外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(24)~フィレンツェ2日目後半・夕食編~

2020-08-29 17:41:27 | イタリア

 

 

フィレンツェ滞在2日目の後半。友人宅に戻って昼寝した後、夕方また出かけて別の日本人の友人と夕食をとった。

 

 

黄昏時のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会。この広場は、私にとっては鳩スポット。

 

 

友人とは、お店で直接会うことになっていた。中央駅の近くのリストランテで、彼女の友人が厨房で働いているとのことだった。オーナーはモロッコ人だという。店主がモロッコ人で料理人が日本人のイタリア料理店・・・謎だらけだ。

 

この「リストランテ・ベルコーレ」(Ristorante Belcore)という店だ。

https://www.ristorantebelcore.it/

 

(トリップアドバイザーはこちら

 

 

少し早めに着いたのだが、とてもシックで高級そうなお店だったので、普段サイゼリヤ、日高屋クラスの低価格の店にしか行かない私は少し腰が引けて、周辺のハラル食材店(やはりモロッコ人経営)を冷かしたりして心を落ち着けてから、ようやく入店した。友人も間もなく到着した。

 

こんな立派なお店、久しぶりに入った・・・(下の2枚はトリップアドバイザーから拝借した写真)

 

 

モロッコ人の店主は、話しやすくて物腰の柔らかい上品な紳士で、私がアラビア語で話しかけたら驚いていた。お酒が好きだそうで、ワインも食前酒・食後酒も色々取り揃えてあった。私はあまり空腹ではなかったので、前菜のトスカーナ産のサラミ・生ハム・ペコリーノチーズの盛り合わせのみを頼み、ワインを2杯、食後酒を2種類飲んだ。友人はプリモとドルチェを食べた。

 

日本語メニュー。照明が控えめで、カメラも技術も問題ありなので、ぼやけた写真しか撮れず。

 

 

私が食べた前菜盛り合わせ。

 

 

サラミもハムもチーズも、どれも美味しかった。久しぶりに食べたフィノッキオーナ(フェンネルシード入りのトスカーナ特産のサラミ)が美味しく感じられたような気がするが、時間が経った上、この猛暑で脳細胞がいっぱい死滅したからもうよく覚えていない。

 

 

友人が食べたプリモ(1皿目)。トスカーナの郷土料理、トマト味のパン粥「パッパ・アル・ポモドーロ」かな?(いや、リゾットかも)

 

 

ちなみに、パッパ・アル・ポモドーロのレシピはこちら。作ったことないけど、この料理は結構好きだ。

 

 

ラヴィオリ

 

 

ドルチェ(デザート)。多分クレーム・ブリュレのフルーツ添え

 

 

他で見かけたことのない食後酒があったので、頼んでみた。

 

 

「アンティーコ・アマーロ・ディ・フィレンツェ」という、フィレンツェのメーカーの製品。ちなみに「アマーロ(amaro)」は「苦い」という意味なので、当然味は苦めで、薬草の風味がついている。養命酒が好きな人は好きだと思う(おるんか)。

 

 

お勘定は太っ腹な友人が払ってくれた。この御恩は当分忘れませんぜ。

 

 

店を出た後、レプッブリカ広場近くのパラッツォ・ストロッツィ辺りのバールでさらに1~2杯飲み、帰宅してからも友人とお喋りしながらさらにプロセッコ(ヴェネト州産の発泡ワイン、美味しい)を開けて飲んでしまい、酔っ払ってシャワーも浴びずに寝てしまった。酒はほどほどにしなくては・・・

 

パラッツォ・ストロッツィは左の歴史的建物。よく展覧会をやっている。

 

 

(続く)

 

 

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(23)~フィレンツェ2日目前半・チェントロ散策編~

2020-08-16 17:03:46 | イタリア

 

日本は8月に入ってから毎日危険な暑さだが、皆様いかがお過ごしだろうか。私はへにゃへにゃで、ぼわぼわで、ごろりごろりな状態だ(頭が働かないからまともに説明できない)。7月はあんなに寒い日が続いていたのに、どうして8月に入ったとたんに灼熱地獄になったのか。よくわからないが、きっと何もかもコロニャが悪いんだ・・・

 

猛暑日が続くと、大昔に見た宇宙戦艦ヤマトのワンシーンを思い出す。「太陽の核融合が異常増進して、地球の気温が上昇し続け、普通の暮らしが出来なくなって人類が危機に陥る」というような話だ。

