外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

日付け不明まとめ書き日記・12月

2011-12-29 01:50:23 | 日記


12月某日
友達にもらった真空パック入りの味噌煮込みうどんを、一人用の土鍋で煮る。小松菜と卵を上にのせる。とても美味しい。食べている途中、何か薄くて固いものが歯にあたり、ジャリッという音がした。吐き出してみると、それはエージレスの小袋だった。噛んだ時に破れたのか、黒い粉末がいっぱい付いている。小袋の表面には、「食べないでください」と書いてある。ドキドキしながら一応うがいをして、しばらくこたつに横たわって待機したが、何も起こらなかった。

12月某日
台所でアサリを殺戮する。
前日にスーパーのタイムセールで、1パック100円で購入したものだ。ボールの塩水のなかで腕や足(?)を伸ばしてくつろいでいるアサリさんたちを見ると、つい同情心が湧き、「この子たち、このままうちで飼っちゃおうかしら?」などと一瞬考えたが、すぐ我に返って調理を開始。
にんにくと玉ねぎのみじん切りをオリーブオイルで炒め、香りが出たら、トマトのみじん切りを加える。トマトがヘたっとしてきたら塩コショウをして、アサリさんたちを投入。緊張の一瞬。アサリさんたちは最初何が起こったのかわからない様子で、必死で殻に閉じこもっていたが、やがて弱い個体から順にひとり、またひとりと降参して、だらんと殻を開いてゆくのだった。最後のアサリさんがお亡くなりになった後、火を止める。とても美味しいボンゴレ・ロッソであった。アーメン。

12月某日
午後3時過ぎまで布団でごろごろする。
近所の主婦たちがうちの前で立ち話をしているのが聞こえる。彼女たちによると、2年後にはこの地域にも下水道が通るらしい。この辺はいまだに汲み取り式トイレなのだが、とうとう水洗トイレの洗礼(?)を受ける運びになったらしい。
うちの前は主婦の井戸端会議の会場なので、こうして布団の中で寝転んだままで、その日の天候や、近所のスーパーの安売り情報、節電の仕方、アボカドの調理法などの情報が手に入る。とっても便利である。

12月某日
コタツを出るときに、「わあ、えらいね、寒いのにコタツから出て」と自分を褒めていることに気がつく。考えてみたら、私はしょっちゅう自分を褒めている。間に合うように燃えるゴミを出したときとか、大きい良いうんちをひりだしたときとか、2週間ぶりに掃除機をかけたときとか。こうやって褒めることによって、自己評価が上がっている気がする。多分今は日本アルプスくらい。

12月某日
近所のホームセンターのレジの脇の台に、小さくて茶色い犬がのっていた。ミニチュアダックスフントとか、なんかカタカナの名前が似合いそうな犬。目が合ったので、そのまま目をそらさずに、じりじりと近づいてみたら、突然ワワワワワン!!!と大声で吠えられ、店中の注目を浴びた。なんだか愉快な気分になって笑い出したら、飼い主のお兄ちゃんも一緒になって笑っていた。

12月某日
生まれて初めてゆずを買う。
豆腐と青菜の煮物にゆずの皮を散らす。実の方は絞って焼酎を割る。風流人になった心持ちがして、ちょっと幸せになる。私もずいぶん大人になったものだ。しみじみ。
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ポール先生の思い出

2011-12-07 02:48:06 | イタリア
本文に関係ないけど、エルサレム旧市街キリスト教地区の、鼻の黒いデブ猫さん




ポール先生の歩き方は特徴的だ。
地球の重力に上手く馴染めないでいる宇宙人みたいに、地面の5ミリ上あたりを長い脚でふわりとキックして、月面散歩のように歩く。歩くとき、彼は褐色に焼けた顔にいつも微笑みを浮かべている。なにか楽しいことが起こるのを待ち受けている少年のような、でも自分がもう大人になったことを知っているので、少し自重して用心しているような、そんな微笑だ。背が高い痩せ型のアングロサクソン系の男性に、こういうタイプを時々見かける。

イタリア滞在の最後の2年間、私はフィレンツェ大学の文学部に通っていた。学生用の滞在許可証を得るのがその目的である。イタリア語学習にはすでに飽き飽きしていたので(別にすらすらしゃべれるようになったわけじゃないけど)、あえてイタリア語・イタリア文学科を無視して、比較文化学を専攻することにした。これは要するに外国語・外国文学科みたいなものである。英語からサンスクリット語まで、様々な言語の授業があったが、私は第一外国語として英語を選択し、第二外国語としてアラビア語、第三外国語としてトルコ語を勉強することにした。

