外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(35)~トルコからイタリアに移動+イランの絵本編~

2024-12-29 16:58:19 | トルコ

 

この日はトルコからイタリアに移動。トルコのLCCアナドルジェットを利用して、イスタンブールのアジア側にあるサビハギョクチェン空港からイタリア北部のミラノに近いベルガモ・オーリオ・アル・セーリオ空港に飛び、シャトルバスでミラノ駅に出て鉄道でフィレンツェ入りした。

 

本来の計画では、トリノに寄って2泊し、エジプト博物館などを観光してからフィレンツェに移動するつもりだったのだが、ヨルダンとトルコを回った後でかなり疲れていて、これまで訪れたことのないトリノで宿探しをする気合がなく、しかもすでに予算をオーバーしていて、物価の高いイタリアで観光する金銭的余裕もあまりなかったので、結局トリノはあきらめ、ミラノから直接フィレンツェに移動したのだ。

 

なお、トリノのエジプト博物館は、収蔵品の価値と数において、本場カイロの博物館の次に重要なエジプト博物館らしい。いつか行けるといいな…イタリア国内には訪れたことがなくて気になっている地方・街がたくさんあるので、もうちょっと観光したいものだ。いつかお金持ちになったら(なる予定ないけど)。

 

今回利用したアナドルジェットは、トルコ航空傘下のLCC。LCCなのでトルコ航空とは違って、イスタンブール空港ではなくサビハギョクチェン空港からの出発。午前発なので、朝は余裕を持って5時に起床した。5時って夜中やん…睡眠不足の状態でふらふらしながら荷造りし、6時にホテルをチェックアウトした。

 

私はこれまで、イスタンブールでヨーロッパ側の旧市街からアジア側のサビハギョクチェン空港に行く際、いつもエミニョニュからフェリーでアジア側のカドゥキョイに出て、そこから空港までバスに乗っていたのだが、今回は早朝の移動でフェリーの始発より早かったので(エミニョニュ→カドゥキョイ便は朝7時半頃から)、イェニカプまで歩いて、そこからマルマライ(ボスポラス海峡を横断する海底鉄道トンネルを通る地下鉄)に乗車した。アイルルック・チェシュメスィ(Ayrılık Çeşmesi )でメトロ(M4)に乗り換えてカドゥキョイで降り、空港バスに乗る。

 

マルマライに乗ったのはこれが初めて。下調べが不十分だった上、極度の方向音痴なので、イェニカプ駅にたどり着くまでけっこう迷った。睡眠不足でぼやけた頭で、何とか乗り換えてカドゥキョイに着いたものの、空港バス乗り場が移転していて、またスーツケースを引きずりながらうろうろする羽目になった。旅行って、たいへんだなあ…

 

なお、2022年10月にはM4の路線が伸びて、カドゥキョイからサビハギョクチェン空港に地下鉄でたどり着けるようになったらしい。私が行ったのは同年7月だったから、3か月早かったのだな。

 

やっと空港バス乗り場に到着

 

 

カドゥキョイからサビハギョクチェン空港までは約1時間で、8時過ぎに到着した。間に合わないかと思って焦ったが、9時55分発だから余裕だった。やれやれ…

 

 

 

 

アナドルジェットのチェックインは、端末で搭乗券をプリントアウトしてからカウンターに行って、荷物だけ預け入れる方式になっていた。カウンターの人も、その辺にいるスタッフも、英語を話せたのでビックリ。トルコの空港は、いつの間に英語が通じるようになったのか。

 

空港のシミットは超高級なので、当然持参した。

 

 

予定時刻に搭乗手続きが開始して、予定通りに離陸。約3時間の空の旅だ。但し、時差がマイナス1時間だったので(時期によってはマイナス2時間)、ベルガモの空港に到着したのは正午頃だった。

 

アナドルジェットはLCCだが、軽食と飲み物が出た。さすがトルコ航空傘下だけある。

オレンジジュースと水と、トマトとチーズのサンドイッチ

 

トルコ航空のサンドイッチと違い、パンはごく普通の味だったが、全体的にはまあまあだった。

 

マスクは、普通のものとFFP2の2種類が支給された。

 

イタリアの公共交通機関ではFFP2を着用しないといけないので助かる。

 

機内ではマスク着用が義務付けられていたが、これはイタリア政府の要請による措置とのことだった。そのわりに、ベルガモの空港に到着してみたら、イタリア人の係員たちはノーマスクだったが。イタリアでも特に新型コロナの被害が酷かったベルガモの空港なのに、どういうことなの…

 

荷物を引き取って、ATMで500ユーロ下ろそうと思ったら、下ろせなかった。金額をだんだん下げていって、100ユーロになったら、ようやく下ろせた。カードのキャッシング限度額に達したのかもしれない。限度額のことは深く考えていなかったが(ちゃんと計算していなかった)、限度額に達したとしたら非常にマズい。トリノに行かなくて正解だったな。

 

空港のトイレ トイレにペーパーが流せる文化圏に来たことを実感

 

 

ローマで買ってあったSIMカードをスマホに入れて、イタリアに到着したことを友人たちに連絡した。SIMカードが使えるって、素晴らしい~

 

 

ベルガモのオリオ・アル・セーリオ空港からミラノ駅は、シャトルバスで約1時間。Terravision社のバスに乗った。

 

 

ミラノ中央駅は重厚な造り

ウィキペディアの「ミラノ中央駅」の項目には、「建築家フランク・ロイド・ライトにより『世界でもっとも美しい鉄道駅』と称された」と書いてある。建築関連にはうといんで、知らん人やけど。

 

 

建物の内部のレリーフがステキ

 

 

 

 

せっかくミラノに来たんだし、ちょっとくらい観光していこうかな~とはならないのが私だ。7月の日差しの中、睡眠不足で観光なんかしたら行き倒れるかもしれないからな…

 

 

フィレンツェまでは、トレニタリア (Trenitalia)の高速列車「フレッチャロッサ」(FrecciaRossa=「赤い矢」)に乗った。高かったけど、夕方には着きたかったからしょうがない。

 

 

 

 

高級感のある落ち着いた雰囲気の車内で、乗客も静かだった。イタリアなのに。

 

 

車内ではトルコで買ったビールを飲み、シミットを食べ、新聞を読んで過ごした。

ポケットティッシュはヨルダン製。我ながら国籍不明だ。

 

フィレンツェSMN駅には17時過ぎに到着。

 

 

正面から見た駅舎。のっぺりと茶色い横長の平屋の建物だ。

ミラノ中央駅と対照的。フィレンツェSMN駅がこんなに不細工(ですよね?)になってしまったのは、ムッソリーニのせいなのかも…(参考

 

駅前のバス乗り場が様変わりしていて、しばらくうろついた後に案内所で聞いたら、少し移動していただけだった。フィレンツェ駅周辺のバス乗り場は、近年しょっちゅう移動していて、行くたびに迷う。

 

