外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

ワン猫と私の野望

2011-05-06 19:45:38 | トルコ
      写真はタクシム広場のお花のワン猫




ワン猫をご存知だろうか。
トルコ東南部のワンにしか生息せず、全身真っ白で、片目が青でもう一方の目が緑(あれ、黄色だっけ?)という特殊な猫なのである。

私は去年トルコに2ヶ月滞在した際にワンに旅行して、このワン猫の保護・研究施設である「ワン猫の家」を訪れた。その日は日曜日だったので、閉まっていて中に入れなかったが、隣の研究所で警備員をしているおじさんの手引きで外塀をよいしょと乗り越え、内塀の外から庭にあたるスペースを眺めることができた。

ワン猫はたくさんいた。こちらの姿を見ると、みゃーみゃー鳴いて、みんな近寄ってくる。まるで何かを訴えるかのよう。目の色が左右同じ猫も結構いたが、毛の色はみな真っ白であった。私はもともと白猫より黒猫派で、ワン猫にもさほど興味なかったのだが(わざわざ見に来たくせに)、この人懐っこい態度を見て、一気にワン猫のファンになった。明日来たら家の中も見れるよ~、生まれたての子猫たちもいっぱいいるよ~と言って、警備員のおじさんは甘く誘惑するのだったが、私は翌日ドーバヤズットに異動する予定だったのであきらめた。

今年通ったトルコ語学校・トメルの教科書には、ワン猫についての記事が出ていた。なんでも、とてもおりこうで、主人によくなついて可愛いが、反面嫉妬深くて、別の猫がもらわれてきたり、飼われている家に赤ちゃんが生まれたりすると、食欲をなくし、すみっこに行っていじけるそうである。なんて愛くるしい・・・

というわけで、私の将来の野望がひとつ増えてしまった。もちろん「ワン猫を飼う」ことである。ワン猫をトルコ国外に持ち出すためには、大変複雑な手続きをクリアーしないといけないそうだし、そもそもペットを飼うどころか鉢植えひとつ育てたことのない私には、分不相応の野望かもしれないが、まあ夢見るだけなら問題ないのである。
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猫おじさんの街

2011-05-06 19:43:09 | トルコ

イスタンブルは猫街である。
イスタンブルだけでなくトルコ全体が、ひいては中東全体が巨大な猫街なのだが、ここの猫は一味違うのだ。
何が違うのかというと

(1) みんなまるまると太っている
(2) 近づいても逃げず、撫でさせてくれる猫が多い
(3) 猫を餌付けしている猫好きのおじさんが多い

この3点に集約できると思う。
アラブ諸国の猫は概して痩せていて毛並みも悪く、やさぐれた雰囲気を持っており、ゴミ箱周辺にたむろしていて、こちらが少しでも近づくとささささっと逃げてしまうのだが、イスタンブルの猫はまず逃げない。太っていて毛並みもよく、撫でてあげると気持ち良さそうにじっとしている。トルコのほかの街ではどうなのかというと、研究不足なのでよくわからないが、なんとなくイスタンブルの猫はと・く・べ・つという感じがする。だってイスタンブル自体が特別な街なんですもの。特に根拠はないんだけどね。

なんでこんなに太ってるのかというと、猫に餌をやる人が多いからである。よくみると、猫の集まるところにキャットフードが撒かれていたり、ペットボトルの下部を切り取って、水を入れて置いてあったりする。道端で丸くなっている猫を、通りがかりの若い男性がまるで条件反射のようにひょいとかがんで、つるりとひとなでしていくのも見かけた。

この街に着いた当初に泊まっていたホステルで知り合った猫好きの日本人女性は、「エジプトの猫はやせてて、人々にひどい扱いを受けててかわいそうだったけど、ここの猫はまるまるしてて幸せそう」と言っていた。エジプトの猫は古代エジプト猫の血を引いているのか、頭が小さくて美猫なのだが、餌の確保に苦労しているのか、やせた猫が多い。虐待されているところは見たことないが、さもありなん。

