外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

料理が国籍を変えるとき

2011-10-29 01:15:28 | グルメ
我が心のトムヤムクン




鍋物の美味しい季節が到来した。
ぐつぐつ煮えたお豆腐さんや葱さんや椎茸さんや白菜さんが、お鍋の中でほわほわと湯気を立てている様子は、冬の寒さや日々の疲れですさんだ心を癒すような、善意と温かみに満ちている気がする。作るのも洗い物も楽だし、素晴らしい料理である。

先日、私は白味噌鍋を作っていた。具は豆腐、白葱、しめじ、しし唐である(すぐ煮えるものばっかり)。材料を切って煮込み、ダシの素(かつお味)、みりん、白味噌、しょうゆ少々で味付けする。

味見してみると、それなりにおいしいけれど、なにか足りない気がする。私は冷蔵庫を開けて豆板醤の小瓶を取り出し、ティースプーン1杯分鍋に加えた。鍋の中がとたんに赤くなり、気分が高揚する。私は辛いものが大好きなのである。ここでやめておけばいいのに、さらにポッカのレモン汁を入れることにする。あと少しで終わりなので、使い切りたかったのだ。小さなレモン形のプラスチック容器を逆さにして、ラテン音楽のマラカス奏者のようにシャカシャカ振りまくる。

その後、おそるおそる味見すると、鍋の中の料理はすっかり国籍を変えていた。豆板醤を入れるまで鍋を支配していた白味噌味が、完全に消滅していたのである。私はとまどった。白味噌さんは一体どこへいっちゃったの?もう戻ってこないの?
その代わりに、豆板醤の辛味とレモンの酸味が口いっぱいに広がった。この味は何かに似ている…そう、あの有名な、タイの甘辛酸っぱいスープ、トムヤンクンである。トムヤンクンを食べたことは2,3回しかないので、私の思い込みという可能性も否定できないが…。
さっきまで100%和食だった食べ物が、突然東南アジアのエスニック料理に変身してしまうなんて、まるで魔法のようである。念のために砂糖を1さじ加えてみたら、それはもう、完璧にトムヤンクンであった。

私は、自分の作った料理の変貌ぶりにとまどいつつ、ビールを飲みながら全部平らげた。さっきまで和食だったところのエスニック料理は、とてもとても美味しかった。他人が食べても全然おいしくないかもしれないが、自分の作った料理は、本人にはたいてい美味しいものである。食べたいときに、食べたいものを作るせいだろう。時々、自分は「料理の天才」なのではないか、と錯覚しそうになるが、誰かお客さんが来たときに料理をすると、一度で現実に直面し、自惚れから覚めることになる。他人の目に映る私の料理は、自分が思うほどにはキラキラ輝いていないようなのだ。だから私は、自分ひとりのために料理するのが一番好きである。自己満足の世界は甘美なのだ。

食べ終わってもまだ胃にスペースがあったので、雑炊を作ることにした。
冷凍してあったゴハンを解凍して、鍋に残った汁に入れ、ぐつぐつしてきたら、溶き卵を流してとじる。

ここでもまた、思いがけないことが起こった。卵でとじた瞬間、鍋の中の料理がまた和食に戻ったのだ!さっきまでトムヤンクンだったのに、いま目の前にあるものは、おじや以外のなにものでもナイ。一口食べてみると、白味噌味が完全復活を遂げており、豆板醤やレモンの風味のほうは、すっかりなりをひそめているのである。色も普通のおじやでしかない。一体どうしてこんなことが起こりうるのか、私にはわからにゃい。


実は以前、これと似たような体験をしたことがある。
イタリアに住んでいた頃のことである。
私はマッシュルームのリゾットを作っていた。玉ねぎとマッシュルームをバターで炒め、さらに米を投入して炒め、頃合を見計らって水を加え、コンソメスープの素を放り込んでしばらく煮る。米がアルデンテに炊けたら出来上がりである。マッシュルームや米を炒めるのとは別の鍋でスープを作り、少しずつ加えて煮込むのが本来のやり方であるが、そんなことをすると洗物が増えるので、私はまずやらない。
米がいい具合に煮えて、マッシュルームとバターのおいしそうな匂いが台所に充満した頃、ふと魔が差して、私は鍋の中に溶き卵を流した。料理中に魔が差すことは、私にはわりとよくあることである。気がつくと、そこにはきのこのおじやが出来ていた。
最初はイタリア料理だったのだ。私はマッシュルーム・リゾットを作ろうとしていたのだ。でも今目の前にあるものは、きのこ入りのおじやでしかない…。
あのときの驚きは、今でも忘れられない。


