外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

シリアからトルコへ移住したときの日記2(完結)

2010-02-23 22:21:16 | トルコ
1月25日
朝6時半起床。バス会社のセルヴィスに乗ってオトガルまで行き、そこで大型バスに乗り換えてブルサへ出発。ニリュフィル社のバスはキャーミルコチュ社に輪をかけてゴージャスだった。前の座席の背面にスクリーンがあって、テレビを見たりゲームをしたり出来るようになってるんですのよ。本当に飛行機みたい。飲み物と一緒にサービスされたお菓子も、社名入りの小袋に入ってたオーガニックのパウンドケーキだし。もちろん車掌は蝶ネクタイをしているし。イズミルのオトガル自体も飛行場みたいに大きくてきれいだった。
窓の外は美しい雪景色。30分遅れて出発したのに、しかも雪の中を走ったのに、バスは予定どおり1時にブルサに着いた。すごいです。


家を貸してくれる予定のトルコ人家族の長女、アメリカから一時帰国しているマルヤムがオトガルまで迎えに来てくれた。マルヤムは(アメリカ帰りだけあって)英語が上手で、親切な女の子である。彼女はスカーフで髪を隠している。この一家は敬虔なムスリムなのだ。この家族とはダマスカスで知り合った。彼らは今ダマスカスに住んでいるのだが、ブルサに自分達のアパートがあってずっと空いているから、よかったらそこに住まないか、という提案を受けたのだ。もちろん家賃を払うのだけど。

市バスに乗って街の中心地へ行き、雑居ビルの最上階のカフェ・レストランでランチをご馳走になる。マルヤムに勧められて食べた、ピデリ・キョフテがとてもおいしかった。トマトソースで煮たキョフテ(ミートボール)がピデ(ナンみたいな形の平たいパン)に乗っている。窓からは雪景色のブルサの街が見渡せた。このお店、こげ茶色の木のテーブルと椅子がいっぱい並んでて、大勢の若者たちがおしゃべりながら飲食してて、流行の音楽がかかってて、制服を着たウエイターたちは男前で、なんだか日本のお店みたいだった。

食事が済んだ後さらにバスに乗り、ようやくアパートにたどり着いた。アパートは短い坂の上にあった。マルヤムの家族の持ち物がいっぱい残されていて、トイレとか台所とか、ちょっと混乱してるけど、広くて綺麗で静かなアパートであった。窓が多くて採光が良いし。これでテレビがあったらよかったのだが。マルヤムによると、この家にはテレビが存在したことがないらしい。どうも変わった家族であるようだ。とにかく、ここに住むことに決めた、とマルヤムに告げる。

マルヤムが友達の結婚式の準備の手伝いに出かけているあいだ昼寝した。起きたら夜の7時だった。何時間寝たのかわからないが、相当ぐっすり寝たらしく頭がぼんやりしていた。バスの中でもずっと寝ていたのに、移動や寒さで体力が消耗したのね。お腹がすいたのでポテトチップスを食べながら、昨日のワインの余り(ペットボトルに詰め替えて持参した)を飲む。そのうちマルヤムが戻ってきたので、彼女が買って来てくれたパンを一緒に食べ、チャイを入れてもらって飲む。彼女は今夜ここに泊まるらしい、っていうか私は彼女と一緒に住むのか?それとも今夜だけ泊まるのか?なぞだらけである。

1月26日
11時過ぎにマルヤムに連れられて、ブランチを食べに行く。建物の2階にある、バイキング形式の朝食を提供するお店である。たいした物はないが(パン、チーズ、蜂蜜、トマト、キュウリ、卵など)、景色と雰囲気が良い。その後トメルに連れて行ってもらう。受付の人はトルコ語しか話さないので、マルヤムが英語に通訳してくれた。実力判定テストを受け、登録してお金を払う。1ヶ月コース340ドルというのは、すごく高いと思うがしょうがない。テストはすごくむつかしかった。その場で結果がでて、中級1のクラスに入れられることになった。2月8日のコース開始まで、まだ日にちがあるから、それまで会話の練習をしておくように言い渡される。トメルを出てバスで家に帰る。いつのまにか夕方になっていた。それにしても寒い。そこらじゅう雪が積もってるし、風が冷たくて、手にあかぎれができそうである。マルヤムは私をアパートまで送ってから、自分の住んでいるところ(親戚の家)に帰っていった。やはり私と一緒に住むわけではないようなので、ほっとする。

