外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(35)~イタリア南部バジリカータ州への旅・アリアーノは猫町編~

2020-11-14 10:46:30 | イタリア

 

今回は、アリアーノ観光の前編。(前回の話

 

ホテルに荷物を置いてから、そのすぐ近くにある観光案内所に行ってみたら、年配の女性と比較的若い女性の2人がカウンターに座っていた。翌日のバスの便について聞いてみると、ここにはバスの時刻表はないから、わからないと言われる。

 

翌日にアリアーノを出発しないと、翌々日の夜のローマ発の帰国便に間に合うかどうか不安なので、何としてもバスに乗りたいと切々と訴えかけたら、若い方の女性が「どうして乗ってきたバスの運転手に訊かなかったの?」と言いつつ、あちこちに電話をかけて調べてくれた。言われてみれば、確かにバスの運転手さんに訊けば話が早かっただろう。どうして思いつかなかったんだろう? さすが私、うっかり者だ。

 

結局、アリアーノから移動するには、朝7時半発のサンタルカンジェロ行きのバスに乗るしかないことが分かった。なぜそんなに早い時間に出るかというと、町の子供たちが向こうの学校に通うための通学用のバスだからだ。そういえば、マテーラから乗ったバスも、乗っていたのは学校帰りの子供たちが大半だった。おそらく、学校が休みの日曜や祝日、夏休みなどの期間は運休になるのだろう。たまたま平日に来てラッキーだった。

 

夕方に着いて翌朝7時半に出発するとなると、ほんの少ししか観光できないことになる。バールなどに行って町の住民と交渉して、車で乗せて行ってもらうという手段もないでもないが、そこまでする気合はないので、あきらめてそのバスに乗ることにした。運賃は乗車時に払えばいいという。

 

どこから来たのかと聞かれたので、日本人だと答えると、若い方の女性が笑顔になって、「ここにはよく日本人女性の大学の先生が来るのよ。彼女は私たちの友達なのよ」と教えてくれた。年配の方の女性も、にこにこしてうなずく。こんなところにわざわざやってくる日本人女性が他にもいたとは・・・きっとカルロ・レーヴィの本の愛読者に違いない。仲間だわ~ 

 

この本だ。私は原作を読んだが、邦訳も出ている。

 

 

彼女たちに礼を言って観光案内所を後にし、町をぶらぶら歩き始めた。何しろ、これから日が暮れるまで2,3時間しかないのだ。急がなくては・・・

 

本を読んだ限りでは、アリアーノは世界の果てのような貧しい集落というイメージだったが、目の前にある町は、バスの窓から見た時の印象通り、石畳の道沿いに小さな住宅や教会などが立ち並ぶ、可愛らしいところだった。

 

カルロ・レーヴィがアリアーノについて書いた一節を記したプレートが、町のあちこちのゆかりの場所に配置されていた。

本を読んでやってきた観光客は、これを辿りながら町を回ると楽しいだろう。

 

 

これはかつてこの場所に「Psciatoio(公衆便所)」があったことを記すプレート。

 

 

カルロが滞在していた1930年代の寒村アリアーノには、水道施設もないのになぜかトリノの会社が製造した立派な公衆便所が設置されていたそうだ。しかし、そこに出入りしていたのは、便器にたまった水を飲みに来る動物か、そこに折り紙の船を浮かべに来る子供たちだけで、本来の用途に使用している人物は1人しかいなかった。トリノからこの地に流刑に処され、郷愁に駆られた彼自身だ。

 

 

崩れかけた土と石、レンガの壁や石段の奥にある水色の扉が印象的。

 

 

教会のそばの聖職者(聖人?)の像

 

 

玄関の前にカーテンが固定された家。イタリアでは夏場にドアの前にカーテンをかけている家を時折見かけるが、出入りする時に邪魔じゃないんだろうか。

 

 

「Palazzo De Leo」(ライオン・パレス)

 

鍵の意味は?

