最近マアーンでは戦争が起こっているらしい。
マアーンというのはヨルダン南部の田舎町で、アンマンからバスで約3時間の距離(218km)だ。
人口は約5万人らしいが、そんなにいるとは思えない。
ここにはいまだに部族社会の風習が色濃く残っていて、ヨルダン政府による画一的な行政管理を嫌い、部族による自治を求める気風が強いらしい。
名物はラクダ肉。
どうでしょう、なんだか素敵そうな町じゃないですか?
私が19日の火曜日にマアーンに向かったのは、あちらに在住している日本人の知人を訪ねるためだった。
マアーン行きのバスや乗合タクシーは南部バスターミナルから出る。
アンマンからマアーンまでは大型の乗合バスで3.5ディナールだが、5人乗りの乗合タクシー(うち1人は運転手)だと倍の7ディナールする。
お昼には向こうに着きたかったので、割高ではあるが乗合タクシーを選ぶことにした。
目の前にいた車に乗り込むと、ちょうど私が4人の乗客のうちの最後の1人だったので、すぐに発車した。
他のお客は無口な若者、かなり太り気味の中年女性、そして身もココロも太っ腹な感じの年配の女性だった。
私はこの2人の女性に挟まれた形で後部シートに座ったので、旅のあいだ中ずっと、分厚いハンバーガー・バンズに挟まれたハンバーグの気分だった。
運転手は人柄の良さそうな若いお兄ちゃんで、マアーン出身だ。
走り出してまもなく、運転手と2人の女性客(アンマン在住だが、マアーンに親戚・知人がいる)がマアーンの状況について、賑やかに情報交換しだした。
彼らの間で会話するだけではなく、ひっきりなしに携帯でマアーン関係者(?)と連絡を取り合い、刻一刻と情報を更新している。
車内はさながらマアーン・ネットワークの情報中継局の様相を呈していた。
疾走するタクシーの窓の外には、青い空の下、赤茶色の土や岩だらけの荒涼とした砂漠が広がっている。
彼らの会話内容を総合すると、マアーンではしばらく前から部族と国家軍(ダラクと呼ばれる治安部隊)が衝突を繰り返していて、毎日のように死傷者が出ているらしい。
この日マアーンでは4人が死亡(うち2人は軍の側)、4人が負傷し、1人が行方不明(誘拐されたそうだ)、逮捕者も出た模様だ。
そして負傷者を監視するため、マアーン病院は軍に包囲されており、負傷者の身内さえ近づけない状況だとか。
この前々日の新聞(アッサビールという地元新聞)には、以下のような記事が載っていた。
「殺人容疑で追われていたマアーンの青年が、父親の説得により警察に自首し、アンマンの留置所に移送された。
しかしその後で軍の治安部隊がマアーンの彼の自宅を襲撃してドアなどを破壊し、音響爆弾を発射するなどして、家にいた彼の母親や姉妹を怖がらせた。
事件当時父親は息子に面会するためアンマンに出向いていて留守、男兄弟は家にいなかった」
これを読んで、私は強い衝撃を受け、
「自首した人の家を軍が襲うって、どういうことやねん?!
何のために?
これって復讐とか嫌がらせ?
国家権力がやることかい!」
と、頭の中を「?」と「!」マークでいっぱいにした記憶がある。
タクシーがマアーンの町の入口にたどり着くと、そこには警察のチェックが待っていた。
町に入る車を止め、怪しい人物がいないかどうか車内を確認するのだ。
特に身分証明証やパスポートを求められるわけではなかったが、乗客の間には軽い緊張が走った。
無事に関門を通過して町に入ったら、こんどは路傍に戦車が2台止まっているのが目に入った。
「イスラエルみたい・・・」と誰かがつぶやく。
まず助手席に座っていた若者が降り、次に中年女性が降りていった。
彼女の目的地はマアーン刑務所である。
23歳のご長男が麻薬使用の罪で服役しているから、面会に行くのだそうだ。
もう1人の年配の女性もまもなく降りていき、乗客は私だけになった。
私は終点のバスターミナルで降り、そこからタクシーに乗り換えて知人宅へ向かった。
知人というのは、マアーンの男性と結婚してここに住んでいる日本人女性で、私のシリア留学時代の友人の友人である。
郊外にある彼女の自宅に到着した後、可愛い娘さんたちを交えておしゃべりしたり、お庭の動物たちを拝見したり、美味しい手料理をご馳走になったりして楽しい時間を過ごした。
知人にマアーンの治安状況を聞いてみると、1ヶ月ほど前から地元部族と治安部隊の小競り合いが続いていて、毎日死傷者が出ているとのことだった。
マアーンは反政府感情が強い土地柄で、ヨルダンでなにか起こるときはここから始まるらしい。
軍は上空にヘリコプターを飛ばして、町の人の動きを監視しているのだと、彼女は言った。
