外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

日付不明まとめ書き日記 2012年7月

2012-07-31 23:55:43 | 日記



7月某日
今朝から、セミが一斉に鳴き出した。
やつらは本格的な夏の到来を宣言しているのか?
ミーン、ミーン、ミーン、夏が来たで~。
気づかないフリしても無駄やで~。
すっごくすっごく暑くなるんやで~。
覚悟しとけや~、ミーン、ミーンって。
どうしよう、おろおろ、と少し焦ったが、焦ってもしょうがないと思い直し、二度寝する。
昼過ぎに汗だくで目を覚ます。

7月某日
図書館で借りたムーミン全集を読む。
挿絵を見ていて思ったが、ムーミンママって、お母さん体型だ。
もちろんムーミンパパもムーミントロールも同じ体型なので、お母さん体型だ。
お母さん体型のムーミン一族・・・ステキ。

7月某日
今日もムーミン全集を読む。
名作である。
ニョロニョロを食べたらどんな味がするか、想像してみる。
私の予想では、ニョロニョロはホワイトアスパラのような味がするはずだ。
茹でてマヨネーズを食べると美味しいはず。
ニョロニョロは体内に電気を溜めているので、電子レンジで加熱するのは危険。
やはりオーソドックスに鍋で茹でるのがいいだろう。

7月某日
ムーミン全集にすっかりハマる。
深い。
インターネットでムーミン情報を調べてみたら、
「ムーミン谷は山形県にある。
JR山形駅前で、タクシーの運転手さんに『ムーミン谷までお願いします』と頼めば、連れて行ってくれる」
という情報を見つける。
ムーミン谷はフィンランドにあると思い込んでいたので、ショックを受ける。

7月某日
今日は、日本の夏の暑さを堪能することにする。
具体的に何をするかというと、畳に寝そべって本など読みながら、すだれを透して入ってくる光と影のコントラストがレースのカーテンに映って、揺れているのを凝視したり、扇風機の風を顔に受けて、目を閉じてうっとりしたり、外を歩く人たちの、「えらい暑いねえ~」「ほんまやねえ」という会話に耳をすませたり、額や脇の下や肘や膝の裏にじんわり滲み出す汗を、ティッシュで丁寧に吸い取り、その匂いを嗅いだりするのだ。
午後3時ごろに暑さが最高潮に達したので、熱い空気を全身で味わう。
午後5時ごろ、もう十分暑さを堪能したからもういいやと思い、クーラーをつけ、冷たいビールを飲んで涼む。
有意義な一日だった。

7月某日
子供の頃、「せんぷうきをつけっぱなしで寝ると、皮膚呼吸ができなくなって死ぬ」と思い込んでいたことを、ふと思い出す。
だれか大人に吹き込まれたのだと思うが、それがホラだと気づくのに、長い年月がかかった。
これが真実だとすると、夏場の死因の第一位は「せんぷうき死」となり、ガンとか、心臓病とか、脳溢血とかを軽く上回まわるはずなのに、死因リストには「せんぷうき」の「ぷ」の字もない、おかしいな、とある時気づいたのだ。

7月某日
「せんぷうき死」に続いて、「とろろこんぶ死」についても、再考する。
「とろろこんぶ死」について話してくれたのは、たしか中学校の家庭科の先生。
ハキハキとした大きな声でよくしゃべる、顔が大きくて小太りの、年配の女性だった。
話の内容はだいたいこんな感じである。
「あるところに、とろろ昆布が大好きなおじいさんがいました。
ある日、おじいさんはいつものように、とろろ昆布を少しちぎって口に入れては、水を飲み、
それからまた少しちぎって食べ、また水を飲み、を繰り返していました。
おじいさんはとろろ昆布を食べながら、水を飲むのが好きでした。
けれど、その日おじいさんは、いつもより食べ過ぎてしまったのです。
とろろ昆布という食べ物は、水に浸すと膨らむのをご存知ですか。
おじいさんの胃の中で、とろろ昆布はぷわぷわと膨らみ続け、そしてとうとう、爆発してしまったのです。」
大人になったいま考えるに、あれもホラだったのではないだろうか?
とろろ昆布を食べ過ぎて死んだ人の話なんて、いままで他に聞いたことがない。
パッケージにも、「食べ過ぎたら胃が爆発しますので、十分ご注意ください」とか書いてないし。