これまで猫好きの女性と知り合う機会は多かったし、イタリア語に「猫おばさん(GATTARA)、猫に餌をやる女性」という単語があるのも知っていたが、猫おじさんをみかけたのは、イスタンブルが初めてである。イスタンブルには猫を餌付けしている猫おじさんがいっぱいいるのだ。自分の商店に猫用の寝床や水入れを用意してる人もいれば、常に身の回りに数匹はべらせいる人なんかもいる。路上で大きな鍋でイワシを揚げて(これがすごく美味しい)、サラダやパンとセットにして売っているおじさんは、仕事の合間に野良猫に商売モノのイワシをあげていた。猫好きのおじさんがたくさんいる街って、いい街のような気がする。

もし将来生まれ変わることがあれば(ないってば)、私はイスタンブルの猫に生まれ変わりたい。そして自由気ままに暮らしながら、餌に不自由しないという優雅な暮らしを満喫するのだ。

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トルコのインターネットカフェ

2011-05-03 18:44:43 | トルコ
写真は私のいきつけでないネットカフェ



「トルコは急速に近代化するかたわら、独自の文化を守り続け、西洋文化と折衷させて独自の形で発展させた。」と、「トルコの国際化」で書いたが、トルコのインターネットカフェにその現象を垣間見ることができる。


うちの近所(イェニカプ地区)にはアフリカ系の移民が多いせいか、コールセンター(国際電話が安くかけられるお店)やインターネット屋が軒を連ねている。これらのインターネット屋は、中心地に比べて安いのが利点だが、日本語の読み書きが出来ないことが多いのが難である。幸いなことに、うちのアパートの最寄りのインターネットカフェは、日本語の読み書きOKだし、値段もまあ安めである。台数も多くて、設備も新しいし、カフェカウンターで働いている女の子もアジア人っぽい顔立ちで、しとやかで感じがよくて私好みである。いったい何人なんだろう。トゥルクメニスタン?タタール?
家にネット環境がないため、ここにはしょっちゅう通っており、特に3月11日の大地震以降、そうとうお金を落としているが、一回コーヒーをサービスしてもらった程度で、特に値引きしてもらったことはない。まあいいけどさ。

お店に入ると、店員が空いてる席に案内してくれるのだが、大抵女性の隣の席に連れて行かれる。トルコ長距離バスの席の割り振りにおける「女性の隣には女性、男性の隣には男性」の原則が、ここでも守られているのである。たしかに男性にはタバコを吸う人が多いので、あまり隣に座りたくないが、女性客はというと、スカイプをやって大声で喋る人が多いので、これまた敬遠したいところであり、なるべく一人席に座るようにしている。

ネットに熱中していると、店員が「チャイはいらんかね」と注文を聞きに回ってくる。私はたまにしか頼まないが、あのチューリップ型のグラスに入ったチャイを飲みながらネットをやるのも、トルコならではの味わいがあってよいものである。周りを見渡すと、みんなチャイやコーラやアイラン(塩味のドリンクヨーグルト)を飲み、トーストやらサンドイッチやらナッツ類やらを盛大に食べちらかしている。特に男性は飲食する率が高い。お店にとっては、ネット代よりも、こちらの収入のほうが大きいのでは。

お店の番台にはトルコ名物コロンヤ(アルコール度80%くらいのレモン香料入りの液体)の大瓶が用意されている。飲食したあとは、やっぱりコロンヤだね!観察していると、男性はだいたいコロンヤを使っていく。両手にたっぷりふりかけてこすり合わし、その手で顔を撫でまわし、幸せそうな吐息を吐いている。女性はあんまりコロンヤを好まないようだが、なぜなんだろう。そんな私も使わないが。

このブログもいま前述のインターネットカフェで更新している。
インターネットをやりながら、トルコ伝統文化に触れることができるなんで、なんて素晴らしいことかしら、うちにネット環境がなくてホントに良かった!と思ったことは一度もないが、どうせしょっちゅう行くのなら、楽しむにしくはなしですね。日本のネットカフェも個室のお座敷タイプのところがあったりして、伝統文化をしっかり反映させていて、非常に興味深い。帰国したらぜひ行かなくちゃ。
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トルコの国際化

