外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

オリーブ山の黄昏

2011-01-25 00:53:44 | パレスチナ
東エルサレムで私が住んでいたアパートはオリーブ山の上にあって、見晴らしがたいそうよかった。

台所の窓から庭のオリーブの枝越しに見えるのは、白茶けた岩肌をむき出しにした、はるか遠くまで連なる、なだらかな丘の波。濃い褐色の潅木のしげみがその表面に点々と模様をつけている。丘の斜面やふもとにはしらじらとした石の住宅がぎっしりと建ちならび、先の尖った暗緑色の糸杉の木立や、ほのかに銀色がかった背の低いオリーブの畑がところどころに顔を出す。

パレスチナ全土を通してみられるこの風景は、「荒涼とした」というのでもなく、「のどかで牧歌的」というのもちがう、なにか形容しがたい独特のものであり、やがて私の目に染みついて離れなくなり、テレビなどにちらっと映ったら、「ああこれはパレスチナだ」とすぐに言い当てられるようになった。ヨルダンやシリア、レバノンなどの周辺諸国にも類似した風景はみられるが、パレスチナの建築物は真っ白い石材でほぼ統一されているので、より清冽で完結した印象を与えるのである。あえて言葉で表現するなら、「明るい自己完結」というイメージに近いだろうか。それとも「なごやかな墓地」とか、「祝祭的な終末」?どれも近い気がするが、少し違う気もする。

強い日差しにさらされた昼間もよいし、無数のオレンジ色の街灯や家々の明かりに混じって、モスクの塔のエメラルドグリーンの光が点在する夜景も、いつまでも見入ってしまうほど見事だが、私が一番好きなのは黄昏時である。

近所のモスクのスピーカーから日没のお祈りのアザーンが轟々と響き渡り、部屋の中が薄闇に沈みこむと、私はまるで何かに誘われているかのような気がして、うわの空でコートをはおり、カバンを肩に掛けてドアを開ける。家の前の道をほんの少しだけ左に進むと、そこは遮るもの何もない自然の展望台で、光を失った淡い天空のもと、地平まで続く緩い丘のうねりが目前に広がっている。昼と夜の間の透明な時間が全てを包み込み、丘も家々も木々も蒼ざめた靄にけぶっている。やがて闇が濃さを増して夜の到来を予言すると、それに対抗するかのように、中空に頼りなく浮かんでいた月が力を取り戻し、黄金色の光を放って、あたりを静かに照らし出す。今眺めているのと同じ風景が、自分の内側にも無限に広がっているのを感じながら、私は茫然と立ちつくす。

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パレスチナからヨルダンへ

2011-01-25 00:49:31 | パレスチナ
2010年の年末にパレスチナを出て、陸路ヨルダンに移動しました。
出国の経過、ヨルダンでの暮らしなどについてはいずれ書きたいが、まだパレスチナのことで書き残したことがいくつかあるので、忘れてしまう前にそれらを優先して書こうと思う。急がなきゃ全部忘れちゃいそう・・・

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