7月某日
夕方、母から電話がかかってくる。
「みっちゃん、どうしてるん?
暑いけど、クーラーつけてる?
お年寄りとか、あんたみたいにぼんやりした人が暑さに気がつかずに、
いつのまにか熱中症にやられるんよ。気いつけなさい」
70歳をこえた母親に、この言われよう・・・
何か言い返すべきかと思ったが、暑くて何も思い浮かばないうちに、通話が終了する。
結局クーラーをつけずに、汗だくになりながら一日を過ごす。
夜、少し吐き気がした。母のいいつけに背いた報いだろうか?

7月某日
今日も途方もなく暑い。
うちの中で一番涼しい場所は、お風呂場。
一日中陽が差さないし、タイル張りなのでひんやりしている。
ときどき涼みに行って、水の気配のするひんやりした空気の中で、佇む。
逆にうちの中で一番暑いのは、トイレ。
日当たり良好で、狭い空間に温まった空気が充満している。
一日に何回かは足を踏み入れる必要があるので、トイレを憎まないよう、自分に言い聞かせる。
暑いのは、トイレの責任じゃない。
暑いのは、トイレの責任じゃない。
暑いのは、トイレの責任じゃない。
・・・あ~暑い・・・
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中国旅行(6) ウイグル自治区で食べたもの~前編~

2012-07-30 18:04:41 | ウイグル・中国

ウイグル料理の横綱、ラグメンさま
(写真を撮り忘れたので、ウィキペディアから取りました・・・)



ウイグル料理ときいて、私の頭に浮かんでくるもの。
それは盛大に白い煙を立てながら、カワプ(ケバブ、つまり串焼き羊肉のこと)を焼く男達。
カマドから出したばかりの、ほかほかの黄金色のナン(分厚い円盤状のパン)。
買い食いしたカワマンタ(かぼちゃ入りの包子)や、屋台で食べたサモサ(羊肉入りの小さなパイみたいなもの)。
そしてもちろん、何度も食べたラグメンやポロ・・・ああ、思い出すだけでお腹が空いてくる。

羊肉がよく登場するところ(ちなみにウイグル人はムスリムなので、豚肉は食べない)、パンが主食だけれど、お米の料理も愛されているところ、味付けにトマトを使うところなど、ウイグル料理とトルコ料理の間には共通点が多い気がするが、中国の影響か、ウイグルではトルコよりもずっとたくさん麺類が食べられているように思う。
ちなみに麺類はどこで食べても手打ち、餃子の類も皮から手作り、パン類はかまど焼き、ケバブは炭火焼である。
これで美味しくないわけがない。

地元民にもっとも愛されているウイグル料理は、ラグメンだそうである。
ウイグル人にとってのラグメンは、イタリア人にとってのピッツァみたいなものだと、私は推測します。
ラグメンは、羊肉のこま切れや野菜を炒めて、茹でたうどんにかけた料理である。
味の決め手はトマト。安価で美味しくて、野菜も食べられるので、私も大好きになった。

食堂でラグメンを食べるウイグル人を観察したところ、麺と具を箸で食べ尽くしたあと、皿を持ち上げて、残った汁を最後の一滴まで飲み干すのが、彼らの流儀のようだった。
あの大きくて浅い平皿を持ち上げて口をつけ、こぼれないように傾けながら、底に残った汁を飲み干すのなんて、ウイグル人ってスゴイ。
私にはとてもできない。肉や野菜のエキスが出ていて、美味しいに違いないけど・・・。

ラグメンも美味しいが、ポロはその上を行くと、私は個人的に思う。
ポロはピラフの一種である。
羊肉のぶつ切りを人参の千切りや玉ねぎと一緒に炒め、出た汁に水を足して、米を炊く。
具は途中で取り出しておき、炊き上がったごはんの上にのっけて食べる。
羊肉のかたまりを使うため、ラグメンよりは高級だが、その分ボリュームと満足感があるのだ。