昼寝から目覚めたら、外は真っ暗だった。再び外出して、昼間目に入った、近所の(徒歩10分くらい)インターネット屋さんに行った。ここでは日本語が読めるのだが、書けない。そのあとスーパーで、オリーヴオイル、トマト、赤唐辛子、マッシュルームなど、パスタを作るための材料を買う。文房具屋でペンやノートも買う。何もかも高くて、いちいちびっくりしてしまう。家に帰ってトマトとマッシュルームのスパゲッティを作る。我ながら美味しくできた。でも食べるときにテレビが無いのはやはりつまらない、というか時間を持て余す感じ。トルコのテレビでもいいから見たい。


1月26日
9時半に起床。10時半から2時ごろまでかかって家の掃除をする。トイレやシャワー室を少々片付け、冷蔵庫にこびりついた汚れを取り、古いタマネギを捨て、引き出しの整理などして自分のものを入れるスペースを確保する。やれやれ、タマネギくらい処理しておいてほしかった。疲れたけれどさっぱりし、一応自分の家らしくなった。掃除の後、昼寝をせずに出かけることにした。冬は日の入りが早いので、うっかりすると何もしないうちに夜になってしまうのだ。

昨日マルヤムに教えてもらった道をもう一度たどって、トメルに行くのが本日の野望である。家からトメルまでの道順を頭に入れたいので。今日も道端の雪は溶けていなく、すべりやすいので、気をつけてゆっくり歩く。途中野菜の市場を見かけ、心惹かれるが、もうすぐ旅行に出るつもりなので今野菜を買うわけに行かない。
トメルに向かうつもりが、方向音痴なので道を間違え、全然方角の違うスタジアムのほうまで行ってしまった。今日はブルサのサッカーチームであるBURSASPOR(ブルサスポル)の試合があったらしく、緑色の服やマフラーを身につけた若者が周辺にたむろしていた。このチームのユニフォームは緑色なのだ。緑はブルサの街のイメージカラーである。彼らの様子からすると、試合に勝ったようだ。みんな嬉しそうだった。
引き返して道を変え、寒い中ずいぶん歩いた末にやっとトメルにたどり着くが、今日は別に用事があるわけでないので、また来た道をたどって家の方に向かう。雪がちらほら降り出し、本当に寒くて凍えそうだったが、どの喫茶店に入ろうか迷って上手くタイミングが見計らえず、延々と歩き続けた。しまいにアキレス腱と腰が痛くなってきたので、ようやく喫茶店に入ってチャイを飲んで休憩し、その後バスに乗ってアパートに帰りついた。

熱いコーヒーを入れて飲み、台所で座ってしばらくぼうっとする。寒さと疲れで体力が消耗している。家の静けさが身体に染み入るようだった。不規則な睡眠のせいか、ぼんやりしてトルコ語が全然頭に入らないが、それでも無理に辞書を引きながら新聞を読んで勉強していると、突然電気が消えた。ドアを開けてアパートの廊下に出てみたら、ここも真っ暗である。窓の外を眺めると、向かいの家々の明かりも消えている。うちのアパートだけの停電ではないらしい。電気がないとすることがないし、暖房が止まるので寒くなる。しょうがないのでベッドに入って考え事をした。疲れているせいか、すごく暗い気分になり、自分のやっていることは間違いだらけだ、と思う。イズミルにとどまるべきだったのではないか、とか、そもそもトルコに来たこと自体が間違いである、とか。

30分ほどして電気が復活したので、シャワーを浴びた。熱いシャワーのお陰で少し元気になった。昨日と同様マッシュルームとトマトのパスタを作り、ビールを飲む。ビールはイスタンブル産、「マルマラ・ゴールド」である。エフェス系列の会社で製造しているらしい。エフェスと同じく飲みやすい味である。食べ終わってから新聞の続きを読んだ。