二度国籍を変えた白味噌味のおじやは美味しかった。
料理というのは、本当に奥が深い。驚きと発見の連続である。
もしかしたら、私の天職は、料理研究家なのかも…。冗談です、はいすいません。

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コタツとゲーム翻訳とスペイン語とスペイン語の日々

2011-10-28 17:56:19 | 日記
トルコ東南部のワン市の、ワン猫の写真。先週の日曜日にあの地域でひどい地震があったけど、ワン猫は大丈夫だったのか、とっても心配です。みゃあみゃあ。



しばらく暖かい日が続き、おお、このまま春になってくれるのかしら、ほくほく!と期待していたら、急に寒くなった。自然の掟は厳しい。やはり冬を飛ばして春が来たりはしないのだ。そんなわけで昨日からコタツをつけている。コタツは暖かいので大好きだが、21世紀になっても自分がコタツで暖を取ることになるとは思わなかった。世の中は案外進歩していないようだ。こんな原始的な暖房器具が生き残っているなんて…。そういえば、雨が降って傘を差すたびに同じことを思う。21世紀にもなって、雨を避けるためにこんな原始的な道具を…別にいいんだけど。

先週から今週の半ばにかけて、知り合いの紹介で、大阪の翻訳会社にアルバイトに行っていた。
ゲーム翻訳の仕事で、英語から日本語に訳すのである。英語はあんまりよく分からないし(しかもアメリカのゲームなので、アメリカ英語の若者言葉が中心)、ゲームもやったことがないので、どう訳していいのかさっぱり分からず、途方にくれていた。なにしろ、「ナントカのアイテムを集めてナントカポイントをゲットしよう!」とか、「ナニナニをアップグレードするため、ナントカを集める」とか、「ナニナニを友だちにリクエスト」とか、意味不明の文ばっかりなのである。ゲーマーのヒトにはお馴染みの内容だろうが。
もともとのんびり屋さんなせいもあって、仕事は遅々として進まず、内容にも自信がない。どうもあまり続かない気がする。なにか新しい仕事を探さねば…。ああ、すっごくメンドウ。

ところで、私は10月からスペイン語を勉強している。
無職で暇だったせいもあるが、直接のきっかけは、偶然ラジオから流れてきたNHKのスペイン語ニュースである。今まで1度もスペイン語を勉強したことがないというのに、おおまかな粗筋がわかる!これはスゴイ!と感激してしまった。スペイン語はイタリア語と姉妹関係にあるので(私のイメージでは、イタリア語のほうがお姉さん)、イタリア語を学習した人間にとって、聞き取るのはさほど難しくないとは聞いていたが、自分で実感したのはこれが初めてだった。これはひょっとしたらひょっとして、1ヶ月くらい勉強したらある程度話せるようになるのかも!と舞い上がって、NHKラジオ講座を聴き始め、図書館で借りたテキストで独習し始めたのだ。

奇遇なことに、前述のバイト先にはスペイン人とイタリア人のスタッフがいた。
彼らの会話は2ヶ国語放送である。つまりスペイン人はスペイン語を、イタリア人はイタリア語をそれぞれ話すのだ。いくら似た言語といえ、動詞の活用語尾など微妙に異なるし、まったく違う単語も結構あるのに、彼らはお互いに、完全に通じ合っていた。イタリア語とスペイン語がそんなに近い言語なら、わざわざスペイン語を勉強する必要はないってこと?と一瞬思ったが、耳を澄ませて彼らの会話を聞いてみると、やはり私にはスペイン人の話す内容が、いまいちわからないのだった。この辺はネイティブと外国人の語学学習者の違いであろう。

スペイン語の勉強を始めた当初、そのダサさに驚いたものである。
なんだなんだ、このダサさは!イタリア語の訛ったものとしか思えない!と、ラジオ講座を聴くたびに笑い転げたものだ。最近は慣れてきたが、やはり時々くすっと笑ってしまう。しかし私がいくらそう言っても、一般の人にはこの可笑しさが分かってもらえない。イタリア語学習者にしか理解してもらえないのである。
イタリア在住の日本人の友だちに、「今スペイン語勉強してるけど、スペイン語ってダサいよね~!」というメールを送ったら、彼女もそう思っていたそうで、「自分が話せるのがイタリア語であって、スペイン語でなくてよかった!」という返事が返ってきたた。