私が初めてポロを食べたのは、カシュガル郊外のバザールに出ていた屋台だった。
給食用の鍋みたいな、巨大な鍋がふたつ置いてあって、ひとつには羊肉の煮込みが、もうひとつには羊の油でテカテカ光ったご飯が入っている。
注文すると、鍋の後ろに仁王立ちしている体格のいいおじさんが、丼に景気よくよそってくれる。
おじさんの背後には、木の板でこしらえた簡易テーブルとベンチで客席がしつらえてあり、地元の家族連れがせっせとポロを掻き込んでいる。
私たちも隅っこに腰を下ろして仲間入りをする。
丼にてんこ盛りのそのポロを、私は余さず平らげた。
だって私の好みにぴったりの味だったんですもの。
よく煮込んであって、口の中でとろける羊肉には、ほのかな甘みがある。
羊の出汁で炊いたご飯も、いい感じに脂っこくてステキ。
口の中が脂っこくなりすぎたら、お茶で口直し。
ヤカンに入ったお茶(ジャスミンティーっぽい味と香り)は飲み放題である。
お茶はどこの店でもたいてい、無料で飲み放題だ。
本当は、冷えたビールがあればもっと嬉しいのだが、そんなことを口に出すわけにはいかないので、大人しくお茶を啜る。

カシュガル最後の夜に食べたカワプ(ケバブのこと)も、忘れられない味だ。
街のいたるところにあるカワプ屋の前は、いつ通っても、忍者の煙幕のような白い煙が充満している。
店先の路上で、炭火のグリルに串を並べて焼き、その背後に巨大な扇風機を配置して、通行人に向けて煙と肉の焼ける匂いを拡散させるのが彼らのやり方だ。
そんなことされたら、つい引き寄せられて、店に入っちゃう・・・。
私が入った店は、狭いけど大盛況だった。
ヨーグルトやスパイスにマリネしてから焼くタイプのカワプを3串と、ナン1枚を注文して、焼きあがるまで他の客の食事風景を観察する。
彼らは太くて長い金串を口元に運び、よく焼けたかたまり肉をじかに歯で食いちぎっていた。
さすが遊牧民である。
私はナンで串を包み込むようにして、ナンごとお肉を串から引き抜いたのち、ちぎったナンで肉を包んで食べる方式をとった。
このお肉が汁気たっぷりで、柔らかくて、臭みがなくて、焼き具合も味付けも絶妙だった。
中国旅行中に食べたもので、一番美味しかったのは、このカワプかもしれない・・・。

私がはるばるウイグル自治区まで旅することは、おそらくもうないだろう。
つまりカシュガルの、このお店のカワプを食べることは、もう二度とない。
だからこれは私にとって、幻のカワプなのである。


幻のカワプ・・・


ウルムチのカワプ屋さん


カシュガルのポロ屋さんで食べたポロ


カシュガルの屋台村(?)で食べたサモサ。中身の羊肉が見えるよう、ちょっと外皮をちぎってみた。わかりにくいけど・・・


かわいいナン屋さん


コメント (2)
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中国旅行(5) ウイグル自治区の印象

2012-07-14 18:36:54 | ウイグル・中国

民族衣装姿の、ウイグル人の美少女



「中国旅行(1) あらまし」で書いたように、私の中国旅行の主目的は、ウイグル自治区でウイグル人の暮らしぶりを観察することだった。
上海のインパクトがあまりに強かったため、そちらのほうは幾分かすんでしまったことは否めないが・・・。

「ウイグル人の印象は?」と聞かれたら、「見かけはトルコ人みたいなのに、お箸を使って食事をし、ウイグル語と中国語を話す人たち」と、私は答えるだろう。
トルコ系の民族だけあって、ウイグル人の顔立ち、体型、行動パターン、生活習慣などは、かなりトルコ人に近いように思えた。
だから、ウイグル文化を目の当たりにしても、トルコで数ヶ月暮らした経験のある私にとって、特に新鮮な驚きはなかったといえる。
ただ、彼らが箸を自在に操って麺類を食べている姿をみるにつけ、「ああっ、この人たち一見トルコ人なのに、箸使って食事してる~!」と不思議な気持ちになったものだ。
箸を使用する習慣は、中国支配の影響かもしれないけど。
ウイグル人が中国語を話すのは、もちろん学校で強制的に習わされるからである。
だから、ウイグル人はみんなバイリンガル。
英語を話せる人は少ないので、私が外国人だとわかると、みんなこう聞くのだった。
「中国語は話せますか?」
話せません。