無事にバスに乗って、お世話になる予定の日本人の友人宅に向かった。彼女はフィレンツェ中心部の歴史地区(いわゆるチェントロ)にある素敵なマンションで暮らしていて、空き部屋を人に貸しており、そこが空いている時は、泊めてもらっているのだ(家賃は日割りで払っているがホテルよりずっと安い)。

 

着いたら友人が待っていてくれた。まずシャワーを浴びさせてくれ、その後、お茶やお菓子でもてなしてくれた。

梅生姜茶と羊羹、フルーツの盛り合わせ 

 

お茶と甘いものが疲れた体に染みわたる…なんだか、トルコから一気に別世界に入り込んだ感じがした。洗濯もさせてもらい、あらためてフィレンツェの友人たちに連絡して、会う約束をする。

 

その後、ちょっと出かけて、近所のスーパー・コナドでシャンプーや酒類、朝食用のヨーグルトなどを買った。ほしい物はたくさんあったが、約一週間後のカード支払い日までは、もうお金が下ろせないだろうから、控えめに…

 

つぶれ桃(蟠桃)発見

 

ヤクルト、普通に売ってる。

 

 

綺麗な猫を連れているイタリア人のおじ様がいた。

 

 

ハーネスをしていなかったので、「逃げないんですか?」と思わず尋ねたら、彼は「Perche' dovrebbe?」(なんで逃げなきゃいけないんだ)とだけそっけなく答えて、あさっての方を向いてしまった。友人によると、その人はわりといつも無愛想らしい。よそ者に冷たいフィレンツェ人っぽいな…

 

 

夕食も、友人が用意してくれていた。

 

生ハムメロン

 

フィノッキオ(=ウイキョウ、フェンネル)メインのサラダ

 

トマトとモッツァレッラの冷製パスタ

 

 

白ワインを2人で1本空け、私はさらに部屋でビールを飲んでから寝た。

 

 

(旅行と無関係のおまけの写真コーナー)

渋谷の「SEE MORE GLASS」(シーモアグラス)という小さな喫茶店に「イランの絵本と靴下展」(12月29日まで)を見に行った時の写真、ここに無理やり突っ込んじゃう~

 

難民の子供をテーマにしたイランの絵本、原書と邦訳版

邦訳も良さそうだったが、両方買うお金はないので、原書の方だけ買って読んだ。もうペルシア語で絵本が読めるようになっていて嬉しい。毎日じみじみ勉強した甲斐があった。うふふ~

 

ザクロの飾りがかわいい。

 

気になる絵本ばかりだった。

 

イランの女性の手編みの靴下

 

 

メニュー

 

友人が飲んだイランティーセット

 

私が飲んだのは…

ステキなカフェに入っても、アル中はアル中。

 

 

なお、トーマさん(ミニトマト)は相変わらずです。

 



(続く)

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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(34)~またイスタンブールをうろうろした編~

2024-12-24 15:34:23 | トルコ

 

 

イスタンブール3日目は、トルコ最終日だったので有終の美を飾るべく、新市街に出ておじさんと猫を眺めながらビールを飲んだり、海岸の岩場で猫をはべらしているおじさんを眺めたり、自分も猫をはべらしてビールを飲んだりした(いつも通りや)。

 

この日は早起きして(=8時)洗濯し、ロビーにチャイを取りに行き(セルフで飲み放題)、部屋に戻ってSNSの更新や写真の整理をした。

 

気が付いたら14時頃になっていたので、切り上げて出かける。アクサライのメトロ駅周辺のアラブ料理店街に行こうとしたが、見つからず、無駄に歩き回って疲れた。何度も通ったことがあるのに、近くにあるはずなのに、行こうとしたらたどり着けないのはなぜなのか。方向音痴って、かなしい生き物よね…

 

「ネコさん、アラブ料理店街どこかご存じないでしょうか~」「今忙しいにゃ」

野良の猫さんたちって、いつも忙しそうに見える。少なくとも私の15倍くらいは忙しそう。

 

 

公園っぽいスペースに設置されたスポーツ器具

こういうので真剣にエクササイズしている体格のいいヒジャーブのおばさまを見たことある。無料のジムだ。

 

大量の生の鶏レバーをもらっていた猫さん

お腹こわさないかな…

 

 

片隅にあった古典的なイスラムの墓地

地震が来たら…

 

 

アラブ料理店街はあきらめ、トラムで新市街のカラキョイに出て、地下街のペットショップにちゅ~るを買いに行ったら、日曜日なので閉まっていた。私のイスタンブール街歩きは、大体いつもこんな感じ。冴えないわ~

 

前日と同様、一駅しかないナゾ地下鉄テュネルに乗ってイスティクラール通りに出て、楽器屋街に入り、前日に目星をつけて友人に確認しておいたウードの弦を購入。ついでに、楽器屋街のある通りをガラタ塔に向けて少し下ったところにあるジュース屋さんに寄って、人参ジュースを飲む。ビタミン補給だ。

 

安くて種類が豊富で、お店の人がにこやか

シリアでもよく人参の生ジュースを飲んだ。クセになる味。

 

 

イスティクラール通りに戻り、銀行のATMでお金を引き出してから(出国前なのに引き出し過ぎた)、お店を物色しつつゆるゆる通りを歩く。途中で教会に通りかかったので入った。

 

 

この教会、私はなぜかずっとアルメニア教会だと思い込んでいたのだが、調べてみたらアルメニアは全然関係なかった。そういえば、アルメニア教会っぽくない形だとは思っていたんだよな…

 

「パドヴァの聖アントニオ教会」( 聖アントワーヌ教会等とも呼ばれる)

 

 

「パドヴァの聖アントニオ教会」はイスタンブール最大のカトリック教会で、新市街のイスティクラール通り沿いというバリバリの繁華街・観光地に位置する。最初1725年に建てられたが、その後火災などを経て取り壊され、1912年に新たに建てられたのが現在の建物だ。出資したのは、イスタンブールのイタリア人コミュニティ。20世紀初頭、イスタンブールにはイタリア人が約4万人暮らしていて、その大半がジェノヴァ、ヴェネチアにルーツを持っていたという。オスマン帝国時代にこの地で貿易に携わっていたジェノヴァ商人、ヴェネツィア商人の子孫だと思う。現在もイタリア人の神父らがこの教会を運営しているらしい。(ウィキ情報)

 

いつ行っても観光客でいっぱい。ムスリムも来ている。

 

 

パイプオルガンもある。

 

 

教会見学の後、大通りから脇道に入って、路地を歩いていたら、ハッピーアワーでビールが安くなっているパブがあったので、そこで休憩することにした。Wi-Fiが使えて、お洒落っぽい店だが、ハッピーアワーで割安だったためか、おじさんのお客が多くて、居心地が良かった(仲良くおしゃべりしているおじさんたちを見るのが好き)。

 

私の目の前のテーブルでビールを飲んでいたおじさん2人組の1人と目が合ったので、にっこり微笑んだら、おもむろに立ち上がって、黙ってピスタチオをおすそ分けしてくれた。

 

後光が差して見えた(逆光やしな)