例を挙げると…
「いつも通りに」は
イタリア語で「コメ センプレ」
スペイン語で「コモ シエンプレ」

「承知しました」は
イ「ダッコルド」
ス「デ アクエルド」

「君はどこに住んでるの?」は
イ「ドヴェ ヴィーヴィ?」
ス「ドンデ ビベス?」だ。ドンデって…泥臭くない!?ちなみにスペイン語にはVとBの発音上の区別がなく、どちらもBと発音される。日本人には発音しやすいですね。

他にも「土曜日」が、イ「サバト」・ス「サバド」、「二番目の」がイ「セコンド」・ス「セグンド」など、例を挙げたらきりがない。かつてフィレンツェに住んでいた頃、北イタリアの方言を初めて聞いて、その響きのダサさというか、田舎臭さに感心したものだが、あのアクセントとスペイン語は似ている気がする。「すんごく人の良い田舎者」風に聞こえるのだ。

スペイン語を最初に勉強して、その後イタリア語を学習した人は、一体どういう印象を持つのだろう。一度調査してみたいテーマである。「イタリア語って、ダサい!」と軽蔑するのか、それとも「イタリア語ってなんて美しんだ!スペイン語なんか勉強するんじゃなかったぜ!」と激しく後悔するのか…。とかいいつつ、実は私はイタリア語も十分ダサいと思う。イタリア語なんかより、英語やトルコ語のほうがずっと洗練されていて美しい気がする。そう言うと、イタリア語のファンに「耳鼻科に行け!」と怒られたりするけど。

文法構造に関していうと、この2言語はそっくりなんだけど、どちらかというと、スペイン語の方がよりシンプルで暗記しやすいといえる。イタリアでしか通用しないイタリア語と違って、スペイン語はブラジルをのぞく南米全域でも通用するし、これからどちらかの言語を勉強しようという人は、スペイン語をやったほうが断然オトクだと思う。ああ、私も最初からイタリア語じゃなくて、スペイン語をやればよかった!と、ちらっと思わないでもないが、嘆いてみても始まらないので、とりあえず真面目にスペイン語学習に精を出すことにしている。この期に及んで、年甲斐もなく新しい言語に手を出す私。そして人生は続くのだ。
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イエメン旅行(8)タイズとサナアの動物園

2011-10-18 00:34:43 | イエメン
サナア動物園のナゾの動物。



旅先で動物園に行くのは、私の習慣である。
動物を見るのは楽しいし、国や地域によって、展示されている動物の種類や管理方法、展示の仕方などが異なっていて、土地柄が出ているのが興味深い。いくら行っても飽きないのだ。

イエメンでも、サナアとタイズの2か所で、動物園に行った。

タイズの動物園は規模が小さくてお客が少なく、いい感じにうらぶれていた。私はうらぶれた動物園もわりと好きである。ここには、キリンや象なんかの花形動物がいない代わりに、「ハト」がたくさん檻に入れられて、展示されていた。日本でもおなじみの、お寺の屋根とかアパートのベランダをうろうろして、時々フンを降らせたりする、あのハトさん達である。誰だろう、ハトをこんなところに入れようと思いついたのは?檻が余ったから、ハトでもつかまえて入れとこうぜ!と誰かが思いついたのか?



以前行ったシリアのダマスカス動物園には、毛足が長めで薄汚れた、ごくありきたりの「犬」が展示されていて、「おお、犬が動物園に!」と笑ってしまったが、犬はシリアではあまり見かけないので、これもありだろう、と無理やり納得することにした。しかしハトはイエメンでも別に珍しくないのである。ハトに限らず、タイズの動物園には鳥類が各種取り揃えてあった。低予算の中小動物園にはありがちなことである。


サナア動物園で見つけた立て札、「動物園は動物の売買のための市場ではありません」と書いてある。


それに比べてサナアの動物園は、さすがに首都だけあって規模が大きく、動物の種類も豊富だった。ここにもハトがいたかどうかは記憶にないけど。
「動物園は動物の売買のための市場ではありません」と書いた、謎の札が掲げてあったりするあたり、さすがイエメンである。なにか勘違いして、ここに動物を買いに来る人たちもいるのだろう。「すいません、ライオン2頭とシマウマ1頭くださいな」とか言って…。