「BURUSA・HAKIMIYET(ブルサ・ハーキミイェット、‘ブルサの統治’という意味だと思う)」という地方新聞によると、寒さ対策のため、ブルサ市の動物園では、動物達のためにカロリフェル(セントラル・ヒーティングのこと)を入れているらしい。しかし、猿たちが暖房に寄っていって暖を取るのを尻目に、熱い地方出身であるラクダは平然と外を歩き回っているそうである。ラクダって偉大な動物である。この動物園には一度行ってみたいが、雪が溶けないうちは無理である。それにしてもこの新聞、重要なニュースがなにも載っていないのがすごい。三面記事と三面記事と三面記事と芸能ニュースとサッカーくらいしかない。トルコにはこういう新聞が非常に多く、紙の無駄遣いもいいところだと思う。「ZAMAN(ザマン=時間)」、「TARAF(タラフ=側面)」、「CUMHURIYET(ジュムフリイェット=共和国)」などの真面目な新聞もあるが、売店のスタンドで目に付くのは三面記事新聞ばかりである。テレビといい新聞といい、トルコという国はこれで大丈夫なのか、と少し心配になってしまう。

1月27日
今朝も9時半に目を覚ました。窓の外を見ると、夕べ降った雪のせいで、ますます雪国らしい風情である。しかも太陽が出ていなくて、風景に靄がかかっている。これでは出かける気にならないので、ベッドの中にとどまり、読みかけの、三島由紀夫の「金閣寺」の続きを読む。不思議な小説だった。主人公の思考回路が変だし、ものすごく暗いけど、確かにこれは優れた小説だと思う。読み終わったので、次の本に取り掛かる。「DEMISFYING SYRIA(=シリアの謎を解く)」という英語の本で、一見不可解なシリアの外交政策の謎を様々な角度から分析して解き明かす、という意欲的な内容である。ベイルートに旅行したときに買った。こんな本、もちろんシリアではお目にかかれない。

読書に疲れてまた昼寝をしてしまったが、そのあと心を入れかえて散歩に出かけた。まだ夕方までは間がある。意外にも雪は大方溶けていて、寒さも昨日より随分ましだった。バスに乗ってアタトゥルク通りにでて、適当なところで降りて歩いていたら、複数の市場が集まった場所に遭遇した。服市場、青果市場、タオル市場、それに魚市場まであった。市場は人が大勢いて活気があり、見てるだけで楽しい。歩き回って疲れたので、目の前に止まっていたドルムシュ(乗り合いタクシー)に乗ってみた。トルコに来てから初めてドルムシュに乗ったのでちょっと嬉しい。私はさまざまな公共交通機関を試すのが好きなのである。このドルムシュはタクシーと同じ車体だけど、行き先を書いた札が上にのせてある。適当なところでドルムシュを降り、家の方角をめざしてまた歩く。少しずつ地理勘が働くようになった。お腹がすいたので、途中でラフマージュン(トマト風味のミートソースをかけて焼いた、薄いピザのようなもの、レタスの千切りを載せて巻いてくれる)を買って、歩きながら食べる。焼きたてで香ばしい。

家に帰ってシャワーを浴び、トマトとマッシュルームのスパゲッティを作って食べた。これで三日間同じメニューを食べ続けている。ちょっと飽きたけど、旅行前なので我慢。明日から8泊9日で黒海沿岸地方への旅に出る。あまり寒くないといいけれど。トラブゾンまで行くので、移動に時間がかかって疲れそうだが、楽しみである。長距離バスを乗り継いでのトルコ一人旅って、昔からやってみたかったけど、勇気がなくて今まで出来なかったのだ。今は体力はあんまりないけど、怖いものがなくなっている。どこにでもいけそうな気がする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シリアからトルコへ移住したときの日記1

2010-02-22 22:17:28 | トルコ
ダマスカスを出発してから数日間、珍しく日記をつけていたので、それをここにのせます。後からいっぱい手直ししましたが。

