今回で2010年10月~12月のパレスチナ滞在記の追記は終わり。区切りよく10回で終われて嬉しい。10回だけなのに、やけに時間かかったけど、まあいつものことよね…
記念すべき最終回は、エルサレムについて書く。暑さと気温の激変に脳みそがやられているので、大したことは書けませんがね。(今ちょっと書いただけで、もう疲れてきたぞ…がんばれ私…)
タイトルに書いたように、エルサレムは世界で唯一無二、比類なき街だと思う。滞在中、街を歩きながら時々ふとそんな風に感じ、何か深い感慨に全身が包まれたような、不思議な気分になったものだ。
なぜエルサレムは特別なのか。
それは、2つの全く異なる世界がひとつの街の中に同居しているからだと思う。東エルサレムはアラブ世界、西エルサレムは西欧世界だ。目に見える境はなく、普通に行き来できるが、その違いは明確に感じられる。そして、その2つの世界が重なり合うところ、街の中核をなす旧市街は、アラブのムスリム地区・キリスト教徒地区、ユダヤ人地区、アルメニア人地区から構成され、世界的に重要な聖地が集まる形で、いくつもの小世界が狭い空間に共存している。こんなところ、他にあるだろうか?
もちろん、東西のエルサレムの分割は、イスラエルによるパレスチナ占領の結果生まれたものなので、平和的共存ではない。占領によるパレスチナ人への抑圧は、どんどん激しくなるばかりだ。しかし、政治的視点を脇に置いて、一人の旅人の目線で眺めてみると、エルサレムが特別な街、訪れる機会を持ったことに感謝すべき場所であることに変わりはない。
東エルサレムは、西岸地区の諸都市と同様、中東のアラブの街そのものだ。イスラエルの占領下で、インフラ整備がおろそかにされた街並みは貧相だ。道路脇に石がごろごろしていて、たまに「無許可建築」を口実にイスラエル当局に破壊された家の残骸を見かける(イスラエル当局はエルサレムのパレスチナ人に住宅建築許可をほぼ出さない)。
破壊されたパレスチナ人の住宅
岩だらけの空き地に君臨する黒猫さん
道端のゴミコンテナには残飯をあさる猫たちが常駐
私の住んでいた東エルサレムのオリーブ山周辺では、イスラエルが建てた分離壁をよく見かけた。西エルサレムのイスラエル人のNPOが、分離壁を巡るツアーを催行していて、一度参加したことがある。分離壁はパレスチナ西岸地区を取り囲んでイスラエル領から切り離すだけでなく、入植地建設・拡大と並行して、西岸地区と東エルサレムを切り離す形で建てられており、将来的に東西のエルサレム全体を「不可分な首都」として、イスラエル側に取り込もうとする準備だとみられる。
分離壁には落書きが多い
身体能力の高いパレスチナ人の子供や若者が越えられないよう、鉄条網がめぐらせてある。
延々と伸びる分離壁の向こうは入植地
入植地とイスラエル側を繋ぐ道路は入植者専用で、パレスチナ人は通行できない。
一方、西エルサレムの街並みは、ほぼヨーロッパだと思う。建物や道路の造りが東エルサレムとは全然違う。しっかりした鉄筋コンクリートの団地、お洒落でキラキラしたショッピングモールや商店街、高価な飲食店、整備された道路、お酒のあるスーパー、市電やピカピカの大型の路線バス…
猫も西と東では違う
旧市街のユダヤ人街に隣接した西エルサレムのオシャレなショッピングモール
こういうオブジェがヨーロッパっぽい(気のせい?)
西エルサレムの繁華街
「イランバザール」という名の店があってびっくり
イスラエルの宿敵イラン関連の店があるとは思わなかったぜ…
エルサレムの中核をなす旧市街も、様々な小世界がぎゅっと濃縮された不思議なところだ。
毎日新聞の記事の地図
旧市街は城壁に取り囲まれていて、いくつか出入口があるが、ダマスカス門は、その中でも表玄関のような存在だ。
その外側の広場は階段状になっていて、いつも大勢の人々が座って、屋台でお茶を買って飲んだり、おしゃべりしたりして、時間を過ごしている。物売りも多い。イスラエルの警官がしょっちゅう巡回して来て、パレスチナ人の若者たちを尋問したりもする。
ダマスカス門周辺やムスリム地区では、正統派ユダヤ教徒の姿もよく見かける。奥に嘆きの壁があるしね。
これは別の門の近く
ダマスカス門を入ると、ムスリム地区の古いスーク(商店街)が伸びている。狭い路地にアラブ菓子屋やスパイス屋、土産物屋など、様々な店が並んでいて、見ているだけで楽しい(私はお金がない上に物欲が薄いので、あんまり買い物しない)。ムスリム地区は安宿やインターネットカフェなどもあって便利だ。
スークはキリスト教徒地区の方にも伸びている。そちらには酒屋があるので、私は時々ビールやワインを買いに行っていた。
これは、ヴィア・ドロローサの行列を見に行った時の写真
ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa=「苦難の道」)は、イエスが十字架を背負って総督ピラトの官邸から刑場のあるゴルゴダの丘(現在の聖墳墓教会がある場所とされる)まで歩いた道筋のことで、毎週金曜日の午後3時(サマータイムの期間は午後4時)になるとフランシスコ会の修道士らが先導して、十字架を担いでこの道のりを行進しているのだ。(参考)
「ヴィア・ドロローサ」の標識(ウィキペディアから拝借した写真)
行程は第1留から第14留まである。
これは第6留(المرحلة السادسة )
第8留
ヴィア・ドロローサの終点(第14留)には、聖墳墓教会がある。この教会は、イエスの墓があった場所に建てられたとされ、ベツレヘムの聖誕教会と並んで、キリスト教徒にとって非常に重要な聖地である。
入ったところにある、イエスが十字架から降ろされた後、聖骸に香油を塗ったとされる赤大理石の板
聖墳墓教会の中は、いつも巡礼者や観光客で混んでいる。内部は薄暗くて、非常に厳かな雰囲気。聞いた話では、この教会を訪れた時に、「はっ、もしや私は、特別な使命を受けた神の使者なのかも」などと、インスピレーションを受けてしまう人が時々いるらしい。聖墳墓教会シンドロームだ。私は何も感じなかったが。
旧市街のムスリムの聖地と言えば、もちろん「アルアクサ―・モスク」だ。これは、モスクという名前で呼ばれているものの、金色のドームで有名な「岩のドーム」や、それより地味な銀色のドームの「アルキブリー・モスク」など、複数のモスクやその他の建造物を含む敷地一帯を差す(ユダヤ教では「神殿の丘」と呼ばれる)。イスラムの聖地だが、ユダヤ過激派が大挙して押し寄せたり、イスラエル警察が突入してモスク内で礼拝者を襲ったりすることもある。モスクに入る礼拝者の年齢を制限することもしょちゅうある。
ムスリムにとってのアルアクサ―・モスクの重要性について説明するロイターの動画(英語)
観光客は、当時午前中しか見学できなかったので、私は1度しか行っていない。非ムスリムは建物内部には入れないので、外から眺めただけだったが、岩のドームは外観が綺麗なので、外から見るだけでも十分価値がある。
岩のドームは青空によく映える
うっとり…
敷地を影のように横切る女性
アルキブリー・モスク
木陰で楽しそうに語り合うムスリムのおじ様たち
アルアクサー・モスクで猫や鳩を日々餌付けし、「子猫たちのお父さん」と呼ばれていた男性の動画
残念ながら、彼はコロナで亡くなってしまったらしい。
アルアクサー・モスクの外壁の一部が、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」だ。ここはイスラムの聖地でもあり、「ハーイト・ブラーク」(حائط البراق、「ブラークの壁」)と呼ばれる。「ブラーク」は、預言者ムハンマドを「夜の旅と昇天」の際にマッカからエルサレムに運んだ天馬の名前で、預言者がブラークをこの壁に繋いだとされる。
ユダヤ人地区は、古いながらもムスリム地区やキリスト教地区よりも小ぎれいでお洒落な店が多い印象だった。
当然猫もキレイ
休憩中の女性兵士たちも見かけた。
旧市街のアルメニア人地区も一度散策したが、わりと閑散としたイメージだった。聖ヤコブ教会(聖ヤコブ主教座聖堂)が良かったが、何が良かったかはもはや記憶にない。
聖ヤコブ教会、この絵の写真しか撮らなかった…
そういうわけで、エルサレム旧市街は、歴史的、宗教的、民族的、政治的にも非常に濃密な空間であり、旧市街を取り巻くエルサレム全体がそうであると言えるので、あまりパレスチナ・イスラエル問題や宗教などに興味がない方も、機会があれば、一度は訪れてみてはいかがだろうか。人生が変わるような特別な体験が出来るかもしれない。出来ないかもしれない(なんやねん)。
まず、イスラエルのセキュリティーを突破しないと入れませんけどね。普通の観光客は問題ないでしょうが…
そういうわけで、パレスチナ滞在記の追加分はこれで終わり。ここまで読んで下さった気の長い方、どうもありがとうございました~
次回からは、一昨年の旅行記の続きに戻る。一昨年って、前世みたいに昔のことのような気がするけど、どこまで書いたっけな…
(おまけの観葉植物写真)
キャンドゥ―のミニトマト栽培キット、間引きした分を別の鉢に植え替えた。(ダイソーの土と鉢)
もう実を収穫するのは諦めた。生きていてくれればそれでいいよ、君たち…
(終わり)
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