外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2014FIFAワールドカップアジア予選、日本・ヨルダン戦

2013-03-31 15:36:39 | ヨルダン(猫中心)



3月26日、サッカーの日本対ヨルダンの試合をアンマンのスタジアムで見た。


試合開始時間は午後5時、私たちが入場したのは2時頃だった。
日本人用応援席(ヨルダン人の応援席とは入口が別で、内部もフェンスで仕切られている)には屋根がない。
床はコンクリート。
この日は普段よりひときわ気温が高く、強い日差しがガンガン照りつけていた。
試合開始まで3時間もこんなところにいたら、ヤケドして死ぬか、干からびて死ぬかどっちかだろう。
私はひとりで外に出て、周辺の涼しい木陰で新聞を読んで過ごした。
他の人たちはみんなスタジアム内に残り、暑さに耐えていたようだ。

試合開始1時間前にスタジアムに戻ったら、お客さんたちは茹でダコのような顔になっていた。
ガラガラだった応援席は、ほぼ満席状態になっている。
日本からきたツアー客に加えて、ヨルダン在留邦人や周辺諸国の在留邦人が大集合したようだ。
30分後に選手たちの練習が始まり、その後国旗が広げられて、国歌斉唱の運びとなる。
会場の盛り上がりが一気に高まった。

不意に私のそばで、
「あ~、カエルの人がいる!」
という若い女の子の声が聞こえた。
周りを見渡すと、きみどり色のカエルのぬいぐるみを着た人が応援席に立っている。
クリクリした目の可愛らしいカエルだ。
両手をいかにもカエルらしく動かしながら、カメラを向ける人たちに向かってポーズを取っている。

私がカエルに気を取られているうちに、いつのまにか試合は始まっていた。
日本代表チームは果敢に攻めていたが、なかなか点が入らなくて苦戦している。
そうこうしているうちに、ヨルダン側が1点を入れて先制し、そのまま前半が終了してしまった。

私はこの試合に関してまったく予備知識を持っていなかったのだが、周りの人達が全員(日本人もヨルダン人もシリア人も)、
「日本は強いから絶対勝ちますよ!」
と口を揃えて言うので、10対0くらいで勝つのだと思っていたのだが、どうもそんな展開ではなかった。

休憩中、私は考えを巡らせた。

―この試合はヨルダンが勝つ気がする。
後半で追加点を入れて、2対0で終わるんじゃなかろうか。
しかしそんな負け方をしたら、日本からわざわざ応援に駆けつけた人たちが、いかにも気の毒だ。
では1対1で引き分け、というのはどうだろう。
引き分けか・・・
引き分けになったら試合が長引いて、帰るのが遅くなってしまうな。
引き分けは避けたい。
そうすると、2対1でヨルダンが勝つくらいが妥当なところか―

結果は2対1で、ヨルダンの勝ちだった。
私の予想通り(?)だ。
日本人応援席のみなさんは、見るからに気落ちしていた。
カエルの人も落胆したに違いない。
けろけろ・・・


翌日のヨルダンの新聞を開くと、
「歴史的勝利!」
「ヨルダンのウイルスが日本のコンピューターをストップさせた」
などという派手な見出しが、試合の記事を飾っていた。

その日以来、街を歩くとヨルダン人の若者や子供たちが私に向かって、
「ツー・ワン!」「ツー・ワン!」
と嬉しそうに叫び、片手の指を2本たて、もう片方の手の指を1本たてて見せる。
ヨルダンが日本に2対1で勝った!というサインなのだ。
仕方なく、「マブルーク(おめでとう)」と言ってあげると、
「シュクラン、シュクラン(ありがとう)!」と満面の笑顔で手を振ってくれるのだった。
やれやれ・・・


スタジアム周辺の厳しい警備



カエルの人と、小さい富士山の人



チケットのないヨルダン人はフェンスの向こうから観戦

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「モデル報酬」としての猫の餌付け

2013-03-24 22:34:47 | ヨルダン(猫中心)
フランス文化センターの近くでくつろぐ猫たち。この後でエサをあげた。




「猫のお父さん」を見習って、というわけでもないけれど、私も猫の餌付けに勤しんでいる。
ただし、無償であげるわけではない。
まず写真を撮らせてもらい、そのお礼としてエサを置くのだ。
そう言う意味では、私の餌付けは「無償の愛」ではなく、「モデル報酬」的な性質を持っているといえよう。

