのにみんな英語をしゃべるんですよ。いや不思議な場所です。さすがメジャーな観光地なだけあります。物価も高いし。
今回私はギョレメに2泊しましたが、夕方到着して、翌々日の朝には出発したので、実質1日しか観光していません。カッパドキアにはその昔ツアー旅行で来て、バスで洞窟教会だの地下街だのを慌しく回ってとても疲れた覚えがあるので、今回は午前中ギョレメをちょっと散歩し、あとは午後にバスに乗ってすぐのウチュヒサルに行き、城塞(カレ)に登るだけにとどめました。残った時間はホテルでだらだらしていました。だって雪が積もってて、30分も外にいると凍えそうになるんですもの。
降り積もった純白の雪のせいで、ギョレメのあの異形の岩たちが並ぶ谷間は、妙にラブリーな感じになっていました。冷たい風に吹かれながら、サクサクした雪を踏みしめて坂を上り、青空のもとで谷を見下ろしていると、不思議な感慨に打たれました。ここでしばらく待っていると、天からの啓示が降りてくるかもしれない、という気になるのです。完全に気のせいでしたが。
ウチュヒサルの城塞(カレ)は、崩れた台形のような奇妙な形の巨大な岩で、表面には無数の穴がぼこぼことあいています。これはもう宮崎駿の世界です。入場料を払って頂上に登ると、ここからもギョレメの谷が見下ろせました。見れば見るほど奇妙な風景です。ずっと見ていたい、と思いましたが、あまりに寒いのであきらめてすぐ降りました。
カッパドキアには日本人女性を専門(だと思う)にナンパをするトルコ人の若者が大勢いるようです。わたしも何人かに声をかけられました。道を歩いてると、レストランやホテル、みやげ物屋やレンタカー事務所で働く男性たちが英語で喋りかけてきて、日本人ですか、寒いからここで一緒にアップルティー(エルマチャイのこと)を飲みませんか、と誘うのです。わたしに声をかけるなんて君たち15年早いんだよ、と思うのですが、寒いのでつい一緒についていってお茶ををいただいてしまうのでした。お茶を飲んでいると、君は独身なの?よければこの後一緒においしいカッパドキアワインを飲みに行かない?ごちそうするよ!などとこちらの煩悩を直撃するような言葉で誘惑してくるのです。この人達わたしが酒飲みなのを知ってるのでは?どきどき。ウチュヒサルのバス停前のみやげ物屋のお兄ちゃんなどは、「よかったらこれから僕の車で温泉に行かないか、そのあとカッパドキアのワインを飲んで、おいしい魚料理を食べよう、全部僕がおごるから」などと悪魔のようにささやくのでした。温泉、ワイン、魚ですよ、あなた。ああうっとり。結局はさくっと断って退散するのですがね。だってタダより高いものはないと言いますし。
今回の旅行中に、自分にとってトルコとはなにか、考えをまとめようと思ったのですが、失敗に終わりました。考えをまとめるのって難しいですね。もう少し時間が必要なようです。
(1)黒海沿岸のロシアに近い都市、トラブゾンまで行く
(2)夜行バスを利用しない。体力がないので、夜はホテルで眠りたいから。
(3)なるべく行きと帰りで同じ道を通らない
(4)9日間で回り、学校が始まる前に戻ってくる
などの条件をクリアーするためなのでした。計画を立てているとき、なんか数学の方程式を解いているような気分になりました。数学、苦手だったんですよね。文系なもので。
しかし冬はトルコ旅行の季節じゃないですね。しかもちょうど寒波が来ていたので、黒海沿岸はともかく、内陸部のスィワスでは吹雪いてました。風邪を引かなかったのがとても不思議です。このように寒くて急がしい旅ではありましたが、なかなか楽しかったです。移動生活って癖になるのかもしれませんね。
私は以前にもトルコに3回来たことがあるのですが、毎回約1週間の短期旅行で、そのうち2回はイスタンブルのみの滞在、残りの1回はツアーバスで観光地を回っただけ(イスタンブル、アンカラ、カッパドキア、パムッカレなど)なので、今回の滞在中には、今まで行ったことのない地域に行きたいと思い、黒海沿岸を中心に旅することにしたのです。もっと暖かくなったら、東南部のクルディスタン地域に足を踏み入れたいのですが、今行ったら全身しもやけになっちゃう、と思ってあきらめました。
訪れたなかで、特に印象に残ったアマスヤとリゼ、それにカッパドキアについて書きます。
<ミイラを見るならアマスヤ>
アマスヤはアンカラからバスで8時間くらいのところにある、風光明媚な町です。黒海沿岸の都市サムスンからバスで3時間ほど内陸に入ったところです。町の中央には川がゆるやかに流れており、川沿いには古い民家を改装したホテルや博物館、レストランがならんでいます。