ウイグル人男性は民族衣装ではなく、普通の洋服を着ているが、緑色のウイグル帽をかぶっているのが特徴的だ。
おかげで中国の他の都市で見かけても、「あ、この人ウイグル人だ!」とすぐわかる。
女性はというと、サイケデリックな模様の、極彩色の民族衣装を身につけている人をたまに見かけたが、たぶんお祝い事の時だけ着るのだろう。
普段は男性と同様、洋服を着て過ごしているようだ。
ヒジャーブで髪を被っている人は少ないが、中には髪だけではなくて、頭部全体をすっぽり被っている人もいて、多様である。

ウイグル自治区には、漢人も大勢住んでいる。
これは中国政府による、自治区への漢民族入植政策の結果である。
カシュガルはいまだにウイグル色が濃厚だが、それでも漢人の姿はいたるところで見かけたし、ウルムチにいたっては、入植があまりにも進んでいて、ウイグル人は狭いウイグル人地区に追いやられてしまった、というかんじだった。
漢人とウイグル人の衝突を警戒してか(あるいは、ウイグル人の独立運動を取り締まるためか)、警察のパトロール隊がいたるところで目についたし、ウルムチ・カシュガル間の国内線では、セキュリティチェックが異様に厳重だった。

カシュガルに到着した日、夜中の2時頃、誰かがホテルのドアを激しくノックする音で目を覚ました。
ぐっすり眠り込んでいるところを起こされて、何がなんだか分からない状態でドアを開けたら、そこには警官が数人立っていた。
早口の中国語で何か言っている。よくわからないが、どうやら身分証明書を見せろと言っているようなので、パスポートを渡した。
受け取った警官は、こちらが外国人だとわかって当惑した様子で(外国人が泊まるようなホテルじゃなかったので)、パスポートをめくりながら、どこかへ携帯で問い合わせていたが、結局無罪放免という結論になったようで、パスポートを返して立ち去った。
ドアを閉めて様子を伺っていると、彼らはほかの部屋のドアをひとつひとつ叩いて、泊まり客の身分証明書をチェックしているようだった。
やがて廊下に甲高い叫び声が響き渡ったので、ドアを開けて覗いてみると、寝ているところを起こされて憤懣やるかたない、といった風情の若いウイグル人女性が、警官に食ってかかっている。
どうなるか気を揉んだが、警官たちはあまり相手にせず、あっさり別の階へ移動していった。
あたりがすっかり静まったあとも、私はしばらく眠れなかった。
あれは一体なんだったのだろう。



人民公園をパトロールする警官たち




ウイグル人はこのまま、自治区とは名ばかりの漢人支配地域の、そのまた片隅に追いやられて、ひっそり暮らすしかないのだろうか?

中国からの独立は彼らの悲願だろうが、その日は一生こない、と私は思う。
ウイグルやチベットが中国からの独立を果たす日、それは中国崩壊の日である。つまり、ほとんどありえない。
しかし、いずれ中国全体で民主化運動が盛んになり、その波にのって、ウイグル人もより多くの権利を手にする可能性はある。
これがおそらく彼らにとって、最良のシナリオだろう。

ウイグル人自身は漢人による支配をどう思っているのか、自分たちの民族の将来についてどう考えているのか。
語学力不足のせいで質問できなかったのが、とっても心残りである。


顔を完全に被ったウイグル女性



郊外のバザールで、羊を売る男たち



民家のドア



アパック・ホジャの霊廟 中央アジアっぽい骨太な建築



羊肉屋



写真は全部カシュガルで撮影したものです。

コメント (5)
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