外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

ヨルダン料理教室に参加して、運命のマンサフを食べる

2017-08-22 11:32:41 | 日本における中東

「人生最後の食事に何を食べたいですか?」という質問に対して、以前なら私は「何を食べるかよりも、何を飲むかの方が重要なのよ。ビールを選ぶかワインを選ぶかで、食事内容は自ずと変わってくるからねえ~」という模範回答を返しただろう。

しかし、五反田の日本ムスリム協会で開催されたヨルダン料理教室で運命のマンサフを食べた今となっては、この質問に「最後の食事はマンサフがいい」と答えるしかない。久しぶりだったせいもあると思うが、それほど心にしみる美味しさだったのだ。

講師を務めたのは、ヨルダンから一時帰国中の友人、アブオディ(水本)佳子さんだ。このブログでだいぶ前にご紹介したと思うが(もう記憶の彼方だけど)、彼女は4人の子持ちで、ダンナさんはヨルダン人とトルコ人のハーフ。ヨルダン南部のマアーンという部族社会の伝統が色濃く残っている町(つまりド田舎)に在住で、無数の親戚や近所の人たちと日々交流して、手料理で接待したりされたりを繰り返すうちに腕前を上げ、今では「ヨルダン人よりも上手にヨルダン料理を作る日本人」と地元の人々に認識されている人物だ。

彼女はヨルダンで料理するだけでは飽き足りず、一時帰国中にも料理教室を開き、ヨルダン料理を日本で広めるための活動に勤しんでいた。なんてエラいんだ、佳子・・・さすが「忍たまの給食のおばちゃん」を目指しているだけある。


忍たまの給食のおばちゃん。佳子さんはもっと若々しいですがね
">


メニューはマンサフ、マクドゥース、マアムール、クラト・タムル、カフワ(コーヒー)2種だった。

「マンサフ」とは、山羊のミルクを発酵・乾燥させた「ジャミード」を入れたスープで羊肉か鶏肉を煮込み、ご飯にのせたもの。「ヨルダンの国民食」として知られ、イスラームの祝祭(イード)や冠婚葬祭には欠かせない。値段が高めな羊肉で作ったほうがご馳走感があるが、今回は手軽な鶏肉を利用。羊肉が苦手な日本人もけっこういるので、無難な選択だと言えるだろう。それを言ったら、そもそもヨーグルトの煮込み料理を苦手として、マンサフを敬遠する人も少なくないわけだが、中にはやみつきになる人もいるので、一度試してみる価値は十分あるだろう。問題は日本ではジャミードが手に入らないことだが・・・山羊を飼っている方は自家製にトライしてみて下さいね~(^-^)


中央のお皿の上の白い塊がジャミード。年季の入ったものは黄色っぽく、新しいものは白い



カチコチに乾燥したジャミードを床に置いてガンガン砕いている最中、佳子さんは金槌を破壊した・・・料理教室らしからぬ一コマだった



出来上がったマンサフ様。うっとり・・・



濃厚なヨーグルト風味の肉汁を別の容器に入れて、適宜ご飯にかけながら食べる。バターでソテーしたナッツと刻みパセリがアクセント




「マクドゥース」は、茹でた小ナスに切れ目を入れて塩をし、胡桃やにんにくのみじん切り等を挟んだ上で、オリーブオイルに漬けこんだもの。シリア料理として有名だが、ヨルダンでも作られる。ナスをよ~く茹でたらオイル漬けにしてから1週間で食べられるが、そうでなければ通常3週間くらいは待たないといけないらしい。今回の料理教室では、ナスに詰め物をするところまでやってお持ち帰りとなり、各自が自宅でオリーブオイルに漬けることになった。


オリーブオイルに漬ける前のマクドゥース。これを持ち帰ったわけだが、私は自宅にオリーブオイルが少ししかなかったため、魔が差してついごま油に漬けてしまったことを告白しておこう



