外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

在日クルド人家庭訪問~アレウィー教徒編

2017-07-10 05:33:17 | クルド

前回の記事で、これまで何回か訪問したクルド人家庭のお母さんと子供たちが、トルコに帰ってしまったと書いた。

暇になったな~と思っていたら(あ、暇つぶしに行ってたわけじゃないんですよ(^^♪)、支援を必要とする家庭がまた目の前に現れた。イタリア在住の中国人の友達が、かつて「ひとつの扉が閉まると、別の扉が開く」と言っていたが、そういうことってわりとよくある。

ある日、クルド人向けの日本語教室に顔を出し、去年来日したばかりで日本語が不自由だという母子3人組に平仮名などをテキト~に教えていたら(テキト~なんかい)、中学1年生だという長女が私に名前を聞き、「michiセンセイ、私に勉強を教えてくれますか?!」と切実な面持ちで頼んだのだ。日本語教室でクルド人の生徒さんに名前を聞かれるのは珍しい。みんな私の名前を知らず、「トルコ語を話す、いつも何となく気だるそうな正体不明のヒト」くらいに認識していると思われる。

その場ではつい返事を濁してしまったが、気になって後でKさん(日本語教室の主宰者。Kさんについてはこちらを参照)に話したら、彼女もその母子のことが気になったようで、後日一緒に家庭訪問する運びになった。

その一家はトルコ出身のクルド人が多数居住する埼玉県蕨市、いわゆる「ワラビスタン」に住んでいる。
私たちが夜お邪魔すると、一家総出で迎えてくれた。お父さん、お母さん、長男(10代後半でもう働いている)、先に書いた長女(中1)、次男(小4)の5人家族に加え、弟だの甥だのが2、3人いる。Kさんの話では、クルド人の家に行くと、こんなふうに大勢わらわら現れることが多いらしい。大勢で住むと、家賃等の生活費の負担が軽くなることが主な理由だろう。

もう食事は終わった時間だったが、果物だのナッツだのポップコーンだのでもてなされつつ、お父さんに一家の身の上話を聞かせてもらった。


人参がまるごとゴロリと出てきてひるんだ



お父さんの話を要約すると以下のようになる:

彼らはトルコ南東部ガジアンテプから車で1時間ほどの地域に住んでいた。
お父さんは約2年前に来日し、在留許可を取得して、他の大半のクルド人男性と同様に建物の解体現場で働いている。お母さんと下の子2人(長男については聞きそびれた)は昨年9月頃に来日したが、到着時に成田空港で拘束され、3日間収監された後(最初の1日は食事も貰えなかったそうだ)、仮放免となった。このため彼女たちは在留許可を持っていない。国民健康保険にも加入できない。お母さんはトルコにいた頃から心臓が悪く、時々動悸が激しくなる発作に襲われるが、費用が高くつくため医者に行けない。子供たちは学校に通っているが、日本語がわからないため、授業についていけない。長女は中1であるにもかかわらず、まだ平仮名・カタカナの読み書きがあやうい状態。次男も日本語ができないため、同級生たちにからかわれることがある。先生にも持て余されており、転校を勧められたこともある。とにかく、「日本語ができない」ということに、彼らは大きな危機感を持っており、この状況をなんとか抜け出したいと切実に願っている。

彼らはクルド人の多数を占めるスンニ派ムスリムではなく、アレウィー教徒だという。

私はその昔小島剛一氏の名著「トルコのもう一つの顔」を読んで、その存在を知っていたが、実際に会ったのはこれが初めてだ。さすがワラビスタンだ・・・

アレウィー教徒については、小島氏のブログを参照していただきたい。ちなみにこの一家は、ここでいう「アナトリア・アレウィー教徒」だ。シリアのシーア派の一種とみなされるアラウィー派(少数派だが、アサド大統領の一族など支配層に多くみられる)とは無関係。

アレウィー教徒が多数を占めるトルコのデルスィム(現在のトゥンジェリ)で1930年代後半に起こった虐殺事件の関連記事はこちら。全然詳しくないけど。多くのアレウィー教徒が犠牲になったといわれる。調べてみたら、アレウィー教徒にはザザ人(ザザ語を話す)が多いようだ。ウィキペディアのザザ人の項目(英語版)、によると、多くのザザ人が自分たちを「クルド人」だと認識しているそうなので、この一家も実はザザ人なのかもしれない。ちなみに、アレウィー教徒は蕨周辺に全部で15人くらいいるそうだ。