トルコでもピスタチオは買うとけっこう高いのに、たっぷりくれた。ピスタチオの天使か。

 

ピスタチオが来たので、ビールをお代わりした。トルコのツボルグは缶でも美味しいが、生は一層美味しい。

 

私の向かいの椅子では、猫が熟睡していた。

おじさんたち、ピスタチオ、ビール、そしてお店の椅子で眠る猫。イスタンブール、最高よね…

 

 

なお、トルコでツボルグブランドのビールを生産しているのは、1967年創業・イズミル拠点の「Türk Tuborg」という会社。ライセンス生産っていうんですかね。私はエフェスより好きかもしれない。

 

 

パブを出て、また路地を歩いてタクシム広場に向かった。

 

 

タクシム広場に出てすぐの、ケバブ屋が並ぶ角のところで、ケバブサンドを買う。

 

ハンバーガーっぽいバンズに挟んだものにした。

トルコだから、日本とは違ってファーストフード店のパンも美味しい。

 

 

タクシムから地下ケーブルカーとトラムでアクサライに戻り、ホテルで昼寝した。私は旅行中、大体いつも午後ホテルで昼寝する。身体が弱いから、朝から晩まで出歩くなんてできないんですもの…

 

 

夕方また出かけて、アクサライから坂を下って、以前住んでいたイェニカプ方面に向かった。

 

アクサライからアタテュルク大通りを下って、途中で脇道に入って階段を下りた辺りに、昔住んでいたアパートがある。その辺りは飲み屋街で、怪しいホテルなどもあり、私も水商売の人と間違われ、知らないトルコ人の男に「How much are you?」などと質問されたことがある。あの時は何も言わずに逃げたが、何と答えるのが正解だったんだろう。私はプライスレスなんだが、率直にそう答えるべきだったのか…

 

 

飲み屋街を越えると、中央アジア系(なんとかスタン系)のお店が集まる界隈に入る。住民もその辺り出身らしき人が多い。

 

 

 

 

 

その先にある庶民的な界隈。この辺りを散歩するのが好きだった。

 

半地下から2階あたりまでの窓が牢屋風。

 

 

道に迷いながら、やっと海岸に辿り着いた。

 

泳いでいる人がいた。

 

 

この辺りの沿岸(クムカプ?)は、前回来た時は工事をしていて入れなかったが、この時は工事が終わってオープンし、市民の憩いの場になっていた。しかし、沿岸の岩場に続く地面が、切り立ったコンクリートの遊歩道となっていて、岩場との段差が大きくなったのに、柵も何もなかった。子供連れだと危ないかもしれない。

 

 

対岸のアジア側のチャムルジャ・タワーが良く見えた。

やっぱりヘンな形…

 

 

クムカプ(たぶん)からエミニョニュ方面に向かってひたすら歩いていたら、やがてコンクリートの遊歩道は終わり、岩場との段差の少ない昔ながらの遊歩道が始まった。よかった、ここなら岩場の猫にエサをあげに行くことができるし、猫も登って来られる。

 

 

 

この辺りは、猫とおじさん多発地帯、トルコの猫とおじさんと海の世界。

 

 

釣りをするおじさんたちとおこぼれを待つ猫さん

 

 

岩場で一人でピクニックしているおじさんの背後で猫たちが待機

 

 

猫をはべらしてくつろぐおじさん

幸せそう。

 

 

トルコのお茶の間、野外バージョン

 

 

岩をどけて、せっせと何か(かまど?)を作っているおじさんたちを眺めていたら、そのうちに一人が私に「ターキッシュマン!」と叫んで笑っていた。イスタンブールのおじさんたちは、海辺でアウトドアライフを満喫していて、楽しそうだ。

 

 

歩いていると、猫たちがやってきて、エサをねだる。

 

 

「カリカリをくれなければ通しませんにゃ」

 

 

「このかばん、いい香りがしますにゃ」

 

 

授乳中の母猫と子猫を発見。

 

 

この母子猫のそばの岩に座って、ビールを飲みながら眺めることにした。やがて授乳が終わり、子猫と母猫が寄ってきたので、カリカリをたくさんあげる。

 

 

ちゅ~るもありますよ~

 

 

カリカリを食べ続ける子もいれば、ずっと遊んでいる子もいた。ミルク飲んだばかりだから、お腹は減ってないはず。

 

 

子猫の眼力

 

 

ふんばった足がたまらない~

 

 

猫まみれになって、1人でビールを飲んでいたら、空き缶を集めている人(おじさんとお兄さんの間くらいのトルコ人男性)が近づいてきて、私に話しかけた。「自分はここ5年ほど、ホームレスの暮らしをしていて、人と関わっていない。人間は信用できない。人間との関係はもう終わった」という、自分語り的な内容だった。そして、私に煙草を持っていないか聞き、私が持っていないと答えると、「元気でな」(kendine iyi bak)といいつつ去って行き、近くにいたおじさんの所に行って、缶のゴミをもらっていた。

 

なんだったの、今の人…猫まみれでビールを飲みつつ海を眺めている外国人の私は、人間にカウントされていなかったのか、あるいは仲間だと思われたのか…?

 

ビールを飲み終えたら、もう9時になっていた。立ち上がって、歩いてシルケジ駅に出てトラムに乗り、アクサライの一駅手前で降りて、残ったカリカリを猫たちに振舞いながら帰った。アクサライに着いたら、夕食用に、この前とは違うシリア系(たぶん)の食堂でファラーフェルサンドを買った。この食堂の人たちも、アラビア語で話しかけたら、普通にアラビア語(シリア方言)で返事をしてくれた。酒屋にも寄って、ビールを買い足す。

 

 

ホテルに帰ってファラーフェルサンドを食べ、ビールを飲む。飲みすぎだ。ヨルダン程ではないが、トルコもビールは結構高いのに。ファラーフェルサンドはまあまあだったが、ヨルダンで食べた物の方がずっと美味しかった。いつも思うが、一般にファラーフェルはヨルダン、シャワルマはシリアの方が美味しい気がする。

 

 

翌日はイタリアに移動する日。朝5時起きで空港に向かうので、早めに寝た。

 

 

(おまけの室内園芸写真)

 

 

キャンドゥの栽培キット出身のトーマさん(ミニトマト)、よく見たら小さい実がさらに2つ付いて、合計4つになっていた。この寒いのに、土がちょっとしかないのに、肥料もあげてないのに、なんといじらしい…

 

 

先っぽが重くなって、そろそろ腰が折れそうだが。

 

 

大きい実、青いままだけど収穫すべきなんだろうか。でも、家族4人のような姿なので、小さい子たちから親を奪うのも気が引ける…

 

 

(続く)

 

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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(33)~イスタンブールをうろうろしただけ編~

2024-12-20 16:47:57 | トルコ

 

イスタンブール2日目の朝は、ホテル探しに出かけるため、早め(8時頃)に起きて、荷物をまとめてから朝食ルームに行った。

 

安ホテルで部屋は狭苦しかったが、朝食は案外まともだった。

 

 

