外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

西川口のウイグル料理店「アパンディン」でウイグルについて話を聞く

2019-03-03 16:13:34 | ウイグル・中国

 

先日、西川口に2軒あるウイグル料理店のうち、東口側の「アパンディン」を再訪した。(前回行った時の様子はこちら。食べログはこっち

 

この店は西口側にある「火焔山」よりも席数が少なく、知名度も低いが、料理はどれも非常に美味しく、アルコール類の値段も安い(重要)。

 

まず羊肉の串焼き。これが登場すると、あたりにクミンや唐辛子などのスパイシーな香りが漂う

 

ラグメン。手打ちの麺がモチモチして食べ応えがある。野菜たっぷりで、色もキレイ

 

挽肉を詰めた水餃子。これも生地がモチモチで、あっさりしていて、どんどん食べられる。タレは唐辛子まみれだが、さほど辛くない

 

 

鶏肉の串焼きやサムサも頼もうとしたのだが、あいにくこの日はなかった。少人数で回しているから、メニューに載っていても出来ない料理がけっこうあるのだ。

 

隣のテーブルでは、ウイグル人らしきグループがポロやチキンの炒め物などを盛大に注文していて、どれもてんこ盛りで非常に美味しそうだったのだが、この日は睡眠不足だったため、写真を撮らせてほしいと頼む気合がなかった・・・

 

天井近くの棚の動物コーナー ラクダがツートンカラー・・・

 

 

今回は、前回見かけなかった料理人の男性(給仕・レジも担当)がいたのだが、この人は非常に話好きでフレンドリーで、私がウルムチやトルファン、カシュガルを観光したことがあると告げると、ウイグルについて色々語ってくれた。

 

彼の家族はウルムチにいるそうだが、帰ったらパスポートを取り上げられる危険があるため、ここ数年帰れないでいるらしい。彼だけではなく、他のウイグル人の知り合いも同様だそうだ。私が「ウイグル自治区で泊ったホテルで、夜中に警察がドアを叩いて回って、お客にパスポート・身分証を出せと要求した」と言うと、彼は「あ~そういうのよくある」とうなずいていた。彼も中国の他地域に行ったとき、厳重なセキュリティーチェックを受けたりしていたらしい。そして、今は状況が悪化しているとのこと。

ちなみに、トルファンは夏の間地獄のように暑いらしいが、砂風呂療法が人気で、これのために観光客が来たりするらしい。私が行った時も5月の初めにしては暑かったような・・・もう記憶の彼方だが。

彼は「中央アジア料理ではウイグル料理が一番美味しい。これはみんなが知ってることだ」と胸を張り、「うちの店、宣伝してね」「毎週来てね」と念を押しつつ、私たちを見送ってくれた。

 

というわけで、西川口の「アパンディン」は非常に良いお店なので、ウイグルに興味がある方はぜひお立ち寄り下さいませ~(別にまけてもらったわけでもないのに、回し者のように宣伝する私)

 

アパンディンを出た後、すぐそばの角にある中国食材店で柘榴酒を購入。「どうせ甘すぎるんだろうな」と思いつつ買ったのだが(なぜ)、家に帰って飲んでみたら、「やや甘口で爽やかな紹興酒」というかんじで意外に美味しかった。食前酒に良さそう。

 

 

この日の昼間出会った顔馴染みの猫さん。カメラを向けると、いつも「オマエうざいんだよ」って顔をされる

 

 

(参考)

ウイグル自治区を観光した時のことを書いた記事:

 

中国旅行(1)あらまし

https://blog.goo.ne.jp/mendokusainoyo/e/6134dedbae60c55af9ac54ee48d80fcf

 

中国旅行(2) 下準備

https://blog.goo.ne.jp/mendokusainoyo/e/27caf1b65323172f8a394af63bb07f30

 

中国旅行(5) ウイグル自治区の印象

https://blog.goo.ne.jp/mendokusainoyo/e/deac741c718345e7f224b4883a1216dc


中国旅行(6) ウイグル自治区で食べたもの~前編~

https://blog.goo.ne.jp/mendokusainoyo/e/2a836a4192d7aebb66906e09533e4572

 

中国旅行(7) ウイグル自治区で食べたもの~後編~

 

ちゃんとカテゴリー分けしなくては・・・

 

(終わり)

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中国旅行(7) ウイグル自治区で食べたもの~後編~

2012-08-04 23:10:27 | ウイグル・中国

中国風のトルコケバブ



私がウイグル自治区を訪れたのは、5月のはじめだった。
初夏のはずなのに、すでに日中の気温はかなり高く、また空気が乾燥しているせいもあって、昼間観光しているとすぐ喉が渇いた。
そんな時によく立ち寄ったのが、街角のスイカ売りの屋台。
薄く切り分けたスイカを一切れだけ買って、その場で食べることができるので、とても便利なのだ。
太陽の下で歩きまわって疲労困憊したときに、よく冷えて、甘くてみずみずしいスイカを食べると、まるで生まれ変わった心地がしたものだ(大げさ?)。
スイカ屋台は、たいてい野菜や果物の市場の一角にあり、買い物を終えたウイグル人たちが、家に帰る前にちょっと立ち寄ってかぶりつく姿をよく見かけた。
あれはかなり儲かる商売に違いない。私も日本でやってみるべきかも?