フィレンツェ大学の英語学科の講師たちは、みんなネイティブスピーカーである。ヨーロッパという土地柄、その大半はイギリス人だったが、アメリカ人やカナダ人、オーストラリア人の先生もいた。彼らは概してイタリア滞在が長く、イタリア語ペラペラなのだが、授業中はイタリア語が分からないふりをして、英語しか話してくれなかった。ポール先生(名字は忘れちゃった)はロンドン出身のイギリス人であり、訛りのないきれいなイギリス英語を話した。

最初の授業の時、確かポール先生はかなり遅刻してきた。待ちくたびれたころ、例の笑顔を浮かべながらふわふわと教室に入ってきた先生を見て、あらステキ、私この人についていくわ!と心に誓った生徒は私だけではあるまい。実際、彼はフィレンツェ大英語学科のアイドルだったと言っても過言ではない。なにしろ背が高くて男前で、ロマンスグレーで(年のころは40代の終りか、50代前半ってところ)、シンプルだが渋い色合いのセーターとジーンズを身に着けていて、授業の最初から最後までずっとファンキーな冗談を言っていて、テストの採点の仕方だって甘かったのだ。男の子も女の子も、生徒はみんなポール(ここから呼び捨てにします)のファンだったのも無理はない。

ポールが教えていたのは「英語の音韻学」という、とてもつまらない科目だった。英語のスペルと発音の関係とか、発音記号の書き方とか、二重母音や三重母音の構造とか、そういうやつだ。そんな科目であるにもかかわらず、生徒たち(ほとんどがイタリア人)の出席率は非常に良かった。これはひとえに彼の人徳のおかげであろう。そんな私も、先生に褒めてもらいたいがために、このつまらない科目を一生懸命勉強していた。先生に初恋をした女子中学生やあるまいし、いい年してなにやってんのん!と自分で自分にツッコミを入れながら…。

英語学科の先生は、出席を毎回とるのが決まりだったが、ポールは「今日はなんだか出席を取りたくない気分だから」と言って、いつも取らなかった。

彼は気分の浮き沈みがけっこう激しく、ある大雨の日、世界の終りみたいな、うちひしがれた顔をして教室に入ってきたかと思うと、「今日はなんだか全然働きたくない気分…」と暗い声で言うのだった。それを聞いた生徒たちが、「先生、じゃあ自習にしようよ、ジシュー、ジシュー!」と騒ぎ出したが、ポールは「そういうわけにもいかないんだよ」、と苦笑いして黒板に立ち、「では今からすごくつまらないことを説明します。あー、ほんとにつまらないっ」とぼやいてから、英語の二重母音の構造を説明しだした。そんな健気なポールを、私たち生徒は暖かく見守るのだった。

ポールはイギリス人なので、もちろんアメリカ英語を馬鹿にしている。一度など、アメリカ人のギルバート先生(彼もなかなか人気があった)に、「お前が変なこと(つまりアメリカ英語)を教えるから、生徒がみんなcontaminated(汚染された)、ぶつぶつ」、と文句言っていた。おっ、国際紛争勃発か?!と、聞いていた私はハラハラしたが、ギルバート先生は全然気にしていないようで(たぶんしょっちゅう言われているのだろう)、あっさり受け流していた。そんなポールとギルバート先生は仲良しだ。大人ってよくわからない。

授業中の雑談によると、ポールは娘さんと一緒にアメリカに旅行した時、のどが渇いたから喫茶店に入って、「Water(イギリス英語ではウォータと発音する)、please」、と頼んだが、通じなかったそうだ。グラスに水を注いで飲むふりをしたり、手を上下に揺らして波のジェスチャーをしてみたりして、手振り身振りで説明してみたけど通じない。最後に彼は、「アメリカ英語では母音のオがアに近くなることがあり、語中のTをRっぽく発音し、語末のRを無視せずに発音する(イギリス英語では、後に母音が続かないRは発音されない)」という、英語の音韻学の知識を思いだし、試しに「ワラ?」と言ってみたら、ウエイターが「OH、WATER!」と叫んで、やっと水を出してくれたそうだ。
「はっは、アメリカ英語って不思議だね、AMAZING!」とポールはおかしそうに笑うのだった。

彼の授業で一番印象に残っているのは、「worship」という単語の意味を習った時のことだ。この単語の動詞としての意味は、「崇拝する」だと説明しつつ、ポールは突然最前列の空いている椅子の上にひょいっと飛び乗り、私たちを見下ろしながら、「う~ん、これはなかなかいい眺め、You can worship me(僕のこと、崇拝してもいいよ)!」と宣言して、愉快そうに高笑いしたのだ。あのときのポールの雄姿は、今でも目に浮かぶ。愛しのポール先生、いつまでも元気に教壇に立っていてね。