「マアムール」は、セモリナ粉ベースで溶かしバター入りのサクサクしたクッキーで、日本人のファンも多い。ドライイースト使用。シナモンやアニスの風味がアラブらしさを醸し出している。今回は具としてデーツペーストを使ったが、ピスタチオや胡桃などのナッツ類を詰めたものも定番だ。ヨルダンでは表面にフジツボ風の模様をつけることが多いのだが、今回なんと佳子さんは、そのための専用の道具を地元で購入して持参し、参加者全員にプレゼントしてくれた。


これが模様付けの道具。先端がギザギザになっている幅広のピンセットみたいなやつ。



これがフジツボ模様。(イメージです)



みんなで作った完成品。セモリナ粉が細かすぎたようで、だいぶゆるくなっていたが、味は絶品だった。やはりマアムールは手作りが一番だ



ちなみに、マアムールの風味付けには「マハレブ」と呼ばれる乾燥したサクランボの種が欠かせないそうだが(刻んで少々入れる)、これも日本では手に入らない。サクランボを食べた時に種を取っておいて、洗ってから乾かせばいいんでしょうかね・・・


「クラト・タムル」は、アラビア語で文字通り「デーツボール」という意味だ。デーツペーストを手に取り、中に胡桃のカケラを入れて丸め、ココアパウダーをまぶしたもの。本場ではココナッツパウダーをまぶすことが多いそうだ。田舎のおばあちゃんの手作りっぽい手軽で素朴なお菓子だが、これが案外美味しいし、栄養もある。


右上のお皿の一見生トリュフ風なやつがクラト・タムル。林立した爪楊枝がアクセント


お菓子を食べながら、小さいカップでアラブの「カフワ」(コーヒー)2種を飲み比べた。普通に黒っぽいやつと薄茶色っぽいやつ。黒い方が豆の焙煎が深く、色が薄い方は浅いらしい。浅い方がカフェインが少なく、欧米では「グリーンコーヒー」と呼ばれて人気を博しているとか。どちらも豆を粉砕したものをカルダモンとともにお湯で煮出し、漉したものを飲む。




参加者は女性オンリーの十数人。最初に各自自己紹介をして、雰囲気が和んだところで作業を開始した。私は写真・ブログ要員ということで、調理はサボらせてもらったのだが、途中でカメラのバッテリーが切れそうになってあまり写真が撮れず、立場がなかった。しかも、時々写真を撮りながら眺めていただけなのに、疲れて自分の体内のバッテリーも切れそうになった・・・だって開始時間が12時半で、食べ終わったのが4時なんですよ。そんな長丁場を一瞬もサボらずに作業を指揮して、説明し続けた佳子さん。お疲れ様でした。


今回私は、マンサフを一口食べて「うっ」となった。泣くところまではいかないが、その2歩手前くらいな感覚(わかりにくいですね)。国を離れて長年外国に住み、マンサフをずっと食べていなかったヨルダン人がこれを食べたら、きっと泣く。そういう味だった。ただ美味しいだけじゃなくて、愛情がこもっている。運命のマンサフ、愛のマンサフ、とでも呼びたい逸品だった。


佳子さんはもうヨルダンに帰ってしまうが、彼女のヨルダン育ちの娘さんが現在こちらに住んでいて、いずれ日本ムスリム協会で料理教室をやるそうなので、本場仕込みのヨルダン料理を習いたい方は、ぜひ参加してみてくださいね~


日本ムスリム協会に新登場した物販コーナー。品数は少ないけど、スグレモノあり



日本ムスリム協会のHPはこちら。
http://www.muslim.or.jp/


おまけ。草を喰らう近所の白黒ネコさん


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日付不明まとめ書き日記2017年7月~あの頃は暑かった~

2017-08-17 17:22:05 | 日記


7月某日

毎日耐え難く蒸し暑い。これは人間が生存できる気温ではないのではなかろうかと思い、部屋のデジタル時計の室温表示を確認したら、91度だった。もちろんこれは摂氏ではなくて華氏だ。買った当初は摂氏表示だったのだが、何かの拍子に華氏表示されるようになり、元に戻せなくなったのだ。だから、摂氏では何度なのか知りたければ変換する必要があるのだが、これが案外むつかしい。

ウィキペディアによると、華氏[°F]から摂氏[°C]への変換式は以下の通り。

[°C] = ([°F] − 32) × 5⁄9

え~と、今91°Fだから、(91-32)×5÷9かな?