主な対象はうちの庭に出入りしている猫(何匹かいる)と、うちの近くのゴミ捨て場の常連猫たちだ。
彼らはすでに私を「エサをくれるひと」だと認識しているようで、私を見ると動きを止め、期待を込めて見守っている。
だからといって、近寄ってにゃあにゃあ鳴くというわけでもなく、あくまで安全距離を保っている。
キャットフードを撒いても、すぐには食べてくれず、私がある程度遠ざかってからおもむろに食べ始めるのだ。
そんなふうに猜疑心丸出しなところがまた可愛いのよね、アンマン猫~

散歩や買い物の途中で見つけた猫にも、気が向いたらエサをあげる。
猫の姿を求めて、ゴミ捨て場や車の下を覗き込んだりもする(別に探さなくても、その辺にたくさんいるのだが、つい・・・)。
だから私の散歩や買い物は、大変時間がかかるのだ。
そうでなくても歩くのが遅いのに・・・。


うちのアパートの庭をテリトリーにしている子。
「おや、何かくれるんですかな?」という態度で待っている。



でもキャットフードを置いてあげても、すぐには食べない。



ようやく食べ始めたが、まだ警戒してる。



うちの近くのゴミ捨て場の常連の猫たち。名づけてゴミ猫~

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アンマン山の猫おじさん

2013-03-22 22:34:38 | ヨルダン(猫中心)



アンマン山には、非常にハイレベルな猫おじさんがいる。

今日の午後ダウンタウンのスークへ買いものに行った帰り、私はアンマン山の上へ向かう急勾配の果てしない階段を、えっちらおっちら登っていた。
階段を登るのって、なんてしんどいことでしょう・・・。
少し立ち止まって休憩しようかと思っていた矢先、階段脇の建物の水色の扉の前に、猫が丸まっているのに気づいた。
建物脇にも何匹かたむろしている。








これはよい猫スポットだ。
私が嬉々として写真を撮っていると、不意に水色の扉が奥へ少し開いた。
すると猫たちが次々と押し寄せてきて、扉の隙間の暗がりにスルリと入り込もうとする。
何が起ころうとしているのだろう?





見守っていると、中から一人の男性が出てきた。
温和そうな顔をした、落ち着いた中年男性だ。
足元を猫たちが取り巻き、うろちょろ動き回っている。

彼は扉の前に立っている私の視線に気づき、自分はこの猫たちに毎日エサをやっているのだと説明してくれた。
つまり彼は猫おじさんなのだ。






私も猫が好きなんです、と力を込めて言うと、彼は私を家の中に招き入れた。
薄暗くてひんやりした、質素な部屋の壁際には大きな木の机があって、その上にコーンビーフの親戚っぽい加工肉の大きな缶詰が整然と並んでいた。
猫おじさんは缶詰を指差して言う。
「自分は食べないけど、猫にやるためだけにこれを買ってるんだよ。
毎日2回ずつエサをやるんだ。お昼ご飯と晩御飯としてね」

「何匹くらい集まるんですか?」と聞いてみると、
「大体40匹くらいかな」とのことだった。
40匹~!

貧しそうなのに、彼は猫のエサにかなりお金をかけている。
そして餌付け対象の猫は約40匹。
ううむ、これは相当な猫道楽だ・・・。

彼と猫の写真を撮らせて欲しいと頼むと、快く承諾してくれた。
その様子を見て集まってきた近所の子供たちも、ついでに撮ってあげる。








1時間後くらいに夕方のエサやりをするから、よかったら見においでと言われたが、ちょうど天気が崩れてきて、小雨が降りだしたので、また次回にさせてもらうことにした。

家に帰りつき、さきほど撮った写真をうっとりと眺める。
40匹の猫を相手のエサやり風景・・・
考えただけで興奮する。
次に行くまでに、新しいカメラと精神安定剤を用意するべきかしら?

猫おじさん、残念ながら名前を聞きそこねてしまったので、とりあえず「アブー・キッタ」と命名しました。
アラビア語で「猫のお父さん」という意味です。

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マアーン戦記

2013-03-21 23:48:06 | ヨルダン(猫中心)



最近マアーンでは戦争が起こっているらしい。

マアーンというのはヨルダン南部の田舎町で、アンマンからバスで約3時間の距離(218km)だ。
人口は約5万人らしいが、そんなにいるとは思えない。
ここにはいまだに部族社会の風習が色濃く残っていて、ヨルダン政府による画一的な行政管理を嫌い、部族による自治を求める気風が強いらしい。
名物はラクダ肉。
どうでしょう、なんだか素敵そうな町じゃないですか?

