外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(27)~フィレンツェ5日目・最終日~

2020-09-21 08:00:10 | イタリア

 

フィレンツェ滞在5日目は、移動を翌日に控えた最終日だった。

 

この日は中国人の友達のお家でランチをご馳走になり、夜は滞在先の友人と外食して、最後の晩餐を楽しんだ。

 

ランチをご馳走してくれた友達は、チェントロ(中心部)から少し外れた地域に住んでいる。方向音痴なので少し迷ったが、通りがかりの親切なおじ様に道案内してもらったりして、なんとかたどり着いた。

 

この友達とは、かつて私がフィレンツェに住んでいた頃、最初に通ったイタリア語教室で知り合ったのだが、その後彼女はこの地で結婚して離婚し、衣料品店を1人で切り回し、中学生と小学生の娘2人を育てている。考えてみれば、彼女の人生がこんなに変化しているのに、その間私の人生はあんまり変わらなかったな・・・住む場所はガンガン変わったが。彼女はずいぶん年下だが、いつも母親のように私のことを心配してくれていて、ちゃんとご飯を食べているか(食べている)、夜眠っているか(昼眠ってる)、仕事はあるか(少しはある)などとよく質問される。

 

着いたら、彼女は食事を用意してくれていた。まず、娘さんたちがアパートを案内してくれる。子供部屋、寝室、バスルーム・・・初めて家に来る人に一通り案内して回るのは、イタリアではよくあることだが、中国でもそうなのかな?

 

上の子はしっかり者でハキハキ喋り、下の子はおっとりしていてはにかみ屋さん。上の子の将来の夢はピアニストで、下の子のはデザイナーになりたいそうだ。子供は夢があっていいわね・・・

 

 

台所では、友達が手打ちうどんを作ってくれていた。

 

 

中国人には麺や餃子、肉まんなどを生地から気軽に手作りする人が多い。そういえば、ヨルダンで仲良くしていた台湾人の友達は、手作りの餃子をご馳走してくれた。私はいつも食べるだけの役だ。蕎麦を打ったり、寿司を握ったりできれば良かったのだが・・・

 

 

 

 

スープは前日に用意してくれたという。オリーブオイルで炒めた牛肉、人参、玉ねぎ、いんげんが入っていて、塩と酒だけのシンプルな味付けだが、味わい深かった。手打ちうどんも、モチモチしていて美味しい。

 

 

 

 

彼女は基本的に酒を飲まないのだが、私のためにビールとワインを用意してくれていた。みんな私に酒を飲ませてくれる。

 

子供たちは先に食べ終わって、子供部屋に引き上げていった。私たちは食後のカフェ(エスプレッソ)を飲みながら、さらにお喋りする。お店でコーヒー豆を買って挽いてもらったそうで、香り高く、しっかり濃かった。彼女は喋りながら常に手を動かして、皿を洗ったり、台を拭いたりしている。働き者なのだ。

 

別れ際、友達は色々お土産を持たせてくれた。翌日の移動の際に電車の中でお腹が空いたときのために用意したというサラミやチーズなどだ。量が多くてずっしり重いし、そもそも私はあまり食べないのだが、ありがたく受け取っておいた。なんだか、ものすごく「もてなされた」という感じがした。他の友達も皆優しくて、フィレンツェでは柔らかい羽根布団にくるまれて昼寝しているような気分だった。

 

腹ごなしを兼ねて少し歩き、アルノ川でゆりかもめを見かけたのでパンくずを投げてみたが、無視された・・・

 

 

 

 

少し歩いたらすぐ疲れたので、トラムに乗ろうとしたが、小銭がなくて券売機でチケットが買えなかったので、近くのバールでプロセッコ(ヴェネト州の発泡ワイン)を飲んでお金を崩した。そこのバリスタは、非常に感じのいいイタリア人男性で、かつて日本人女性と結婚して3か月東京などで暮らした経験があると言っていた。その後どうなったのかは聞かなかったが、彼がフィレンツェで働いていることを思えば、結婚生活はうまくいかなかったのだと推察される。「よかったら、今度一緒にアペリティーヴォ(食前酒)でも飲みに行きましょう」と誘ってくれたので、翌日出発なのだと説明したら、「そうか。じゃあ、良い旅を!」と爽やかな笑顔で見送ってくれた。彼は日本でモテただろうな。