 

 

路地に入ったら、こんな風景が私を待っていた。

 

 

おばあさんと猫。

 

 

猫「あなたは何者?一体ここに何をしに来たの?」 哲学的な問いだね・・・

 

 

おばあさんと後から現れた近所の人によると、この猫はこの近辺を縄張りにしていて、住民に餌付けされているらしい。これがこの町での最初の猫との出会いだったが、その後も次々に猫が現れた。どうやらアリアーノは、イタリアでは稀な猫町であるようだった。

 

 

路地を進んでいくと、タヴェルナ(飲み屋兼食堂)「農婦シシーナ」(La Contadina Sisina)の看板があった。

 

 

Youtubeで見かけた動画によると、その名の通り、シシーナさんという地元の女性が経営する店で、ここならではの郷土料理が味わえるらしい。

 

お店のホームページ。美味しそうな写真がいっぱいだ。

https://www.lacontadinasisina.com/

 

 

さらに歩みを進めて、町の端っこの周りの谷が見渡せる崖っぷちに出る。

 

 

 

 

この地平線まで広がる波打つような石灰岩の谷が織りなす荒涼とした風景を私は見に来たのだ。

 

 

しかし、辺りを見渡してみたら、思っていたより緑が多いところもあった。

 

 

もこもこした白っぽい緑色の羊のようなオリーブの木がみっしりと並んでいる。これはこれで、牧歌的で悪くない。

 

 

そして、眼下の崖の縁の辺りをよく見たら、なにやらうごめく3つの黒い点が見えた。あれはもしや・・・

 

 

 

 

ズームにして見てみると・・・

 

 

ハチワレと黒猫の親子だった。

 

 

お母さん、警戒しつつこっちを覗いてくる。

 

 

後でもう1匹子猫が来た。

 

 

坂を降りて近づこうとしたらすぐ逃げられた・・・

 

 

思いがけない出会いに味を占め、また町中に戻って猫探しをしていたら(観光はどうした)、今度はこんな家に出くわした。

 

 

猫屋敷だ。

 

 

正面に回ったらこんな感じ。番猫がいる。

 

 

白黒や黒猫ばかり。みんな家族か。

 

 

眺めていたら、そこの家からおばあさんと娘さんらしき女性たちが出てきた。これからどこかに出かけるところのようだった。彼女たちは毎日この子たちを餌付けしているそうだ。大体10匹くらいいるらしい。10匹もいると、けっこうエサ代がかかりそうだな・・・ついでに、アリアーノでおススメのリストランテはどこか聞いてみたら、私の泊まっている宿のリストランテが美味しいと教えてくれた。やはりあそこで夕食を取ることにしよう。

 

 

灰色猫と白猫もいた。灰色猫、こちらを睨む。

 

 

私を見つめる白猫を見つめる灰色猫

 

猫って、じっとこっちを見つめてから、ふいっと目を逸らしたりする。

 

 

エサをあげてもいいかおばあさんに聞いたら、「どうぞどうぞ、ぜひあげてちょうだい」とのことだったので、フィレンツェで仕入れたやや高級なおやつ用のカリカリを撒いてみたら、続々と集まってきた。

 

 

生真面目な顔で出動してくる子と、やる気なさそうにそれを傍観する子。

 

 

最終的には8匹全員が集まって、猫だまりを形成した。これを幸せと呼ばずに何と呼べばいいのか。

 

 

はるばるこんなところまで来た甲斐があったというものだ。うふふ・・・

 

 

ちなみに、あげたのはこれ。Whiskasの「Temptations」シリーズだ。

クリーミーで猫大喜び。猫型のプラスチックの容器入りでかわいいのだ。

 

 

エサをやり終え、なんとなく、もうアリアーノに来た目的を果たした気分になったので、宿に帰って夕食まで少し寝ることにした。

 

 

(続く)

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(34)~イタリア南部バジリカータ州への旅・アリアーノ到着編~

2020-11-10 09:15:54 | イタリア

 

 

今回は、バジリカータ州のマテーラからアリアーノに到着した時の話。(前回の話

 

バスのチケットを買ったお店の人の話では、14時発のサンタルカンジェロ行きの路線バスに乗れば、そのバスがアリアーノまで行くという話だったが、14時近くまで待ってもそれらしきバスはやって来なかった。その間、様々な会社のバスがやってきては、ターミナルに群れていた学校帰りの子供たちを乗せて、次々出発していった。

 

う~む。本当にサンタルカンジェロ行きのバスは来るのだろうか。 

 

不安になった私は、握りしめていたチケットに印刷されている「cotrab」(バジリカータ運輸会社連合 Consorzio Trasporti Aziende Basilicataの略)のマークが入っている停車中のバスのところに行き、サンタルカンジェロ行きのバスはいつ来るのか運転手さんに質問してみた。

 

彼の話によると、このバスはサンタルカンジェロには行かないが、これに乗ってスカンツァーノ(おそらくScanzano Jonicoのこと)で別のバスに乗り換えれば、アリアーノに行けるという。「アリアーノに行きたいなら、乗り換えのバスが来るところで降ろしてあげるから、乗りなさい」と言ってくれたので、よくわからないまま乗り込み、窓際に座る。バスは間もなく出発した。