朝食を用意していたのは、ウクライナ人風(違うかも)の金髪の女性で、トルコ人スタッフとは流暢なトルコ語で話し、携帯ではスラブ系っぽい言語を話していた。ヨルダンで泊ったホテルでもルーマニア人女性が働いていた。東欧系の女性のホテルスタッフは、現地語が達者で有能で親切なイメージだ。出稼ぎか、移民か。朝食プレートの写真を撮っていたら、彼女に「どうして写真を撮るの?」と真顔で聞かれた。観光地のホテルでそんなことを聞かれたのは初めて。「観光客が写真を撮るのは普通でしょう~?」と言い返したら、納得した様子だったが。他の客はみなトルコ人のようだったので、外国人観光客はあまり泊まらないのかもしれない。

 

朝食後、今のホテルの周辺からアクサライのトラム駅辺りまでの界隈を歩き回って、安そうなホテルを探したが、なかなか見つからない。一か所シングル200リラ(現在のレートで約890円)のところがあったが、そこはシャワートイレ共同だったのでパス。いくら安くても、この年齢ではもうドミトリーとかシャワートイレ共同とかはキツイ。私はホテル滞在時間が長いし、心置きなくビールを飲みたいんでね…

 

最後に見に行ったトラム駅近くのアタテュルク大通り沿いのホテルが、今のホテルと同じ300リラで、朝食は付かないがシャワートイレ、テレビ、Wi-Fi、冷蔵庫、エアコン付きで部屋がずっと広かったので、そこに決めた。一旦元のホテルに戻ってチェックアウトし、荷物を持ってそちらに移動する。

 

「Merve Hotel」(メルヴェ・ホテル)

 

 

フロントは狭い階段を上った2階にあった。受付してくれたおじさんは斜視気味で分厚い眼鏡をかけており、なんとなく個性派の脇役俳優のような趣がある。ロビーにはソファーがいくつも置いてあり、いつも若者やおじさんたちがたむろしている。チャイはセルフサービスで飲み放題。

 

やはりベットはダブルに限る。タオルが蝶ネクタイなのは微妙かな~

 

シャワーは床全体が水浸しになるスタイル

 

窓の外の風景

 

 

道路に面しているが、窓を閉めていたら騒音は気にならないし、エアコンがあるので快適。いいホテルに移れてよかった。テレビはここも映らないが、まあいい。

 

なお、このメルヴェ・ホテルは、翌年また泊まろうと思って行ったら閉鎖していた。私のイスタンブールでのホテル探しの苦難の旅は続くのだった。

 

ホテル移動で疲れたので、しばらく横になって休憩してから出かけた。7月の初めで、イスタンブールはワンと違って気温が高いので、出歩くとすぐ疲れる。私、身体弱いし…

 

じゅうぶん休憩したら、ようやくイスタンブールうろうろ歩きの開始。まず、トラムでエミニョニュに出て、エジプシャンバザールにキャットフードを買いに行った。イスタンブールでキャットフードを買い出すといえば、エジプシャンバザールですよ、奥さん。

 

 

金属探知機あり。ヨルダンやエジプトなどとは違って、ちゃんとチェックする。

 

 

中に入ると、乾物や香辛料、土産物や手工芸品などを美しく展示する煌びやかなお店が並んでいるが、私にとってこの辺りは単なる廊下。

 

私が目指すところは、隅っこの方の中庭に面した、ペットショップが並ぶ一角。

 

チキンとフィッシュの2種類を混ぜてもらって半キロ分量ってもらう。

今気づいたが、Van Cat(ワン猫)というカリカリがあるな。ちょっと高級だけど買えばよかったか~

 

ペットショップ街のそばで、カリカリを食べていた猫さん。売り物をもらったのかな?

 

なんとINABAのChuruが売られていた。割高なので4本だけ買ったが、もっと買えばよかったかも…

 

 

買い物が終わってから、ガラタ橋を渡って新市街に向かった。

 

 

途中でシミット(胡麻リングパン)を購入。少しちぎってカモメに向けて投げたが、気づいてもらえなかった。しゅん…

 

 

ガラタ橋のそばの、有名なサバサンドの船の店

 

地元の人と観光客でいつも混んでいるので、なかなか入る気合が出ない。

 

 

ガラタ橋の下の層に入っているレストラン街でもサバサンドが食べられる。値段は同じだし、ビールも飲める。

 

 

レストラン街を眺めつつ歩いて、途中の階段で橋の上に出た。橋の上には、いつものように釣り人が並んでいる。

 

私が立ち止まって後ろから眺めていたら、釣り人のおじ様の一人が「あなたも釣ってみたいか」と、釣竿を持たせてくれようとしたが、面倒なので断った。ノリの悪い観光客ですいませんね…彼はここで釣ったイワシを家に持ち帰って食べると言っていた。みんなそうよね。実益を兼ねた趣味。

 

 

橋を渡り切ったら新市街のカラキョイ。ここからテュネル(地下鉄)に乗って、イスタンブール中心部の繁華街、イスティクラール通りのとっつきに出る。

 

ひと駅しかない、世界一短くて世界で二番目に古い謎の地下鉄

 

 

 

構内にチェロを弾いている青年がいた。

彼は非常に上手だった。イスタンブールのストリートミュージシャンは概してレベルが高い。

 

下りてから、テュネル駅の脇の通りの楽器屋街で、友人に頼まれたウードの弦を探した。

 

 

欲しい物について店主に相談したら、即答が返って来るタイプの楽器店がいくつか並んでいる。

 

 

 

ウードの弦を置いている店は2軒見つかったが、指定されたものと品名が違ったり、高かったりしたので、写真だけ撮って、頼まれた友人に聞いてから翌日また来ることにした。なお、トルコのウードか、アラブのウードか質問された。トルコとアラブのウードが違うこと自体知らなかったぜ…

 

楽器屋付近でツチノコ発見

よく見たら耳とか足とかあった…

 

その後は、イスティクラール通りをタクシム広場に向かって登りつつ、お店を覗いたり、脇道に入ってビールを飲んだり、昼食を取ったりして過ごした。

 

イスティクラール通りには風格のある美しい建物が多く、目の保養になる。(参考記事

 

 

 

ストリートミュージシャンも多い。

 

「シリア小路」(Suriye Pasajı)

 

シリア小路には普通のお店やカフェが並ぶ

 

イスタンブールに来たら必ず行く、不吉な名前の本屋さん

 

猫がいるのに、「人間書店」という名前の本屋さん

 

本は枕

 

 

1864年創業の老舗のお菓子屋さん。高級なので私にとっては観光スポットだが、きっと美味しいはず…(HP

 

いい感じの古本屋さん

 

 

古本屋、パブ、チャイハネが多い脇道の辺り(ベイオウル)で生ビールの安い店を発見

 

カールスバーグの生、疲れを癒す味。

外のテーブルで飲む方が、店内より安かったのが意外だった。エアコン効かへんからかな。

 

お腹が空いたので、パブの席から見えていた安食堂「Balkan Lokantası」でランチ

 