2011-05-03 18:37:51 | トルコ


トルコという国は色々な点で日本に似ていると思う。
例えば家の中で靴を脱ぐところや、お店で働く人たちの接客態度が丁寧なところ。真面目に働くことを美徳するところや、人生論を語るおじさんたちが多いところ、などなど。黒海沿岸地方を旅したとき、雨が多いせいか緑が豊かで、日本の田舎を思わせるなつかしい風景が広がっていた。

しかし一番似ていると私が思うのは、どちらの国も「近代化しているのに国際化していない」点である。「国際化しているが近代化していない」アラブ諸国と対照的といえよう。

トルコは(少なくとも西半分は)いつのまにこんなに近代化して、お金持ちになったのだろう。
私が初めてトルコを訪れた十数年前は、もっとビンボウな感じの国だった。どの建物も古びて煤けていたし、路上には物売りの子供たちがみちあふれていた。トルコ人の友達によると、8年前に今のエルドーアン首相が政権を握ってから、トルコは急速に豊かになったそうである。大規模な設備投資のお陰で街並みが見違えるように新しく綺麗になったし、メトロやトラムなどの交通手段も発展した。今年6月12日に総選挙があるが、エルドーアンの政党の選挙公約の一つは「2023年までに(トルコ共和国建国100年目の年)トルコを世界で10位以内のお金持ちの国にする!」である。

急激な経済成長や、欧米のライフスタイルの流入にとまどいながらも、トルコ人はトルコ固有の伝統文化をかたくなに守り続け、西洋文化と折衷させて、独自の形で発展させた。この点が日本の近代化のプロセスと重なっている。例えば、トルコの都市間移動の主要な足は相変わらずバスであるが、長距離バスターミナルは空港みたいに近代化したぴかぴかの建物に変身している。「和洋折衷」を連想させるでしょ。

このように見事に近代化を遂げたトルコだが、国際化のほうはさっぱり進まなかったようだ。
まず外国語を話せる人の数がものすごく少ない。トルコ語学校の受付の人さえトルコ語しかしゃべってくれないんですもの。大都会イスタンブルは、観光客の数もはんぱじゃないし、いろんな国からやってきた移民も大勢住んでいるが、そのわりに外国語の新聞・雑誌を売っている店はめったに見かけない。衛星放送もあまり普及していないし、トルコのテレビや新聞の内容はと言えば、国内ニュースばかりで、国際ニュースが少ない。外国料理店の数もまだまだ少ない。安くて美味しいアラブ食堂とかあったら、毎日通うのに・・・。

英語圏の国やアラブ諸国と違って、トルコ・日本・イタリアなどの「基本的にその国でしか話されない言語を国語とする国」の人々は、一般に外国語習得が不得手であり、外国人に対して閉鎖的な国民性の持ち主であるというのが、経験から導き出した私の持論である。社会が閉鎖的なので外国語習得をとくに必要とせず、必要に迫られないから外国語学習に力が入らず、外国語が苦手だから外国人の言っていることが理解できず、理解できないものを遠ざけて、ますます自分の文化の中に閉じこもるという悪循環に陥っていると思われるが、私の偏見かしら。そんな私も、外国語学習に相当な時間と労力とお金をかけているが、満足に話せる外国語は一つもないような状況である。ああ。

トルコは(日本も)国際化する必要があるのか?
という疑問もわいてくるかと思いますが、私は「ある」と思う。国際化はもはや避けて通れない道である。現代において、インターネットの普及、留学、移民、国際結婚、経済協力、国際ボランティア、国際紛争(!)等の国際交流は急速に進んでいき、もはや鎖国することは不可能。それならば、外国語(特に、最も有効なコミュニケーション手段である英語)を学び、他国・他民族の文化や風習への知識を深め、それらをなるべく軋轢の少ない形で、スムーズに受け入れる土台を作ることが大切ではないでしょうか。

話はそれますが、「アラブ諸国は近代化する必要があるのか?」という疑問に対しては、まだ自分としての意見がはっきり決められないである。あえて言うなら、「あの人には今のままでいてほしい、いつまでも変わってほしくないの、でもこれはきっと私のエゴね・・・」という感じ。別れた彼氏に対する女心と似ているかもしれません。
でも私がどう考えようと、いずれはアラブ諸国も近代化への道を辿ることでしょう。いんしゃーあっらー。今起こっている「アラブの春(アラブ諸国における革命・反体制運動)」が近代化を促進させるのか、それとも妨げるのかもいずれはっきりするでしょう。