耳を澄ますと、確かに旋回する音が聞こえていた。
翌日早朝からアンマンで用事があるので、今回は日帰りすることに決めていた。
最終バス(午後3時か4時)の時間に間に合うよう、早めに知人宅を辞去し、車で送ってもらってバスターミナルに戻る。
道すがら、大勢の男たちが三々五々に路上を歩いているのを目撃した。
なにか集会でもあったのだろうか・・・。
アンマン行きのバスの出発まで、まだ1時間くらいありそうだった。
せっかくなので町の様子を伺いつつ、土産でも買うことにして、メインストリートへ向かって歩き出す。
すると、さっき車内から見かけたような、男たちの一群がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
彼らの表情には、戦いから引き揚げてきた戦士のような緊迫感が伺える。
うち数人は黒い覆面で顔を隠しており、手には火炎瓶らしきものを持っている。
コワい・・・
少々ビビリながら、うつむいてやり過ごそうとしたが、1人の若者がすれ違いざまに手を伸ばして私の帽子を奪った。
見た目は戦士でも、やることは子供なんである。
こういうことをされるのは久しぶりだったので、一瞬何が起こったのかわからなかった。
なんとか我に返って帽子を返してと訴えると、周りの若者たちも「ヤー、ハラーム(やめとけ)!」と味方をしてくれたので、帽子はあっさり戻ってきた。
やれやれ・・・
帽子を片手で押さえて用心しながら、私はまた歩き出した。
メインストリートの少し手前で、先ほどの若者たちよりはやや年上の男2人が私に話しかけた。
「どこへ行くんだ。ここは戦争やってるんだぞ」
「私はただちょっと通りを散歩して、お買い物したいだけなんだけど」
と答えると、それなら大丈夫だろうと彼らはうなずいてくれた。
どうも剣呑な雰囲気である。
メインストリートの商店街は、閉まっているお店が多かった。
開いているところはどこもミニスーパーみたいな雑貨屋兼食料品店で、みやげものなど置いていない。
歩いているのは男ばかりで、女性は私1人だ。
当然男たちの視線が私にぐぐっと集まるので、妙に神経を消耗する。
結局、買い物はあきらめて早々に引き返し、アンマン行きのバスに乗り込んだ。
30分ほど待った後、バスは無事にマアーンを出発した。
バスの中は商店街とは反対に、女性や子供の姿が目立った。
珍しく早起きしたせいで睡眠不足だった私は、バスが走り出すやいなや熟睡態勢に突入した。
ぐっすりこ~
しばらく後に目を覚まして、窓の外を眺めていたとき、マアーンの方角へ向かう戦車の一隊を見かけた。
全部で10~12台くらいで、それぞれに兵隊が2人ずつ乗り込んでいる。
私の後ろの席に座っていた男性は、すかさずマアーンの家族だか友人だかに何本か電話をかけ、今そちらに戦車の一隊が向かったから用心するようにと警告していた。
マアーン連絡網、すごい情報伝達力だね。
アンマンに戻ると、そこにはマアーンの緊迫した情勢がうそのような、のんびりした空気が流れていた。
あれはあくまで局地的ローカル戦争なのだ。
少なくとも今の所はね。
ああ、マアーン・・・
昔ながらの部族の荒くれ戦士たちを筆頭に、町ぐるみで国家権力を相手に立ち向かうマアーンの人々。
ステキだった。ステキすぎる。
また近いうちに、ぜひまた訪れたいものだ。
<参考>
これを書いている最中にちょうど届いた、アンマンの日本大使館からのお知らせメールに、マアーンでの事件のことが載っていたので転載します。
「在留邦人の皆様へ
1 米国大統領のヨルダン訪問
報道によると今週末、オバマ米国大統領がヨルダンを訪問するとのことです。詳細な日程については明らかではありませんが、大統領の訪問中は米国大使館付近をはじめ主要道路や大統領の訪問先近辺への立ち入りが規制される可能性があります(23日にペトラ遺跡を訪問するとの報道あり)。
2 マアーン県における銃撃戦
報道によると19日早朝、マアーン県において当国治安部隊と武装グループとの間で激しい銃撃戦があり、治安部隊員2名と武装グループ2名が死亡し、さらに双方に負傷者が出たとのことです。
また、グループの一部の者は、銃撃戦の現場から逃走した後、同県において警察官等を銃撃して死傷者を出し、現在も逃走中とのことです。
警察関係者の話では、同グループは、警察等の治安部隊員を標的にしているとのことですが、一般の方が事件に巻き込まれる可能性も否定できません。在留邦人の皆様におかれましては、マアーン県に行かれる場合には細心の注意を心掛けてください。」