 

トラムとバスを乗り継いで帰り、少し昼寝した。昼間から友達と会って、酒を飲んで昼寝するのって、幸せなことである。

 

目覚めてから、スーツケースに荷物を詰めてみた。スペースは問題ないが、本やエスプレッソの粉、その他の土産類を買いこんだせいで、確実に重くなっている。これをマテーラまで運んだら、ぎっくり腰にならないだろうか・・・

 

夕方また出かけて、友人と待ち合わせているポンテヴェッキオの近くの店「le volpi e l'uva」(=キツネと葡萄)に徒歩で向かった。ここはエノテカ(ワイン屋)で、ワインを買うだけではなく、店内や店の前のテーブル席でワインとワインに合う料理を楽しむことができる。

 

お店のホームページ。なんと日本語版がある。

http://www.levolpieluva.jp/

 

 

川沿いを歩いていたら、大きな鳥を発見。サギ系?

 

 

鴨たちもいた。

 

 

7時半に待ち合わせだったのだが、店を「il Gatto e la Volpe」(=猫とキツネ)と勘違いして道を間違え、少し遅れた。この2店はいつも混同してしまうのだ。なんとか無事に「キツネと葡萄」の方にたどり着き、友人と会うことができたものの、店は満席で、なかなかテーブルが開かなかった。繁盛しているのだ。

 

 

 

 

ようやく屋外の席が空いて座ることができ、ワインと料理を注文する。料理の選択は友人まかせ。ワインは種類が多くてよくわからないので、お店の人に聞きつつ適当に選んだ。

 

フラッシュを焚いたら、不気味な写真になった・・・隣に座った大きな犬がかわいかった。

イタリアでは、犬を連れてメルカート(市場)で買い物したり、テラス席で外食したりする人をよく見かける。

 

 

友人が選んでくれた料理は、フィレンツェ産のサラミや、ラルド(豚の背脂、おそらくコロンナータ産)などの盛り合わせと、トリュフ風味のサルシッチャとチーズのクロストーネ(パンに具をのせた「クロスティーニ」の大きめのやつ)。どれも美味しい。繁盛するわけだ。

 

この店は閉店が9時と早かったので、2軒目にスタイリッシュなバーに行って、お洒落だがアルコール度の低そうなカクテルを1杯ずつ飲んだ。間接照明の薄暗い空間で、白衣を着たマニアックそうなお兄さんが奇妙な名前のカクテルをシャカシャカ作ってくれるのだ。友人はシックでエレガントな装いなので問題ないが、私は完全に場違いだったはず。

 

 

 

 

家に帰ってから、友人は自室に引き上げ、私はさらにワインを飲んで、ハムの残りを消費しつつ、日記を書くなどした。翌日は南部バジリカータ州のマテーラまで長距離移動するから、がんばらなければ・・・

 

(続き)

 

 

 

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(26)~フィレンツェ4日目~

2020-09-12 15:36:59 | イタリア

 

 

フィレンツェ滞在4日目は、かつてお世話になった女性のお宅を訪問し、付近のリストランテで昼食をご馳走になった。

 

この知人にはフィレンツェに住んでいた時期、彼女が経営している会社でたまにバイトさせてもらったり、当時の自宅で一時期掃除の仕事をさせてもらったりしたのだ。バイトをやめてフィレンツェを離れた後も、この街を訪れる度にご挨拶に伺っているのだが、毎回どこかのお店や自宅でご飯を食べさせてくれる。私の顔を見ると、「あ、何か美味しいものを食べさせなきゃ」と思うのだろうか。ありがたいことである。

 

知人が現在住んでいるのは、チェントロ(歴史的中心地区)のドゥオーモ広場に面する建物の中にあるマンションで、窓からドアップでドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)が拝めるという、ちょっとありえないようなロケーションの豪邸だ。フィレンツェのシンボルであるドゥオーモのすぐ隣で、観光地のど真ん中っていう。初めて行ったわけではないが、久しぶりだし、せっかくの機会なので、窓やロッジア(開廊)からの風景を撮影させてもらった。旦那さんは仕事でパリにいるということで、この時は不在だった。

 

 

窓からドゥオーモの側面とジョットの鐘楼が見える

 

 

緑豊かなロッジア。屋根があって、建物の正面の側が開いている。ここで夕暮れ時にアペリティーヴォ(食前酒)を飲みたい。

 

 

テラコッタのプランターをミニライオンが支えていた。かわいい。

 

 

ネットを張った開口部から、ドゥオーモがアップで迫る。

 

 

拡大してみると、こんな牛の像も見えると教えてもらった。

 

 

地元の中学生のグループがある日このお宅にやってきてチャイムを鳴らし、課外授業のため、ぜひお宅からドゥオーモを観察させてほしいと頼んだことがあったらしい。知人が承諾すると、子供たちがぞろぞろと中に入ってきて、ドゥオーモの観察を始めたという。イタリアの学校にも社会見学はあるのだ。

 

 

ちなみに、反対側のバルコニーからは、周りの住宅が見える。どこも豪邸ぞろいだ。

 

 

 

お宅を見学させたもらった後は、マンションのそばの、やはりドゥオーモ広場にあるリストランテ・ピッツェリーアで昼食をとった。

 

 

「ラ・ボッテーガ・ディ・ドナテッロ」(ドナテッロの工房)という店だ。

 

 

観光客も地元客もいる。

 

 

まず、アンティパスト(前菜)に生ハムメロンを取ってシェアした。生ハムもメロンも美しくてテンションが上がる。

 

 

 

プリモ(1皿目)は、私はラヴィオリにした。知人はピッツァ・マルゲリータ。

 

バジリコさんは奥ゆかしく隠れておられる。

 

 

どれも美味しかったことは、言うまでもない。2人ともプリモで満腹してしまって、セコンド(2皿目のメイン)まで行きつけなかった。もっと胃が大きければ・・・まあ、結局私は酒があればいいんだが。ワインも美味しかった。飲みすぎた。

 

隣のテーブルの観光客の女性2人連れがフィレンツェ名物のビステッカ・アッラ・フィオレンティーナを食べていたので、写真を撮らせてもらった。

 

「写真?どうぞどうぞ!この角度のほうが撮りやすいかしら?」と言って、お皿の向きを変えてくれたりして親切だった。彼女たちも、ビステッカを前にして観光気分が盛り上がっているようだった。そりゃそうだろう。

 

 

食事中、足元をすずめたちがウロウロしていたので、知人と2人してパンくずを投げまくったら、お店の人に怒られた・・・

 

ブランコに乗りつつ(?)上で待機している子もいた。

 

 

 

また遊びに行きたいが、コロニャのせいでどうなるかわからない。コロニャめ・・・

 

 

(続く)

 

 

 

 

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(25)~フィレンツェ3日目~

2020-09-08 16:16:23 | イタリア

 

 

フィレンツェ滞在3日目は、友達と会ってランチしたり、カッシーネ公園を散歩したりして過ごした。

 

 

朝、仕事に出かける友人と一緒に家を出て、老舗のバールでカプチーノを飲んだ。バリスタのおじ様と常連客の女性の会話が、テンポが速くて小気味いい。これぞイタリアのバール、という感じだ。でもなかなか耳がついていかない・・・

 

 

美しいカプチーノ。友人におごってもらった。朝食にフルーツも出してもらったし、甘えっぱなしだ。

 

 

ここのバリスタのおじ様は私がフィレンツェの後に旅する予定の南部バジリカータ州の出身だから、現地情報をもらえるかもしれないということで、友人がわざわざ連れてきてくれたのだが、彼は特に地元の観光情報には詳しくないようだった。まあ、そんなものだろう。

 

仕事に行く友人と別れて、いったん家に戻ってパソコンで作業し、午後の早い時間にまた出かけて、ウクライナ人の友達と会った。彼女とはフィレンツェに滞在していた当時、移民用のイタリア語の無料講習会(EUだかトスカーナ州だかが資金提供)で出会ったので、もう15年くらいの付き合いになる。彼女はその後フィレンツェの男性と結婚して、こちらで根を下ろして生活している。

 

レプッブリカ広場のフェルトリネッリ書店で待ち合わせた。彼女は私よりもけっこう年上なのだが、久しぶりに会ってみたら、以前より痩せて、若返った印象だった。元気そうに見えたが、本人によると体調が悪くて、肉もパスタも断っているらしい。毎日何を食べるかが悩みの種だとのこと。

彼女が行ったことがないというので、前日も行ったメルカート・チェントラーレ(中央市場)付近のピザ・フォカッチャ屋さん「BONDI」でランチをとることにした。何にしようか2人で迷っていたら、地元の常連客らしき女性が、「フォカッチャサンドはフィレンツェの名物で、ここのケースに並んでいる具もフィレンツェらしいものばかりなのよ」と教えてくれた。それで、この日は初めてフォカッチャサンドを食べてみることにして(いつもはサルシッチャのピザ一択)、イチジクと生ハムを挟んだフォカッチャを選んだ。飲み物はキャンティーをグラスで頼んだ。3ユーロ。友人は「INZIMINO」(インジミーノ)のサンドを頼んだ。インジミーノは、ほうれん草かビエトラ(フダンソウ)とイカなどのトマト風味の炒め煮で、リグーリア料理ともトスカーナ料理とも言われる。ちなみに、ZIMINO(ジミーノ)は「濃厚なソース」という意味で、アラビア語の「太っている」という意味の形容詞「サミーン」(سمين)が語源だとイタリア語のレシピに書いてあったが、ホントかな?

 

 

甘いイチジクと塩辛い生ハムのフォカッチャサンド。イチジク、掘り出して別に食べたかった。

 

 

インジミーノのサンドイッチ。ネットから拝借した写真。友人が食べたものの写真は撮り損ねた。

 

 

「BONDI」のピザやフォカッチャの写真が見られるサイト。見てたら、また食べたくなってきた。

https://madtrip.co/gallery/67/10-panini-da-provare-a-firenze

 

イタリア各州の郷土料理を日本語で紹介するサイト

http://lacucinaregionale.com/regioni/toscana/menu

 

 

彼女のお姑さんに対する愚痴などを聞きながら、美味しく食べた。何人であろうと、国際結婚は色々大変なようだ。(他人事)

 

 

食後は、暑い中を20分くらい歩いてカッシーネ公園まで行き、さらに広い公園の中を延々と歩いた。途中で行き倒れるかと思ったが、湿度が低いので、木陰は涼しくて助かった。

 

カッシーネ公園

 

 

公園の中を通っている広い道路の脇の草地には、ところどころに少人数の黒人男性のグループが座っていた。イスラム式のお祈りをしている人もいたので、セネガル人かもしれない。公園の脇を流れているアルノ川ではユリカモメを見かけたが、パンを持っていなかったので餌付けできなかった。私としたことが、不覚・・・ヌートリアは見かけなかった。最近、ヌートリアはあまりいないらしい。

 

 

ヌートリアはこういうやつ。(ネットから拝借した写真)

 

 

夕方になり、買い物に行くという友達と別れてバスでチェントロに戻り、中国人の友達が経営している衣料品店に顔を出して、ひとしきりおしゃべりしてから帰った。フィレンツェにいる私の友達は、日本人と外国人が大半なのだ(そもそも数が少ないが)。イタリア人の友達もいることはいるが、今回は滞在日数が短くて会えなかった。

 

ドゥオーモの前を通ったら、観光客の列があった。

 

 

ネプチューンの噴水がなんだか涼し気にみえた。暑い日だったのだ。

 

 

サンタマリア・ヌオーヴァ病院。かつて酔っ払って意識を失って、救急車で運び込まれたところだ。その節はお世話になりました・・・

 

 サンタ・クローチェ教会。この教会前の広場も、私にとっては鳩スポット。

 

 

スーパー「コナド」で安い切り落としのハムやチーズなどを買って帰り、簡単な夕食を取った。家の主の友人も途中から合流し、一緒にワインを飲みながらお喋りした。

 

適当な夕食だが、こういうのもけっこう好き。

 

 

この日はあまり写真を撮らなかった。フィレンツェはかつて5年暮らした街であり、友人宅に滞在して色々助けられ、外でも昔からの友達に会ってお喋りして過ごしているので、あまり「旅」という感じがせず、写真を撮りたいという気も起らない。ここは私にとって、旅と日常の間くらいの空間、私を優しく受け入れてくれる人達がいる懐かしい古巣。1人で行動する時のような旅の深さはないが、ここでゆっくり休憩して、この後の南部への旅のために体力と気力を養っておこうと思う。

 

(終わり)

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