…ただでさえ暑いのに、こんなことをやっていたら、体温が上昇するに決まっている。

結局、変換は諦めてエアコンをつける。



7月某日

冷蔵庫の扉を開け、中に詰まった食品を眺めながら前に佇んで涼む。至福のひとときだ。
もしかして、このまま冷蔵庫を開けておいたら、エアコン代わりになるのではないか。私と同じことを考えている人がきっといるに違いない。ネットで情報を検索してみると、

冷蔵庫を開けっ放しにすると、実は室温は「下がる」のではなく、反対に「上がる」のです。冷蔵庫をエアコンのように使えるのか? という問いに対する答えは、ズバリ「ノー」だと言えるでしょう。

と書かれた記事が見つかり、がっかりする。冷蔵庫にはエアコンのような室外機が存在しないため、放熱装置により庫内の熱を「外部=室内」に放出してしまうからだそうだ。考えて見たら、当たり前だったか…


この記事。ネットって、大抵のことが調べられて便利だ
https://gakumado.mynavi.jp/gmd/articles/37641


7月某日

立派なゴキブリが部屋の中に突然現れ、私の足元付近をさかさか歩き回る。

でも私は落ち着きを失わない。
ゴキブリ駆除剤「ブラックキャップ」(アース製薬)を先日取り替えたばかりだからだ。私はブラックキャップに絶大な信頼を寄せている。半年以上効果が持続し、その間ゴキブリが登場することは滅多にないのだ。このゴキブリはきっと窓の外からうっかり迷い込んだのであろう。

物陰に隠れようとするゴキブリを追い立てて、部屋の隅に配置したブラックキャップに誘導すると、「あ、なんか美味しい匂いがする」と気がついたようで、中に顔を突っ込んだ。しばらくその姿勢でじっとしている。

その後、彼(彼女?)は「はっ、なんか体の調子がヘンだ。これはもしかしたら、罠だったのかも!」と我に返ったようで、その場を離れて走り出し、本箱の後ろに身を隠してしまった。

そんな彼(彼女)に対し、私は「ふふふ…お前はもう死んでいる」と余裕の笑みを浮かべて話しかける。ゴキブリの遺体の回収などという瑣末なことについては、あまり考えないようにする。


頼りがいのあるブラックキャップさん。いつもありがとう。あの匂い嫌いだけど



7月某日

両手の爪のピンク色の部分の面積が、だんだん狭くなっているのに気がつく。近年手のアトピーがひどく、そのせいか爪のピンクの部分が減っていって、白い部分が増大しているのだ。特に、右手の人差し指のは、アラル海のような具合になっている。アラル海は年々面積が減少して、いずれ消えゆく運命だというが、私の右手の人差し指の爪も同じ運命をたどるのだろうか?

しんみりしながらアラル海の地図を眺めるが、2000年以降の地図を見て、私の爪はアラル海よりはずっとマシなことに気がついた。安心すると同時に、アラル海に深く同情する。





7月某日

お好み焼きが食べたくなったのでを作ったら、肉とキャベツと小麦粉入りのスクランブルエッグができた。思った通りの料理が出来上がることがめったにないのはなぜだろう…じっと手を見る。


童顔の啄木先生





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在日クルド人家庭訪問~アレウィー教徒の母子家庭編(2)牛久入管収容所への日帰りツアー

2017-08-15 19:11:53 | クルド


以前の記事で、日本語教室で知り合ったトルコ出身のアレウィー教徒のクルド人女性Sさんの境遇について説明した。その後彼女のダンナさんには仮放免の許可が下り、近日中に出所できることになった。非常にめでたいことである。

