今回はようやくマテーラのサッシ(洞窟住居のある歴史的地区)を観光した時の話に入る(前回の話)。この日は午前中サッシを見て回って、午後にアリアーノに移動した。
宿泊した「聖アンナ・ホリデーハウス」の朝食時間は、朝8時15分~9時15分とやけに早かったので、間に合うようにがんばって8時に起き、生乾きの洗濯物をドライヤーで乾かしてから朝食ルームに向かう。9時前だったのに、他の客の姿はなく、片付けがもう始まっていた。みんな早起きなのね。
イタリアの安ホテルの朝食は、たいてい量産品の甘いパンと銀紙に包まれたチーズ、ジャム、パック入りのヨーグルトと飲み物(自動装置から自分で使い捨てのカップに注ぐ)くらいしかないが、ここには珍しくピザもあったので、1切食べてみた。味はまあ普通。
カプチーノとヨーグルトとピザとなんだかよくわからない味のジュース。 へんな朝食・・・
宿に荷物を預かってもらって、9時半頃に出かけた。日差しが強くて、けっこう暑い日だった。体力がないので、へばらないように気をつけなければ。
宿からサッシの入り口までは至近距離で、方向音痴の私でも迷わずにたどり着けた。
この広場を通って、サッシに降りる階段に向かう。
広場の片隅の噴水には、水をじょぼじょぼ吐き出す人たちがくっついていた。
サッシが見下ろせるバルコニーのような小広場(Piazzetta Pascoli)に到着。
サッシに降りる階段を示すサイン。非常にわかりやすい。
緩い石段を下りていく。他の観光客の姿が新鮮。イスタンブールでもフィレンツェでも全然観光しなかったからな・・・
道すがら、劇場があったり
イエスキリストの姿絵が飾られた壁龕があったり
ザクロの木があったり
微妙な形の雨どいが設置された家があったりした。
道の左手には、普通の住宅が重なり合うように建っていた。
マテーラのサッシの洞窟住居には、古くから人が住んでいたと言われる。20世紀前半には、窓のない穴倉に人間と家畜が同居する非衛生的な貧民街になっていたそうだ。その後、政府の政策によって住民が他地域に移住させられ、廃墟になっていたが、1993年にユネスコの世界遺産に登録されてから、それなりに観光地化が進み、道路が整備されてレストランやホテル等の施設が出来たという。交通の便が悪く、イタリアの他の観光地から離れているため、バリバリに観光地化されているわけではなく、「バ」程度ではあったが。
私がここに来るきっかけになったカルロ・レーヴィの著書(参考)の中には、彼がトリノからアリアーノ(本の中ではガリアーノ)に流刑になっていた1935年~1936年当時、医師だった姉が彼に面会する許可を得るためマテーラの警察署に来た際にサッシを歩き回って、そのあまりの惨状に衝撃を受けるシーンがあり、強く印象に残っている。1930年代は、サッシがまさに貧民街だった時期にあたる。しかし、現在のサッシからは、そのような陰惨な気配はもはや感じられなかった。
この日は映画007シリーズの新作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」のロケをやっていて、カーチェイスのシーンなどの撮影があったため、立ち入り禁止になっている区域があった。
ロケ地。通ろうとしたら、「ダメ」と言われた。ちっ・・・
こういうシーンの撮影だったらしい。ヘリを見た記憶はないが。
立ち入り禁止地域を迂回して、サッシの低い外壁に沿って歩く。
壁に可愛い花が咲いていたり
道端にマテーラのクラフトビールの空き瓶が放置されていたりした。こんなビールがあったとは!飲み損ねた・・・
「マテーラ」ビールのHP(イタリア語)
「マテーラ」を生産するブルワリーが2014年に設立されたと書いてあったり、2015年設立だと書いてあったりするあたりが、非常にイタリア的。
サッシはごつごつした石灰質の白っぽい岩が目立つ渓谷に取り囲まれていた。なんだか懐かしい風景だ。こういう風景、パレスチナあたりでよく見かけたな・・・
渓谷の間を川が流れていた。あの橋は渡りたくない。
再びサッシの内側の方に目を向けると、岩々しい洞窟教会が見えた。こちらはカッパドキアを思い出させる。
地図を見てもどの教会かよくわからないが(地図が読めない女だから)、とにかくそちらに向かって歩いてみることにした。
(続く)