私が19日の火曜日にマアーンに向かったのは、あちらに在住している日本人の知人を訪ねるためだった。
マアーン行きのバスや乗合タクシーは南部バスターミナルから出る。
アンマンからマアーンまでは大型の乗合バスで3.5ディナールだが、5人乗りの乗合タクシー(うち1人は運転手)だと倍の7ディナールする。
お昼には向こうに着きたかったので、割高ではあるが乗合タクシーを選ぶことにした。
目の前にいた車に乗り込むと、ちょうど私が4人の乗客のうちの最後の1人だったので、すぐに発車した。

他のお客は無口な若者、かなり太り気味の中年女性、そして身もココロも太っ腹な感じの年配の女性だった。
私はこの2人の女性に挟まれた形で後部シートに座ったので、旅のあいだ中ずっと、分厚いハンバーガー・バンズに挟まれたハンバーグの気分だった。
運転手は人柄の良さそうな若いお兄ちゃんで、マアーン出身だ。

走り出してまもなく、運転手と2人の女性客(アンマン在住だが、マアーンに親戚・知人がいる)がマアーンの状況について、賑やかに情報交換しだした。
彼らの間で会話するだけではなく、ひっきりなしに携帯でマアーン関係者(?)と連絡を取り合い、刻一刻と情報を更新している。
車内はさながらマアーン・ネットワークの情報中継局の様相を呈していた。
疾走するタクシーの窓の外には、青い空の下、赤茶色の土や岩だらけの荒涼とした砂漠が広がっている。

彼らの会話内容を総合すると、マアーンではしばらく前から部族と国家軍(ダラクと呼ばれる治安部隊)が衝突を繰り返していて、毎日のように死傷者が出ているらしい。
この日マアーンでは4人が死亡(うち2人は軍の側)、4人が負傷し、1人が行方不明(誘拐されたそうだ)、逮捕者も出た模様だ。
そして負傷者を監視するため、マアーン病院は軍に包囲されており、負傷者の身内さえ近づけない状況だとか。

この前々日の新聞(アッサビールという地元新聞)には、以下のような記事が載っていた。
「殺人容疑で追われていたマアーンの青年が、父親の説得により警察に自首し、アンマンの留置所に移送された。
しかしその後で軍の治安部隊がマアーンの彼の自宅を襲撃してドアなどを破壊し、音響爆弾を発射するなどして、家にいた彼の母親や姉妹を怖がらせた。
事件当時父親は息子に面会するためアンマンに出向いていて留守、男兄弟は家にいなかった」
これを読んで、私は強い衝撃を受け、
「自首した人の家を軍が襲うって、どういうことやねん?!
何のために?
これって復讐とか嫌がらせ?
国家権力がやることかい!」
と、頭の中を「?」と「!」マークでいっぱいにした記憶がある。

タクシーがマアーンの町の入口にたどり着くと、そこには警察のチェックが待っていた。
町に入る車を止め、怪しい人物がいないかどうか車内を確認するのだ。
特に身分証明証やパスポートを求められるわけではなかったが、乗客の間には軽い緊張が走った。
無事に関門を通過して町に入ったら、こんどは路傍に戦車が2台止まっているのが目に入った。
「イスラエルみたい・・・」と誰かがつぶやく。

まず助手席に座っていた若者が降り、次に中年女性が降りていった。
彼女の目的地はマアーン刑務所である。
23歳のご長男が麻薬使用の罪で服役しているから、面会に行くのだそうだ。
もう1人の年配の女性もまもなく降りていき、乗客は私だけになった。
私は終点のバスターミナルで降り、そこからタクシーに乗り換えて知人宅へ向かった。

知人というのは、マアーンの男性と結婚してここに住んでいる日本人女性で、私のシリア留学時代の友人の友人である。
郊外にある彼女の自宅に到着した後、可愛い娘さんたちを交えておしゃべりしたり、お庭の動物たちを拝見したり、美味しい手料理をご馳走になったりして楽しい時間を過ごした。

知人にマアーンの治安状況を聞いてみると、1ヶ月ほど前から地元部族と治安部隊の小競り合いが続いていて、毎日死傷者が出ているとのことだった。
マアーンは反政府感情が強い土地柄で、ヨルダンでなにか起こるときはここから始まるらしい。
軍は上空にヘリコプターを飛ばして、町の人の動きを監視しているのだと、彼女は言った。
耳を澄ますと、確かに旋回する音が聞こえていた。


翌日早朝からアンマンで用事があるので、今回は日帰りすることに決めていた。
最終バス(午後3時か4時)の時間に間に合うよう、早めに知人宅を辞去し、車で送ってもらってバスターミナルに戻る。
道すがら、大勢の男たちが三々五々に路上を歩いているのを目撃した。
なにか集会でもあったのだろうか・・・。

アンマン行きのバスの出発まで、まだ1時間くらいありそうだった。
せっかくなので町の様子を伺いつつ、土産でも買うことにして、メインストリートへ向かって歩き出す。
すると、さっき車内から見かけたような、男たちの一群がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
彼らの表情には、戦いから引き揚げてきた戦士のような緊迫感が伺える。
うち数人は黒い覆面で顔を隠しており、手には火炎瓶らしきものを持っている。
コワい・・・
少々ビビリながら、うつむいてやり過ごそうとしたが、1人の若者がすれ違いざまに手を伸ばして私の帽子を奪った。
見た目は戦士でも、やることは子供なんである。
こういうことをされるのは久しぶりだったので、一瞬何が起こったのかわからなかった。
なんとか我に返って帽子を返してと訴えると、周りの若者たちも「ヤー、ハラーム(やめとけ)!」と味方をしてくれたので、帽子はあっさり戻ってきた。
やれやれ・・・
帽子を片手で押さえて用心しながら、私はまた歩き出した。

メインストリートの少し手前で、先ほどの若者たちよりはやや年上の男2人が私に話しかけた。
「どこへ行くんだ。ここは戦争やってるんだぞ」
「私はただちょっと通りを散歩して、お買い物したいだけなんだけど」
と答えると、それなら大丈夫だろうと彼らはうなずいてくれた。
どうも剣呑な雰囲気である。

メインストリートの商店街は、閉まっているお店が多かった。
開いているところはどこもミニスーパーみたいな雑貨屋兼食料品店で、みやげものなど置いていない。
歩いているのは男ばかりで、女性は私1人だ。
当然男たちの視線が私にぐぐっと集まるので、妙に神経を消耗する。
結局、買い物はあきらめて早々に引き返し、アンマン行きのバスに乗り込んだ。
30分ほど待った後、バスは無事にマアーンを出発した。

バスの中は商店街とは反対に、女性や子供の姿が目立った。
珍しく早起きしたせいで睡眠不足だった私は、バスが走り出すやいなや熟睡態勢に突入した。
ぐっすりこ~

しばらく後に目を覚まして、窓の外を眺めていたとき、マアーンの方角へ向かう戦車の一隊を見かけた。
全部で10~12台くらいで、それぞれに兵隊が2人ずつ乗り込んでいる。
私の後ろの席に座っていた男性は、すかさずマアーンの家族だか友人だかに何本か電話をかけ、今そちらに戦車の一隊が向かったから用心するようにと警告していた。
マアーン連絡網、すごい情報伝達力だね。

アンマンに戻ると、そこにはマアーンの緊迫した情勢がうそのような、のんびりした空気が流れていた。
あれはあくまで局地的ローカル戦争なのだ。
少なくとも今の所はね。

ああ、マアーン・・・
昔ながらの部族の荒くれ戦士たちを筆頭に、町ぐるみで国家権力を相手に立ち向かうマアーンの人々。
ステキだった。ステキすぎる。
また近いうちに、ぜひまた訪れたいものだ。



<参考>
これを書いている最中にちょうど届いた、アンマンの日本大使館からのお知らせメールに、マアーンでの事件のことが載っていたので転載します。

「在留邦人の皆様へ

1 米国大統領のヨルダン訪問
 報道によると今週末、オバマ米国大統領がヨルダンを訪問するとのことです。詳細な日程については明らかではありませんが、大統領の訪問中は米国大使館付近をはじめ主要道路や大統領の訪問先近辺への立ち入りが規制される可能性があります(23日にペトラ遺跡を訪問するとの報道あり)。

2 マアーン県における銃撃戦
 報道によると19日早朝、マアーン県において当国治安部隊と武装グループとの間で激しい銃撃戦があり、治安部隊員2名と武装グループ2名が死亡し、さらに双方に負傷者が出たとのことです。
 また、グループの一部の者は、銃撃戦の現場から逃走した後、同県において警察官等を銃撃して死傷者を出し、現在も逃走中とのことです。
 警察関係者の話では、同グループは、警察等の治安部隊員を標的にしているとのことですが、一般の方が事件に巻き込まれる可能性も否定できません。在留邦人の皆様におかれましては、マアーン県に行かれる場合には細心の注意を心掛けてください。」


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日々のお買い物のこと

2013-03-19 23:43:01 | ヨルダン(猫中心)



私はジャバルアンマン(=アンマン山)に住んでいるが、野菜やお肉、雑貨などは山を降りてダウンタウンのスーク(市場)で買うことにしている。
ジュースや牛乳、パスタ類などの重いものや保存食品は近所の商店で調達することが多いが、生鮮食品類はスークで買ったほうが安くて新鮮だし、なによりいつも賑わっていて楽しいので、気がついたら足がそちらに向かっている。
日用雑貨や電気製品、衣類、家具等のお店もスーク周辺に集まっているし、安くて美味しい食堂や生ジューススタンドなどもある。
だからこの辺をうろつけば用事がすべて済んで、非常に便利である。

金曜日には中古品や古着などの出店がスーク周辺の路上を埋め尽くし、そこにハエのごとくお客が群がるので、賑やかどころの騒ぎではなくなる。

アンマンのダウンタウンのスークの主役は、なんといっても八百屋だと思う。
立ち並ぶ屋台に新鮮な野菜や果物が美しく積み上げられ、昼間から電灯でライトアップされて、まぶしく輝いている。
売り手の男たち(女性の売り手はいない)は競って声をはりあげ、通りかかるお客を呼び込むのに忙しい。
中には即興で節をつけて歌いながら呼び込みをする人もいて、それを聴いた他の売り手も負けじと歌いだし、掛け合いをはじめたりするので、私はつい立ち止まって耳を澄ませてしまう。
もちろんお肉屋さんや魚屋さんのコーナーもあって、牛の頭がこれみよがしに飾ってあったり、冷凍の魚の生臭い匂いがぷ~んと漂ってきたりする。

私がスークで買うのは主に野菜だ。
お肉はやや高いので、あまり頻繁には買えないし(節約第一!)、魚は調理するのが面倒だからだ。
値札のあるお店とないお店があり、ない場合はいちいち質問することになる。
値段は店によるし、質にもよるのだが、私の見たところトマトはだいたい1キロ半ディナール(約70円)くらい。
キュウリやジャガイモも同じくらいだ。
先日買ったズッキーニは1キロ4分の1ディナールと安かった。
オレンジやバナナなどの果物はもうちょっと高いけど、いずれにせよ日本よりはだいぶ安いですね。

問題は、スークではキロ単位で買わなきゃいけないことである。
一人暮らしなので、玉ねぎなんかを1キロ買っても使い切れないのだ。
半キロ単位で買える店も結構あるけど、それでも多い。
先日はチーズやオリーブなどの保存食品屋さんで、オリーブの漬物ちょっとだけ買いたいと言ったら、キロ単にでしか売れないと断られてしまった・・・。

少量だけ買いたい時や、お店の人と会話するのが面倒な時、私はスーパーに行くことにしている。
アンマンは都会なので、スーパーやショッピングモールもたくさんあるのだ。
うちに一番近いスーパーは、レインボー・ストリートにある「HABOOB」。
ここはスーパーとしては小規模ではあるが、一応の用は足せる。
商品に値段表示があるので、「アッデーシュ(いくら)?」といちいち聞かなくてすむ。
そのせいか、店内には外国人の姿が目立つ。
野菜の値段はスークより高めだが、1個単位で買える。
パック入りのお肉類あるし、チーズや飲料類、シャンプーや石鹸、洗剤、ティッシュなどの日用雑貨も各種取り揃えてある。
これでお酒が置いてあったら最高なのに・・・とよく思うが、アラブのスーパーにお酒が置いてあるのを見たことがない。
法律で禁じられているのかもしれない。

普段の買い物はスークで値段交渉しながら楽しみ、疲れているときや、誰ともしゃべりたくない気分の時はスーパーに行く。
遠くまで出かけるのが面倒な時は近所の商店で済ます。
こんなふうにそのときどきの気分次第で、お店や買い物の仕方を選べるのが、アンマンのいいところだと思うのだ。












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