当時、この話の映像をテレビで見て心底怯えたものだが、今けっこうそんな感じかも。

 

 

といいつつ、去年の旅行記を早く終わらせたいので、気力をギュギュっと振り絞って続きを書く。私って、なんてエライんだ・・・(普通や)

 

 

前置きが長くなったが、今回はフィレンツェ滞在2日目の話。この日はチェントロ(中心部の歴史的地区)を散策して過ごし、夜は友人と会って夕食を共にした。

 

 

まず、朝10時半頃に友人宅を出て、携帯のSIMカード(WINDで25ユーロだった。高い…)や市バスのチケットを買ったりしながら、シニョリーア広場、レプッブリカ(共和国)広場、そしてサン・ロレンツォに向かい、中央市場(メルカート・チェントラーレ)をうろうろ歩き回ってから、付近の店で昼食を取った。

 

 

イタリアのハトさんたち、おはようございます。ハトはどこの国でも、見かけも行動も同じで安心感がある。

 

 

バスのチケットを買った店。お菓子や蜂蜜、コーヒーなど様々なものが売られている。その辺にある普通の商店なのに、品物のディスプレイの美的レベルが高い。さすが芸術の国。

 

 

「JOHN BORNO」という名のバール。挨拶の「BUONGIORNO」をもじったのだろう。

 

 

パラッツォ・ヴェッキオ(=ヴェッキオ宮殿、フィレンツェ市役所)の塔が見える。

 

 

私が住んでいた当時(10年以上前)からずっと、怪しいフォントの日本語の看板が出ている両替屋さん。その時々によって数字だけ変わる。

 

 

シニョリーア広場。木のオブジェが出来ていた。

 

 

パラッツォ・ヴェッキオの入口の正面右側にある「ヘラクレスとカークス」像。左側にあるダビデ像の方がずっと有名だが、写真を撮り忘れた。

ヘラクレスが怪物のカークスを押さえつけてるところらしいが、一番下の四天王に踏まれてる邪鬼みたいな動物たちがきのどく。

 

 

近づきすぎて上手く撮れなかったパラッツォ・ヴェッキオ。こんな市役所、なかなかないよね。

 

 

ロッジア・ディ・ランツィ(ランツィの柱廊)、いつも観光客でいっぱい。でも今はコロニャのせいで空いてそう。

 

 

ネプチューン像

 

 

シニョリーア広場からすぐ近くのレプッブリカ広場に向かう途中、オルサンミケーレ教会の外側の「やっとこの聖人」像に挨拶する。

 

私「お久しぶりです。相変わらずドヤ顔でいらっしゃいますね」 聖人「・・・(なんやこいつ)」

 

背景にやっとこが描かれているので私は「やっとこの聖人」と呼んでいるのだが、本当の名前は「聖エリージョ」(Sant'Eligio )で、蹄鉄工と貴金属細工師の守護聖人らしい。

 

 

メルカート・ヌオーヴォ(新市場)のイノシシ像、通称「Porcellino (ポルチェッリーノ )=こぶた」の前には行列が出来ていた。

 

長年ナデナデされ続けてお鼻がツルピカだが、あまり嬉しくなさそうな顔。なでると縁起がいいらしい。トレヴィの泉的に口の中にコインを入れたりもするようだが、私はやったことがない。(参考

 

 

イノシシ君の背後にあるのは、フィレンツェ名物トリッパ・ランプレドットの屋台

 

 

トリッパもランプレドットも牛の胃袋(第2胃と第4胃)の細切りを煮たものだが(参考)、私はより脂っこいトリッパ派で(ランプレドット派の友人もいる)、この屋台では使い捨て容器に煮汁のトマトソースごとトリッパを入れてパンを添えたものを買い、プラスチックのコップに入った安物の赤ワインを飲みながら食べるのが常だった。そして、パンとトリッパをハトにおすそ分けしながら食べるのが好きだった。フィレンツェのハトはトリッパも食べるのだ。

 

 

レプッブリカ(共和国)広場。あのメリーゴーランドにいつか乗ってみたいと思いつつ、気恥ずかしくてなかなか乗れない。

 

 

広場に面した柱廊では、毎週(何曜日だったか忘れた)植木市をやっている。

 

かつてエディソン書店(以前のブログ記事)があったところに、フェルトリネッリの書店が入っている。

 