2010年1月19日
昼前のバスでダマスカスを出発。友人たちが見送ってくれた。バス代は250sp(シリアポンド)。アレッポには夕方に到着。荷物が重いので移動が大変で、ホテルについたときは虫の息だった。やはりバスで引越しするのは大変である。小さめのスーツケース1個とショルダーバッグとパソコンだけなのだが、やっぱり重くてしんどい。アレッポでは、以前にも泊まったことのあるスプリング・フラワー・ホテルに泊まることにした。「春の花ホテル」、かわいい名前である。ツインベッド、シャワー付きの部屋が350spだった。このホテルの最上階では各種ビール、アレッポ製のオリーブ石けんなども販売している。アレッポ産のビール「アッシャルク」も置いてあるが、あまりおいしくないのは知っているので無論買わない。少し休憩したのち外出してインターネット屋さんに行き、そのあとファラーフェル・サンドとビール(マイスター)を買った。その足でトルコ行きのバスターミナルに赴き、翌朝のバスの切符を買う。午前中は朝5時発のしかないそうなので、その券を買った。300sp。乗り合いタクシーであれば随時出発するし、値段もさほど高くない(500spくらいだっけ、忘れた)らしいけど。ホテルに戻って部屋でくつろぎ、ファラーフェル(ヒヨコマメのコロッケ、野菜と一緒にアラブパンで巻いてある)を食べてビールを飲む。トルコにはファラーフェルはないそうなので、食べおさめである。それにしてもアレッポの商店で働く人達は、ダマスカスの人達より人当たりが柔らかくて親切な気がするが、なぜだろう。

1月20日
朝5時のバスでアレッポを出発。非常に眠い。このバスではコロンヤ、ネスカフェなどのサービスがあり、とてもよかった。トルコの会社なのだろう。コロンヤ!「トルコで私も考えた」を読んで以来ずっとあこがれていたコロンヤサービス。バスの車掌さんが、コロンヤという、アルコール度の高い(70-80度)レモン匂いのする香水を両手に振り掛けてくれるのだ。その安っぽい合成レモンの匂いを嗅ぎながら、感無量であった。飲み物をサービスするとき、車掌さんはナイロンの使い捨て手袋をはめていた。シリアのバスでは考えられない気の使いようである。そもそもシリアのバスでは水とアメ以外のものは普通出こないし。まだシリア領内なのに、バスの中はまるでトルコ!とうっとりしているうちにやがて国境に着き、アサド大統領の絵姿にお別れをして、トルコの赤い国旗に迎えられる。アンタクヤのオトガル(長距離バスターミナル)に到着したのは8時前である。そこでしばらく待って、9時半のバスでアンタルヤへ向かった。バス会社はアクデニズ社、45TL(トルコリラ、1TLがだいたい30SP=約60円)。さすがトルコ、バス代が高いと感心する。このバスでは飲み物サービスなどがほとんどなく(コロンヤもなかった)、15時間乗っている間に15分休憩が2回だけ、あとはどこかの街のオトガルに寄ってもすぐ出発するので、タイミングが見計らえず、ご飯が食べれなかったが、隣に座った親切な女性がお菓子やチャイをおごってくれた。アンタルヤまで12時間だと言われていたが、結局15時間かかり、着いたのは夜中の1時過ぎであった。こんなに長時間バスに乗ったのは生まれて初めてである。セルヴィス(バス会社の市内送迎サービス)で市内に出て、通行人に電話を借り、友人のアンに連絡して迎えに来てもらった。彼女の友人のアパートが今空いているので、そこに泊めてくれるという。アンはそこから徒歩2分の、恋人のアパートに住んでいるそうだ。

1月21日
長旅の疲れのため、昼まで寝る。12時にアンが迎えに来てくれ、彼女の恋人のアパートでブランチをいただく。アンはダマスカスで知り合ったドイツ人女性である。彼女もダマスカス大学でアラビア語を勉強していたのだが、やがてアラビア語学習を中断してトルコ語を勉強することに決め、トルコに移動したのである。つまりわたしの先輩みたいなものである。彼女の恋人はとても親切で穏やかなトルコ人男性。オーストラリアでトルコ料理店をやっていたが、しばらく前に店をたたんで、何十年かぶりにトルコに戻ってきたそうだ。

ブランチのあと3人で海岸を散歩してから、トメルに話を聞きに行く。トメルでエレベーターを待っているとき、アンが以前習ったという女の先生に会い、「イズミルに行っちゃダメ。ひどいところらしいわよ」と忠告される。そう言われると、余計に行ってみたくなるものが人情である。受付の女性はトルコ語しか喋らず、説明がよくわからなかったが、親切だった。その後ATMでお金を引き出し、トルコの携帯電話のチップを買って手続きをした。これで一安心。夜もアンのところでご飯をご馳走になった。