ここでは、ライオンの姿がやたらに目立った。なんでこんなに沢山いるのか、不審に思うほどである。イエメンに限らず中東の動物園では、全体の規模に比べてライオンの数がとても多いのが特徴のようだ。ライオンは彼らにとって、とても大切な動物であるようだ。強くて勇敢で気高い、動物の王様ですものね。私にとってライオンは、「大きな猫」でしかないが。

サナア動物園で私が一番気にいったのは、「ナマケモノ」と「モグラ」の中間みたいな感じの外見の、黒っぽいナゾの動物である。長い爪で檻にしがみつき、遠い目をして、なにかを深く考え込んでいるように見えた。ムーミン谷あたりにこういう動物が住んでいそう。機会があれば一度おしゃべりして、彼の世界観を語ってもらいたいものである。

(おまけ)
YOUTUBEで見つけた、サナア動物園の映像。ライオンを眺めている小さな女の子が、獣になりきっていてちょっとコワイ。
http://www.youtube.com/watch?v=8zM94RhQmZE


こちらはタイズ動物園、係員のエサやり作業の風景。安全対策や、動物への愛情、健康への配慮などは微塵も感じられない、イエメン的に大雑把なやり方である。だいたいそんな狭い檻に閉じ込められて、ライオンさん達が気の毒。
http://www.youtube.com/watch?v=Hjuhn425S9Y


これはサナア旧市街。ただそのままの日常風景を映しているだけなのに、まるっきり時代劇のセットのよう。ああ懐かしい!また行きたい!
http://www.youtube.com/watch?v=ZAp_vOf-xMY&feature=related



イエメン旅行記はこれにて終了。読んでくれた人、ありがとう。
コメント (8)
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イエメン旅行(7)左手を使わずに食事するということ

2011-10-15 01:52:02 | イエメン



知り合いのイエメン人宅で夕食をご馳走になったときのことである。

私は左利きなので、いつものように何気なく、左手でパンをちぎったり、スプーンを持ったりしていたのだが、それを見た女主人が、「左手は不浄な手だから、使わないほうがいいわよ、がんばって右手だけで食べるようにしてみて!」と言い出し、その日は左手を使わずに食事する羽目になってしまった。

イエメンでは(他のアラブ諸国でも基本的に同じだが)左手は、トイレで用を足した後、急所を水で洗ってキレイにするのに使う、不浄な手である。アラブのトイレはたいてい、手動のウォッシュレットなのだ。紙を置いているところもけっこうあるし、私は普段ティッシュペーパーを持ち歩くようにしていたけれど。


実際にやってみたことのある人には分かると思うが、利き手を使わずにゴハンを食べるのは非常に難儀な作業である。私のように、もともと不器用な人間であれば、なおさらのこと。パンをちぎりそこね、スープやおかずをこぼしまくり、スプーンを取り落とし…女主人はそんな私をにこにこ眺め、「がんばって!」と暖かく激励するのだった。ああ…。

その晩、私はベッドの中で考えた。
「郷に入れば郷に従え」という諺があるが、外国人はどの程度まで、その国の文化に合わせる必要があるのだろうか?いつもいつも相手の習慣に合わせていると、疲れてストレスがたまるし、かといって、自分の国にいるかのように好き勝手に振舞うと、不用意に相手の感情を害してしまう。その中間を行く、自分なりの折衷案を見つける必要があるのだ。

検討した結果、「イエメン人の家で食事するときは、左手を使わずに食べる、それ以外の場所(寮の台所とか、レストランとか)では、いつもどおり左手を使って食べる」ことに決定した。でもこれは私のやり方で、あんまりおススメ出来ない。左手を使わずにすめば、それに越したことはないのである。

そんな私は、日本に帰ってきた今、箸の使用に悩まされている(最近はだいぶ上達したが、エヘン)。スムーズに食事をするのって、本当に難しいことである。口を開けたら、食べ物がテレポートして、勝手に入ってきてくれないだろうか、と時々夢を見る...。
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風邪を引いた大人の幸せ、熱きワイン(vin brule')

2011-10-04 23:58:07 | グルメ
本文に関係ないけど、イエメンの猫。ゴミまみれで、なんかやさぐれてる。


イエメン旅行記は「一回休み」です。


急に寒くなったので、さっそく風邪を引いた。
家の中でもずっとフリースを着ているけど、やっぱり寒い。
夜寝るときは靴下を履いて、フリースを着たまま布団に入り、さらに毛布を掛ける。鼻水が止まらないので、ティッシュが手放せない。ぐすぐす。ふるふる。ぐすぐす。ふるふる。ふる。