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「ラテ」の金縛り

2011-12-03 04:27:24 | グルメ



先日、私はスーパーのコーヒー・紅茶売り場で、非心霊現象的金縛りにあった。

友達が遊びに来た時のために、おやつ代わりに出せる手軽な飲み物、例えばカプチーノとか、ミルクココアの粉末入りスティックなんかを買いたいと思って、軽い気分でそこに足を運んだのだが、棚を見渡しているうちに、妖怪ぬりかべのように固まってしまった。だってそこにあるのは、なんとかラテと、なんとかラテと、なんとかラテと、なんとかラテと、ラテなんとかだけだったのだ(もちろん昔ながらのコーヒーや紅茶などを別にして)。

正確に言うと、エスプレッソラテ、抹茶ラテ、紅茶ラテ、ダークショコラテ、ラテマキアートなどが棚を埋め尽くしていたわけなのだ。
う、う~ん、これはいったいどうしたことだろう。「ラテ関連商品」は私の知らない間に、日本の冬のおやつ飲料界(ってあるのかどうか、よくわからないケド)を支配していたのか!近頃では、女子社員は休憩時間にキャラメルラテを飲み、女子高生は部活の後に友達とダークショコラテ(ラが一個しかないのがものすごくものすごく気になる)を飲み、お父さんやお母さんやおじいちゃんやおばあちゃんも毎晩寝る前に抹茶ラテを飲んでいるのかもしれない。

どの商品のパッケージもいかにも美味しそうだし、値段も手ごろである。どれか買って試してみたいのはやまやまである。でも私は動けない。どれに手を出すこともできず、その場でじっとかたまっている。

問題は「ッ」の不在、なんである。

イタリア語を勉強した人は知っていると思うが、イタリア語の「LATTE」は牛乳という意味で、その発音は「ラッテ」である。イタリア語の発音の規則では、同じ子音が二つ続くとき、音が詰まって小さい「ツ」が入ることに決まっているのだ。つまり「CAPPUCCINO」は「カップッチーノ」、「MOZZARELLA」は「モッツァレッラ」(レにアクセントがある)、「MACCHIATO」は「マッキアート」なのだ。おそらくどの単語もイタリア語から直接ではなく、英語を経由して入ってきたために、英語の発音規則の影響を受けて「ッ」が無視される結果になったのだろう。

私は「カプチーノ」は平気で飲める。「カップッチーノ」と「ッ」を二つも入れるのは表記上も発音上も煩雑だし、「カプチーノ」で問題ないと思う。
でも、「なんとかラテ」には、なぜかどうしても馴染めない。
そこにあるはずなのに姿を見せない小さな「ッ」が私を悩ませる。「私を忘れないで、私が存在したことをずっと覚えていて」、とワタナベ君に頼んだ『ノルウェーの森』の直子のように、私の脳を揺さぶり続けるのだ。

「なんとかラテ」という表記を見るたびに、私はふと、マジックで「ッ」を書き加えたい!という激しい衝動に駆られて困る。今のところ自分を律してはいるが、将来的には自信がない。いつか魔がさしてやっちゃうかも。

どんなに美味しそうな飲み物であったとしても、「ッ」の不在のせいで、私は喫茶店でそれを注文することができない。「ッ」はちっぽけではあるけれど、その不在は私を途方に暮れされ、金縛りにするのに十分な力を持っているのである。一寸の「ッ」にも五分の魂とは、昔の人はよく言ったものだ。

考えてみれば、イタリア語の本来の発音である「ラッテ」のほうが、「ラテ」よりも発音しやすいし、字面もいい気がしませんか?オバQの弟のO次郎だって、「バケラタ」とは言いにくいだろう。やはり「バケラッタ」と言いたいに違いない。そんなオーちゃんがおやつの時間に飲むのは、きっと「カフェラッテ」に違いないのだ。イタリア語の「CAFFELLATTE」、または「CAFFELATTE」は、正確には「カッフェッラッテ」、または「カッフェラッテ」と発音するのが正しいが、私は別に日本の喫茶店でこの通りに表記するべきだ、とまでは思っていない。「カフェラッテ」でいいのだ。私は別に多くを求めているわけではないの。私が気になるのはラとテの間の「ッ」だけなの…。

そんなわけで、結局私はラテの金縛りをなんとか解いた後、カニ歩きで横の日本茶コーナーへ移動し、普通のほうじ茶を買った。ほうじ茶好きだもん、後悔なんかしてないもん。抹茶ラテが買いたいとか思わなかったもん。

後日、「ラテ現象」に自分を馴染ませる訓練のために、もう一度同じスーパーの同じコーナーへ行った。落ち着いてよく観察したら、そこには「ラテ関連商品」以外の物も多少置いてあった。「抹茶オーレ」と「抹茶オレ」と「抹茶ミルク」。全部おんなじやんけ!と激しくツッコミを入れてしまったが、抹茶関係の飲み物が多いのは、京都という土地柄のせいか?
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