 

駅の構内の店舗といい、レプッブリカ広場のここといい、フェルトリネッリはフィレンツェの(イタリアの?)書店界を制したのだろうか。

 

 

書店の中には、広いカフェスペースがあり、食品の販売コーナーもある。本を売るだけではやっていけないのだろう。

 

 

広場に面した老舗のバール、パスコフスキー。1903年にポーランド人の家族がビアホールとして始めた店らしい。(ウィキペディアの情報

 

 

格調高いインテリアの中で、この星座のくっついた壁時計が微妙に浮いている気がするのは私だけだろうか。

 

こういうおじさま方が飲み物を用意してくれる。

 

カプチーノ 珍しく酒以外のものを飲む私。 

 

 

レプッブリカ広場から歩いてすぐのところに八角形のサン・ジョヴァンニ洗礼堂、そしてフィレンツェのシンボルのドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)がある。

 

ドゥオーモ様、いつもお美しいですね。

 

 

わざわざ観光スポットを回っていたわけではないのだが、フィレンツェの観光名所は狭い範囲にギュギュっと集まっているので、チェントロを歩いてるだけで観光地巡りのようになってしまうのだ。

 

 

ドゥオーモを通り過ぎて、サン・ロレンツォのメルカート・チェントラーレ(中央市場)に行くことにした。

 

 

途中にある紙類のお店「イル・パピロ」 とってもステキなものが高値で売られている。

 

 

中央市場を取り巻く革製品の屋台。コロニャのせいで、今は市場の中の店も周辺の屋台も大半が閉まっているようだ。

 

 

中央市場の中に入って、お店を見物する。

 

 

チーズや生ハムのお店

 

お肉屋さん。サルシッチャ(生ソーセージ)や串焼き用の肉なども売られている。

 

ドライのキノコやトマト

 

野菜がでかい

 

ズッキーニの花は、モッツァレッラチーズとアンチョビを詰めて揚げることが多い

 

魚屋さんが並ぶ一角もあり、鰻が売られているのを見たこともある。

 

 

あ~、買いたいものがいっぱい・・・(なぜ買わない)

 

 

大して歩いていないわりにお腹が減ったので、市場の外にある切り売りピザとフォカッチャサンドの店「BONDI」で昼食を取った。安くて美味しいので、かつて時々食べに行っていた店だ。

 

 

ランチタイムを外れていたせいか、いつになく空いていた。

 

 

この店はピザやフォカッチャの具のバリエーションが豊富なのだが、私は毎回サルシッチャのピザを食べ、生ビールを飲んでいる。合わせて4.5ユーロ。ピザはふかふかのパン生地のもの。切り売りのピザによくあるタイプだ。

 

 

食後は中央駅に向かった。中央市場から歩いてすぐだ。

 

 

通りかかった駅のそばのバールのウインドウ。サンドイッチが4ユーロ(約500円)もする。フィレンツェは物価が高いなあ・・・

 

 

駅の地下の商店街は、改装されて小綺麗になっていた。

 

 

改装前からあって、駅に用事がある時によく寄っていたバールで赤ワインを一杯飲む。1.5ユーロで、立ち飲みでも座って飲んでも同じ値段。座ると席料がかかって値段が倍になったりする店は多いが、こういうカジュアルな店はその限りではない。

 

 

この後、駅構内のフェルトリネッリで本を買ってから、バスで友人宅に戻って昼寝した。

 

 

(続く)

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(22)~トルコからイタリアに移動~

2020-08-10 09:32:25 | イタリア

 

今回は旅行記の続き。トルコのイスタンブールからイタリアのフィレンツェに移動した日の話だ。

 

イタリアではまずフィレンツェに5泊して、友人に会ったり散歩したりしてのんびり過ごし、それから南に移動して今まで行ったことがなかったバジリカータ州を3泊で旅し、最終的にローマから帰国する予定だった。

 

重い荷物を抱えて国から国へと飛行機で移動するのは、体力も気力も足りない私にとって大変な重労働だ。もう年ですしね。貧乏性(っていうか、貧乏)なので、つい1回の旅行でまとめて3か国回ったりしてしまうが、今後はせいぜい2か国までにしようと心の中で誓う。ほとぼり冷めたら、またやってしまいそうだが。

 

この日は、3時間睡眠で朝8時になんとか起床し、荷造りしてホテルをチェックアウトした。トラムとフェリーを乗り継いでアジア側のカドゥキョイに出て、サビハ・ギョクチェン空港行きのバスに乗る。

 

イスタンブル・カルトゥ(交通系カード)を多めにチャージしたので、ちょっと贅沢して空港バス「HAVABUS」(ハワブス)に乗ろうと思ったが(といっても14TL=約200円)、乗ろうとしたバスのカード読み取り機が壊れていて、現金じゃないと乗れないと言われ、手持ちのトルコリラが足りなかったので断念。代わりに路線バスに乗ることにした。

 

カドゥキョイから出ている空港行きの路線バスは複数あるが、私が乗ったのはE-10。7TLなので、空港バスの半額だ(でも差額はあくまで100円)。幸い座れて、1時間半足らずで空港に着いた。路線バスとはいえ、空港の建物入口まで行ってくれるので便利だ。

 

E10の市バス。E11もサビハ・ギョクチェン空港に行く。スーツケースは車内に持ち込む。よっこいしょ~

 

 

今回利用したのはトルコのICC、ペガサス航空のボローニャ行きだ。私はトルコとイタリアの間を移動する時、いつもペガサス航空を利用していたのだが、今年2月に同社の旅客機がサビハ・ギョクチェン空港に着陸する際に事故を起こし、乗員乗客183人中3人が死亡して179人が負傷する事件があり(参考)、その安全性に疑問を抱くようになった。この事故の約1週間後には、ウィーン・イスタンブール線の機長が飛行中に意識を無くし、副操縦士が着陸の操作を代行して事なきを得るという事件もあった。また、2018年1月には同社の機体がトラブゾン空港で着陸に失敗し、あやうく黒海に落下するところだった(死傷者はなし)。いくら安くても、ペガサスには今後はもう乗らないと思う。

 

今年2月5日の事故の写真。機体が3つに折れていた。同じ日に南東部ワン県で雪崩があり、前日の雪崩の死者と合わせて計38人が亡くなった。

 

 

閑話休題。話を2019年9月の私の旅に戻そう。

 

ペガサスはICCなので、機内食やドリンクは有料でやや割高だ。このため、搭乗前に空港の売店でエフェスビールを買ったのだが(ドルで)、500ml入りの缶が45TL(約650円)もした。通常価格の3倍以上だ。うう、買ってこればよかった。でも荷物が増える・・・

 

予定より少し遅れて出発した機内で、有料の機内食を盛大に食べるトルコ人のビジネスマンとキットカットを齧るバカンス帰りらしいイタリア人のお父さんの間に挟まれて、持参したサンドイッチを食べ、エフェスを飲む。サンドイッチはトラムに乗る前に売店で買ったもので、トマト、レタス、牛肉のハラールソーセージが挟まっていた。やはりトルコのパンは美味しい。ソーセージはハラーム(豚)のやつの方が好きだが、イタリアでいくらでも食べられるから、まあいいさ。

 

食後は二度寝タイム。熟睡しているうちに、2時間半ほどで着いた。出発は遅れたが、到着はほぼ時間通りだった。トルコとの時差は1時間。時計を1時間分戻すことになる。

 

ボローニャ空港に入り、他の非EU圏からの外国人たちと共に混雑した入国手続きの列に並んでいると、係員の男性に「日本人はこっち。こっちの方が早く済むから」と言われ、行列が出来ていない方のレーンに連行された。パスポートにICチップが搭載されている国の人用のレーンだ。こんなシステムになっていたとは・・・おかげで、並ばずにスムーズに入国できた。

 

 

空港のバールでカッフェ・マッキアート(スチームミルクを少し垂らしたエスプレッソ)を飲んだ。流れたミルクの形で占いが出来そう。

 

 

空港内のATMでお金をおろし、無料のWi-Fiを利用して泊めてもらう予定のフィレンツェの友人に連絡してから、ボローニャ中央駅行きのバス(AEROBUS)に乗った。バスのチケットは6ユーロ(約750円、1ユーロは現在約125円)で、空港で買える。駅までは20~30分だ。バスのチケット代を払いながら、チュニジアよりもトルコよりもずっと物価の高い国に来たことを実感する。

 

駅に着いたら、自販機でフィレンツェ行きのインターシティーのチケットを買い(14ユーロ)、Wi-Fiのあるバールでまたカフェを飲み、再度友人に連絡してからホームに向かう。

 

ボローニャ中央駅

 

 

ここにチケットを差し込んで、日付を刻印する必要がある。ネットで購入したEチケットは既に乗車日時が入っているので刻印不要。

 

 

ユーロスターより割安のインターシティーではあるが、けっこう快適だ。

 

 

1時間ほどでフィレンツェ・リフレディ駅に着いた。フィレンツェ・サンタマリア・ノヴェッラ駅(中央駅)に行くには、別のホームのローカル線に乗り換えねばならない。スーツケースを抱えて階段を下りていたら、後ろから登場した屈強な中年男性に「運んであげますよ」と言われて奪われそうになったが、後で代金を請求される気配を感じたので、断って自分で運んだ。イタリアはトルコやチュニジアではないので、相手を見て親切な人か下心のある人かを判断する必要がある。ちなみに、これがナポリだったら、相手が誰であろうが即座に断っていたところだ。君子危うきに近寄らずだ。別に君子じゃないが。

 

州をまたぐ特急と各停のローカル列車が連絡しているのか、乗り換えはスムーズに行き、間もなくフィレンツェ中央駅に着いた。

 

車窓からドゥオーモが見えると、「ああ、帰ってきた」と思う。

 

 

フィレンツェ中央駅

 

なんと敷地内にデーツがあって、実がなっていた。考えてみれば、地中海沿岸の国だから当たり前か。

 

電車のホームの出入り口にセキュリティー・ゲートが設置されていた。物乞いやスリ対策らしい。

 


駅構内にフェルトリネッリ(Feltrinelli)の書店が出来て、繁盛していた。かなり広いスペースを占めていて、バールもある。

 

 

友人宅には、駅のそばの停留所からATAFが運営する市バスに乗っていく。ATAF(アタフ)とは、「Azienda Trasporti dell'Area Fiorentina」(フィレンツェエリア運輸会社)の略。フィレンツェで暮らしていた当時、毎日お世話になったものだ。ショーペロ(スト)が多くて閉口したが、ストは労働者の権利だからしょうがない。

 

バスのチケットは、以前とは違って駅構内のタバッキ(煙草を置いている売店)では買えなかったので、外に出て自販機で購入。1枚1.5ユーロになっていた(90分有効)。

 

駅の外側にあったバスの券売機。意外なことに、ちゃんと機能していた。しかも日本語もある。

 

 

駅前にトラムの路線が通ったせいか、バス停の場所も少し変わっていたので、観光案内所などに尋ねてたどり着く。ほんの2,3年ご無沙汰していただけなのに、色々変わっていて戸惑う。

 

トラム

 

 

友人は家で待ってくれていた。お土産を渡して、再会を喜び合う。彼女は私の「フィレンツェ特派員」である。

 

夕食前に近所のスーパー「コナド」で少し買物をする。さすがイタリアのスーパー、ハラームな豚のハムやソーセージがいっぱいある。ワインも安い。うっとり・・・

 

2~3ユーロでまともなイタリアワインが買える。

 

 

夕食も、夕食用のワインも、友人が用意してくれていた。心のこもった手料理で、旅の疲れが軽くなる気がした。トルコではテイクアウトで済ませてばかりで、あまりしっかりと食事をとっていなかったから、なおさらだ。イタリアで知り合った日本人の友人はグルメで料理上手な人が多いが、彼女もその1人。

 

プリモ(1皿目)は鴨肉のラグーのペンネ。本格的で肉が柔らかく、塩加減もちょうどいい。ペンネは当然アルデンテだ。



 

セコンド(2皿目)は牛肉のバター・レモンソテー。カラフルなサラダ付き。写真は失敗・・・

薄い牛肉に小麦粉をはたいて、バターを溶かしたフライパンでソテーし、塩胡椒、レモン汁で味付けしたもの。

 

お土産のシミット(トルコのごまパン)も食卓へ

 

 

料理もワインも全て美味しかった。プリモとセコンドが出る食事は久しぶりだ。近況を色々報告し合いながらゆっくり食事する。友人は「疲れてるでしょう」と言って、後片付けも全部やってくれた。お言葉に甘えて、シャワーを浴びて早めに休むことにした。長い一日だった・・・

 

 

(続く)

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日付不明まとめ書き日記2020年7月~8月初め

2020-08-04 16:32:42 | 日記

 

 