仮放免が決定する前、一度Sさん母子に付き添って、茨城県牛久にある入管収容所(東日本入国管理センター)に面会に行ってきたので、今回はその時のことを書こうと思う。

収監されているクルド人の家族は、同胞から情報を収集して連れ立って行くのが普通のようだが、前回の記事にも書いたように、Sさんは他のクルド人たちとの交流があまりない。しかも、日本語がわからないし、行き方も知らない。「でもとにかく面会に行きたいの!行く!」というので、心配になって同行することにしたのだ。私も相当な方向音痴なのだが、日本語はできるし(当たり前や)、たどり着けないことはあるまい。

当日の朝、待ち合わせ場所(彼女の最寄駅の改札)でSさんを見たとき、私は「おお~」と感心した。

彼女は普段はすっぴんなのだが、この日はバッチリ化粧していたのだ。ファンデーションを塗って、口紅を塗って、眉毛を描いて…ダンナさんが収監されてから初めて、5ヶ月ぶりに会いに行くというだけあって、気合が入っているのだった。

こういうの何ていうんだっけ、最近の日本語で…あ、そうそう。「女子力」だ。私に欠けているものだな…まあ彼女は20代前半だしな…

感慨にふけりつつ、Sさんと子供達を誘導して電車に乗る。京浜東北線と常磐線を乗り継いで、1時間あまりの旅だ。電車の中で、私は持ち歩いているモバイルルーターに彼女の携帯(トルコから持参、SIMカードなし)を繋いで、ネットが見られるようにしてあげた。早起きして睡眠不足だった私は、移動中ずっと寝ていたが、ちょっと目を覚ましたときに、何気なく彼女の携帯を覗き込んだら、羊の毛刈りの動画が流れていた。子供達(就学前の男の子2人)はそれを食い入るように眺めていた。クルド人の子供は羊の毛刈り動画に娯楽を見出すのか…

ちなみに、Sさんの子供はどちらもアイドル級に可愛らしいのだが、よく観察してみると、そのほっそりした腕には長めのうぶ毛が密に生えており、将来の姿を予感させるものがあった。やはり日本の男の子とは違うんだなあ…

牛久駅に着いたら、入管収容所に収監されている外国人をサポートする「牛久の会」のTさんが約束通り車で待ってくださっていた。収容所は辺鄙なところにあり、独力ではたどり着けそうもないので、事前に連絡して協力をお願いしたのだ。

収容所には、30分ほど(たぶん)で着いた。


ここだ。すごく辺鄙で行きにくいところにある。意図的にそういう場所に建てられたと思われる。



着いた時にはもう12時で、窓口が昼休みに入る時間だったので、1時まで食堂でランチを食べてヒマをつぶした。館内での写真撮影ということで、食事の写真が撮れなかったのが残念だ。

ここの食堂では、職員は500円、外来者は600円でバイキング形式のランチが食べられる。お皿に煮物やパスタ、サラダ、揚げ物など数種類から好きなものを取れ、ごはんと汁物が付く。味はごく平凡だが、色んな種類のものが食べられるので、栄養の面で良いと思う。しかもメニューは日替わりだそうだ。ただし、Tさんによると、収監者の食事はこれよりずっと劣悪なものらしい。さもありなん…

Sさんもランチを食べたのだが、口に合わなかったようで、暗い表情で黙って咀嚼していた。一般に、クルド人には和食の味付けは合わないようだ。焼きそばやラーメンなど、味が濃くて脂っこいものはOKのようだが。

1時に窓口が開いたので、Tさんが記入してくれた面会申請用紙を出して、順番が来るまで待つことになった。Sさんが持参した差し入れのカップ麺は、個数を申請書に書き込んで、窓口に預けたのだが、その際係員のチェックが入り、外側のラップフィルムが破れているものは規則により不可となって、持ち帰ることになった。本体に傷がなくても、安全上の問題があるとかでダメらしい。そういうの、すっごく日本っぽい。

しばらく待つと、Sさんたちの順番が回って来た。面接が終わるのを待つ間、私は牛久の会の人とおしゃべりして、帰りのバスの時刻やバス停の場所を教えてもらった。彼女たち(私が会ったのは全員女性だった)は、毎週収容所に通って何人もの収監者と面会し、その活動を通して、「収監者に何かあったら、すぐに声を上げるからね!」という姿勢を示して、入管側に圧力をかけているのだ。