1月22日
今日は一日中大雨だった。しかも寒い。アンタルヤでは、こんな天気は年に1回か2回しかないそうだ。今日もブランチをアンのところでご馳走になり(メネメンという卵料理。トマトやマッシュルームなどをオリーヴオイルでいためて、卵を載せて焼いてあった)、その後2時間くらい無為に過ごしてから、イズミルまでのバス券をキャーミルコチュ社の事務所に買いに行く。35TL。午後はアパートの掃除、昼寝など。夕食をアンたちのアパートの地上階にあるファミレスみたいな店で食べたが、美味しくなかった。こういう安価な冷凍食品をあたためたような、まずいもの食べたのは久しぶりである。シリアではこういう食べ物にはなかなかお目にかかれない。カールスバーク・ビールはおいしかった。

1月23日
朝5時半起床。6時40分にアパートを出て、バス会社の事務所の前でセルヴィスに乗る。オトガル(長距離バスターミナル)に着いて、イズミル行きの大型バスに乗り換える。キャーミルコチュ社のバスは高級感あふれるつくりで、飛行機みたいだった。座席はゆったりと横3列、ラジオ放送あり、コーヒーとスナックサービスあり、雑誌あり、休憩もきちんとある。でも早起きして疲れていたので座っているのがしんどかった。15時にイズミルに着き(約7時間)、セルヴィスでバスマネ駅まででて、安ホテルを探す。地中の歩き方に出ていたアクプナル・ホテルの右隣のホテルに決める。家族経営で、親切で感じが良いホテルだった。部屋は清潔でテレビと洗面台つき、バス・トイレは共同、15TL。2時間昼寝した後、ホテルを出て、近所の庶民的な通りをぶらぶらする。喫茶店が沢山あって、おじさんたちがテレビをみたり、ゲームをしたりしている姿がすてきだった。わたしは楽しそうなおじさんの集団を見るのが大好きなのである。ロカンタ(安食堂)でキョフテ(ミートボール)のトマト煮と、ヒヨコマメのピラヴを食べ、そのあとインターネット屋に行ってから、ビールを買ってホテルに戻る。

トルコでは、シリアほど衛星放送が普及していないようで(高いのかもしれない、シリアでは無料で受信できるけど)、安ホテルのテレビでは地上波の放送しか見れない。しかしトルコのテレビ番組は腐っている、としか思えないです。日本のテレビよりひどいかもしれない。センセーショナルな取り上げ方でしょうもないニュースをやっているか、大げさなバラエティーか歌番組、それに昔の映画。そこに連続メロドラマが加わる。国外ニュースの報道が極めて少ないので、国際政治ニュース好きの私はとても不満です。トルコこれで大丈夫なの?

1月24(日)
9時起床。10時過ぎにホテルを出て、すぐ近くのクルトゥル(=文化)公園に行く。地球の歩き方には、この敷地内に動物園があると書いてあったが、警備員に聞くと「ない」という返事。その代わりというわけではないだろうが、ミニ遊園地があったが、まだ動いていなかった。別にいいんだけど。この公園は広くて緑豊かでいいところである。が、寒かった。そしてその寒い中を、ジム・マシーンみたいなのが設置してある広場で、頭にスカーフして長いコートを着た普通のトルコのおばさんが、真面目な顔でせっせと筋トレしてたのが印象的であった。ダイエットのためだろうか。

公園を抜けて、トメル・イズミル校のあるアルサンジャック地区に向かう。バスに乗るつもりだったけど、道端に座ってタバコをふかしている女性に聞くと、けっこう近いそうなので歩くことにする。アルサンジャックは外国のブティックやオープンカフェがいっぱいある、お洒落な地域である。古いオスマン建築の建物を改装したカフェなどが並ぶ、風情のある一角もある。さらに少し歩けば視界が開けて、目の前に青い地中海が広がるのだった。岸辺に立ち尽くして、波に揺られる白いかもめさんたちを眺めながら思った。
・・・イズミルってなんていいところなんだろう。庶民的な市場やおじさん御用達の喫茶店が集まる古い地区があって、野良猫や犬がそこいら中をうろうろしていて、雰囲気のあるカフェや本屋もあって、しかもちょっと歩くとそこは海なのである。ここを好きにならずにいられようか。(いやいられない)
アンの恋人も、アンタクヤのトメルの先生も、ダマスカスで(間接的に)知り合ったトルコ人も、トルコに最近まで住んでいた日本人の知り合いも、みなイズミルはひどいところだから行かないほうがよいと、口をそろえてわたしに忠告したが、なぜイズミルはそんなに評判が悪いのだろうか。

