外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2017年10月のトルコ旅行のこと~初日・猫以外編

2017-12-16 22:17:51 | トルコ


今回は10月のトルコ旅行の初日にイスタンブールで撮った写真(猫以外)を載せます。

1日分ずつ、しかも猫と猫以外の写真に分けて載せていると、私のペースでは年内どころか永久に終わらない気がするから、今後は日付順ではなくテーマ別にやろうかな。枚数を限定して…


これはブルーモスク付近のコスプレのお店。オスマン帝国のスルタンやお妃様たちの格好をして記念撮影できる。衣装と小道具、写真代込みで20リラ(600円弱)。けっこう繁盛していた




焼き栗(ケスターネ・ケバブ)の屋台。栗がピラミッド型に並べられるのが普通。大粒で黄色い栗に焼き色が付いていて魅惑的だが、買ってみたら一部が生焼けでガリッとなることもあるので油断大敵




イスタンブルには猫はもちろんのこと、犬も多い。どれもおとなしくてうらぶれた大型犬で、道端に死んだように横たわっていることが多い。でも、カッパドキアでうっかり1匹にソーセージをあげてしまったら、瞬時に数匹集まってきて、すごい勢いで向かってきたので心底恐ろしかった…やっぱり犬はコワイ。猫のほうがいい・・・




アジア側のカドゥキョイの海辺。左上に見えるのは修復中のハイダルパシャ駅。ヒジャーブで髪を覆った女の子と、そうでない女の子が仲良く共存しているのがいかにもイスタンブルらしい




海と恋人たちとカメラ目線のかもめ。かもめの餌付けもイスタンブルの娯楽の一つだ




フェリーから見たヨーロッパ側旧市街のスレイマニエ・モスクのシルエット。手前はガラタ橋。このもこもこした建物の輪郭にミナレットがつんつん突き出ているオスマン様式のモスクを見ると、「ああ、イスタンブルに来たんだなあ」いう実感が湧いてくる




イスタンブルのフェリーで飲むチャイは、ことのほか美味しく感じる。寒い時期はなおさらだ。甘くてトロリとしたサーレップも捨てがたいが




新市街のタクシム広場にあるケバブ屋さん。右手の小さめのショーケースには「有名な濡れハンバーガー」と書かれている。ここは濡れハンバーガー押しらしい




久しぶりの濡れハンバーガー。ふんわりしたバンズに肉汁が染みていて、ちゃんと肉の味がする。見た目と値段のわりに(ケバブより安い)、まっとうな食べ物だと思う




いつも賑わっている新市街の目抜き通り、イスティクラル通り。両側に歴史的建築物が並んでいて、歩いていて飽きない。趣のある本屋も多い。脇道に入って猫を探したり、飲み屋で一杯やるのも楽しい。こういう皆が平和に楽しんでいるところでテロとかしないように気をつけていただきたい




夕食のピザ。写真はぼけたが、非常に美味しかった。イタリア長期滞在経験者の私も合格点を出す味(えらそうな)。イスティクラル通りの脇道にある鰻の寝床のような間取りのピザ屋さんで、生ビールも美味しかった




(とりあえず終わり)


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2017年10月のトルコ旅行のこと~初日・猫編

2017-12-10 17:07:14 | トルコ


気がついたら、今年もあと少しになってしまった。
今更だが、10月のトルコ旅行で撮った写真の残りを年が変わらないうちにサクサクっとアップしていきたい。間に合うかしら・・・

今回は旅の初日にイスタンブルで出会った猫たちを特集~


旧市街のホテルのそばでくつろいでいた子。早朝にアタトゥルク空港に到着して、メトロ開始を待って市内へ。定宿のパリス・ホテルが閉まっていたので(とうとうつぶれたか…)、とりあえず近くのホテルに1晩泊まって、翌日別のところへ移動した。荷物抱えて移動するのって、しんどい…



エジプシャンバザールのペットショップが並ぶ一角で、店員のウズベク人のお兄ちゃんに水を飲ませてもらっていた子



変顔で必死に水を飲む



カラキョイの海辺に近い通りにある魚料理のお店。入口に看板猫たち(?)が寝ほうけていた。そばにはダンボールの小さなおうちも



少しずつ体勢を変えながら



延々と眠る猫たちと、それを延々と観察して写真を撮る私と妹



大衆的な魚食堂で食事をとるおじ様と、待機する子猫たち



無言で圧力をかけ続ける。私だったら魚を丸ごとあげてしまったことだろう



とにかく、そこいら中に猫がいる。猫町イスタンブル



タクシム広場のメトロの出入り口の門番。脇にはおやつのパンが供えられている



新市街のベイオウルのイベント広場で、トルコ人の女の子にカリカリをもらって食べていた子猫。猫好き多し



暗くなっちゃった。また明日ね



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日付不明まとめ書き日記2017年11月後半~12月前半

2017-12-08 02:21:40 | 日記


11月某日

図書館で借りた「発酵食レシピ」という料理本を眺めていて(この本は前回の日記にも引用した)、「赤味噌チョコ」というレシピが目に付いた。「ほろ苦い新感覚の大人のおやつ」というキャッチコピー付きだ。

赤味噌とチョコレートを混ぜた大人のおやつ?