面会時間の30分が過ぎ、Sさんたちは明るい表情で戻ってきた。5ヶ月ぶりの家族の対面、さぞかし感動的だったことだろう。但し、仕切りのない家族部屋での水入らずの面会には申請が間に合わず、ガラス越しのいかにも刑務所っぽい面会になってしまったが。家族部屋は1つしかないので、早めに予約する必要があるらしい。

Sさんに「面会どうだった?ダンナさん、『セニ・セヴィヨルム』(愛してるよ)って言ってくれた?」と聞いてみたら、「うん」という返事と笑顔が返ってきた。あ、やっぱり言うんだ…

帰りはバスと電車を乗り継いで戻った。バスは1日5本しかないという代物だが、奇跡的に5分も待たずに乗れた。電車の乗り継ぎもスムーズだった。これも牛久観音のおかげかもしれない…お参りしてないけど。

というわけで、初めての牛久入管収容所・日帰りツアーは無事に終了したのだった。やれやれ、よかった…


牛久といえば牛久観音らしい。茨城県公式観光情報サイトから拝借した。


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十条駅前にオープンしたクルド家庭料理・手芸カフェ「メソポタミア」

2017-08-13 16:32:00 | クルド
新大久保の猫スポットのご老体っぽい猫さん(モスクの入っているビルの正面右手の駐車場)


先日、今月6日に開店ほやほやのクルド家庭料理・手芸カフェ「メソポタミア」に行ってきた。

東京都北区のJR十条駅南口からすぐの建物の3階に入っていて、駅から出て周りを見渡せばすぐ発見できる。人並み外れた方向音痴の私にも迷いようがなかった。元々はパレスチナ料理店「BISAN・十条駅前店」だった居抜き物件の店舗を借り受けたそうだ。内装は自分たちで工夫して変えたり、寄贈されたクルドの伝統的な装飾品を配置したりしているとのこと。


建物の入り口



中はこんな雰囲気。



クルドの伝統的なタペストリーなどがふんだんに飾られている。



お店を入って右手の奥には、在日クルド人の女性たちが製作した手芸品が展示・販売されている。ここはクルド料理店であると同時に「手芸カフェ」でもあるということで、今後ワークショップも開催される予定。手芸好きの人には朗報ですね。


この正面のショーケースがそれ



ビーズ系のアクセサリー



ニット製品




店主はトルコ出身の在日クルド人のベテラン主婦ファーティマさん。料理はほぼ彼女が一人で作っている。親戚や知人等の多くの人々が協力して開店にこぎつけたそうだが、お店を出すのは初めての経験だそうで、日本の人たちに気に入ってもらえるかどうか不安でドキドキしているそう。彼女と話していて、気配りが細かくて真面目な人柄なのがよくわかった。是非応援したいものですね…


ファーティマさん。写真を撮り忘れたのでホームページから拝借。



さて、肝心の料理の話だが。

私が選んだのはトルコ語では「カルヌ・ヤルック」と呼ばれるミンチを詰めたナス料理にピラフ・サラダが添えられたセット,800円。たっぷり油を吸ったナスがとろりと柔らかい。添えられたピラフもシンプルながら丁寧に作られている。サラダの野菜も新鮮。ちなみに、メニューと値段はランチもディナーも同じとのこと。末尾にホームページのリンクを載せるので、メニュー等はそちらを参考にしていただきたい。今出しているのは夏のメニューであり、季節ごとに変えてゆくという話だ。




友達が頼んだのは、トルコ語では「イチリ・キョフテ」(アラビア語では「クッベ」)と呼ばれているブルグル(挽き割り小麦)ベースの生地でミンチを包んだ紡錘形の揚げ物をメインに、炒め物・ピラフ・サラダが添えられたセット。これは1000円。200円増しでヨーグルトスープが付けられる。


懐かしいクッベ(クルド語の料理名はメニューに載っているが覚えられない)…味見させてもらったら、見た目通り美味しかった。本場の味だ。



ファーティマさんはイスラム教徒なので、料理に豚・豚製品、アルコール類は一切使っていない。ペースト等も手作りで、豚製品などを含む市販品を利用することもない。但し、いわゆる「ハラルミート」ではない普通の肉類を扱っていて、またビールをメニューに入れているので、ハラル認証は取れないとのこと。私としては、ビールがあるのは非常にありがたいですがね(^.^) ちなみに、水タバコも各種フレーバーが用意されている。



友人が飲んだメソポタミアコーヒー、450円。ピスタチオ100%の体にいいカフェインレスコーヒーだそうで、ファーティマさんによると、ミルクを入れて飲むのがオススメ。香ばしくて、酸味の強い不思議な味だった。



店内には、厨房で働くファーティマさん以外にも、給仕担当の日本語が上手なクルド人男性(ファーティマさんの甥だと言っていたような…)や日本人スタッフに加え、様々な人々が出入りしていた。皆で協力しながら、オープンして間もないこのお店を盛り上げていこうという雰囲気が伝わってくる。その中には、見たことのある懐かしい顔があった。こ、この人なつっこい笑顔の男前はまさしく…


ドバイレストランのトルコ系クルド人のイケメンシェフ、オッケーシュさんだった。なぜこの人がここに…?!


この笑顔にここで会えるとは



相手も私のことを覚えていたらしくて(一度短く言葉を交わしただけなのに)、驚きを隠せない私に笑いながら挨拶してくれた。彼の話によると、ドバイレストランは未だ閉店中で、この先池袋に新たに開店するという話もあるが、はっきり決まっていないらしい。それで、この店で働くことになったと。といっても、調理はファーティマさんが担当して、彼は主にケバブ要員のようだ。夕方以降にお店の前を通りかかったら、彼がケバブを焼く姿が見られるかも。メニューによると、ケバブサンド、ケバブラップ、ケバブ丼の御三家が全て500円でイートインも可能らしい。ケバブラップ(ピタよりも薄いパンで肉片や野菜を巻いたもの)は他のお店では通常600円するのでお得かもしれない。全般的に、このお店は他の中東料理店に比べて値段が安めで懐に優しい。ぜひ長続きしてもらいたいものだ。

しかし、ドバイレストランの行方も気になりますね…落ち着いて仕切り直して、最善の形で新装開店できますように。



「メソポタミア」のホームページ
https://mesopotamiajp.jimdo.com/


ドバイレストランについてこのブログで書いた以前の記事
http://blog.goo.ne.jp/mendokusainoyo/e/4882bdf4fe870dcd2f200fee396c0a71

http://blog.goo.ne.jp/mendokusainoyo/e/2d28f505eb6cd75b02b0055838acb167



(終わり)









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難民支援協会で出会った外国人たち

2017-08-10 18:26:53 | 日本における中東

先日、四谷の難民支援協会で約3時間過ごした。

相談に出かけるトルコ系クルド人の付き添いで(日本語ができず、行き方がわからないというので)行ったのだが、向こうでの面接ではトルコ語通訳が用意されていて、付添人は同席できないシステムになっているので、その間は狭い待合スペースで、支援を求めに来た外国人たちと共に待つことになった。

難民支援協会で働いている人たちは、絵に描いたようなフレンドリーな笑顔で、皆とても感じがいいので、いつも感心する(といっても、あそこに行くのはこれが2度目)。小テーブルにはクロワッサン他の美味しいパンが並べられ、水やコーヒー、紅茶はセルフサービス。生活に困っている難民申請希望者などは、食べ物や衣類、せっけん等の必需品がもらえ、お腹がすいていれば食事が提供される。この日は、肉のシチューっぽいやつをご飯にかけたものを食べているアフリカ系移民を見かけた。非常にいい匂いだった。魚のシチューも選べたようだ。子供にはオモチャも貸してくれる。

単なる付き添いの日本人の私は、さすがにそういうものをいただくわけにはいかないので、なんとなく肩身が狭い気分を味わいつつ、周りの人の話を聞いて暇をつぶしていた。(さすがに3時間はつぶしきれず持て余したが、猛暑日だったので外に出たくなかった)