トメルにたどり着いて、コースや住居の斡旋の有無について質問する。日曜日なのに空いていた。すごいぞ、トメルったら、やる気満々だね。英語がしゃべれる職員もいるし。ここでもパンフをもらった。
トメルを出て無作為に歩いていると、ミグロスという大きなスーパーが目に付いたので、当然入る。酒類が置いてあるのが新鮮である。シリアのスーパーには酒類は一切置いていないので。そして肉類のコーナーに、豚肉を発見! 生の肉ではないが、真空パック入りの「生ハム」「サラミ」「ベーコン」が片隅にしんみりと並んでいるではないですか。さすがトルコ、久しぶりに豚肉にお目にかかったわ。迷った末に生ハムを購入。となるとワインを買わないわけにいかないので、赤ワインとミニチーズセットも購入する。散財したが、幸せになったところで、バスに乗ってバスマネ地区に戻る。ミグロスで買い物している最中、ブルサの知り合いから連絡あり、明日ブルサで会ってアパートを見せてもらうことになったので、ニルフェル社のオフィスでブルサ行きのバスチケットを買う。朝8時発、午後1時着予定で、25TLであった。ホテルに帰って昼間から一人で宴会した。生ハムはとてもおいしかったが赤ワインはいまいちね、とかいいつつ飲みすぎて寝てしまう。

起きたら夕方であった。生ハムを一気食いしたせいでのどが渇き、やたらに水を飲む。
夜になってからホテルを出て、バスマネ駅付近のロカンタに入り、ナスのトマト煮とマカルナ(茹でたマカロニに味付けしたもの)を頼む。美味しかったが、余りお腹が減ってなかったので(当たり前)、マカルナをほとんど全部残したら、それを見た店のおやじに、「マカルーナー!」(なんで残したんや!と問いただしているらしい)と大げさに非難された。それでもおやじはチャイをおごってくれる。良い人なのである。その後ビールを買って宿に帰る。宿のフロントでチャイを飲み、ホテルのご主人と世間話をする。トルコ語がよくわからないので、とりあえずなんにでもうなずいておく。適当に切り上げて部屋に戻り、ビールを飲んでから寝た。布団の中で、明日ブルサで見せてもらう予定のアパートに住むことにしよう、と心に決めた。まだ見ていないけど、我慢できないほどひどいところではないだろうし、この荷物を持ってイズミルにまた戻るなんて、面倒くさすぎる。そもそも3か月弱しか住まない予定だし、結局住むところなんてどこでもいいのだ、という気がしたので。

トルコ。
トルコには庶民的な煮物料理屋さんが多いくて便利である。シリアには少ないし、あっても夕方に閉めてしまうところが多く、結果として貧乏旅行者はシャウルマやファラーフェルばかり食べるはめになり、野菜不足に陥りやすいのだが、その点トルコでは野菜料理に不自由しない。それにしてもなぜ煮物料理屋さんはビールを置いてないのだろうか。ビールを置いている飲食店は、バーやお洒落なカフェテリアや大きいレストランに限定されている気がする。あんなにエフェス・ビールの看板が多いこの国で、なぜだ。っていうか、私ってどうして四六時中ビールのことばかり考えているのかしら?病気かも。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シリアからトルコに移住する

2010-02-16 21:00:23 | トルコ
なんだかすごく久しぶりに更新します。やっと更新できてとても嬉しいです。

現在私はトルコに住んでいます。
今年の1月にシリアから移動しました。イスタンブルからバスで4時間くらいの距離の、ブルサという街にアパートを借りて住み始めて、もう3週間ほどになります。

シリアのダマスカスでのアラビア語学習に行き詰まりを感じ(上達しないし、でも語学学校は行きつくしたし、仕事もないし、何をすればいいのかわからないぞ、困ったなあ、という状況)、そろそろなにか新しいことを始めたほうがいいのではないか、と思い始めたのは随分前のことです。