 

 

このコロブラーロ行きのバスに乗った。親切な運転手さんで助かった。

 

 

バスは大きくて真新しく、エアコンが効いていて快適だった。

 

乗るはずだったバスが来ず、行先のよくわからないバスに乗り込んで、運転手さんの言葉を頼りに前に進んでいく。こういう旅をイタリアでやったことはなかったが、アラブ諸国ではありがちなことだったし、時間も早かったので、あまり焦ることなく、のんびりした気分で窓の外を眺めていた。旅の経験を重ねていくと、多少のことでは慌てなくなるものだ。単におばちゃん化現象かもしれないが・・・

 

 

バジリカータ州を含むイタリア南部諸州でバスを運行している会社「SITA SUD」のサイト。

https://www.sitasudtrasporti.it/orari/basilicata

私が乗ったのはこの会社のバスだと思われる。

 

 

車窓から見えていたのは、オリーブの木立などの見慣れた風景だった。

 

 

ある時点で(おそらく約1時間後)運転手さんが私に声をかけ、「ここで降りてあのバスに乗りなさい」と、乗るべきバスを指さして教えてくれた。チケット代の清算は、乗り換えたバスの方ですればいいとのことだった。

 

 

教えられたバスに乗る前、行先表示を確かめたら、ちゃんと「アリアーノ」(Aliano)と書いてあった。よかった、無事に着きそうだ。

 

 

ベンツのバス。こちらも大きくて綺麗で快適だった。

 

 

年配の運転手さんに事情を説明し、アリアーノまでの追加料金を1.5ユーロ払ってから窓際に座る。他の乗客は地元の人らしき人達が数人だけで、アリアーノに着くまでに1人、また1人と降りて行った。最後まで残ったのは私だけで、さすがに少し心細かった。

 

 

バスは小さな町をいくつか通り抜けて、だんだん辺鄙な土地に入っていく。終点のアリアーノに着いた時は、もう夕方の17時近かった。合計3時間近く乗っていたことになる。アリアーノは石造りの建物が並ぶ、小さくて可愛らしい町に見えた。運転手さんに行先を尋ねられたので、宿の名前を教えたら、その近くに停車してくれた。私がスーツケースを運んでいたので、気を遣ってくれたのだろう。バジリカータ州、親切な人が多いな・・・

 

 

予約していたB&B「la Casa dell'Americano」(アメリカ人の家)は、鍵が閉まっていたが、電話したらすぐに経営者らしき人が来てくれた。宿賃を前払いして鍵を受け取り、部屋の設備や朝食等について説明を受ける。彼は同じ建物のリストランテも経営していて忙しいらしく、説明を終えるとすぐに去っていった。宿泊客は私1人のようだった。

 

 

B&Bは2階にあり、左の入口から入る。1階はリストランテ

 

 

ドアには、「わざわざこんなとこまで来るなんて物好きやな」とでも言いたげな顔の天使(?)が付いている。おっしゃる通りですわ・・・

 

 

部屋は比較的広めで、クラシックなインテリアで清潔だった。エアコンもテレビもミニ冷蔵庫も付いて35ユーロは安い。

 

 

 

久しぶりに冷蔵庫付きの宿に泊まったのに、入れるものがなかった・・・

 

 

荷物を置いてから、まずバスの窓から見えた観光案内所に行ってみることにした。帰りのバスの時刻を調べないといけないからだ。17時に閉まるかもしれないから、急がなければいけない。

 

 

(続く)

 

 

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(33)~イタリア南部バジリカータ州への旅・マテーラ観光編(2)~

2020-11-02 05:40:18 | イタリア

 

 

今回はマテーラのサッシ(洞窟住居のある歴史的地区)での観光の話の続き。(前回の話

 

 

遠くから見えた教会に向かって歩いて行ったところで話が終わっていた。画面左の教会だ。

 

 

正面にたどり着いてみたら、こんな感じだった。

 

 

案外普通だと思ったら、ファサードは17世紀に付け足されたものだった。13世紀に建てられた教会だが、17世紀に全面的に改築されたらしい。

 

 

「サン・ピエトロ・カヴェオーゾ教会」

 

 

内部の写真がフォルダーに見当たらないので、中に入らなかったか、入ったけど撮影禁止だったかのどちらかだと思われる。もう記憶が靄の中・・・

 

 

