外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2012年5月韓国への旅(4)最終回~ソウルで飲み食いしたものなど

2022-04-20 07:34:29 | 韓国

 

今回は韓国旅行記の最終回。たった4回分なのに、やけに時間がかかってしまったが、ようやく最後までたどり着けた(無理やり)。ああ、しんど…最近ますます集中力がなく、疲れやすいのだ。そういうお年頃かしら~

 

 

前回の記事の最後に、「次回は残りの写真をランダムに載せる」と書いたが、残った写真を眺めてみたら、その大半は食べ物と酒関係だったので、それを中心にまとめてみた。全てソウルで撮った写真だ。いつものように大半がピンボケだが、一種の精神修養だと思って、心の目で修正して見て欲しい。ダマスカス留学仲間やパレスチナで知り合った友人達と訪れたところもあれば、1人で行ったところもある。

 

 

まずはダマスカス組の友達と訪れた仁寺洞(インサドン)

 

 

 

 

仁寺洞は伝統茶屋や韓定食(コース料理)の店、伝統工芸品店が多い人気の観光スポットらしい。

 

 

韓定食の店が並んでいた界隈の看板と石の亀さん

 

 

韓定食は少し高そうだったし、皿数が多くて食べきれなさそうだったので食べてない。

 

 

伝統茶屋でティータイム

 

 

全体的にあか抜けていて、センスがいい店だった。京都のこじゃれた町屋カフェみたいな雰囲気だ。私は柚子茶を飲んだ。当然甘かったが、たまにはこういうお洒落な店で、女友達と甘い飲み物を飲むのも悪くないものだ。(今は酒一択だが)

 

 

しかし、素敵な伝統茶屋よりも、スタバの方が賑わっていた。

 

 

アメリカ人は旅先でスタバを見かけたら入ってしまう習性があると思う。

 

 

夜は私の希望で「ポジャンマチャ」(=屋台の居酒屋)で飲んだ。ガイドブックや旅の指差し会話帳などを見て、酒関連の単語だけはがんばって勉強して行ったのだが、もうすっかり忘れたな…

 

 

時間が早くて、開店したばかりだったからガラガラ

 

 

チヂミ

 

 

生野菜が付いてきた。他の物も食べたが、写真が残っていない。

 

 

椅子の下で待機していた猫さん

 

 

仁寺洞には、1人で行って屋台で飲んだこともある。

 

 

やはりチヂミ。チヂミは美味しい。

 

 

マッコリが給食のおかずの器の金色バージョンみたいなものに入って出てきた。マッコリはこれで飲むものだそうだ。日本酒や焼酎でやると危険だが、マッコリはアルコール度が6~8度程度だから大丈夫。種類が多くて、フルーツフレーバーのマッコリも色々あったが、甘そうなので敬遠。普通のマッコリで十分甘いし。

 

 

同じメンバーで明洞(ミョンドン)にも行った。ここはお買い物スポットらしく、コスメショップや韓国伝統衣装の店が並んでいた。

 

 

 

 

 

 

この辺りは飲食店も多く、その中の1つで豆乳麺(コングクス)や参鶏湯(サムゲタン)などを食べた。

 

 

豆乳麺や魚の干物、キムチなど

 

 

麵が長いので、まずハサミで適当な長さに切るのだと友達に教えてもらった。

 

 

参鶏湯

 

 

火傷注意(私は猫舌)

 

 

別の日、メトロに乗って動物園にも行った。おそらく京畿道のソウル大公園(ソウル動物公園)だと思う。ここはパレスチナ組の友人たちに連れて行ってもらった。

 

やたら広いので、リフトで移動する

 

 

韓国人の家族連れやカップルが多かった

 

 

短パン・生足の女の子とペアルックのカップルがわりと目についた。日本ではペアルックの人を見かけるのは稀なので、新鮮だった。

 

 

頭が水没したフラミンゴさん達

 

 

子供のフラミンゴはまだ色が白いのね…

 

 

象さんたち

 

 

アグレッシブなヤギさん達

 

 

外国で動物園に行くのは楽しい。

 

 

 

ここから後は、ソウルの街角のどこか(場所を覚えていない)で撮った写真をランダムに載せる。

 

 

名前もわからなかった建物

 

 

正面に2つ対になっている小さな妖怪みたいな石像があったのが印象的。

 

 

これも妖怪っぽい。

 

 

