外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

イエメン旅行(8)タイズとサナアの動物園

2011-10-18 00:34:43 | イエメン
サナア動物園のナゾの動物。



旅先で動物園に行くのは、私の習慣である。
動物を見るのは楽しいし、国や地域によって、展示されている動物の種類や管理方法、展示の仕方などが異なっていて、土地柄が出ているのが興味深い。いくら行っても飽きないのだ。

イエメンでも、サナアとタイズの2か所で、動物園に行った。

タイズの動物園は規模が小さくてお客が少なく、いい感じにうらぶれていた。私はうらぶれた動物園もわりと好きである。ここには、キリンや象なんかの花形動物がいない代わりに、「ハト」がたくさん檻に入れられて、展示されていた。日本でもおなじみの、お寺の屋根とかアパートのベランダをうろうろして、時々フンを降らせたりする、あのハトさん達である。誰だろう、ハトをこんなところに入れようと思いついたのは?檻が余ったから、ハトでもつかまえて入れとこうぜ!と誰かが思いついたのか?



以前行ったシリアのダマスカス動物園には、毛足が長めで薄汚れた、ごくありきたりの「犬」が展示されていて、「おお、犬が動物園に!」と笑ってしまったが、犬はシリアではあまり見かけないので、これもありだろう、と無理やり納得することにした。しかしハトはイエメンでも別に珍しくないのである。ハトに限らず、タイズの動物園には鳥類が各種取り揃えてあった。低予算の中小動物園にはありがちなことである。


サナア動物園で見つけた立て札、「動物園は動物の売買のための市場ではありません」と書いてある。


それに比べてサナアの動物園は、さすがに首都だけあって規模が大きく、動物の種類も豊富だった。ここにもハトがいたかどうかは記憶にないけど。
「動物園は動物の売買のための市場ではありません」と書いた、謎の札が掲げてあったりするあたり、さすがイエメンである。なにか勘違いして、ここに動物を買いに来る人たちもいるのだろう。「すいません、ライオン2頭とシマウマ1頭くださいな」とか言って…。

ここでは、ライオンの姿がやたらに目立った。なんでこんなに沢山いるのか、不審に思うほどである。イエメンに限らず中東の動物園では、全体の規模に比べてライオンの数がとても多いのが特徴のようだ。ライオンは彼らにとって、とても大切な動物であるようだ。強くて勇敢で気高い、動物の王様ですものね。私にとってライオンは、「大きな猫」でしかないが。

サナア動物園で私が一番気にいったのは、「ナマケモノ」と「モグラ」の中間みたいな感じの外見の、黒っぽいナゾの動物である。長い爪で檻にしがみつき、遠い目をして、なにかを深く考え込んでいるように見えた。ムーミン谷あたりにこういう動物が住んでいそう。機会があれば一度おしゃべりして、彼の世界観を語ってもらいたいものである。

(おまけ)
YOUTUBEで見つけた、サナア動物園の映像。ライオンを眺めている小さな女の子が、獣になりきっていてちょっとコワイ。
http://www.youtube.com/watch?v=8zM94RhQmZE


こちらはタイズ動物園、係員のエサやり作業の風景。安全対策や、動物への愛情、健康への配慮などは微塵も感じられない、イエメン的に大雑把なやり方である。だいたいそんな狭い檻に閉じ込められて、ライオンさん達が気の毒。
http://www.youtube.com/watch?v=Hjuhn425S9Y


これはサナア旧市街。ただそのままの日常風景を映しているだけなのに、まるっきり時代劇のセットのよう。ああ懐かしい!また行きたい!
http://www.youtube.com/watch?v=ZAp_vOf-xMY&feature=related



イエメン旅行記はこれにて終了。読んでくれた人、ありがとう。
コメント (8)
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イエメン旅行(7)左手を使わずに食事するということ

2011-10-15 01:52:02 | イエメン



知り合いのイエメン人宅で夕食をご馳走になったときのことである。

私は左利きなので、いつものように何気なく、左手でパンをちぎったり、スプーンを持ったりしていたのだが、それを見た女主人が、「左手は不浄な手だから、使わないほうがいいわよ、がんばって右手だけで食べるようにしてみて!」と言い出し、その日は左手を使わずに食事する羽目になってしまった。

イエメンでは(他のアラブ諸国でも基本的に同じだが)左手は、トイレで用を足した後、急所を水で洗ってキレイにするのに使う、不浄な手である。アラブのトイレはたいてい、手動のウォッシュレットなのだ。紙を置いているところもけっこうあるし、私は普段ティッシュペーパーを持ち歩くようにしていたけれど。


実際にやってみたことのある人には分かると思うが、利き手を使わずにゴハンを食べるのは非常に難儀な作業である。私のように、もともと不器用な人間であれば、なおさらのこと。パンをちぎりそこね、スープやおかずをこぼしまくり、スプーンを取り落とし…女主人はそんな私をにこにこ眺め、「がんばって!」と暖かく激励するのだった。ああ…。

その晩、私はベッドの中で考えた。
「郷に入れば郷に従え」という諺があるが、外国人はどの程度まで、その国の文化に合わせる必要があるのだろうか?いつもいつも相手の習慣に合わせていると、疲れてストレスがたまるし、かといって、自分の国にいるかのように好き勝手に振舞うと、不用意に相手の感情を害してしまう。その中間を行く、自分なりの折衷案を見つける必要があるのだ。

検討した結果、「イエメン人の家で食事するときは、左手を使わずに食べる、それ以外の場所(寮の台所とか、レストランとか)では、いつもどおり左手を使って食べる」ことに決定した。でもこれは私のやり方で、あんまりおススメ出来ない。左手を使わずにすめば、それに越したことはないのである。

そんな私は、日本に帰ってきた今、箸の使用に悩まされている(最近はだいぶ上達したが、エヘン)。スムーズに食事をするのって、本当に難しいことである。口を開けたら、食べ物がテレポートして、勝手に入ってきてくれないだろうか、と時々夢を見る...。
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イエメン旅行(6)イエメンの美味しい記憶

2011-10-01 00:59:39 | イエメン


私がイエメン料理で一番気に入ったのは、サンブーサである。
サンブーサというのは、ミンチやら、茹でたホウレンソウやら、チーズやらを薄い生地で三角形に巻いて揚げたもので、揚げたては最高においしい。サモサの親戚だと思うが、揚げ春巻きにも似ている気がする。イエメン人はラマダン期間の日没後、正式な食事(イフタール)の前に、軽いスナックとしてこれをつまむ。昼間外を歩くと、あちこちにサンブーサの屋台が出ていた。値段は忘れたけど、ごく安いものなので、毎日のように買って食べたものだ。タフリール広場にあるサンブーサ屋さんが一番おいしいと、アメリカ人の子に聞いたので、行ってみたら、お店の中はすごい人だかりだったので、買うのをあきためた。後日、すいているときに友人と行って、買って食べてみたが、成る程、おいしかった。サンブーサを食べる度に私が、「これでビールさえあれば、言うことないのに…!」と思ったことは言うまでもないですね。



友人の友人の家でいただいた、サルタとプリン。


イエメンに行くなら、絶対に食べて欲しいと、知り合いに勧められた名物料理がある。それはサルタである。私はサルタを、友人の友人の、イエメン人家庭でご馳走になった。サルタはサナアの伝統的な石鍋・煮込み料理で、肉や野菜の細切れを肉のスープで煮込み、いろんなスパイスやトマトで味付けしてある。この上には、クリーム色のとろっとした、正体不明のソースがかかっているが、これは「ヘルバ」というスパイスから出来ていて、かなり苦い。いままで食べたことがないような奇妙な味だが、けっして不味くはなく、慣れると病みつきになりそうな予感がする。しかしサルタは普通、サルタ専門店で食べるものらしく、その辺の食堂には置いてなかったので、あまり食べる機会がなかった。もっと食べたかったのに…とても残念である。


タイズの猫、どこ見てるのかしら?


サナアの南の方の、タイズという街の小さな食堂で食べた、子羊の炭焼きもおいしかった。時間が遅かったせいで(といっても夜7時くらいなんだけど、イエメン人は日没後、一瞬で食事を終えるから、7時にはもう食堂はガラガラ)、私以外にお客はいなかった。外国人が珍しいらしく、私のテーブルの周りを子供たちがうろちょろして、水や漬物を運んでくれたりする。店主のおじさんお勧めの、子羊のケバブ・ピラフ添えを食べたが、肉が新鮮で脂が乗っていて、とても柔らかかった。小さくて粗末な食堂なのに、なかなか侮れない。食後にはお茶を持ってきてくれた。飲んでいるうちに、店主がカートを噛みだし、私にも、「食後にカートはどうだい?イエメン名物だよ!一度試してみたら」、とすすめてくれたが、マズイのを知っているので遠慮した。くわばら、くわばら。

それ以外の料理はあまり記憶に残っていない。2週間の短い滞在とはいえ、人の家に招待されたりして、いろいろな料理を食べたのに、めそめそ。ただ、パンがおいしかったことだけは覚えている。イエメンのパンは薄くて香ばしくて、座布団みたいに大きい。このパンをちぎって、料理をすくって食べるのだ。一般に中東では、パンは単なる食べ物ではなく、スプーンやフォークなどの、カトラリー類の役割をも果たすことが多い。場合によってはお皿やフタや風呂敷代わり(食べ物を包む)にも使われる、便利な存在である。ああ、イエメンのパンがもう一度食べたい!シリアのパンも、エジプトのパンも食べたい!ここはひとつ、自分で焼いてみるしかないのか?う~ん、めんどくさいな。誰か代わりにやってくれないかな…。


どっかのニュースサイトから拾った、イエメンのパンの写真。

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イエメン旅行(5)サナア旧市街はおとぎの国

2011-10-01 00:06:25 | イエメン


サナア旧市街の建物は、夢のように愛らしい。

温かみのある赤茶色の土レンガの壁面に、四角い木枠の窓が連なり、そのひとつひとつの上に、繊細な模様の半円形の飾り窓がのっかっている。窓全体をぐるりと白い漆喰で大きく縁取ってあるが、その縁取りのラインが、まるで子供のお絵かきのようにのびのびとして、柔らかい印象を与える。その漆喰がほのかな茶色味を帯びて、レンガの壁の色に調和している。見ているだけでふっと心が和んで、優しい気分になれるのだ。

サナア旧市街にはそんな建物がひしめき合っている。サナア旧市街は、人が住み続けている世界最古の都市と言われていて(シリア人も、ダマスカスのことをそう言っていたけど)、ユネスコの世界遺産に登録されている。どの建物も背が高い。といっても、せいぜい4階か5階建てなのだが、エレベーターがないので、上り下りはきつい。内部はひんやりと涼しく、夜は毛布が必須である。そもそもサナアは標高2,000m以上の高地にあり、高原性気候なので、夏でも気温があまり上がらないのだが。

私が滞在していた寮も、そんな建物のひとつだった。借りていた部屋は見晴らしがよく、広い窓から旧市街が見渡せた。ラマダン中で、日没まではお店が閉まっていたため、あまり長時間外を出歩いて観光する気もせず、私はよく部屋にこもって新聞を読んでいた。新聞を読むのに疲れると、外の景色をぼうっと眺めた。

空の色が淡く透きとおっていて、8月だというのに、まるで秋のようだ。ぼわぼわと広がった雲が、午後の陽射し受けて、真っ白に輝いている。建物と建物の間の狭い路地を、子供たちの一群が歓声を上げながら走りぬけていく。猫たちが堂々とした足取りで通りを横切り、どこかへ消える。黒子の女の二人連れが、スーク帰りらしく、大きなビニール袋をたくさん腕に抱えて、仲良くおしゃべりしながら通り過ぎる。大通りでは、ダッバーブと呼ばれる、小さな乗り合いバスや、タクシーやトラックが、ひっきりなしに行き来している。大きくて重い、プロパンガスのボンベを、轟音を立てながらゴロゴロと転がして運ぶ若者。所在なげにうろうろする、やせっぽっちの時代劇の男たち。

そんな風景を眺めていると、なんだか自分がおとぎの国に入り込んだような、不思議な気分になるのだった。窓から入ってきた、心地よい風に吹かれながら、私は目を閉じる。

ずいぶん遠くまできた。
まだこれからも、もっと遠くまで行くだろう。

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イエメン旅行(4)カートとこぶとり爺さん

2011-09-21 00:06:57 | イエメン


イエメンと聞いて、カートを思い浮かべる人は多いと思う。

出発前にカイロの酒屋で、これからイエメン旅行に出ると告げたとき、酒屋のおっちゃんは、「おっ、じゃあカートが試せるね!」と目を輝かせ、片頬をぷうっと膨らませて、カートを噛む真似をしてくれた。
以前読んだ、イギリス人作家Paul Tordayのイエメンをテーマにした愉快な小説「Salmon Fishing in the Yemen」の裏表紙にも、「No Qat, No party」というキャッチフレーズが入っていた。どうもイエメンとカートは切っても切れない関係らしい。

では、カートって、一体なんでしょう?

カートというのは、一見お茶の木みたいな、なんの変哲もない緑色の植物で、葉っぱが枝付きのまま束ねられ、ビニール袋に入れて売られている。カート専門のカート市場もあるが、普通のスーク(市場)や、その辺の道ばたの売人からも買える。
この生葉のエキスには、麻薬のような、緩い覚醒作用があるといわれていて、噛みつづけていると、だんだん効果が現れるらしい。意識が覚醒してハイになるということだが、逆にうっとりと気だるくなって眠たくなる、という説も聞いた。アルコール類の手に入らないイエメンにあって、男たちの日々の気晴らしのための、重要な嗜好品なのである。前述の古いロンリー・プラネット(齢14歳)によると、その昔、イエメン男たちは寄り集まって、カートを噛みながら商談を交わしたり、大事な話をしたりするのが慣わしで、地域や部族における重要な社交行為であったようだ。今ではもうその習慣はすたれ、個人で、または親しい友人たちと、娯楽として楽しむようになったと聞いた。イエメンといえども、時代の流れに沿って、社会の変容がみられるのだね。田舎のほうではまだカート・社交が行われているのかもしれないけど。

私がサナアから乗り合いバス(というか、乗り合いトラック)に乗って、タイズという街に旅をしたとき、運転手が途中で車を止め、路上のカート売りのお兄ちゃんからカートを買っていた。カートは新鮮さが命なので、吟味する目が真剣である。じっと観察する私の視線に気づくと、運転手は「This is yemen whiskey!」と言って、にやっと笑った。

私もイエメンに来たからには、ぜひこのカートを試してみなければ!という義務感(?)に駆られ、着いた翌日さっそく買いに行った。カート売りの男たちはサナア旧市街のそこら中にいて、道ばたにカートの入ったビニール袋を広げ、道行く人に声をかけている。私が物欲しそうにじろじろ見ていると、「500リアルだよ」と値段を教えてくれる。500リアルというと、現在のレートで180円くらいだが、去年はもっと円安だったような気がする。イエメンの物価水準を考えると、けっして安くはない。初めて買うモノについては、まず値段の相場を調査することにしているので、とりあえず買わずに、もう少し見まわったが、値段はどこもあまり変わらないようだった。結局最初から2人目の売人のところで購入、小さめの袋で400リアルした。値切ってみたけど、「これは上等の品だから」とまけてくれなかった。ち。

カートの売り買いは男だけの世界なので、女で、外国人で、ジーパンとTシャツ姿、と三拍子揃っている私がカートを買うのは、周囲の人々の注目の的だったが、あまり気にならなかった。中東で一人旅をしていると、じろじろ見られるのにも慣れてきて、なんとも思わなくなるものだ。

話題はそれるが、私はイエメンに来る前、「イエメンに行くんなら、ヒジャーブで髪を覆って、アバヤ(体の線をすべて隠す、ゆったりとした女性用上着)を着たほうがいいよ、そのほうが嫌な思いをしなくてすむから」と、複数の人から忠告を受けた。それについて少し考えたが、普段と違う格好をするのは、自分を偽るようでなんだか不本意だし、それにいつもと同じ格好で出歩いたらどんな目に遭うのか確かめたい!という好奇心もあったので、結局ヒジャーブもアバヤも着用しないことにした。2週間の滞在中、一度もセクハラに遭わず、せいぜいじろじろ見られるだけだったので、なんだ、やっぱり必要なかったんじゃん、心配して損した(大して心配してなかったくせに)!と自信を持ったが、同じような格好をしていてセクハラに遭った人もいるようなので(後ろからオシリを触られるとか)、単に運がよかっただけかもしれない。もともと私はセクハラに遭いにくいタイプ、のような気がするが。

サナアで、私は友人の学校の寮に滞在していた。共有スペースの台所で友人と二人で夕食をとった後、いそいそと冷蔵庫からカートの袋を取り出し、枝から1枚葉っぱをちぎって噛んでみる。……ニガイ。あおくさい。なんだか、青虫みたいな味(青虫を食べたことはないが)。顔をゆがませながら、我慢してひたすら葉っぱをちぎっては噛み、ちぎっては噛み……しかしなんの効果も感じられない。どうも沢山噛まないと効果がないらしい。噛んだ葉っぱは吐き出さず、頬の内側に溜めることになっているが、慣れていない身には、これが結構難しい。頬を膨らませた妙な顔で、ひたすらカートを噛むのである。やがて歯とあごが疲れてきたので、終わりにした。結局イイキモチにはならなかった。1日だけではだめで、2,3日続けて噛まないと効果が出ないそうなので、翌日も念のため試してみたが、やはり苦いばかりでなんの効果も感じられなかったので、あきらめて残りは捨ててしまった。もったいないことだが、しょうがない。私はやっぱり、酒のほうがいいぞ。




夜、外を出歩くと、カートで片頬を膨らましたイエメン男たちの姿が見られる。頬をぷっくり膨らませた、時代劇の男たちが闊歩する、イエメンの夜。

「そうなのよ、夜になるとこぶとり爺さんたちが現れるのよ」と友人はしたり顔でうなずく。実際彼らの頬袋は、溜め込んだカートでぽっこりと膨れていて、まるでこぶとり爺さんのようなのだ。あのこぶが大きければ大きいほど偉いらしい。毎日膨らませているせいで、頬の皮膚が伸びてしまい、中にカートを入れていないときは、たるんで皺になっている。この頬袋はイエメン男の遺伝形質に入っちゃったのかも。ラマダーン中なので、日没以降しかカートをやらないが、それ以外の時期は昼間もやっているらしい。

カートの栽培には多量の水を必要とするので、水不足に苦しむイエメンにとって、深刻な問題となっているようだ。ウィキペディアによると、なんとイエメンの農業用水の40%がカート栽培に使用されているらしい。
そしてカートの価格の高さは、農家を潤す一方で、貧しい一般家庭の家計を圧迫している。男たちは普段昼過ぎから延々とカートをやっているので、当然労働効率も落ちる。それに気づいた政府が、テレビなどで反カート・キャンペーンをはったりして、カート消費量を減らそうと努力していたようだが、あまり効果はなかったのは明らかである。そりゃそうだ。失業率が30%とか40%とかいうこの国で、しかもアルコールがないのに、他になにで気晴らしをすればいいというのか?私がイエメン男なら一日中カートを噛んでるぞ、きっと。女の人はどうやって気晴らしをしているのかしら?やっぱり普遍的な女性の気晴らしである、「おしゃべりと甘いもの」かしら?

私が今興味を持っているのは、今年1月から始まったイエメンの革命運動は、この国のカートの生産・流通・消費状況にどのような変化をもたらしたか、である。案外全然変化がなかったりして。カートを噛みながら反政府デモ、カートを噛みながら弾圧、カートを噛みながらテロ活動、そして何事も起こらなかったのごとく、カートを生産する農民たちを思い描いてうっとりする…。ああ、愛しのイエメン。
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