いずれにせよ、アレウィー教徒はトルコでは差別の対象なので(イラクのヤズディー教徒と同様の立場だと思われる)、彼らはトルコを逃れ、新天地での尊厳ある暮らしを求めて日本にやってきたわけだ。しかし現実は厳しく、日本政府からは何の支援も受けられず、日本の社会にも馴染めないまま時間だけが経っていくのがもどかしい様子だった。

多数派のスンニ派に属さないため、近隣に長く住んで日本語が達者な人もいるクルド人コミュニティーの支援は受けられない。トルコ人にも、もちろん頼れない。

彼らに必要な支援は:

・母親と子供たちの在留許可申請のサポート(素人にはミッション・インポッシブルかもな・・・)
・一家の全員への日本語指導(それぞれレベルが違うため、寺子屋方式でやるしかない)
・友達になってくれる日本人を見つける(日本人の友達がほしいそうなので。合コンか??)
・子供たちの勉強の補助(これはKさんの得意分野だが、彼女は色々な人のサポートをしていて、そう簡単には時間を取れない)
・健康保険のない外国人への医療サービス等、なんらかの支援を提供する団体の有無の調査(それにしても、イタリアにはキリスト教系、アラブ諸国・トルコにはイスラム系の全国・国際規模の慈善団体があるのに、日本に仏教系・神道系の大規模な慈善団体がないのはなぜなんだ)

こんなとこだろうか…



2回目にお邪魔した時には、夕食を出してくれた。白っぽい一品はひよこ豆入りヨーグルトソースのパスタ、団子状のやつはブルグル(挽き割り小麦)のキョフテ、そしてキュメもあった。キュメとは、ミンチベースの具を小麦粉の薄い皮に挟んだもので、トルコ南部カフラマンマラシュ(ドンドゥルマ発祥の地)の郷土料理だそうだ。すごく美味しかったけど、私は最近あまり食欲がなく、少ししか食べなかった。その代わり(?)ワインなどをいっぱい飲み(持参した)、完全に宴会モードになった。アレウィー教徒は飲酒OKなのだ。




(おまけ)
ハワイアンぺこちゃん











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在日クルド人家庭訪問~食事編

2017-07-08 17:48:40 | クルド


以前、在日クルド人家庭訪問~素朴な疑問編に「来日してからまだ数ヶ月で日本語が話せないトルコ系クルド人の一家をボランティアの日本語の先生が訪問するのに同行して、通訳していた」と書いたが、今回は食事編ということで、そこの家庭でご馳走になった食べ物の写真を少し載せたいと思う。


手作りのおやつ。四角いほうが甘いゴマケーキで、楕円形のが塩味のチーズ入りポアチャだったと思う。トルコ式のお茶請けは、必ず塩味のものと甘いものが組み合わされる。手作りお菓子が用意できないときは柿ピーとビスケットとかだった。食に極めて保守的で、あまり日本のものを食べないクルド人も柿ピーは好き(トルコ人も同様)。



イチリ・キョフテ(アラビア語ではクッベ)。ブルグル(挽き割り小麦)ベースの皮に羊のミンチの具を詰めて揚げたもの。日本人にもファンが多い。



中はこんなかんじ。トルコ東南部の料理には唐辛子が多用されるが、これも皮部分に唐辛子が入ってて辛め



ジャジュク。ヨーグルトにきゅうりとミント、にんにくが入っている。サラダと冷製スープの間くらい。ヨーグルトもパンも自家製。パンは売ってほしいほど美味しい。



この家庭には何回か通ったのだが、稼ぎ手がお父さんだけなのに、3人の子供の学校の費用が高くてやっていけなくなったそうで、お母さんと子供たちは最近トルコに帰ってしまった。旅費はトルコの親族に送金してもらったとのこと。お父さんは日本に残って働き、トルコに仕送りをするらしい。日本の学校って、やたらにお金がかかりますからね・・・みんなトルコで元気で暮らせますように。


そういえば、素朴な疑問編で書き忘れたが、この家庭の長女に「日本人の女の人はなぜ前髪を切るの?」と聞かれたことがあった。
君たちはなぜ切らないんだ・・・


(終わり)




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