バスがアマスヤに着いたのは夕方6時半で、もう日が暮れているうえ、雨がしとしと降っており、さびしいかんじでした。黒海沿岸地方は雨が多い、と中学生の頃社会科の授業で習ったような気がします。しかも暗くてよくわからないけど、川沿いの山(丘?)には崩れかけた石の城みたいなものがあり、ライトアップされていて、ちょっとコワかった。川沿いのホテルのひとつ、TAHA・OTEL(地球の歩き方に載っている)に泊まりました。この周辺には古い民家を改築した多く、こげ茶色の柱、白い壁が印象的です。TAHA・OTELもそのひとつ。ダブルベッド、テレビ・シャワー付き、トイレが共同の部屋が30TLでした。トルコにはシングルルームはあまり存在しないようで、たいていツインルームに通されます。今回はダブルルームでしたが。シャワーが部屋に付いているのに、トイレは共同というのも、わりとよくあることです。惜しいなあ、トイレが部屋についていたほうが便利なのに!と思いますが、おそらくトルコ人にとっては問題ないのでしょう。
アマスヤの見所といえば、ミイラ博物館(正式名は「博物館‘ミュゼ’」)でしょう。ここの本館では古い貨幣だの土器だのが展示されている、ごく普通の博物館なのですが、庭の別館にミイラが6体展示されているのが特色です。うち4体はご家族らしく、お父さん(なんとかパシャという偉い人)とその愛人のミイラの間に、女の子のミイラと、それよりもさらに小さい男の子のミイラが挟まれて横たわっているという、凝ったレイアウトでした。茶色い骨に、飴色のビニール状の皮膚がしわしわと未練がましく貼りついていて、いかにも不細工でした。白骨のほうがいっそすがすがしいと、私は思うのですが。しかしこのご家族に一体何が起こったのか、今もちょっと気になります。
川のそばの低い山の上にある岩窟墳墓もここの名所です。昨夜はライトアップされていて不気味でしたが、昼間見るとただのさわやかな(?)古墳に見えます。しかし息を切らせながら石段をなんとか登ってみると、古い灰色の石の墓らしきものがあるだけで、しかも中に入れるわけでもなく、なんだ、これなら下から眺めてるだけのほうが楽でよかったかも、とちょっと思いました。その周辺は公園のようになっていて、大勢のトルコ人たちがタバコを吸ったり、家族でピクニックをしたりして憩っており、のどかな行楽地というかんじでした。見晴らしも良く、川(イェシル川)や、その向こうに並んだ家々、さらにその背後にある丘が見渡せます。家々の煙突から上がる煙のせいで淡く靄がかかったその風景を眺めていると、不思議に心が安らぎました。
アマスヤにはトルコ人観光客が多かったです。外国人の姿は見かけませんでした。観光シーズンでないせいでしょうか。アマスヤはこのようにミイラも古墓もある、実に趣き深いところなのですが、どうも観光地としての知名度が低いようです。宣伝が足りないのかもしれません。市の観光局、がんばってほしいです。
<お茶の町リゼ>
リゼにはトラブゾンから日帰りで行きました。本当はその日、トラブゾン近郊のスュメラ修道院に行くつもりだったのですが、バスがいっぱいだったので、あきらめてリゼに行くことにしたのです。リゼは黒海沿岸の紅茶の名産地です。トラブゾンからバスで1時間15分でした。
街の中心の広場には巨大なティーポットとティーカップのモニュメントがあります。私は京都のお茶の産地の出身なので、こういうものをみると心が躍ります。ああカメラを持っていれば写真を撮って日本の両親に送ってあげられるのに、と残念に思いました。いまどきカメラを持ってないのは私だけなのでは。広場から坂を少し上ると、民芸風の建物の、お茶博物館があります。係のおじさんに閉まっていたドアを開けてもらい、中に入ると、お茶の製造に使われていた古い道具などが展示してありました。ステキ、ああカメラがあれば、とまた思いつつゆっくり見て回りました。係のおじさんはわたしの後を付いて回るけど、目が合いそうになるとそらすのでした。恥ずかしがり屋さんなのかもしれませんね。この博物館は無料でした。
ここの向かいにも別のお茶博物館があり、こちらも似たようなものが展示あって、入場無料でした。ここも客は私だけでした。カフェテリアがあったので、チャイを注文し、係員のおじ様たちと一緒にテラスのテーブルに座って飲みました。彼らによると、リゼに観光客が来るのは夏であり、今は冬だから少ない、とのことでした。そらそうやわね、海辺の観光地やもんね。日本にもお茶はあるのか、などという、こちらの意表をつく質問を適当にかわしながらチャイを飲み終え、代金を払おうとすると、おごりだと言われました。リゼっていいところです。ちなみにチャイの味はごく普通で、特別においしくてはっとする、ということはなかったです。