基本の材料はチョコレート・八丁味噌・生クリーム。湯煎で溶かしたチョコレートに、常温に置いた味噌と生クリームを混ぜ合わせ、風味付けにホワイトキュラソー・ラム酒・オレンジピールを加えて出来上がり。グリッシーニにつけて食べるといいらしい。

混ぜるだけなので簡単だし、うちには八丁味噌も生クリームもラム酒もグリッシーニもあるので、チョコレートさえ買ってくれば一応作れるわけだが、私は本当に味噌とチョコレートと生クリームを混ぜたものを食べたいだろうか。

5秒考えてから本を閉じて、そのレシピを見なかったことにする。


八丁味噌といえばこれ。原材料が大豆と食塩だけ、というのが潔い




11月某日

うちのアパートは猫が飼えなくて寂しいので、エア猫を飼うことにする。中肉中背の三毛で、現在約2歳。性別は日によって変わる。メスの時の名前はミケーラで、オスの時はミケーレ。どちらも散歩好きで、私が出かける時はたいてい付いてくるのだが、ミケーラは活発で気性が荒く、やたらに歩き回っては他の人のエア猫と喧嘩してシャーシャー言うので困る。逆にミケーレは温和な性質で、私のカバンに潜り込んでのんびりと外を眺めるのが好き。見た目はそっくりなのに、性格は正反対でとまどう。


エア猫について一応調べたら、こんな記事が出てきた。
https://news.mynavi.jp/article/appeal-of-the-cat-10/



12月某日

買い物に出かけたついでに、ガストで一杯やる。

ガストで私が飲むのはいつもグラスの赤ワイン(99円・税別)だが、つまみは何にしようかいつも迷う。あそこは199円や299円のつまみが充実しているのだが、どうせなら店側の裏をかくような、意表をついたものを頼みたい。値段の上限はは300円というルールを定める。

メニューを隅々まで眺めた結果、とろろご飯を頼むことにする。「少なめライス」159円と「とろろ」100円。消費税を入れても300円以内に収まる。どうだ!

ブザーを押して、「グラスの赤ワインと、少なめライスと、とろろをお願いします」と澄まして言ったら、お店の女の子は表情一つ変えずにオーダーを通し、そっけなく行ってしまった。

がっかり…考えてみたら、そもそも「とろろご飯」はつまみとは呼べないし、無論ワインにも合わない。

でもわりと美味しかったので、引き分けということにする。



12月某日

トランプが予告通りにエルサレムをイスラエルの首都として認めると宣言したことを知り、暗闇モードになる。

ネットでアルジャジーラのサイトを開くと、これまでとは違って自動的に小さい別窓が開いて、生放送のニュース映像が流れてくる。ページのレイアウトも一新され、上記のトランプ発言に関連した記事ばかりが並んでいる。

おどろくとともに、自分のアルジャジーラへの愛を再確認する。しかし、トランプ発言を受けて特別報道体制が敷かれているため、流れてくるのはエルサレム関連の悲しいニュースばかりだ。

見ているうちに、心の中の暗闇が、イカ墨ソース程度から桃屋のごはんですよ!レベルまで煮詰まってくるのを感じる。気を紛らわせるためにエア猫のミケーラを撫でるが、ご機嫌斜めだったようで、鋭い爪で引っ掻かれてますます気が沈む。

人生はかなしいことばっかり…


2010年10月に東エルサレムのアパートの庭で撮った写真(再掲)



(終わり)



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2017年10月のトルコ旅行のこと~ガジアンテプでのシリア難民家庭訪問

2017-12-02 17:16:00 | トルコ

10月のトルコ旅行では、シリア国境に近い東南部のガジアンテプを初めて訪れた。

同市を拠点にシリア国内の教育支援を行っているウサマ氏に寄付金を渡すのが主な目的だったが、時間的に余裕があったので、市内のシリア難民家庭を回って、シリア支援プロジェクト「みんなで作るシリア展」からの支援金を3世帯に手渡すことができた。(「みんなで作るシリア展」からのお金を預かった経緯についてはこちら、ウサマ氏についてはこちらを参照)

訪問したのは、偶然全てアレッポ県出身のトルクメン人の家族だった。ウィキペディアによると、トルクメンはテュルク系民族で、トルクメニスタンを始めとする中央アジア諸国に多く居住しているが、シリアにも少数ながら存在する。彼らはアラビア語とトルコ語のバイリンガルだが、学校教育をアラビア語で受けたため、トルコ語の読み書きができないケースが多いようだ。このため、アラブ人のシリア難民とは違ってトルコ語が話せるという強みがあるものの、トルコで良い職業に就くことはむつかしいという話だ。


寄付金を渡した3家族は以下のとおり:

(1)KHさん一家

夫婦と子供4人、そして妻の姉の7人世帯。ご主人はアレッポ郊外出身で、反体制運動開始からかなり早い段階で(約6年前)自宅が空爆を受けて破壊され、本人も頭部を負傷したため、一家でトルコに避難した。シリアでは電気機器の修理業に従事していたが、頭部の負傷(頭蓋骨欠損のため手術で骨セメントを入れた)の後遺症のため続けられず、現在はウサマ氏が勤めている協会の運転手をしているが、給与は家賃の4分の1程度。約1ヶ月半前にシリアから呼び寄せた妻の姉は、先天性の骨成型不全症(ささいな衝撃ですぐ骨折する病気)を患っているためあまり動けず、しかも両目の視力が極端に低下してきたので、目の手術が必要。しかし、彼女にはトルコの身分証がないため、無料の公立病院ではなく、私立病院で手術を受けねばならない。手術費は約15万円だと見積もられているが、今の彼らに払える金額ではない。


夫婦と男の子。苦労話をしながらも笑顔を忘れない人たち。なにげにカメラ目線ばっちりだ



女の子たちも終始笑顔



奥さんのお姉さんだけは、ずっと暗い表情だった。病気で家から出られず、しかも両目の視力を失いつつあるというから、塞ぎ込むのも当然だろう。意識・思考の面では問題はなく、質問にもしっかり答えてくれたが。骨成型不全症って、私が一番好きな映画「アメリー」に出てきた「ガラスの男」と呼ばれる老人と同じ病気だ…



(2)Wさん一家

上記のKH家のご主人の紹介で訪問した。母親と子供2人(5歳半と4歳)の3人世帯。Wさんはアレッポ市内出身。約5年前、下の女の子がお腹にいる時にご主人が消息不明になった。政府側に逮捕されて殺されたと言われているが、証拠はなく、死亡証明書もない。その後トルコに避難。Wさんが縫製の内職をして収入を得ているが、家賃の支払いにも足りないとのこと


ソファーに座っている3人の女性の真ん中がWさん。KH家の奥さんや、近所に住んでいるお姉さんたちも写っている






(3)Iさん一家

上記の2家族はウサマ氏の同伴を受けたが、Iさん一家は私が個人的に市内中心部でシリア難民を探していた時に出会った。夫婦と子供4人(12歳~17歳)の6人家族。アレッポ市内出身で、2012年頃にトルコに避難した。ご主人には心臓病と糖尿病の持病がある上、尿道が詰まる病気(尿道狭窄症?)に罹っていて、私たちが訪問した翌日に手術を受ける予定だった。手術費の額はこの時点では不明。彼は病気のため、ここ数年働けない状態が続いている。長男と次男が生活費を稼いでいるが、生活は苦しい。妻も喘息持ちで、常に薬を飲んでいる。


奥さんと子供の1人



一番奥がご主人で、左の男性は案内してくれた人。




訪問したどの家庭でも、自分たちの息子・娘夫婦や親戚も苦労しているから支援して欲しいと頼まれ、そちらも一応訪問したが、結局支援金を渡すのは控えた。同じ家族ばかりに支援金を渡すわけにはいかないし…支援金を渡す・渡さないの線引きはむつかしい。私のお金ではなく、預かったものなので、なおさらだ。

どの家族も難民キャンプを経由せずに、自分たちでアパートを探して入居しているが、彼らはその理由として、治安上の不安を挙げた。特に女の子がいる家庭は、キャンプで不特定多数の人々と暮らすのは危険だと考えているようだ。そして、UNHCRに登録していない人が多かった。登録しても何の支援も受けられないし、申請しても断られるケースも少なくないとのことだ。赤新月社も同様。ヨルダンではUNHCRに登録すると食料クーポンがもらえるので(現在は制限が厳しくなっているが)、私が会ったほとんどの難民が登録していたが、トルコは状況が違う。トルコに滞在するシリア難民は300万人を超えているので、支援が行き届かないのだろう。ただし、ヨルダンと違ってトルコではシリア難民の不法労働が取締を受けることはめったになく、働ける人はたいてい働いている。ヨルダンでは、不法労働者は当局に拘束されて、ザアタリ難民キャンプに送られたり、最悪の場合はシリアに強制送還されたりするので、働きたくても働けない人が多かった。

なお、トルコ人やトルコのクルド人の間では、シリア人に対する敵意が年々高まる様子がみられるが(自分たちの税金でシリア人が楽をしている、無料で医療を受けて、政府にお金をもらって遊んで暮らしていると思い込んでいる人が多い)、これはヨルダンと似たような状況。近年トルコやヨルダンから自主的にシリアに帰国する難民が増えているとの報道がみられるが(特にトルコからの帰国に関する報道が目に付く)、緊張緩和地帯の合意による一部地域での治安の安定と避難先での経済的問題に加え、反移民の動きの広がりによる住みにくさもその一因となっているのかもしれない。シリアに帰った人達が、無事に暮らしていればいいのだが…



(終わり)




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