ここにも

 

 

街角の無料コンサート

 

 

ステージ前には椅子が並び、黙って耳を傾けている観客が大勢いた。立ち見客もいた。ソウルは歴史と伝統だけではなく、芸術の街でもあると思った瞬間だ。

 

 

デモもよく見かけた。

 

 

 

脱北者を中国が強制送還していることに対する抗議の座り込みだとのことだった。他にも、朝鮮戦争関係のデモなどを見かけた。ソウルでは、政治活動も活発なのだ。私の友人たちはパレスチナ関係の大規模なイベントに参加して出店し、支援活動の資金を得るため、パレスチナで買い付けた小物やTシャツなどを売っていた。

 

 

男性客でにぎわっていた小さな飲み屋

 

 

入りたかったが、1人で入る気合がなくて素通り。その近くの空いている食堂で石焼ビビンバ(トルソッピビンパプ)を食べた。

 

 

まあまあだった

 

 

やっぱり、このビールは色が薄いよな。

 

 

これはパレスチナ組の友達と食べたランチ

 

 

地元民御用達の店で、注文した料理の名前は記憶にないが、どれも安くて美味しかったような気がする。韓国では料理を1品頼んだら、キムチだのナムルだのの小皿が2つ以上ついてくるので、お得感がある。友達は2人とも日本好きなのだが、日本でご飯を食べても小皿が付いてこないのが寂しいと言っていた。

 

 

こうやってグチャグチャに混ぜると美味しいのよ、と教えてくれた

 

 

韓国の餃子(マンドゥ)

 

 

漢字は「饅頭」らしい。トルコのマントゥと名前も料理のタイプも酷似している。ウィキペディアによると、この料理はモンゴルから朝鮮半島に持ち込まれたという説と、中東からシルクロードを経て伝わったという説があるそうなので、いずれにせよ繋がりがあるのだろう。

 

 

どこかの屋台で見かけた、退屈そうな犬さん

 

 

最後に宿の話。この旅で泊まったいくつかの宿の中で、一番快適だったのは「イェイエネ・ゲストハウス」だった。

 

 

なぜか共同スペースの写真しか撮ってない

 

 

共同スペースの周りに部屋がいくつかあって、この時は他に誰もいなかったから、独り占めできた。寝ている間にオーナーの女性が韓国風の朝食(キンパやキャベツ卵サンド等)を用意してくれていた。彼女は日本語がペラペラで、物腰が柔らかく、とても親切な人だった。アイドルの追っかけをしている日本人の若い女の子たちがよく利用するという話だった。出発の日には、韓国海苔をたくさんお土産にくれた。

 

 

そういう訳で、韓国旅行は非常に楽しかった(大雑把なまとめ方)。ほんの数日の滞在でソウルと仁川にしか行っていないが、日本と一見そっくりなのに、実際には少しずつ違うので色々発見があって新鮮だったし、もちろん食べ物も美味しく、人も親切だった。物価も日本より少し安くて助かった。

 

 

滞在中一番驚いたのは、水洗トイレにペーパーが流せず、カゴに入れる必要があったことだ。そういう国は案外多いが、お隣の韓国がそうだとは考えてもみなかった。世界には私の知らないことがいっぱいあるのね・・・

 

 

という訳で、まとまりがない内容になったが、2012年5月の韓国旅行記はこれで終わり。ここまでお付き合い下さった奇特な方、どうもありがとうございました~

 

 

(参考)

“韓国の京都”で歴史を感じる。「仁寺洞」のおすすめ観光スポット13選

https://rtrp.jp/articles/20258/

 

韓定食

https://www.seoulnavi.com/special/5037844

 

伝統茶

https://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/FOD/FO_JPN_2_6.jsp

 

韓国のポチャ(屋台)で食べてみよう♪買い食い&B級グルメ大好きな人向け

https://noritter.com/5150

 

徒歩でOK【明洞】観光ガイド!美味しい、韓国グルメ店・コスメショップ・1日モデルコース・両替所など完全網羅

https://www.tabikobo.com/tabi-pocket/asia/korea/article38896.html

 

コングクス(豆乳素麺)の韓国人気レシピ。本格な作り方から簡単アレンジまで

https://karaichi.com/kongukusu/

 

ソウル大公園

https://japanese.visitseoul.net/nature/seoul-grand-park-jp_/5478

 