今回私がおしゃべりしたのは3人の男性。1人目は50代くらいのフランス出身の男性で、奥さんは日本人だと言っていた。彼とは英語で話した。英語を使ったのは久しぶりだ。彼はインポートの会社を設立するそうで、翌日必要書類を役所に出す予定だが、内容の意味がわからないので、大まかに英語に訳して説明してもらいに来たという。ええっと、それって難民支援協会に頼むことなのか?本人の話を聞く限り、難民でも難民申請者でもなさそうだったが、通りかかるスタッフの全員に親しげに挨拶していたので、たぶんあそこの常連なのだろう。周りの人々に過剰なまでに気配りしているところといい、落ち着きのない様子といい、英語があまりできないと言っている私に、会社設立文書を口頭で訳してくれと頼みこみ、「資本金の0.7%の税金(登録免許税)がかかると書いてあるよ」と教えてあげたら「7%か、なるほど。サンキュー先生!」と納得する様子といい(0.7%だと繰り返してもわかってくれなかった)…なにか不安感を掻き立てる人物だった。彼は会社を作らない方がいいのでは。

そのフランス人が去った後、30代とおぼしきムスリムのチュニジア人男性が登場したので、彼とも少し話した。というか、彼がずっと話して、私はたまに相槌を打つ程度だったが。彼は地中海沿岸のなんとか市(地名って覚えられない)の出身で、ありがたいことにきちんとしたフスハー(アラビア語の標準語)を話した。彼は自分の境遇については何も説明しなかったが、「チュニジアの経済はどうですか」と質問してみたら、主観を色濃く反映しつつ自国の状況について雄弁に語った。その内容を要約するとこんなかんじ:

チュニジアは、ジャルバ島にユダヤ教徒が毎年巡礼に来るなど、宗教的に寛容な国だ。ハビーブ・ブルギーバ大統領の時代に大きく発展し、一夫多妻制が廃止されるなど、女性の地位等も飛躍的に向上した。しかし、近年「革命」という名の下で行われたクーデターの後、国の状況は悪化し、真のイスラムとは無関係なナハダ党の「イスラム主義者」らがのさばって、国民の自由を制限し出した。ナハダはムスリム同胞団と繋がっており、ISやアルカイダと同様、テロ集団だ…(極端な意見だが、議論するのも面倒なので、私はあえて口を挟まなかった)

最後に話したのは、日本に来て間もないというバングラデシュ人の真面目そうな若者だった。彼は流暢な英語を話した。キリスト教徒だというので、「バングラデシュにもキリスト教徒はけっこういるの?」と聞くと、彼は首を振った。「いや、自分以外のキリスト教徒は知らない。家族は僕以外は全員ムスリムで、僕だけ改宗したんだ。イスラム絡みの暴力事件に嫌気がさしたから」

帰国したら命を狙われるので、ここに根を下ろすために難民申請するつもりだという。「バングラデシュ人と接するのは危険なので、避けて通っている。誰にも会いたくない」というので、「日本は大丈夫なんじゃないの?」と私が言うと、彼は「いや、ここも安心できない。日本にはなにしろ、ジャパニーズ・バングラディシュ人のISのアミールがいるからね」と真剣な顔で言って、これが証拠だと言わんばかりに、待合室に設置されたパソコンで検索して、そのアミール(日本地区責任者?)とやらについての英語のニュースを見せてくれた。

こういう記事。未確認情報多そう。その人は日系じゃないし、日本にもういないのでは…
http://www.dhakatribune.com/bangladesh/crime/2017/07/30/ozaki-no-connection-new-jmb/

その後、彼は面接に呼ばれて行ってしまった。それからは話し相手もなく、本を読みながら永遠に続くかと思われるクルド人の面接が終わるのを待った。

そういうわけで、難民支援協会はとても興味深いところなんですよ。(強引な話の締め方ですいません)



では、例によって記事に無関係なネコ写真をどうぞ







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