灼熱の夏がようやく終わったと喜んでいたら、もう冬将軍が来てしまった。秋はどこへ行ったの?もう戻ってこないの?秋は私の一番好きな季節なのに…。失われた秋のことを考えると、とても恨みがましい気分になる。私は暑いのも寒いのも苦手なのである。
しかし幸いなことに、風邪引きには風邪引きの楽しみがあることを、私は知っている。それはヴィン・ブリュレである。

風邪を引いたと判明したとき、私はしっかり厚着をして出かけ、スーパーでオレンジと赤ワインを買ってきた。ワインはチリのもので、1本600円の安物だが、これがけっこう美味しいのだ。家に帰ったらさっそく作業開始である。

まずオレンジをスライスする。小鍋にワインをカップ1杯分注ぎ、オレンジを2,3枚と、砂糖適量を加える。その上からシナモンスティック1本、クローブを数粒放り込む。粒胡椒や唐辛子、生姜なんかを加えてもいいかもしれない。これを弱火にかけ、時々かき混ぜながらゆっくり煮る。熱したワインと、オレンジと、スパイスの香りが混ざり合って、とってもいい匂いがするはずなのだが、残念ながら風邪のせいで鼻が利かないので、よくわからない。沸騰直前に火を止め、オレンジやスパイスが入りこまないように、そうっとカップに注いで出来上がり!

子供の頃、風邪を引いて熱に苦しんでいるとき、夜中に目を覚ますと、母が冷たいサイダーの入ったコップを、枕元に運んできてくれた。シュワシュワと泡の立ち上る透明なサイダーを一気にごくごく飲むと、ほてった身体がすうっとして、生まれ変わったような心地がしたものだ。

でも大人になった今、私にはサイダーよりもっといいものがある。ドラゴンの血のように熱くて、香辛料が効いていて、ほんのり甘い(ドラゴンの血を飲んだことはないが)、大人の飲み物・ヴィン・ブリュレ。身体だけでなく、冷え切った心さえも温めてくれる特効薬なのだ。

イタリアのフィレンツェでは、毎年クリスマスが近くなると、サンタ・クローチェ広場で、「ドイツ・フェア」が開かれる。
本場ドイツからやってきたドイツ人や、北イタリアのドイツ語系住民たち(オーストリアと境を接するアルト・アディジェでは、イタリア語と並んでドイツ語も公用語になっている)が用意した、ザワークラウトがあふれんばかりにのっかったホットドッグや、いい匂いのストゥルーデル(リンゴ入りのパイ)や、ソーセージやビールの出店が広場に立ち並び、押し寄せた地元客や観光客がその間を練り歩くのだ。なぜかハンガリー・グラシュ(ハンガリーのシチュー)や、オランダチーズのお店などもあるし、可愛いクリスマスグッズも沢山売られている。フィレンツェの人たちは、毎年このドイツ・フェアに行くのを楽しみにしているが、私も例外ではなく、滞在中はだいたい毎年行っていた。お目当てはビールの屋台だったが、なにしろ寒い時期なので、野外でビールを飲む気がしないときもあり、そういう時は代わりに”vin brule’”を飲んで、体を暖めた。これはフランス語起源のイタリア語で、ヴィン・ブリュレ、またはブルレと読み、いわゆる「ホットワイン」を指す。メニューにはラム酒入りのシードル(林檎酒)なんかもあり、なかなか美味しかったが、かなり強いので、アルコールに弱い人は酔っ払うかも。

ヴィン・ブリュレの鍋の上にかがみこんで、木杓子でかき混ぜているとき、私はなんとなく魔女になったような気分になる。ぶつぶつ呪文を唱えながら、得体の知れない材料を大鍋で煮込んで魔法の薬を作る、太古の魔女。

燃えろ青き炎よ 静かに燃えろ
あかき竜の血 太陽の果実
遠き国のスパイス あまいお砂糖
かき混ぜろ かき混ぜろ
ゆらゆら湯気が立ちのぼり
ぷつぷつ泡が出てきたら
そら出来上がり 魔法のお酒
熱く気高きこの美酒が
身も心も溶かしてくれる

こうやってファンタジーの世界に入り込んでしまうのは、風邪のせいか、はたまた飲みすぎて酔っ払っているせいか?いやいや、私はもともと夢見がちなタイプなのだ。さてと、もう1杯作ろうかな。
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