ウィキペディア「マンドゥ」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5_(%E6%96%99%E7%90%86)

 

イェイエネゲストハウス情報(現在の営業状況は不明)

https://4travel.jp/travelogue/11109998

 

韓国屋台の味 キャベツ卵サンド レシピ・作り方

ttps://www.kurashiru.com/recipes/c8b43af0-04f5-4b84-82d0-80161ab6f8b7

 

 

リンク貼りすぎやろ(1人ツッコミ)

 

 

(おまけの酒写真)

 

イタリアの食前酒チンザノ・ビアンコ

 

 

ドンキで安かったから買った。この酒はどうも薬臭くて、元々さほど好きな味ではないので、小さなグラスで飲んでいるのだが、最近だんだん「マズい!もう一杯!」状態になってきて、ついお代わりしてしまう。アルコール度15度なのに・・・いつか好きになってしまいそうでコワい。

 

 

チンザノに興味がある方は、こちら↓をご覧くださいませ。

 

「チンザノ」を極める!種類、飲み方、カクテルレシピ総ガイド

https://macaro-ni.jp/43648

 

 

リンクが貼りたくなる病気って、あるんかな・・・

 

 

 

(終わり)

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2012年5月韓国への旅(3)仁川(インチョン)を散策して猫を堪能

2022-04-13 06:12:44 | 韓国

 

しばらく更新をサボっているうちに日本には春が来て、その後冬が戻ってきたと思ったら、唐突に夏に突入してしまったが、皆さんいかがお過ごしだろうか。

 

うちのボロアパートは先週くらいまで室温11℃だったりしたのだが、今は日中25℃を超えている。4月でこれだということは、8月は50℃くらい行くのでは。去年の夏、命の危険を感じるレベルの猛暑日が延々と続いたが、今年もそうなるんだろうか。私は生き延びられるのか…

 

さて、今回は韓国旅行記の続き(前回はこちら)。書き始めたのは去年の11月だったのに、4月になってもまだ3回目とは、これいかに。なんだか一生終わらないような気がしてきたので、次回で無理やり終えるつもりだ。

 

今回は、旅の最終日に仁川(インチョン)を観光した時の話。パレスチナで知り合った韓国人の女の子2人組(前書き参照)のうち1人の実家が仁川にあるので、そこに1泊させてもらって、彼女に街を案内してもらい、翌日の昼に仁川空港から帰国したのだ。彼女は日本語が話せるので楽だった(萩尾望都の漫画が原語で読める)。

 

友人の実家のマンションは、昔なつかしい感じの大型団地の一角にあった。ご両親とおばあちゃん、お姉さんと彼女の5人暮らしで、彼女はお姉さんと同じ部屋に寝起きしていたが、スペースに余裕がなかったので、私を泊めるためにお姉さんはおばあちゃんの部屋に寝ていた気がする。(うろ覚え)

 

お姉さんは会社員で仕事があり、この時はあまり一緒に過ごすことはなかったのだが、見るからに心優しい、かわいらしい感じの人で、別れ際にはお土産だと言って、用意していたお菓子やジュースなどをいっぱいもたせてくれた。天使か? 

 

ソウルから地下鉄を乗り継いで、お昼前に友人宅の最寄り駅についた。1時間くらいだったような気がする。(これもうろ覚え)

 

家に着いたら、友人がまず冷蔵庫からヤクルトを取り出して飲み、私にも勧めてくれた。韓国ではヤクルトが日常的に飲まれているらしい。これ以前に泊まったホテルでも、朝食にヤクルトが添えられていた。イタリアのスーパーで見かけたこともあるし、ヤクルトは国際的な健康飲料なのだ。

 

ちなみに、さっきウィキペディアでヤクルトを検索すると、商品名の由来について、こう書いてあった:

 

~「ヤクルト」(Yakult)という商品名は、エスペラントでヨーグルトを意味する「ヤフルト」(Jahurto)を元にした造語である~

 

ヤクルトって、実はヨーグルトだったの? 今まで知らなかった~(もしや有名な話?)