この双子のお茶博物館を後にして、さらに坂をしばらく登りきったところに、ちいさな植物園(ホントに小さい)を併設した、オープンカフェがありました。ここからは茶畑や黒海が見渡せました。茶畑なんて久しぶり。ここまで来たのだから座ってお茶を飲むべきだろう、さっき飲んだばかりだけど、と思いながらうろうろしていたら、休憩中のウエイターが手招きしてくれたので、寄っていって彼のテーブルに座り、またチャイをご馳走になりました。彼は結婚して子持ちだが、まだまだ遊びたい盛りで(でも40代)、リゼは退屈でしょうがない、夕方には店が全部閉まっちゃうし、とかぼやくので、確かに穏やかで平和そうな町だけどちょっと退屈かもしれないねえ、と思い、うんうんうなずいておく。「ところで日本人と韓国人はなぜ一人で旅をするんだ?」と質問されたけど、わたしのトルコ語力では返事するのが難しかった。この旅行中、カッパドキア以外では、英語を喋る人にめったに出会いませんでした。トルコ語をがんばって上達して、いつか彼らとスムーズに話せるようになりたいな。
<カッパドキアはヘンなところ>
カッパドキアはトルコにおいて、特殊な場所だと思います。まず風景がヘン。変ですよね、あの妙な形の岩ばっかりある谷。世界の終わりみたいです。そしてあそこで働いている人々もヘン。だってトルコ人なのにみんな英語をしゃべるんですよ。いや不思議な場所です。さすがメジャーな観光地なだけあります。物価も高いし。
今回私はギョレメに2泊しましたが、夕方到着して、翌々日の朝には出発したので、実質1日しか観光していません。カッパドキアにはその昔ツアー旅行で来て、バスで洞窟教会だの地下街だのを慌しく回ってとても疲れた覚えがあるので、今回は午前中ギョレメをちょっと散歩し、あとは午後にバスに乗ってすぐのウチュヒサルに行き、城塞(カレ)に登るだけにとどめました。残った時間はホテルでだらだらしていました。だって雪が積もってて、30分も外にいると凍えそうになるんですもの。
降り積もった純白の雪のせいで、ギョレメのあの異形の岩たちが並ぶ谷間は、妙にラブリーな感じになっていました。冷たい風に吹かれながら、サクサクした雪を踏みしめて坂を上り、青空のもとで谷を見下ろしていると、不思議な感慨に打たれました。ここでしばらく待っていると、天からの啓示が降りてくるかもしれない、という気になるのです。完全に気のせいでしたが。
ウチュヒサルの城塞(カレ)は、崩れた台形のような奇妙な形の巨大な岩で、表面には無数の穴がぼこぼことあいています。これはもう宮崎駿の世界です。入場料を払って頂上に登ると、ここからもギョレメの谷が見下ろせました。見れば見るほど奇妙な風景です。ずっと見ていたい、と思いましたが、あまりに寒いのであきらめてすぐ降りました。
カッパドキアには日本人女性を専門(だと思う)にナンパをするトルコ人の若者が大勢いるようです。わたしも何人かに声をかけられました。道を歩いてると、レストランやホテル、みやげ物屋やレンタカー事務所で働く男性たちが英語で喋りかけてきて、日本人ですか、寒いからここで一緒にアップルティー(エルマチャイのこと)を飲みませんか、と誘うのです。わたしに声をかけるなんて君たち15年早いんだよ、と思うのですが、寒いのでつい一緒についていってお茶ををいただいてしまうのでした。お茶を飲んでいると、君は独身なの?よければこの後一緒においしいカッパドキアワインを飲みに行かない?ごちそうするよ!などとこちらの煩悩を直撃するような言葉で誘惑してくるのです。この人達わたしが酒飲みなのを知ってるのでは?どきどき。ウチュヒサルのバス停前のみやげ物屋のお兄ちゃんなどは、「よかったらこれから僕の車で温泉に行かないか、そのあとカッパドキアのワインを飲んで、おいしい魚料理を食べよう、全部僕がおごるから」などと悪魔のようにささやくのでした。温泉、ワイン、魚ですよ、あなた。ああうっとり。結局はさくっと断って退散するのですがね。だってタダより高いものはないと言いますし。
今回の旅行中に、自分にとってトルコとはなにか、考えをまとめようと思ったのですが、失敗に終わりました。考えをまとめるのって難しいですね。もう少し時間が必要なようです。