そもそもトルコは私の初恋(?)の国。トルコに暮らしてトルコ語を勉強することは、ずっと私の夢のひとつだったので、この際試してみることにしました。ただ年齢的にも能力的にも経済的にも、いまさらトルコ語をマスターするのは無理だろうとあきらめているので、3ヶ月と滞在期間を短く区切って、あちこち旅行しながらほどほどに勉強することにしました。なので、これは引越しというよりは長期旅行に近いと言えましょう。

トルコ。
その昔、高校の世界史の授業でセルジューク・トルコやオスマン帝国について習ったときに、「トゥグリル・ベク(セルジューク朝創始者だったと思う)」とか「スレイマン大帝」とか「イエニチェリ軍団」などの言葉の響きが妙に気に入って以来、ずっと気になる国でした。大学ではトルコ史を専攻し(でも怠け者だったので全然勉強なかったですが)、社会人になってからもトルコ語コースに通ったり、友達と観光旅行したりはしたのですが、トルコ社会の人間関係はねっとりまったりと濃そうで、非社交的な性格の自分には合っていないのではないか、という危惧のため、留学に二の足を踏んでいたのです。首尾よく両想いになって付き合った場合の性格の不一致を怖れて、結局告白できず片想いのままだったというかんじかしら。そんな臆病な恋でした。ふ。
でもトルコはやっぱり忘れられない人(国)。
未練はいつまでも残り、イタリア滞在中もフィレンツェ大学でトルコ語の授業を選択し、シリアでもアラビア語学習の傍ら、ダマスカス大学語学センターで2ヵ月半のコースに通ったりしました。

そんなわけで、ダマスカスでの暮らしに行き詰まりを感じ、そろそろ日本に帰って仕事を探したほうがいいのではないか、と思い出したときに、「やっぱりトルコに住んでみたい、性格の不一致がなにさ、トルコに行かずに日本に帰るわけには行かないわ」と思いつめたのです。あの人間関係が生々しいイタリアやシリアに住んでいたわたしが、トルコに住めないわけがないのです。さあ、トルコに対する自分の愛の深さを確かめに行かなきゃね。

トルコに移住することを決めたら、次は住む街を選ばないといけません。どこでもいいのですが、トルコ語学校があり、ある程度外国人が存在し、あまり寒くないところがいいな。高橋ゆかりの漫画「トルコで私も考えた」を読んで以来、通ってみたかったトルコ語学校「トメル」はイスタンブル、アンカラ、イズミル、アンタルヤ、ブルサ、アランヤなど、トルコ各地にあります。イスタンブルは都会すぎて性に合わないけれど、アランヤのようなマイナーな土地(よく知らないけど)に住むのもそれはそれで難しそうです。
くよくよくよくよ迷った結果(優柔不断なのですよ)、イズミルに決めました。イズミルって行ったことないけど、地中海沿岸だからあんまり寒くないだろうし、イスタンブル、アンカラに次いでトルコ第3の都市だから外国人も結構いるだろうし、そのわりに観光名所でもリゾート地でもなくて普通そうだから暮らしやすいかも、と思ったのです。知り合いもいないし、言葉もよくわからないし、家の探し方も知らないけど、まあなんとかなるだろう。1年半のシリア滞在のおかげか、私は最近ますますお気楽になり、あまり深く心配することがなくなってきたのです。

ダマスカスのアパートを1月19日に引き払い、バスでアレッポに出て1泊し、翌朝アンタクヤ行きのバスに乗ってトルコに入国。アンタクヤでバスを乗り換えて地中海沿岸のリゾート地アンタルヤへ行き、そこに住むドイツ人の友達のところで3泊させてもらって、少しのんびりしてからイズミルに向かいました。
しかしそうこうしているうちに、ダマスカスで知り合ったトルコ人のご家族が、ブルサにある自分達のアパートがずっと空いているから、良ければそこに住まないか、と申し出てくれたので、結局イズミルではなく、ブルサに住むことにしたのです。イズミルで家探しの苦労を経験せず、安易に申し出を受けて、ブルサの彼らのアパートで暮らすと決めたことが、自分にとって正しいことだったか、今でもよくわかりません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする