外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(32)~イタリア南部バジリカータ州への旅・マテーラ観光編(1)~

2020-10-25 08:19:56 | イタリア

 

 

今回はようやくマテーラのサッシ(洞窟住居のある歴史的地区)を観光した時の話に入る(前回の話)。この日は午前中サッシを見て回って、午後にアリアーノに移動した。

 

 

宿泊した「聖アンナ・ホリデーハウス」の朝食時間は、朝8時15分~9時15分とやけに早かったので、間に合うようにがんばって8時に起き、生乾きの洗濯物をドライヤーで乾かしてから朝食ルームに向かう。9時前だったのに、他の客の姿はなく、片付けがもう始まっていた。みんな早起きなのね。

 

 

イタリアの安ホテルの朝食は、たいてい量産品の甘いパンと銀紙に包まれたチーズ、ジャム、パック入りのヨーグルトと飲み物(自動装置から自分で使い捨てのカップに注ぐ)くらいしかないが、ここには珍しくピザもあったので、1切食べてみた。味はまあ普通。

 

 

 

 

カプチーノとヨーグルトとピザとなんだかよくわからない味のジュース。 へんな朝食・・・

 

 

宿に荷物を預かってもらって、9時半頃に出かけた。日差しが強くて、けっこう暑い日だった。体力がないので、へばらないように気をつけなければ。

 

 

宿からサッシの入り口までは至近距離で、方向音痴の私でも迷わずにたどり着けた。

 

 

この広場を通って、サッシに降りる階段に向かう。

 

 

広場の片隅の噴水には、水をじょぼじょぼ吐き出す人たちがくっついていた。

 

 

サッシが見下ろせるバルコニーのような小広場(Piazzetta Pascoli)に到着。

 

 

サッシに降りる階段を示すサイン。非常にわかりやすい。

 

 

緩い石段を下りていく。他の観光客の姿が新鮮。イスタンブールでもフィレンツェでも全然観光しなかったからな・・・

 

 

道すがら、劇場があったり

 

 

イエスキリストの姿絵が飾られた壁龕があったり

 

 

ザクロの木があったり

 

 

微妙な形の雨どいが設置された家があったりした。

 

 

道の左手には、普通の住宅が重なり合うように建っていた。

 

 

マテーラのサッシの洞窟住居には、古くから人が住んでいたと言われる。20世紀前半には、窓のない穴倉に人間と家畜が同居する非衛生的な貧民街になっていたそうだ。その後、政府の政策によって住民が他地域に移住させられ、廃墟になっていたが、1993年にユネスコの世界遺産に登録されてから、それなりに観光地化が進み、道路が整備されてレストランやホテル等の施設が出来たという。交通の便が悪く、イタリアの他の観光地から離れているため、バリバリに観光地化されているわけではなく、「バ」程度ではあったが。

 

私がここに来るきっかけになったカルロ・レーヴィの著書(参考)の中には、彼がトリノからアリアーノ(本の中ではガリアーノ)に流刑になっていた1935年~1936年当時、医師だった姉が彼に面会する許可を得るためマテーラの警察署に来た際にサッシを歩き回って、そのあまりの惨状に衝撃を受けるシーンがあり、強く印象に残っている。1930年代は、サッシがまさに貧民街だった時期にあたる。しかし、現在のサッシからは、そのような陰惨な気配はもはや感じられなかった。

 

この日は映画007シリーズの新作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」のロケをやっていて、カーチェイスのシーンなどの撮影があったため、立ち入り禁止になっている区域があった。

 

ロケ地。通ろうとしたら、「ダメ」と言われた。ちっ・・・

 

 

こういうシーンの撮影だったらしい。ヘリを見た記憶はないが。

 

 

立ち入り禁止地域を迂回して、サッシの低い外壁に沿って歩く。

 

 

壁に可愛い花が咲いていたり

 

 

道端にマテーラのクラフトビールの空き瓶が放置されていたりした。こんなビールがあったとは!飲み損ねた・・・

 

「マテーラ」ビールのHP(イタリア語)

https://www.birramathera.com/

「マテーラ」を生産するブルワリーが2014年に設立されたと書いてあったり、2015年設立だと書いてあったりするあたりが、非常にイタリア的。

 

 

サッシはごつごつした石灰質の白っぽい岩が目立つ渓谷に取り囲まれていた。なんだか懐かしい風景だ。こういう風景、パレスチナあたりでよく見かけたな・・・

 

 

 

 

渓谷の間を川が流れていた。あの橋は渡りたくない。

 

 

再びサッシの内側の方に目を向けると、岩々しい洞窟教会が見えた。こちらはカッパドキアを思い出させる。

 

 

地図を見てもどの教会かよくわからないが(地図が読めない女だから)、とにかくそちらに向かって歩いてみることにした。

 

 

(続く)



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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(31)~イタリア南部バジリカータ州への旅・アリアーノ行きのバスチケット購入編~

2020-10-20 19:07:45 | イタリア

 

翌日アリアーノに行く手段を調べようとマテーラの宿を出た私は、先ほど通ってきた街の中心部に戻り、宿のフロントで紹介してもらった旅行代理店に行った。(前回の話

 

その旅行代理店では、「うちはパッケージツアー専門だから、向こうにある別の代理店に相談してみて」と言われたので、そちらに向かって歩いていると、通りがかりのおじさんと目が合った。せっかく目が合ったので、ここはひとつ「おじさん方式」でやってみようと思いたち、「すみませんが、アリアーノ行きのバスがあるかどうかご存じですか?」と尋ねたら、「あの売店で聞けばいいよ」と、バスターミナルのそばにある売店を教えてくれた。

 

お礼を言って、その売店に行ってみたら、そこには第2のアンジェロ(天使)がいた。

 

店番をしていた若い男性が、先ほど宿探しでお世話になったアルベルゴ・ローマの受付の男性に負けず劣らず親切だったのだ。アリアーノ行きのバスについて訊いてみたら、「大通りを渡った向こう側にあるタバッキ( 煙草を置いている商店)がバスのチケットを扱っているから、あそこで聞いてみたらいい」と教えてくれた上、「アリアーノからマテーラに戻ってきた時の宿が必要なら、B&Bをやってる知り合いに聞いてみてあげるよ」と電話してくれたり、そこがダメだったら、たまたま店に買い物に来ていた常連客の女の子に宿探しを手伝うよう頼んでくれたり、なんだか想像を超えた面倒見の良さを発揮してくれたのだ。常連の女の子もこれまた親切で、私に付き添ってホテル探しを手伝ってくれようとした。マテーラ、素晴らしいところなんじゃないだろうか・・・

 

お世話になってばかりでは悪いので、お店の中で目についたサボテン風味の飴を買ってみたが、1ユーロしかしなかった。

 

これ。友人へのお土産にしたので、味は不明。

 

 

アラブ諸国で夏場によく出回るウチワサボテンの実のエキスが入っているらしい。ウチワサボテンは、アラビア語では「ティーン・ショウキー」( التين الشوكي)とか、「サッバール」(الصبار)等と呼ばれるが、イタリアでは「フィーキ・ディ・インディア」(fichi d’India=「インドのイチジク」)と呼ばれ、シチリアを中心に南部で食べられているらしい。私は食べたことはないが、美味しくて栄養も豊富だとか。(参考

 

買ってないけど、ザクロの飴もあった。ザクロも中東のイメージが強い果物だが、イタリアでも特に珍しいものではない。地中海沿岸だしね。

 

 

ヨルダンの首都アンマンの市場のサボテン売り

 

 

ちなみに、翌日歩いていて、別の売店に「HOTEL INFORMATION」と書かれた張り紙がしてあるのを見かけたので、もしかしたらマテーラでは、売店がツーリストインフォメーション的な役割を果たしているのかもしれない。

 

教えられたタバッキに行ってアリアーノ行きのバスのチケットがあるかどうか尋ねたら、事情に通じた女主人らしき風情のあるカウンターの中の女性が、丁寧に教えてくれた。彼女の話によると、マテーラからの直行便はないが、翌日14時発のサンタルカンジェロ行きのバスに乗って終点まで行けば、同じバスがそこでアリアーノ行きの便に変わるから、それに乗って運転手さんにアリアーノに行きたいと伝えればいいとのことだった。つまり、そのバスに乗ればサンタルカンジェロ経由でアリアーノまで行けるわけだ。但し、このタバッキではサンタルカンジェロまでの4.8ユーロ(600円弱)のチケットしか売っていないということなので、ひとまずそれを買って、追加料金は運転手さんに直接払うことになった。翌々日のアリアーノからの帰りのバスについては、便があることは確実だが時刻はわからない、向こうで確認してからチケットを買えばいいと言われたので、その言葉を信じることにした。

 

とにかく、翌日アリアーノに行けることになったので、1泊分宿を予約することにした。僻地のアリアーノで宿が見つからないと野宿だからな・・・

 

ネットで調べておいたアリアーノ唯一の宿泊施設だと思われるB&B「ラ・カーザ・デッラメリカーノ」(La casa dell'Americano、「アメリカ人の家」)に電話を入れたら、あっさり予約できた。シャワー・トイレ付きのシングルが1泊35ユーロ(4300円強)。マテーラよりさらに安い。リストランテが階下にあるらいしので、夕食はそこでとってもいいかもしれない。

 

「アメリカ人の家」のHP

http://www.casadellamericano.it/

 

 

アンジェロたちのおかげで翌日の段取りを全て終えることが出来たので、どこかで手早く夕食を取って、早めに宿に戻って休むことにした。近くのスーパーで必需品のワインなどを仕入れてから、目についたヘルシーフード系のバールで豆のスープとパンを食べ、ビールを飲んだ。

 

 

「グリーン・フード」というお店。当然ここの店員さんも感じがよく、親切だった。チップは置かなかったが。

 

 

雑穀粥のような味わいで、パンも手作りっぽい香ばしさ。ビールは私の好きなイタリア製の「ナストロ・アッズッロ」(Nastro Azzurro=「青いリボン」)だ。疲れた心身に染みわたる・・・

 


9時前に宿に帰って、シャワーを浴びて洗濯し、久しぶりにテレビをつけてイタリアの長寿番組「モンタルバーノ警部」を見ながらワインを飲んだ。明日は午前中にサッシ観光、午後はアリアーノに移動しなければならない。また長い一日になりそうだ。がんばろう・・・

 

(続き)

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(30)~イタリア南部バジリカータ州への旅・マテーラで宿探し編~

2020-10-16 19:06:37 | イタリア

 

 

夕方マテーラにバスで到着してから、私がまずやったことはホテル探しだった。(前回の話

 

私には基本的に海外でホテルを予約する習慣がない。それに、いくらマテーラのサッシ(洞窟住居がある歴史的地区)が世界遺産で国際的に知られた観光地だといっても、交通の便の悪いこの地に、しかも平日の月曜日に観光客が詰め寄せてホテルがいっぱいになることはあるまいよと高をくくっていたのだ。

 

幸いバスターミナルは市内中心部にあり、移動が楽だった。地球の歩き方で目星をつけていた安ホテル「アルベルゴ・ローマ」(Albergo Roma、albergoはイタリア語で「ホテル」の意味)はすぐそこだった。ホントはサッシの中にある洞窟ホテルに泊まってみたかったのだが、やや高そうだし、荷物を運ぶのが大変そうなので除外した。

 

アルベルゴ・ローマのHP。グーグル先生の愉快な日本語版もある。

http://albergoroma-matera.it/

 

HPから拝借したレセプションの写真

 

 

ここに泊まる気満々だったのだが、ホテルが入っている建物の入り口には、「満室」(completo)の表示が出ていた。ま、まさかの満室?! いや~ん・・・

 

念のために受付に行って確認しようと思い、石地蔵のように重く感じられるスーツケースを抱えて階段を上った。ホテルは最上階にあるのだ。

 

受付にいた30代くらいの小柄なイタリア人男性に、「あの、今日は空いている部屋はないんですよね・・・?」と聞いてみたら、やはりないという。重ねて、「あの、ここくらいの価格帯の経済的なホテルで、空いてそうなところが近くにありませんかね?シングルのトイレ・シャワー付きで」と聞いてみる。

 

ダメモトで聞いたのだが、男性は「ちょっと待ってね。今聞いてみるから」と言って、すぐに近隣のホテルに電話をかけ、空き状況を調べてくれた。なにこの人、天使か??

 

いくつか当たってくれたホテルはどこも満室だということで、目の前がグレーになったが(黒になる手前くらい)、最後にかけてくれた修道院経営の宿泊施設に空きが見つかったそうで、「41ユーロだけど、大丈夫?予約する?」と聞かれた。もちろん、すぐに予約してもらう。

 

41ユーロは現在のレートで5千円ちょっとだ。フィレンツェでは、この値段でシャワー・トイレ付きのシングルにはまず泊まれない。マテーラは相場が安めのようだ。男性は行き方を説明しながら、地図に線を引いて渡してくれた。

 

お礼を言って立ち去る前に、「まさかマテーラのホテルがどこも満室とは思わなかった。来る時期を間違ったかしら」とぼやいたら、彼は笑顔になって、「君は来る年を間違ったね。今年はマテーラが『欧州文化首都』に指定されたから、イベントが多くて観光客が増えてるんだよ。去年や一昨年のこの時期は、どこもガラガラだったよ」と教えてくれた。そうなんだ、知らなかった・・・チェックが甘かったぜ。今後またマテーラに行くことがあれば、次はぜひこのホテルに泊まりたいものだ。

 

泊まれることになったのは、「Casa per Ferie Sant'Anna」(カーザ・ペル・フェリエ・サンタンナ=「聖アンナ・ホリデーハウス」)というところで、アルベルゴ・ローマから徒歩で10~15分くらいの距離だったと思う。私は極端な方向音痴で、迷いながら行ったから、もっとかかったが。

 

聖アンナ・ホリデーハウスのHP。イタリア語と英語のみ

https://www.santannamatera.it/

 

紹介動画もあった。

 

 

通りがかりのおっちゃんに道を尋ねて、なんとかたどり着いた。私はアラブ諸国では、路上で暇そうにしているおじさんたちに質問しながら探し物を見つける「おじさん方式」をよく使っているのだが、イタリアでやったのはマテーラが初めてだった。フィレンツェ人は京都人と同様、よそ者と距離を置く人が多いのでやりにくいが、南部ではありだと思った。

 

 

この要塞が入り口付近に立っているので目印になる。13~19世紀にかけて南イタリアを支配していたナポリ王国のジョヴァン・カルロ・トラモンターノ伯爵が16世紀初頭に建設させたという「Castello Tramontano」(カステッロ・トラモンターノ=「トラモンンターノ城」)だ。

 

 

ちなみにウィキペディアによると、このトラモンターノ伯爵は、要塞の建設費用等のためマテーラの住民に重税を課して「暴君」と呼ばれ、後に住民に暗殺されたという。事件の調査のため王国から調査官が派遣されて、暗殺の首謀者4人が絞首刑に処され、他の人々にも罰金が科せられて、それに対する反乱が起きたりして盛り上がったらしい。

 

 

聖アンナ・ホリデーハウスの建物は、敷地の入り口から少し坂を上ったところにあった。飾り気がなくてシンプルな外観だ。

 

 

受付のスタッフにさっき電話で予約を入れてもらった旨説明し、宿泊料を支払って鍵を受け取る。

 

 

廊下は病院風

 

 

室内は修道女の個室風。清潔でWi-Fiもテレビもあり、朝食もついて41ユーロは安い。しかし、なぜ40ユーロじゃないのか。

 

 

シャワーとトイレもピカピカで、シャンプーや石鹸なども一通りある。

 

 

快適そうな宿が見つかって安心したが、翌日は空いていないそうだし、他の宿を見つけるのも難しそうなので、翌日のうちにアリアーノに移動する手段を探さなければならない。というわけで、荷物を置いて、またすぐ出かけることにした。

 

長くなったので、続きはまた次回。つい色々調べて脱線するから、なかなか進まない・・・

 

(続く)



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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(29)~イタリア南部バジリカータ州への旅・マテーラ到着編~

2020-10-13 16:08:50 | イタリア

 

今回はフィレンツェを出発してマテーラに移動した時の話。(前回の記事

 

朝シャワーを浴びて荷物をまとめ、友人に見送られてバスに乗り、フィレンツェSMN駅に出た。チケットは3日前に駅であらかじめ購入してあった。

 

フィレンツェからマテーラに直行する列車はないので、ナポリから50kmほど南に下ったサレルノまで列車で行って、そこから連絡バスでマテーラ入りする「Italobus」(イタロブス)というNTV社の列車+バスの連絡チケットを買った(参考)。イタロのホームページを見ると、このItalobusの運行は、技術的な理由で現在一時的に停止されているようだ。

 

フィレンツェSMN駅を10:37に出発する列車でサレルノに14:16着、ここでバスに乗り換えて14:35発、マテーラには17:35着の予定だった。約7時間の長旅だ。チケット代は87ユーロ(現在のレートで約1万800円)と高かったが、帰国までの日数が少なくて時間の余裕がなかった上、明るいうちにホテル探しがしたいということもあり、これを選んだのだ。もっと早くネットで購入したら割安だという話だったが、計画性のない人間なので、致し方ない。

 

NTV社の列車のブランド「Italo」(イタロ)のロゴはこれ。高速でかっ飛ばす野兎のせいで「i」の上の点が落っこちてる。

 

 

駅に着いて電光掲示板を見ると、サレルノ行きの列車は35分遅れで到着との表示が出ていた。不吉な・・・35分というのはその時点の概算であって、その後さらに遅れる可能性が大きかった。連絡切符なのに・・・列車が遅れてもバスは待っていてくれるのか。かつてイタリアの列車は遅れるのが当たり前だったが、近年は状況が大きく改善されて、あまり遅れなくなったというので、油断していたぜ・・・ホームの手前のセキュリティーゲート前にインフォメーションコーナーが出来ていたので、そこの係員のお姉さんに聞いてみたら、列車に乗ってから車掌に聞いてくれとのことだった。

 

列車が到着するホーム(binario)の番号がなかなか表示されないので、バールでカフェ・マッキアートを飲んで時間をつぶした。

 

 

ようやくホーム番号が表示され、列車が来たので乗り込む。結局、約1時間遅れで11時半頃に発車した。

 

 

この赤くてカッコイイお方が私を南に運んでくれるのね。待ちかねたわ・・・

 

 

検札に来た車掌さんに連絡バスのことを尋ねたら、列車が遅れた場合はサレルノで待機するから大丈夫だと言われた。しかし、ここはイタリアだ。不測の事態が起こる可能性は十分ありうる。ホントに待っていてくれるんだろうか・・・

 

 

窓の外には、牧歌的な風景が広がっていた。

 

 

サレルノに着いたのは15時前だった。駅前のバス乗り場にたどり着いてみたら、車掌さんの言った通り、バスは待っていてくれていた。まさか本当に待ってくれるなんて、オドロキだ。疑って悪かったわ・・・

 

 

サレルノ駅周辺の風景

 

 

マテーラ行きのバス。真新しくて綺麗だった。

 

 

バスの乗客のほとんどはイタリア人の国内旅行者のようだった。マテーラまでの3時間は大体寝て過ごしたが、時々目覚めて窓の外を眺めると、案外緑豊かな風景が広がっていて、少しがっかりした。早く世界の果てのような風景が見たい。

 

 

マテーラに到着したのは、18時頃だった。幸い、9月半ばでまだ日が長かったので、日没までは時間がある。これから重い荷物を引きずって宿探しをしなければならない。がんばろう・・・

 

 

(続く)

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(28)~イタリア南部バジリカータ州への旅・前書き~

2020-10-07 08:22:28 | イタリア

 

コロニャに弄ばれているうちに、今年も気が付いたらもう10月。しかも、あっという間に1週間が過ぎ去ろうとしている。朝晩かなり寒くなって、ホットワインが美味しい季節になった。最近は、ラムに浸けた柿をラムごとワイン(赤でも白でもOK)に入れて作るホットワインがお気に入りだ。林檎ジュースで甘みを足して、シナモンスティックやクローブ(ホール)なども入れるのだが、クローブはつぼみ部分を上にして縦にぷかぷか浮くことが多く、茶柱感が強いので、毎回「あっ、ホットワインの茶柱が立った」と心の中でつぶやいてしまう。縁起が良さそう(?)

 

 

クローブ、立ってる子と寝てる子がいる。(今回の写真はスクショ分を除いて全てネットから拝借したもの)

 

こっちのクローブは、茶柱ではなくコロニャ感を出している。

 

 

気温の急激な変化のせいか、最近何をするのもしんどくて、毎日ご~ろごろごろごろして、ブログの更新をサボっていたのだが、いい加減に旅行記を書き終えなければ、さらに年をまたいでしまう・・・ということで再開。今回からはイタリア南部への旅について書く。

 

チュニジアからトルコ、トルコからイタリアに入ってフィレンツェで5泊した後、これまで訪れたことのなかった南部のバジリカータ州に向かい、マテーラ、アリアーノ、ポテンツァに1泊ずつしてから北上し、ローマのフィウミチーノ空港から帰国便に乗った。つまり、この南部への旅は今回の3か国をめぐる旅の最後の締めくくりと言える。

 

フィレンツェ、ポテンツァ、マテーラ、アリアーノの位置関係を見てもらおうと、慣れないスクショをやってみたが、よくわからない・・・アリアーノの上にポテンツァとマテーラがあることが分かるだろうか。

 

 

マテーラの洞窟住居はユネスコ世界遺産に登録されており、日本でもある程度知られている国際的な観光地だが、今回の私の本命の目的地は、観光地としては無名のアリアーノだった。ポテンツァはバジリカータ州の州都で、アリアーノからローマに戻る途中にあったから便宜上宿泊したに過ぎない。

 

アリアーノは小さな町で、ウィキペディアによると、人口は1000人足らず。宿泊施設は一応あるものの、鉄道は通っておらず、バスもあまり通らない僻地なので、ここに観光に行く外国人はあまりいない。私が敢えてこの町に行こうと思ったのは、ここがカルロ・レーヴィの流刑の地だったからだ。

 

カルロ・レーヴィはこの人。

 

 

カルロ・レーヴィ(1902~1975年)は、イタリアを代表する作家の1人で、画家でもある。反ファシズムの政治活動が原因で、ファシスト政権下の1935年から1936年にかけて、北部の都会トリノから南部の寒村アリアーノに流刑に処された。この時の様子を描いた彼の代表作「キリストはエボリで止まった」(Cristo si e' fermato a Eboli、邦訳あり)には、当時のこの地の農民たちが極貧の暮らしに耐え、マラリアの蔓延に苦しみながら、前キリスト教的な魔術や妖精などが日常のあちこちに顔を出す独特の世界に閉じこもって暮らす様子が描き出されている。ちなみに、エボリ(エーボリ)は、カンパーニア州の人口4万人弱の町で、当時のルカーニア地方(現在のバジリカータ州)への入り口とみなされていたようだ。タイトルの「キリストはエボリで止まった」は、「文明の恩恵はエボリで止まって、アリアーノにはたどり着かなかった。村の農民たちは『キリスト教徒』(=1人前の人間)とはみなされず、人間以下の扱いを受けて搾取に苦しみながら、太古の昔から綿々と受け継がれる独自の文化の中で生きている」という意味が込められていると思う。

 

 

慣れないスクショ第2弾。エボリとアリアーノの位置関係がわかる地図を出そうと思ったら、車で移動するためのルートが出てしまった・・・当時はこんな道路はなく、山道を行くしかなかったはず。

 

 

本の表紙。ジャケ買いしたくなる? ならないか・・・

 

 

私はかつて通ったフィレンツェ大付属文化センターのイタリア語講座でこの本の一節、ふいごを使って上手にヤギの皮を剥ぐ老人「ヤギ殺し(ammazzacapre)」が登場するくだりを読んで感銘を受け、その後辞書を引き引き1冊全部を読み終えたのだが、最近また読み返しているのだ。但し、1人で読んでいるわけではない。

 

私はしばらく前から北海道に住む友達(元々は友達の友達)に週1回スカイプでイタリア語の文章読解を教えていて、そのテキストとしてこの本を使っているのだ。彼女はイタリア留学経験者で、文法も会話も一通りこなす上級者なので、文法の授業などはやらず、1冊の本を選んで彼女が少しずつ和訳し、私がそれを添削して解説するという方式を取っている。彼女とのレッスンを通じてこの本を改めて読み、その世界に入り込んでいるうちに、植物がほとんど生えない白い粘土質の谷に囲まれているという、世界の果てのようなアリアーノ(本の中では「ガリアーノ」に名前が変えられている)に行かなければいけない気がしてきたのだ。私は昔から荒涼とした風景に心惹かれる傾向があるのだが、それだけではなく、彼の地は自分の人生が通っている道の途上にある気がしたのだ。こういうことは、私には時々ある。

 

私がアリアーノに旅すると言うと、この友達も興味津々で関連情報を調べてくれた。また、フィレンツェで世話になった友人も、宿泊施設や交通機関等を色々検索して、親身になって協力してくれた。アリアーノにはマテーラからバスが出ていると思われたが、ネットでは確実な情報は見当たらなかったため、まずマテーラに行って1泊し、現地でアリアーノ行きのバスの有無を確かめ、それによって翌日以降の予定を決めることにした。

 

そういうわけで、チュニジアとトルコでの疲れをフィレンツェで癒した後、私は新たに未知の世界に旅立ったのだ。前書きがやたら長くなったので、フィレンツェからマテーラに移動した時の話はまた次回。ああ、なかなか終わらない・・・

 

 

(おまけ)

 

「Il Cristo si e' fermato a Eboli」を原作とした映画の予告編(音声イタリア語・英語字幕付き)

 

 

カルロ・レーヴィを紹介するイタリア国営テレビRAIUNOのニュース番組の録画(イタリア語・字幕なし)

 

 

カルロ・レーヴィが描いたとされる猫の絵。顔がコワい・・・

 

(続く)

 

 

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