前代未聞の激動のコロニャ情勢に翻弄されているうちに、もう今年も8月に突入した。

去年の旅行記を書き終えないまま1年が過ぎようとしている・・・まあそうなるとは思ったが。

と言いつつ、今回は旅行記を1回休みにして、まとめ書き日記。

これもほぼ1年ぶりだ。

 

 

7月某日

いつまでもいつまでもいつまでも梅雨が明けない。もう永遠に明けないのではないかという気がしてくる。

 

近所の公園には、雨の日にたくさんナメクジが出現して、地べたや石段の上でまったりしている。公園を根城にしている三毛猫のみけちゃんは、ナメクジについてどう思っているのだろうか。

 

私の想像では、こんな感じ:

 

みけちゃんはため息をつきました。毎日毎日雨降りで、辺りを歩き回ると、毛づくろいしたばかりのフカフカの毛がすぐびしょびしょになってしまいます。それに、地面にはこの妙にヌルヌルした不吉なものがじわじわと這いずっています。みけちゃんは思いました。「あ~あ、このヌルヌルしたやつが、全部ちゅ~るだったらいいのになあ。そしたら全部ぺろぺろなめて、お腹いっぱいになれるのになあ」

 

ナメクジは思いました。「・・・わし、ちゅ~るじゃなくてよかった」

 

 

みけちゃん

 

 

7月某日

家に引きこもって座るか寝るかばかりの生活をしているので、寝たきりにならないように毎日多少運動をするように心がけている。ラジオ体操(第1)と足上げ、そして片足立ちだ。

 

片足立ちは、目をつぶらずに立って、片足を10センチほど上げた状態で1分間キープするやり方で、左右交互に3回ずつやる。つまり合計6分間。携帯のストップウォッチ機能を使う。

 

壁に向かってやるのは退屈なので、窓辺に立って外を見ながら、窓の下の通りを行きかう人の数をカウントしながらやる。自転車の人と徒歩の人を区別せずにカウントし、左手の指を折り曲げるなどして、マスク着用の人を数える。右手では、マスクを着けていない人を数える。あごマスクの人は0.5として、左手で数える。ほとんどの人がマスクを付けているので、右手は大体暇である。

 

 

7月某日

通りを挟んだ隣のマンションから、賑やかな声が聞こえていた。

 

この建物は、しばらく前から全体がスッポリと黒いネットに覆われ、その周りに鉄の棒を組み合わせた建築現場のような土台が張り巡らされ、作業員の人たちがなにやら動き回っていたのだが、それが終わったらしく、今日は鉄の棒を取り外す作業をしているようだった。若者が1人下に立って、「ハ~イ!」と叫ぶと、上方の土台から外して紐で縛られた棒がスルスルと降りてくる。若者はそれを紐から外して脇に置き、また合図する。スルスルと紐が引き上げられ、しばらくするとまた別の棒が下りてくるという具合だ。

 

見物していると、ある時点で鉄棒が下の階のどこかにひっかかって、動かなくなった。若者はそれを見て、すぐに「行きま~す!」と声を上げ、建物を囲む鉄の枠組みを敏捷に登り出す。彼は建物3階分をほんの一瞬で登り、引っかかった棒を外し、また降りてきて作業を再開した。

 

う~む、なんという身体能力であろうか。彼は本当に私と同じ人類なのか。

 

マンション3階分のジャングルジムみたいな装置をスルスルと上り下りするなんて、私には一生できない。大体、下に立って鉄棒(重そう)を受け取るだけでも、ぼんやりしてたら頭にぶつかってしまいそうだ。私があの若者と同じことをしたら、きっと10分で3回ぐらい死んでいるだろう。

 

そのように驚嘆しながら作業風景を眺めていたのだが、一番驚いたのは、私以外に見物人がいないことだった。道を行く人は全員素通り。こんなサーカスのような離れ業が目の前で行われているのに・・・アラブ諸国やトルコやイタリアなら、どこからか野次馬が現れていたことだろう。日本って、不思議だ。みんな私みたいに暇じゃないというだけなのか、それとも私のように建物の中から眺めていた人が他にもいたのか。

 

 

7月某日

NHKの深夜ラジオの再放送で、日本のイタリアン界の大御所、片岡シェフが「イタリア料理には普通砂糖は使いませんが、シチリアではカポナータなどに砂糖を入れるんですよ。サラセン人の影響で」と言っているのを聴いて、ほう、と思う。