教会付近でお土産物を売っていたフレンドリーなおじいさん

 

 

父親の土産に竹笛と鳥笛を一つずつ買ったのだが、試しに値切ってみたら、7ユーロのところをあっさり5ユーロにしてくれた上、葉書もおまけしてくれた。この鳥笛は、素焼きの笛に彩色したもので、「Cuccu'」(クックウ=「カッコウ」)という名前だが、なぜか雄鶏の形をしている。かつては家の中の赤ん坊のゆりかごの上などに吊るして、悪い精霊を遠ざける役割を果たしていたらしい。つまり、お守りなのだ。

 

 

おじいさんが写真に撮りなさいと言ってくれたパンフレット。

この鳥笛についての説明がある。彩色する前のはだかの状態でもキュートだなあ。

 

 

いいお土産が買えたので、うふうふ笑いながら(不気味)ぶらぶら歩いていたら、洞窟住居があったので、3ユーロの入場料を払って見学することにした。

 

 

洞窟住居(Casa Grotta)の表示。なんと日本語表示もある。日本語のパンフレットもあった。

 

 

他の見学者はイタリア人の国内旅行者が多かった。音声ガイドが流れていた。

 

 

一室の中に大きなベッド、台所スペース、機織り機などが並ぶ。かつてここに一家と家畜が暮らしていたのだ。

 

 

テーブルに鎮座しているのは、マテーラ名物の岩みたいなパン。

 

 

この洗い桶に入っている洗濯板、懐かしい。(かつて実家にあった)

 

 

そういえば、昔は「洗濯板のような胸」という表現があったなあ。私もそうだったが。

 

 

ベッドの下にあるこの容器は・・・

 

 

 

洞窟住居の隣りには、氷室(Neviera)があった。

日本の氷室のイメージとだいぶ違う。

 

 

日本の氷室のイメージはこれ。(ウィキペディアから拝借した写真、天理市福住町の復元された氷室)

 

 

外に出て、上の方に登ってから辺りを見渡した。

 

 

正面に見えるドア付きの岩の塊みたいなのが、洞窟教会「マドンナ(サンタマリア)・デ・イドリス教会」

 

 

入場料3.5ユーロを払って入ったが、中には特に何もなく、説明もない上に撮影も禁止だった。

1ユーロくらいでいいかな・・・

 

 

沢山歩いて疲れてきたので、ぼちぼち戻ることにして、サッシの出口に向かって歩いた。

 

 

道すがら、また微妙な雨樋の家を発見

 

 

入り口に募金用の入れ物が置かれている家も見かけた。

「私たちには助けが必要です。年金では足りません。私たちは病気です。夫は目が見えないし、私もありとあらゆる不具合を抱えています。(募金)ありがとうございます!」

 

 

つまり、現代のサッシにも貧困は存在するということだな・・・

 

 

サッシ観光の振り出し地点に戻ってきた。

 

 

ここで、サッシ観光の最後の目玉ともいうべき、ラブリーな教会に遭遇した。「プルガトリオ(=煉獄)教会」(Chiesa del Purgatorio)だ。

 

 

 

 

近寄ってみると、ガイコツちゃんたちがいっぱい!

 

 

 

ラブリーじゃないですか??

 

 

この教会の向かいにバールがあったので、外のテーブルに座ってビールを飲みながら、しばらく骸骨たちを眺めて楽しんだ。今思うと、かなり疲れていたのだろう。

 

 

 

 

ビールを飲み終えたら、ちょうどいい時間になっていたので、宿に戻って荷物を引き取り、バスターミナルに向かった。

 

 

 

 

途中でパン屋に寄り、ハムとカルチョーフィ(carciofi、アーティチョーク)のピザを買う。

 

 

こういうやつ。ちらり

 

 

聖アンナ・ホリデーハウスの敷地にあるマリア像。1泊しかしなかったが、いい宿だった。

 

 

暑い中を歩き回ってへなへなだったが、なんとか力を振り絞ってスーツケースを転がしつつ、バスターミナルに到着した。

 

 

学校帰りの子供がいっぱいいた。

 

 

14時のアリアーノ行きのバスにはまだ少し時間があったので、先ほど買ったピザを食べ、ペットボトルに詰めてきたワインの残りを飲みつつ、大きなリュックを背負う子供たちを眺めて過ごした。

 

 

ちなみに、私がマテーラを訪れたのは去年の9月半ばだったが、11月には豪雨による洪水が発生し、サッシはエライことになっていた。

 

 

(続く)

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