 

…閑話休題。どうも私は話が逸れがちだ。

 

家族の皆さんとご挨拶した後、お母さんが用意してくれた昼食をいただいた。他の人たちは先に食べたようで、私は友人と差し向かいで食べた。

 

やたら品数が多い

 

チャプチェとか豆ごはんとか煮卵とか貝の入ったスープとか・・・どれも家庭的な、なつかしい感じの味付けで美味しかった。毎回こんなに用意するのは大変じゃないかと聞くと、大半が常備菜で、まとめて作って冷蔵庫で保存してあり、それに新たな料理を1,2品付け加えるだけだから大変じゃない、ということだった。でも、仕込みの時は手間がかかるだろうし、皿洗いも面倒そうだな・・・

 

食後、友人に街を案内してもらった。私の希望でバスで移動し、まず視覚障害のある若者たちが撮った写真展を観て、それから彼女の知り合いがやっている猫がいるカフェに行き、さらに古くからある職人街や中華街、商店街などを回った。私の好みを考慮した見事なチョイスで、至れり尽くせりだった。

 

私はバスが好き

 

 

どこかの教会

 

 

視覚障害者の写真展はこじんまりとした規模で、なんとなく写真を撮るのを遠慮してしまい、説明書きも処分してしまったのでよく覚えてない。目が見えない人が写真を撮るということ自体がすごいし、写真もとても良かったのだが、ぼんやりとしか記憶にないのだ。やはり、旅先で見聞きしたことは、記録を残しておかないといけませんね。

 

その後連れて行ってもらったカフェは、店内に猫が数匹いたものの、いわゆる「猫カフェ」ではなくて、女主人が飼っている猫が好きなように過ごしているという、私の好きなタイプのお店だった。

 

(以下、カフェ内部の写真が全部ぼけているのは、カメラのせいにしておいてください)

 

紐遊びが大好きな白ミケちゃん

 

 

久しぶりに猫と遊べて、幸せだった・・・

 

 

ここにも2匹

 

 

「ほらみて、アタシかわいいでしょ、ふふっ」のポーズ

 

 

猫の絵本コーナー 日本の名作絵本「100万回生きたねこ」もあった。

 

 

お茶は自分で淹れて、代金は料金箱に入れるセルフサービス方式だった。

 

古くからある職人街にも行った。都市開発のためその一帯が取り壊されるはずだったところを、住民が行政を相手取って訴訟を起こして勝利し、開発計画が白紙に戻ったということだった。ステキな話ね・・・閑散としていたけど。鍋屋(とパチンコ屋)の写真しかないけど。

 

韓国の伝統的な大鍋の専門店

 

どうやって持つんだ、これ。

 

パチンコ屋 

 

日本のパチンコ屋のような人工的な派手さがなく、地味な店内からなんとなく後ろめたい感じの空気が漂っているような気がした。気のせいかもしれないが。

 

お洒落な飲食店が集まっている界隈にあったカッコイイ飲み屋

 

外壁には、ビールのフタで壁画が描かれていた。

 

中華街

 

 

中華街のボスは猫

 

 

ボスは顔はコワいが、まんざらでもない様子

 

 

商店街の行列のできる唐揚げの店

 

 

魚屋さん

 

 

窓辺の猫さん

 

 

夕食はマンションの近所の飲み屋でとった。何を食べたかは記憶にない。

 

 

韓国のビールは、全般的に日本のビールより味が軽めで、アルコール度もやや弱め。中国のビールも大体そうだが。

 

 

一杯飲んでから帰って、友人と雑魚寝した翌朝は、当然朝ごはんが用意されていた。

 

 

朝も結構な品数

 

 

夜にこれが出てきたら酒が進みそう。

 

 

食後に皆さんにご挨拶して、お姉さんにお土産を渡され、友人にも土産をもらって、鉄道で空港に出て帰国した。お土産のせいで荷物が重くなったが、「もてなされた」という実感に全身が満たされ、しあわせな気分だった。

 

 

次回は、残りの写真をランダムに載せて、この旅行記を終わりにしたいと思う。本格的に暑くなったら、廃人と化して今以上に生産性が落ちるはずだから、その前に書かないと。がんばろう~

 

 

(おまけのベンチ飲み写真)

 

 

日が暮れる前、まだ明るい時間にベンチ飲みすると、鳩に会えるので楽しいが、周りに家族連れが多いので、なんとなくストロングゼロなどは飲みにくい。(小心者)

 

 

 

(続く)

 

 

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2012年5月韓国への旅(2)梨泰院でソウル中央モスクと中東の雰囲気を満喫

2022-03-05 18:42:06 | 韓国

 

 

もう3月になって、日本はすっかり春めいてきたが、皆さんはいかがお過ごしだろうか。

 

 

私はロシアのウクライナ侵攻のことで頭がいっぱいだったが(シリアでの空爆等のこともあり、ぷーは一生許さん)、それは脇に置いといて、今回は韓国旅行記の本編に入る。

 

 

前書きを書いてから、気が付けばもう3か月以上経過していた。魔法にかかって、時を駆けたのかな(少女じゃないけど)

 

 

前書きでも言及したが、ほんの数日の旅行で写真がわずかしかないし、十年近く前のことであまり覚えていないから、2回ほどで終えるつもりだ。いんしゃーあっらー・・・

 

 

というわけで、今回のテーマはモスクとその周辺地域。モスクは私が外国を訪れた際によく行くスポットのうちの1つだ。

 

 

ソウルの梨泰院地区には、大きくて立派なモスクがある。「ソウル中央モスク」だ。ウィキペディアのこのモスクについての項目には、以下のような記述がある:

 

 

「大韓民国におけるムスリム共同体の起源は1950年に始まった朝鮮戦争に国連軍として参加したトルコ軍にあるとされている。トルコ軍には何人かのイマームが従軍しており、朝鮮戦争停戦後も彼らは布教活動のために韓国に残った。1955年には彼らによってイスラームにまつわる講座が開かれ、およそ200人の韓国人がイスラームに改宗したという」

 

 

朝鮮戦争の時に国連軍に参加したトルコ軍が韓国のムスリム共同体のルーツ? 本当かな・・・

 

 

梨泰院にはシリア留学時代の仲間だった日本人の女の子1人および韓国人の女の子2人と連れ立って行った。3人とも私より一回りは若いので、全体的にキャピキャピした感じで盛り上がった。

 

 

まずモスクを見学する。

 

 

敷地への入り口

 

 

敷地の中に入って、目を上げるとこんな風景が待っていた。

 

 

予想していたよりもずっと大規模で、収容人数も多そうだった。正面上の「الله أكبر (アッラーフ・アクバル=アッラーは偉大なり)」という緑色の2文字と両サイドのミナレットが特徴的だ。

 

 

内部はこんな感じ。非ムスリムでも入れる。

 

 

韓国人ムスリムは日本人ムスリムと同様、絶対数が少ないと見え、在住外国人の姿が目立った。

 

 

モスクを出てから、周辺の店を見て歩く。この一帯にはハラール食品店やイスラム関係の雑貨・書店、中東料理店などが集まっていた。

 

 

あるインド・パキスタン系らしきミニマーケットの前で、フレンドリーなインド人の男性に話しかけられた。彼は日本に住んで働いていたことがあるという(どこの街に住んでいたかは失念)。韓国での暮らしはどうかと聞くと、楽しいという。日本では暗くなると街がガランとして、外に出ても話し相手もおらず、家でじっとしていてつまらなかったが、韓国では人々と会話できるから、ということだった。そう言われてみると、韓国(特にこの界隈)の人の方が話しかけやすそうな気もする。

 

 

チャイを飲みに入ったケバブ屋では、従業員のトルコ人の若者たちに「日本に行きたいんだけど、どうやって行けばいい?」と聞かれた。どうして韓国に来たのかと聞くと、「日本に行きたかったけど、お金が足りなくて韓国で止まっちゃった」と笑いながら答える。ホンマかいな・・・日本は近いから泳いでくるように言ったら、ウケていた。

 

 

横綱級のドネルケバブ

 

 

どこかのレストランでゆっくりランチをしたかったので、ケバブは食べなかった。

 

 

「ダマスカスレストラン」を発見

 

 

ここに入りたかったのだが、残念ながら閉まっていたので、近くのトルコ料理店に入った。

 

 

店の外観は撮り損ねた。

 

 

パンとホンムス(ひよこ豆ペースト)とサラダに、パトゥルジャン・ムサッカ(揚げ茄子と牛挽肉のトマト風味の炒め煮)。他にも頼んだと思うが、写真がない・・・

 

 

ムサッカはギリシャやエジプトなどにもあるが、国によって作り方が異なる。

 

 

トルコのムサッカのレシピ動画。作ったことないけど。

 

味付けは塩、黒胡椒、クミン。発酵させたトマトペースト「サルチャ」も欠かせない。

 

 

店の外でアラビア語を英語に混ぜて立ち話していたところ、パレスチナ人の実業家だという男性が話しかけてきた。彼はアラビア語が出来る韓国人を探しているところだった。韓国人の友達の1人がちょうど求職中だったので、連絡先を交換して、後日話を聞きに行くことになった。私も失業中だったのだが、韓国人ではないので諦めた。ソウル(の梨泰院)って、道を歩いているだけで仕事が見つかるドリームランドか?

 

 

日本にもアラブ人街やトルコ人街があればよかったのに。新大久保はちょっと(だいぶ)違うし。そういえば、お台場はイスタンブルっぽいからトルコ人が多く住んでいると聞いたけど、どうなんだろう・・・

 

 

ドンドゥルマ屋さんは韓国人がやっていた。

 

 

歩き回っているうちに、ダマスカスのお菓子(حلويات الشام)と書かれたお菓子屋さんを発見。

 

 

ここ。バクラワが目玉商品のようだ。(アラビア語ではبقلاوةバクラーワ)

 

 

入ってみたら、焼き立てのバクラワや、その他のアラブ菓子が並んでいた。

 

 

 

 

菓子職人は、シリア人の若い男性。彼はシリアからUAE経由で韓国にたどり着いたと言っていたと思う(うろ覚え)。シリアにまだ家族が残っているとのことで、色々心労が多いはずなのに、にこやかで話しやすく、優しい雰囲気の人だった。私はお菓子を買わなかったが(辛党なので)、バクラワを買った友達によると、美味しかったらしい。

 

 

 

 

そんなわけで、ソウルの梨泰院地区では、中東の雰囲気を満喫することが出来た。日本にも将来こういう地区が出来ればいいが、あんまり期待できないかな・・・

 

 

(参考)


ソウルの中の小さな異国?梨泰院の裏道はいろいろおもしろい!

https://www.seoulnavi.com/special/5055566

 

トマトのうま味が濃縮
「サルチャ」(トルコ)[第1回]

https://cocoro-dining.co.jp/magazine/?p=1083

 

ムサカの絶品簡単レシピ!トルコやギリシャの定番のナス料理

https://turkish.jp/turkishfood/%E3%83%A0%E3%82%B5%E3%82%AB/#%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%81%AE%E3%83%A0%E3%82%B5%E3%82%AB

 

 

あ~、書いてたらまたムサッカが食べたくなった・・・

 

 

(おまけのガチャ写真)

団子むし

 

 

お口の中でモゾモゾしそう。

 

 

(終わり)

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2012年5月韓国への旅(1)前書き~韓国人とダマスカスとパレスチナについて~

2021-11-19 19:59:26 | 韓国

 

 

唐突だが、今回からは韓国旅行記ということで、2012年5月下旬に韓国に行った時の写真を数回に分けて載せる。

 

 

1週間足らずの短い旅で、訪れたのはソウルと仁川(インチョン)だけだったし、なにしろもう10年近く前のことなので、例によって記憶の奥の地層に埋もれていて、あまり思い出せないのだが・・・

 

 

とりあえず、少しは思い出す努力をしてみよう。ほりほり(埋もれた記憶を掘り出す音)

 

 

はぁはぁ・・・(気力がない)

 

 

そういえば(ちょっと思い出した)、あの時の旅の目的は、韓国人の友達に会うことだった。ダマスカスで仲良くしていた女の子たちと、パレスチナで知り合った女の子たち。それぞれ2人ずつだ。

 

 

アラビア語を勉強するためにアラブ諸国に留学する韓国人は案外多く、シリアでもエジプトでも、語学学校で韓国人の留学生たちと一緒になった。特にダマスカスで知り合った韓国人の女の子のグループとは、日本人の留学仲間に混じってかなり親しく付き合い、しょっちゅう一緒に遊んでいた。この韓国人の子たちは私より一回り若かったが(日本人の友達も大半がそうだった)、あまり年を気にせず楽しく過ごすことが出来た。あの頃(2008~2010年頃)のダマスカスはそういう場所だった。年齢や出身国の別なく外国人が集まって、若いシリア人の学生たちと共に毎晩誰かの下宿でパーティーをし、夜遅くまで騒いでいた。今思うと、皆が地面から少し浮き上がってふわふわと空中を漂い、その瞬間だけを生きているような、そんな刹那的な輝きを放つ日々だった。

 

 

ダマスカス旧市街の風景(ウィキより拝借)

 

 

 

パレスチナで知り合った方の韓国人の女の子2人組は、ダマスカス組よりやや年上の社会人で、パレスチナ支援のための団体を運営しており、毎年のように西岸地区に一定期間滞在して、様々な活動をしていた(彼女たちはこの記事の最後の方に登場する)。この2人を初めて見かけたのは、西岸地区のビリン村でのデモの最中だった。ビリン村では、イスラエルが近隣に入植地を建設してフェンスで囲んだせいで、村人が農地に行けなくなったり、水資源を取られたりしていることへの抗議として、金曜礼拝の後に毎週抗議デモが行われているのだが、私がそれに参加した時(ビビりだから一番後ろの方でビクビクしながら見てただけ)、彼女たちが遅れて登場したのだ。イスラエル兵が発射した催涙ガス弾の煙がもうもう立ち上る中で、2人が両手に荷物を抱えて平然とスタスタ歩いてくる姿が印象的だった。

 

 

その後私たちはISM(パレスチナ国際連帯運動「the International Solidarity Movement」の略)のトレーニングに参加した時に知り合って仲良くなり、一緒にラーマッラーを散策したり、オリーブ摘みの活動などについて情報交換し合う仲になった(私はキツイだの朝起きるのしんどいだの愚痴を言っていただけだが)。私が住んでいた東エルサレムのアパートに泊まりに来てくれたこともある。

 

 

ラーマッラー中心部(これもネットから拝借した写真)

 

 

当時のビリン村でのデモ等について書いた過去記事

https://blog.goo.ne.jp/mendokusainoyo/e/e2ed3eca19f40d7ec8c08be452e3c2f2

 

https://blog.goo.ne.jp/mendokusainoyo/e/7114ab7c5937525b53c67fc3c59cf85a

 

 

ダマスカスでもカイロでもパレスチナでも、韓国人の子たちとはすぐに仲良くなれた。中国人も同様だ。同じ東アジアから来ているという仲間意識があるし、アラブ人や欧米人と違って外見や文化・生活習慣が似通っているので、何も言わなくても表情で相手の気持ちが察しあえたりするのだ。私には日本人としてのアイデンティティは希薄だが、アジア人(そして関西人)としてのアイデンティティは間違いなくある。

 

そういう訳で、年下の韓国人の友達は何人かいるのだが、どの子もびっくりするぐらい純粋で、愛情表現がストレートだった。ダマスカスでデンマーク人の留学生の女の子が、「韓国人の子たちは最高よね~」と言っていたが、私も同感だった。中東に留学してアラビア語を勉強する学生が標準的な韓国人だとは考えにくいが、とにかく彼女たちはいい子ばかりで、一緒にいると自分の心の汚れがザブザブと洗われるような心地がしたものだ。

 

彼女たちとは、お互いに中東を離れてからもフェイスブックを通じて時折メッセージのやり取りをしていたのだが、ことあるごとに「I MISS YOU」と書いてくるので、ここはひとつ会いに行ってみようかと考えるようになった。それが韓国訪問の理由である。韓国は近くて旅費も安いし、一度も行ったことがなかったから、多少興味もあった。

 

まず最初にソウルに行って、1人でホステルに泊まってその辺をウロウロし、その後日本から到着したダマスカス留学仲間の女友達と合流して、一緒に韓国人の子たちと会い、あちこち案内してもらった。ささやかな同窓会のようなものだ。彼女たちと一緒にいると、かつてのダマスカスの刹那的な雰囲気が戻って来たかのように感じられ、妙に陽気な気分になった。日本人の友達が用事で帰国した後は、パレスチナ関係の女の子たちと会い、最後はそのうちの1人の家に泊めてもらって、仁川を観光してから帰国した。

 

 

思い出すままに書いていたら、やたらに長くなったので、本編に入るのは次回にする。初めに書いたように、もうあまり覚えてないし、しょぼい写真しかないので、サクサクと終わらせるつもりだが、どうなるか・・・

 

 

期待せずにお待ちくださいね~

 

 

 

(おまけの動画)

「ダマスカスが恋しい」という題名の歌(アラビア語)

 

 

おそらくシリアで紛争が始まってから他国に避難せざるを得なかった人が、ダマスカスで過ごした日々への郷愁と胸の痛みを歌った作品。この歌を聴くと泣きそうになる・・・

 

 

 

(おまけの猫写真)

 

 

モデル代を期待している気配が・・・

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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