 

「サラセン人」とは、中世ヨーロッパでアラブ人ムスリムに対して使われた言葉だ。私が住んだことがあるシリアやヨルダン、エジプトなどでは基本的に料理に砂糖を使う習慣はないが、チュニジアやモロッコなどの北アフリカのマグレブ諸国では砂糖やドライフルーツを使うこともあるようだ。

 

そういえば昔、イタリアに行く前に京都の日本イタリア文化会館で会話のレッスンを受けていた時、シチリア出身のティーナ先生は、「トマトソースにはニンニクは入れた方がいいわね。あと、少し砂糖を入れてもいいのよ」と言っていた。私が「トマトソースはトマト水煮缶と塩、オリーブオイルだけで作る。玉ねぎは面倒だから入れない」と言った時にくれたアドバイスだ。イタリア料理には砂糖は使わないと思っていたので、少し驚いた記憶がある。ティーナ先生は日本語が流暢で、明るくて上品な女性だった。もうけっこうお年だと思うが、今はどうしてるんだろうか。ちなみに、私は甘めの料理が好きなので、トマトソースに砂糖を入れるが、シチリア以外ではこれは邪道であろう。

 

 

 

7月某日

アラブ人の特殊能力について考えてみる。

 

私はダマスカスにいる時に、「シリア人の若者って、ペットボトルに口を付けずに水を回し飲みするのが上手だ」と思ったことがある。これは他のアラブ人にも言えるのではあるまいか。知らんけど・・・

 

それから、彼らの中には、一度会話をした外国人のことを忘れないという、驚異的な記憶力がある人が結構いると思う。1度会わせただけの友達のことを何年経っても覚えていて、「彼女はどうしてる?」と聞いてきたりするのだ。この友達の場合は、かわいかったせいかもしれないが、他にも何度かこういう経験がある。そういえば、フィレンツェでアラビア語を習ったシリア人のサマル先生(当時50歳位)は、40人もいる生徒の名前を一回で覚えていた。私なんて、人の名前どころか、顔も覚えられないのに。

 

 

8月某日

ようやく晴れた爽やかな夏の一日。まさか梅雨が明けるとは・・・世界は驚きに満ちている。(明けて当然や)

 

夜中に仕事をしていて、ふと窓の外を見たら、ネズミが綱渡りをしていた。(写真は自粛しますっていうか、撮ってない)

 

正確には綱ではなくて、屋上から下に伸びている(またはその逆)何かのケーブルをよじ登っていたのだ。時々ケーブルから窓のサッシに降りて徘徊したりもしている。このネズミは、うちの窓のところにすずめの食べ残しの米があるのに目を付け、数日前からもう1匹と共にやってくるようになり、窓の隙間を探して中に入ってこようと執拗に試みているのだ。以前うちに入り込んでいたアルアラビーヤ君(参考)より大分小さい。血縁関係があるかどうかは不明。

 

ネズミに気を取られつつ仕事を続けていると、今度は部屋の中で黒っぽいものがサササササと動いた。黒くて立派なゴキさんである。1年ぶりくらいだろうか。以前置いたブラックキャップの効果がなくなったのであろう。(後で新しいのと入れ替えた)

 

そして、作業に使っているパソコンは、買ったときから思考が麻痺した時の私の脳のような働きぶり。2年ほど我慢したが、さすがに耐えかねて最近新しいものを注文したら、注文先から「納品は10月上旬になります出来るだけ早く届けるようにはするけどごめんねごめんねキャンセルしたり別の製品を注文したりするなら教えてね」というような趣旨のメールが届いた。きっとコロニャのせいだ・・・

 

前門のネズミに後門のゴキ。「前門の虎後門の狼」とはまた別の種類の脅威を感じる。そこにパソコンさんのイヤガラセが加わるのだ。

 

動揺しながらも懸命に心頭滅却しようと努め、無理やり仕事を続ける。

 

 

(おまけ)

モロッコ料理情報

https://www.kaze-travel.co.jp/blog/morocco_kiji011.html

 

片岡護シェフの店「リストランテ アルポルト」のホームページ。身分不相応なんで行ったことないけど。

http://www.alporto.jp/

 

 

 

(さらにおまけの猫写真)

 

右みて

 

左みて 安全確認は大事

 

疾風のように駆ける

 

 

 

(終わり)

 

 

 

 

 

 

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