イスタンブルの大通りではよく英会話学校のチラシが配られているが、トルコに英語が普及するにはまだまだ時間がかかるように思われる。トルコの若者たち、がんばってね。応援してるよ!
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ぬれハンバーガー

2011-05-01 18:21:49 | トルコ
「有名なぬれハンバーガー」と札を出したケースの上に、オレンジが山積み。



イスタンブルは巨大な屋台村である。
というのは大げさだが、とにかく外食産業が盛んな土地で、レストランや食堂だけではなく路上のいたるところで食べ物を売る人たちがいるので、買い食いには不自由しないのである。

有名なところではシミット(ゴマつきのドーナツ型パン)やミディエ・ドルマ(ムール貝のピラフ詰め)、マルマラ海岸のサバ・サンド、冬の名物ケスターネ・シェケリ(焼き栗)などがあるが、それ以外にも色んなものが路上で食べられる。なにを食べても大抵おいしいのが、トルコのすごいところである。まずいものって、あんまり食べたことがない。長距離バスの休憩で入った無個性なドライブインで注文したチーズトーストなんかですらおいしかったので、感心したことがある。パンがおいしいせいだね。

私の3ヶ月にわたる鋭い観察によると、街角のケバブ屋さんのチキンドネル・サンドと、路上のいたるところでワゴン車でられているノフトル・ピラウ(チキンスープ味のヒヨコマメのピラウ)が、値段の安さといい、腹の膨れ具合といい、トルコ買い食い界の二大横綱であるが(もちろん味もよい)、伏兵として、ここでは「ぬれハンバーガー」をぜひ紹介したい。

日本には「ぬれおかき」とか「ぬれせんべい」がありますね。あれを作った人はどういうつもりで作ったのでしょう。パリッと乾燥した歯ごたえが身上の食べ物をあえてしっとりさせてしまったのは、どうしてなの?カラッと明るいだけではなく、陰影や深みのある食べ物を演出しようとしたのかしら?実際、ぬれていることにより、しょうゆの味と香りがより際立っていて味わい深いことは認めるが、歯に問題がある私としては、ミルキーやキャラメルやグミと並んで、避けて通りたい食べ物のひとつである。

幸いなことに「ぬれハンバーガー」は歯に優しい食べ物である。
街角のケバブ屋さんの店頭にさりげなく設置されたショーケースでいつも湯気を立てているが、その存在に気づくのに2ヶ月くらいかかった。そのくらい控えめな存在なのである。イスタンブル滞在約2ヶ月目に、「この水槽みたいなケースの中の、茶色いハンバーガーみたいなものはなんだろう?」とようやく気がついた。よく見ると「ぬれハンバーガー」と書いたトルコ語のラベルが貼ってある。うーん、気になる。いつか食べてみなくてはならない・・・。
そんなある日、映画館から出たら盛大に雨が降っていた。傘を持っていない私はずぶぬれになりながら、トルコ語学校に向かった。
その途中で、タクシム広場からイスティクラール通りに入る手前の角にあるファーストフード屋さんの店先で、ほかほか魅力的な湯気を立てているこの謎の食物が目に入った。授業開始まで時間もあるし、ここで少し休んでいこう、ついでに前々から気にかかっていた「ぬれハンバーガー」を味わってしまおう、と思い立った。自分も雨にぬれていることだし、なんとなく親近感もわいてくる。

ハンバーガーのパンは湯気で暖かく湿っていて、ところどころに茶色っぽい肉汁が浸み込んでいた。ハンバーグは肉の粒が粗めで、キョフテ(トルコの肉団子)に近いかんじ。他の具はない。身体が冷え切っていたせいか、ふんわりと優しく、とてもおいしく感じられ、道端でうたた寝してる、春の猫を見かけたときみたいな、なごんだ気分になった。そう、あれはなごみ系の食べ物なのだ。よく晴れた、気温の高い日にも食べてみないと公平で科学的(?)な判断は下せないと思うが、いまのところ「ぬれハンバーガー」に対して深い好意を抱いている私である。

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