 

茄子の挽肉詰め「カルヌヤルック」、茄子が柔らかくて美味しかった。パンも柔らかい。安食堂はパンが固くなっているところもあるが、ここのは違う。



 

タクシム広場に着いたら、地下ケーブルカーでカバタシュに出て、そこからトラムでアクサライに戻った。イスティクラール通りを走るレトロな市電だの、一駅だけの古い地下鉄だの、地下ケーブルカーだの、メトロだのトラムだの、イスタンブールの電車系交通手段、種類がやけに多くないか?観光にはいいが、乗り換える度に交通費がかかるので、移動手段としては不便な気も…

 

タクシム広場 私にとってはハトのエサやりスポット

 

カバタシュ駅で乗り換え

 

階段にいた猫さんにエサを要求された。

 

美味しくないエサは食べない主義ですかい…

 

ホテルでしばらく昼寝して、19時半頃にまた出かけ、前夜と同様、フェリーでアジア側のカドゥキョイに行った。

 

もう夕暮れ

 

 

カドゥキョイの街並みの向こうにチャムルジャ・タワー(電波塔)が垣間見える

 

いつ見てもヘンな形~

 

 

猫スポットの岩場に向かう途中、ムール貝のピラフ詰め「ミディエドルマス」(参考レシピ)を売っているお兄さんがいたので、少し買ってみた。

 

 

スパイス控えめで、ムール貝の風味がご飯に馴染んで見た目のわりに美味しい。レモンも合う。

 

 

食べた後の殻を、屋台に下がっている袋に入れたら、ゴミ袋じゃなかったようで、めっちゃ怒られた。しゅん…

 

 

夕食用にサバサンドも買った。ヨーロッパ側で買うより安いが、サバの身も大きいし、味も普通に美味しい。レタスと玉ねぎ入り

 

 

岩場に行ってビールを飲んでいたら、猫が集まってきた。サバの匂いのおかげか。

 

 

サバサンドを自分も食べつつ、猫たちにもおすそ分けしたので忙しかった。結局半分以上あげて、カリカリとちゅ~るもあげた。

 

もうすぐ暗くなる。

 

 

暗くなる前にまたフェリーに乗り、ホテルに帰った。ロビーのソファーに若者が大勢集まっていてビビったが、特に話しかけられるでもなく、問題なかった。

 

夕食はもう済んだので、後はシャワーを浴びて、ビールとワインを飲んで寝るだけ。なんだか特に何もせずに、街をうろうろするだけで一日が終わった。まあ私にはよくあることよね…

 

 

(おまけの非アルコール飲料写真)

11月に参加したイラン大使館の文化イベントで出された紅茶。サフランで色付けした棒付き氷砂糖で紅茶をかき混ぜ、溶かしながら飲む。優雅なお茶の楽しみ方、さすがイランという感じだ。

 

こういうイベント体験の話なども書きたいのだが、一昨年の旅行記が終わらないし、去年の旅行記もまだなので、他のことがなかなか書けない。そうこうしているうちに、また年が明けてしまう。ああ~

 

なお、トーマさん(キャンドゥの栽培キット出身のミニトマト氏)は相変わらずだ。ようやくついた実も青いまま。一緒に年を越そうね、トーマさん…

 

 

(続く)

 



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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(32)~トルコ南東のワンから北西のイスタンブールへ~

2024-12-07 18:11:08 | トルコ

 

 

ワンに3泊して「ワン猫の家」やアクダマル島を観光した後は、イスタンブールに移動した。イスタンブールがトルコでの最終目的地で、3泊してからイタリアに飛ぶ予定だった。イタリアで10日ほど過ごしたら、いよいよ帰国だ。

 

トルコのワンからイスタンブールまでは、アナトリア半島を南東から北西まで斜めに突っ切ることになり、かなりの距離がある。バスで行くと約24時間かかるので、当然空路を選択。飛行機だと2時間半で着くし、値段もバスに比べてさほど高くない。この時のフライトはトルコ航空で、約6400円で買えた。

 

 

この日はお昼前のフライトに間に合うよう、余裕を持って7時半に起床。寝たのが夜中3時だったから睡眠不足で体が重い。スローモーションで朝食を取って、荷物をまとめ、ホテルをチェックアウトする。

 

チェックアウトの時、受付の若い男の子(イケメンで親切)に領収書を頼んだら、彼は自分には領収書を出す権限がないと言い、少し考えてから、2,3か所に電話をかけて誰かに頼んでくれたが、結局無理だということだった。なんでなんや…まあ、なければないでいいけど~

 

ホテルを出てから、前日下見をして探しておいた空港方面行のドルムシュ(乗り合いミニバス)乗り場まで歩き、すぐ来たので乗り込む。ワン市内から空港までは7,8kmなので、半時間もかからないのだが、ドルムシュは空港から少し離れた交差点までしか行かないので、下りてから15分くらい、7月の日差しの下でスーツケースを引きずって歩くことになった。寝不足なのに、しんど~い…

 

この「I 💖Edremit(ワン県の自治体)」のワン猫像が見えたらドルムシュを下り、空港行きの道を真っ直ぐ進む。

 

 

歩いている途中で、白タクの運転手っぽい男性2人に、乗っていかないかと声をかけられたが、無視してひたすら歩いた。後で調べたら、市バス351番が空港の入り口まで行くようなので、そちらに乗ればよかった。(ワン空港と市内の移動手段等に関する英語情報はこちら

 

やっと着いた~

 

 

入り口

 

 

ワンの空港(Van Ferit Melen Airport)は、私の記憶にあるものよりも明るくてキレイだったが、やはり地方空港なので、イスタンブールやアンカラのような大都市の空港とは比較にならない規模の小ささ。出発ロビーにはカフェ1軒、売店1軒しかなかった。でも、平屋だから移動が楽だし、チェックインカウンターでは待たずに発券してもらえた。

 

 

体育館ぽい空間

 

 

売店ではハーブ入りチーズ(Van otlu peyniri)などのワン土産が買える

 

 

カフェは閑古鳥が鳴いていた。

 

ワン空港のトイレには、洋式とトルコ式の両方があったが、どちらも使用済みの紙をゴミ箱に入れる方式

 

 

 

「化学テロに遭った時の正しい対処法」

くわばら、くわばら…

 

搭乗手続きは定刻に始まり、定刻に離陸した。他の乗客はトルコ人とイラン人ばかりのようだった。今回、トルコではまだイラン人以外の外国人観光客を見ていない気する。見ていても気づいていないだけかもしれないが。

 

 

 

 

トルコ航空の客室乗務員さんの制服は赤とグレーでシック

 

 

軽食のトマトとチーズのホットサンド、安定した美味しさ

国内線の軽食でも手を抜かないトルコ航空

 

トルコ航空の機内はLCCのペガサス航空などに比べてやはり格上という雰囲気で、国内線でも軽食と飲み物が出るし、その割に値段がペガサス航空より安い場合もあるので、おススメだ。

 

機内エンターテイメントでコーランの詠唱も聴ける。

 

 

睡眠不足だから、機内で寝ようと思っていたのに、「日本におけるトルコの足跡」という動画が興味深くて、最後まで観てしまった。

イラン・イラク戦争の最中の1985年にトルコ航空機でテヘランから邦人215人が救出された事件の再現ドラマが良かった。この部分には映画「海難1890」の映像が使われているようだ。

 

「海難1890 」はこういう映画らしい(観てない)

 

 

午後2時頃にイスタンブール空港に到着

 

 

イスタンブール空港のトイレは洋式。でも紙はやはり流さない方式

 

 

空港からはバス(Havaist)でアクサライのメトロ駅に向かった。約90分。バスの車内には、欧米人の観光客たちもいた。おお、欧米人、久しぶりに見た~イスタンブールだから当たり前なんだが、これまでイラン人観光客しか見かけなかったので、新鮮だった。

 

アクサライ(トラム駅付近)

 

 

アクサライで降りたら、まずホテル探し。イスタンブールでは、かつて定宿にしていたトラムのチェンベルリタシュ駅付近の「Paris Hotel」が廃業し、その後スルタナメットの「Side Hotel」を利用していたのだが、良いホテルだが私にはちょっと高いので、安宿のありそうなアクサライを開拓してみることにしたのだ。

 

もう若くない身で、しかも体力も気力もないのに、炎天下の中、寝不足で荷物を抱えて宿探しをするのは修行のようなものだった。人生は修行だ…トルコでSIMカードを買わず、スマホが使えなかったので、その辺の人に聞きながら探したが、方向音痴なので教えられたところになかなかたどり着けず、無駄に歩き回って余計に疲れた。まあ、SIMがあっても、グーグルマップすら使いこなせない人間だから、同じだったかもしれないが…

 

「ホテル探し?がんばってにゃ」

ええ、目の保養をさせていただいたから、がんばれそうです~

 

 

シミット売りのおじさま、背筋ピーン

頭上のシミット運び、モデル修行にいいかも~

 

 

イスタンブールはワンよりずっと猫が多く、あちこちで猫と目が合う。

 

 

「何か悩みあるの?聞こか?」

お金がないんです~ 

 

 

猫と心の中で会話しつつ、歩き回って小さめのホテルを何件かあたってみたものの、シャワー・トイレ付シングルは1泊300リラ以上の所しか見つからなかった。ワンのホテルが130リラだったので、倍以上だ。さすがイスタンブール、物価が高い。

 

最終的に、おじいさんと孫息子が受付をやっていた、シングル1泊300リラの小さなホテル(名前は失念)で妥協した。シャワー・トイレ、Wi-Fi、朝食付き。しかしここは、エレベーターがなく、部屋はシングルベット以外にわずかなスペースしかなくて、スーツケースを広げることもできなかった。地方のホテルにはシングルルームがないのが普通で、1人でダブルやツインの部屋を安く借りられたが、イスタンブールにはシングルルームがあり、狭いのに高い。部屋は不潔ではないが、窓辺には誰かが残したペットボトルがあったし、シャワー室の床には古いせっけんのかけらが落ちていて、テレビもろくに映らず、エアコンのリモコンには電池がなかった(もらいに行った)。やれやれ、明日は別のホテルを探して移らねば…

 

 

 

 

 

ホテル探しで疲労困憊したので、しばらくベッドに横になり、Wi-Fiを使ってスマホをいじったりして休憩し、19時頃に出かけた。近くのミグロスでビールを買い、トラムとフェリーを乗り継いで、アジア側のカドゥキョイに向かう。トラムもフェリーも混雑していて、運賃がワンの公共交通機関より高かった。ミグロスで売られていたアンズの値段も、ワンの2倍以上した。うう、さすが首都だ…(ウソ。トルコの首都はアンカラです)

 

アクサライのトラム駅付近の綺麗なモスク

 

 

トルコ式猫カフェ

 

 

トラムでアクサライからエミニョニュ(言いにくい)に向かう。

 

 

途中、スルタナメット駅でトラムを下車して、両替所に行ったら、店舗の前に黒い野良犬が横たわっていて、苦しそうにハアハアと息を切らせて震えていた。ファンキーな感じのトルコ人の女性がその犬のことを心配して、声をかけたりしているところに、両替所のスタッフの若者が出てきて、犬を追い払おうとし、その女性と口論になった。女性が「具合の悪い犬になんてことすんのよ! Geri zekalı(低能)!」と叫び、若者が怒って「Hakaret etme(馬鹿にするな)!」と言い返し、周りに人垣ができて、結構な騒ぎになっていた。こういうのもイスタンブールっぽい。

 

その後犬がどうなったかは知らない。元気になっていたらいいが…

 

 

エミニョニュ駅で下車し、埠頭に向かう。

 

対岸のガラタ塔

 

 

エミニョニュからカドゥキョイまでは、フェリーで30分くらいだ。ぼんやり座って海やカモメを眺めていたら、疲れが癒される気がする。

 

 

ガラタ橋

 

 

トプカプ宮殿

 

 

アジア側のハイダルパシャ駅は工事中

 

 

カドゥキョイに着いたら、桟橋から少し歩いて、海岸沿いの岩場に出る。

 

カドゥキョイの桟橋付近の海岸沿いは、市民の憩いのスポットだ。夕涼みをして、岩場に座っておしゃべりするカップルや家族連れ、若者のグループなどでいっぱい。公園でピクニックする人たちもいる。

 

 

猫スポットでもある。

 

 

 

 

この岩場に座って、猫をはべらしつつ、海に沈む夕日を眺めてビールを飲むのが、イスタンブールでの私の楽しみの一つ。ここに住んでいたら、毎日やりたい。

 

 

猫と

 

 

夕陽と海とビール

イスタンブールの海岸飲み、さいこう~

 

 

トルコでも、地方ではなかなか人前でアルコールを飲みにくいが、イスタンブールは都会なのでOKだ。一人で座って海を眺めつつタバコを吸っている女性もいて、自由な感じ。私が一人でビールを飲んでいても、誰もちょっかいをかけてこない。もう若くないおかげかもしれないが。

 

ヨルダンで仕入れたちゅ~る類似品の最後の1本を放出

 

 

辺りがだんだん暗くなる

 

 

余り遅くならないうちに、またフェリーでエミニョニュに戻る。。時間が遅くなるとフェリーの便が少なくなるので、要注意だ。

 

 

 

 

 

エミニョニュからまたトラムでアクサライに戻り、酒屋でワインとビールを買って、近くのシリア人の店でシャワルマサンド(トルコのドネルケバブのラップサンドに相当)をテイクアウトする。

 

Hamada(ハマーダ)さんのお店

 

 

 

トルコでシリアのシャワルマを食べる私。アラビア語で注文したら、お店の人は普通にアラビア語で返してくれた。アラビア語圏か。シャワルマ担当の男性はフレンドリーで、待っている間少しおしゃべりした。彼が日本を好きだというので、私が「シリアとトルコも良いところですね」と返したら、彼は微笑みつつ、「う~ん、トルコ人は少し…彼らは外国人にいて欲しくないんだよね」と言っていた。

 

今シリアで起こっている出来事を、トルコに暮らすシリア人の多くは、計り知れないほどの歓喜と共に見守っていることだろう。

 

ホテルの狭い部屋で苦労して食べたシャワルマサンドは、シリアの味そのもので、とても美味しかった。特にガーリックソースが最高だった。

 

翌日は、朝からまたホテル探しなので、この日は早めに寝た。

 

 

(おまけの室内園芸写真)

キャンドゥのミニトマト栽培キット出身のトーマさん

 

 

半年経ってようやく小さな実が2つ付いたが、その後は変化なし。実の重みで、ますます腰(?)が曲がってきただけだ(エアコンの電気コードで支えている)。実のサイズはさほど変わらず、赤くなる気配も一切ない。うちのアパート、室温が低いですしね…

 

 

トーマさんはたぶん、「俺は一生青いままでいく。一生青二才、それが俺の生き様さ」という信念を貫くんだと思う。(ロックな人格設定)

いいのよ、トーマさんは、そこにいてくれるだけで…

 



(続く)

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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(31)~アクダマル島と踊るイラン人~

2024-11-21 19:05:54 | トルコ

 

 

またまた間が空いてしまい、その間に日本(首都圏)は冬に突入してしまった。唐突にぐいって気温が下がるの、ほんとカンベンしてほしい…油断して薄着で夜のベンチ飲みに出かけたら、前夜より5度以上下がっていて、しかも冷たい風が吹きまくっていたので、それにじっと耐えながらワイン(ホットじゃないやつ)を飲んでいたら、ひとりガマン大会みたいになった。もうベンチ飲みではダウンコート・カイロ・ホットワインの季節が来てしまったのね…(また秋が戻ってくるらしいが)。

 

さて、今回は遅々として進まない一昨年の旅行記の続き。トルコ南東部ワンの滞在3日目の話だ。この日はワンのメジャーな観光スポット(ワン自体がメジャーか否かという問題はあるが)、ワン湖のアクダマル島を訪れた。アクダマル島は、10世紀に遡るアルメニア教会の遺跡があることで知られている。私は海外旅行先であまりちゃんと観光しない人間なのだが、今回の旅のトルコでの主要なテーマのひとつはアルメニアだったので、ここは外せないだろう。前回ワンに滞在した時は行かなかったしね(あの時は「ワン猫の家」の外をうろうろしただけで終わった)。

 

この日は8時に起きて洗濯し、朝食をとった。早起きして朝ごはんを食べるなんて、我ながらエライ(私にとって8時は深夜に近い早朝)。しかし、食後にSNSを更新したりしていたら、出かけるのが11時を過ぎた。まあ、いつものことさ…

 

まず市内中心部のドルムシュ(乗り合いミニバス)乗り場に行って、オトガル(バスターミナル)行きのドルムシュに乗った。アクダマル島行きのフェリーの桟橋に向かうバスは、オトガルから出ているのだ。

 

ドルムシュ乗り場に行く途中に見かけたトルコ名物「路上で死んだように眠りこけるボサボサ犬」

お姫様がキスしたら王子様に戻るのかもしれない。今度キスしてみようかな(お姫様か)

 

 

ドルムシュに乗ったら、運転手も乗客たちもクルド語で話していた。クルド語はさっぱりわからないが、クルド語かどうかはなんとなくわかる。ワンはクルド人の街だしね。

 

 

クルド語の会話を聞くともなく聞きながら、ぼんやりと窓の外を眺めていたら、見知らぬ風景が広がり出したので、不安になって運転手に尋ねたら(トルコ語で)、やはりオトガルを過ぎてしまっていた。終点まで行って、戻ってくる時にオトガルに近い所で降ろしてもらうことになる。

 

ドルムシュは幹線道路をしばらく行ってから、郊外の住宅街に入り込んで、まばらな民家の間を回った。

 

土色のブロック(日干し煉瓦?)の壁の向こうにトタン屋根の家

 

 

コンクリート打ちっぱなしの黒ずんだ壁の住宅の足元に、掘っ立て小屋風の小さな建物群

 

ワンに次に地震が来たら、こういう住宅や壁は簡単に崩れてしまいそうでちょっと心配。ワンの街は発展して西部並みに綺麗になったと思ったが、中心部を少し外れたら、質素な家が立ち並び、トルコ語の会話は聞こえてこなくなるのかもしれないと思った。

 

オトガルで降ろしてもらい、アクダマル島方面に行くドルムシュに乗り換えた。

 

 

最初は私だけだったが、やがて乗客が集まってきて、無事に出発した。私以外は全員トルコ人の観光客だ。アクダマル島行きのフェリーが発着する桟橋には、30分かそこらで着いた。

 

あれ?「AHTAMAR」って書いてある。AKDAMARじゃないの?

 

ウィキペディアによると、アクダマル島は、アフタマル島とも呼ばれるらしい。こちらの方がアルメニア語の発音に近いようだ。この島の名前は、アルメニアの古い悲恋の伝説に由来し、島に住んでいた若い女性の名前(タマラまたはタマル)から来ているとされるが、彼女がお姫様だったとか、修道院長の娘だとか、湖で溺れ死んだ恋仲の羊飼いの若者はトルコ人だったとか、クルド人だったとか、色々なバージョンが伝えられているようだが詳細不明。この伝説が本当に島の名前の由来となったかどうかも不明だ。まあ伝説ってそういうものよね…

 

桟橋の前のレストランがフェリーの待合スペース

 

 

レストランのレジでフェリーの往復チケットを購入する。当時は50リラ

 

 

停泊していたフェリーに乗りこんだら、他の客は圧倒的にイラン人観光客が多かった。トルコ人もそれなりにいた。イラン8:トルコ2くらいの割合か。第3国の外国人は、見たところ私だけのようだった。イラン人は団体客で、すでにかなり盛り上がっており、踊り出す一歩手前くらいのテンション。トルコ人の方は、それを見て引いている感じで、大人しくしていた。イラン人の勝ち。

 

 

 

周囲を眺めていたら、私の前方に座っているイラン人男性が袋からエフェスの缶ビールを取り出した。しかもアルコール度の高いエキストラだ。おお…

トルコに来たら、ここぞとばかりに酒を飲むイラン人。

 

しまった、私もペットボトルに詰め替えたワインくらいは持ってくるべきだったと思ったが、もう後の祭り。ビールを飲む男性を、羨ましそうに眺めるしかなかった。ちっ、私としたことが、ぬかったぜ…

 

カモメ監視員「備えあれば憂いなしだギャ~」

その通り、油断大敵~

 

フェリーはなかなか出航せず、そうこうしているうちに新たなイラン人団体客がどっと押し寄せてきた。どうなるかと思ったら、アナウンスが流れ、トルコ人の客はもう1隻のフェリーに移ることになった。私もそちらについていった。イラン人観光客から離れたトルコ人たちは、急にイキイキとしだして、楽しそうに自撮りしたりしていた。内弁慶?

 

 

ようやくフェリーが出航した。陽光に輝く青い湖水、レース編みのような白い波、岸辺のごつごつした茶色い岩山…久しぶりのフェリーなので、なんだか気分が高揚する。

 

後姿が絵になる女の子

 

 

40分くらいでアクダマル島に着いた。

 

カモメさんたちがお出迎え

 

いざ上陸

 

島の入り口にチケットオフィスがあり、ここで博物館扱いのアルメニア教会遺跡の観光料金を支払う。45リラ。島に上陸する人は全員支払うことになるので、実質的には島上陸料だ。フェリー代金と一緒に徴収すれば良さそうなものだが、なぜか別々に払うことになっている。

 

 

 

アクダマル島は小さな島で、アルメニア教会以外の見所はないので、観光には時間がかからない。一応カフェという名の売店があり、テーブル席がいくつかあるが、レストランなどはない。商売っ気がなくて、清々しいくらいだ。

 

ではいよいよ、アルメニア教会(聖十字架教会)を観光。ガイドブックを持ってないし、ちゃんと調べてないから、よく知らないのだが。

 

教会正面

古いアルメニア教会って、こんがり焼けたクッキーっぽい色合いで、中心から円筒形の部分が伸びて、とんがり屋根がかぶさっているイメージ

 

中に入れる

 

 

内部のモザイクは、全体的に状態が悪くて不鮮明だが、比較的はっきりと人物像が分かる部分もあった。

 

 

 

 

聖書を読んで勉強したら、こういう教会のモザイク画や、外壁のレリーフなどに描かれた場面が分かって、面白いんだろうなと思いつつ、つい後回しにして、そのままになっている。

 

床に井戸のような穴が開いている箇所があって、中にお札やコインが投げ込まれていた。

 

 

内部のモザイクに比べ、外側の壁に刻まれたレリーフはくっきりしていた。聖書の登場人物や動物、植物がそこいらじゅうにちりばめられていて、とってもかわいらしい。アルメニア文字も刻まれているが、私には読めない。

 

 

 

 

 

 

これがアダムとイブの像で、有名らしい。

 

素敵よねえ、うっとりこ…こういうクッキーがあれば買いたい。

 

教会を観光した後は、島の斜面や波打ち際などにいたカモメを眺めて過ごした。

 

 

 

青い空、青い海、険しい顔のカモメ、とげとげした植物、アルメニア教会の廃墟、浮かれたイラン人観光客。あ~心が落ち着く…ここにワインがあれば完璧だったんだが(未練がましい)。

 

泳いでいる人もいた。

 

青いトンボもいた。取り込み中

 

帰りのフェリーは、イラン人の団体客でいっぱいで、彼らのツアーのエンターテイメントのイベントなのか、手慣れた動きの男性たちがスピーカーとマイクを持ち込んで音楽を流し、それに合わせて歌い出した。他のイラン人客が手拍子を取り、合唱し始める。やがてダンスタイムが始まり、色んな人が入れ代わり立ち代わり踊り出して、フェリーは完全にイランの宴会場と化した。

 

 

トルコ人観光客の大半は、勢いに呑まれて静かにしていたが、中には、イラン人と一緒になって歌っている人もいた。歌はペルシャ語のものばかりだったが、1曲だけトルコの歌もやり、そのサビはトルコ人も一緒になって合唱していた。有名な曲かもしれない。

 

フェリーの往復料金50リラは、少し高いと思っていたのだが、イラン人のショー込みだと思えば激安だ。イタリア人やアラブ人もお祭り騒きが好きだが、こういうイラン人の調子の乗り方は、ちょっと別格という気がした。

 

フェリーを下りたら、イラン人たちは団体バスに乗って去っていった。ステキなショーをありがとう…

 

私はしばらく待ってドルムシュに乗り、オトガルで市場行きのドルムシュに乗り換えた。市内中心部の市場周辺に着いた時は、もう18時近かった。

 

夕食用のサンドイッチを買うために、適当に歩いていたら、「ケバビスタン」という名前のケバブ屋の前を通りかかった。約10年前にワンを訪れた時に見かけた店だ。

将来ケバブ屋を開くことがあれば、この名前を使いたい(ないない)

 

その界隈は昔ながらの市場で、なんとなく見覚えがあった。以前泊まったホテルの辺りだ。今回泊っているホテルからも近い。

 

コロナ禍の遺産のあごマスク

 

かつて泊ったホテル、ここかも。(階段で銃を持った男を見かけたとこ)

 

 

キョフテ(肉団子)屋さんが並んでいる一角があったので、そのうちの一軒でキョフテサンドをテイクアウトする。

 

その後、ワンに着いてから2日連続で通っていた酒屋にまた行って、缶ビールを買ったら、初めて店主に話しかけられた。どこ出身か、イラン人か(えっ?)、ワンに住んでるのか、仕事は何か、結婚しているか、そういう類の一連の質問だ。アラブ人はこういった質問を初対面であいさつ代わりにするが、トルコ人(またはトルコのクルド人)は3日かかるのね…

 

私が「ワンにはイラン人観光客がいっぱいいるね」と言ったら、店主はうなずきつつ、顔をしかめていたので、イラン人観光客が嫌いなのか聞いてみたところ、「彼らはあんまり清潔じゃないからね」という返事だった。フェリーの中のトルコ人たちの反応から考えても、トルコの人々とイラン人の相性はあまりよくなさそうだ。トルコ人は、アラブ人のこともよく思っていない人が多く、シリア内戦で難民が押し寄せてくる以前から、「アラブ人は清潔じゃない」などと言う人がいた。イラン人に対する批判と同じだ。

 

他のお客が来たので、別れの挨拶をして店を出て、ホテルに帰ってビールを飲み、キョフテサンドを食べた。

 

揚げたキョフテはやわらかくて、スパイス控えめ。新鮮な玉ねぎやトマト、レタスと一緒に挟んであって、とても美味しかった。昼抜きだったから、余計美味しく感じられたのかもしれない。

 

翌日はワン空港から国内線でイスタンブールに移動する予定だった。イスタンブールの後は、イタリアに移動だ。旅も後半に入り、終わりが見えてきた。

 

 

(おまけの室内園芸写真)

キャンドゥで5月に買ったミニトマト栽培キット、ひょろ長く伸びるばかりで、ようやく花は咲いたものの、実がなる気配はなく、このまま立ち枯れかと思っていたら、苦節半年にして、なんと実がついたのだ。すごくないですか??



 

最初発見した時は直径5ミリほどだったのだが、今は1センチ弱ある。そして今日、なんともうひとつ小さい実がついていることに気が付いたのだ。

かわいい~

 

しかし、トーマさん(仮名)は、先っちょの方に実がついて重くなったせいか、腰が曲がった老婆のようになってしまった。

私の未来の姿か。

 

 

トーマさん、がんばって生き延びて…なんなら実が赤くならなくっても構わないから、私と一緒に冬を越そう~

 

 

(続く)

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