ウイグルのスイカは、日本のスイカよりもっと楕円形っぽくて、ラグビーボール型をしている。
トルファンで遺跡巡りをしたときに雇ったタクシーの若い運転手は、トルファンのスイカやメロンは日本にも輸出されているんだよ、と説明してくれた。
トルファンは有名な葡萄の産地でもあり、美しいひすい色や濃褐色のトルファン産の干し葡萄は、カシュガルの国際バザールなどでも見かけた。
試しに買って食べてみたら、強烈な砂漠の太陽の下で育ち、乾燥した果実の、深みのある上品な甘みに感心した。食べ始めると、なかなか止められなくなる。
この葡萄でワインを作ったら良質のものができそうだが、ウイグル人はムスリムだから作らないのだろう。
非常に非常に非常に残念だ。漢人のワイン工場はあるようだが・・・。

街角で喉が渇いたとき、ヨーグルトドリンクを飲むという手もある(名称は聞き損ねた)。これも屋台で飲める。
氷のかたまりで冷やしたヨーグルト液をジョッキに入れ、氷水で薄めたもので、水で薄めたヨーグルトの味がする(そのまんまやん)。
これを美味しいと思う人は少ないかもしれないが、私はヨーグルトの酸味が好きなので、わりと気に入って、ときどき飲んでいた。

ウイグル料理ではないが、ウルムチで食べて印象に残ったものに、「トルコケバブ」がある。
夜、街角に出現する屋台村、「夜市」の一角で見つけたのだ、あのゆっくり自転してじりじり焼かれている肉の塊を。
売っているのは漢人のお兄ちゃんだった。
本来逆三角形をしているはずの肉の塊が、台形になっているところといい、全体が脂でぬらぬらして、まるでロウでコーティングしてあるかのような様子といい、肉の焼け爛れ方といい、あまり美味しくないだろうという予感はしたが、ものは試しなので1つ買ってみることにして、チキンのケバブサンドを注文する。
渡されたのは、薄い米粉のクレープに包まれ、テンメンジャンを添えた、焼いた鶏肉の薄切りであった。
別に不味くはなかったが、どう考えてもトルコケバブから遠く離れた食べ物である。
これって、もしや北京ダックなのでは・・・?
こんなにオリジナルから離れたコピー商品を開発するなんて、中国には、やっぱりかなわない。

その北京ダック(自称トルコケバブ)を食べ終えたあと、近くの屋台で生ビールが売られているのを発見し、1杯買って飲んだら、甘かったのでビックリした。
あとで調べたら、これは一見ビールのように見えるが、実は「カワス」という名前の、ウイグル特有の非アルコール発酵飲料で、麦芽の汁や蜂蜜などを入れて作るらしい。
フルーティーで飲みやすく、喉が渇いていたせいもあって、結局残さずに全部飲んでしまったが、「ビールだと思った飲み物が甘かった」という衝撃は、私の中からなかなか消えなかった。
でも考えてみたら、こんな風に「意表を突かれてショックを受ける」ことこそ、旅の醍醐味だと言えるかもしれないねえ。




カワス (ただし、これはロシアのカワスで、ネットで見つけた写真。私が飲んだのはもっと色が濃くて、ビールっぽかったの。でも写真を撮り損ねたの・・・)




トルファンでお世話になった、若いタクシーの運転手さん



上の運転手さんのお友達、途中で同乗してきた。写真は、道端の桑の木の実を取っているところ。
集めた桑の実を手のひらに載せてくれたので、口に入れてみたら、爽やかな甘さだった。初恋の味?



マンタ(餃子みたいなもの)の入ったスープ。トルファンの市場で食べた。

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中国旅行(6) ウイグル自治区で食べたもの~前編~

2012-07-30 18:04:41 | ウイグル・中国

ウイグル料理の横綱、ラグメンさま
(写真を撮り忘れたので、ウィキペディアから取りました・・・)



ウイグル料理ときいて、私の頭に浮かんでくるもの。
それは盛大に白い煙を立てながら、カワプ(ケバブ、つまり串焼き羊肉のこと)を焼く男達。
カマドから出したばかりの、ほかほかの黄金色のナン(分厚い円盤状のパン)。
買い食いしたカワマンタ(かぼちゃ入りの包子)や、屋台で食べたサモサ(羊肉入りの小さなパイみたいなもの)。
そしてもちろん、何度も食べたラグメンやポロ・・・ああ、思い出すだけでお腹が空いてくる。

羊肉がよく登場するところ(ちなみにウイグル人はムスリムなので、豚肉は食べない)、パンが主食だけれど、お米の料理も愛されているところ、味付けにトマトを使うところなど、ウイグル料理とトルコ料理の間には共通点が多い気がするが、中国の影響か、ウイグルではトルコよりもずっとたくさん麺類が食べられているように思う。
ちなみに麺類はどこで食べても手打ち、餃子の類も皮から手作り、パン類はかまど焼き、ケバブは炭火焼である。
これで美味しくないわけがない。

地元民にもっとも愛されているウイグル料理は、ラグメンだそうである。
ウイグル人にとってのラグメンは、イタリア人にとってのピッツァみたいなものだと、私は推測します。
ラグメンは、羊肉のこま切れや野菜を炒めて、茹でたうどんにかけた料理である。
味の決め手はトマト。安価で美味しくて、野菜も食べられるので、私も大好きになった。

食堂でラグメンを食べるウイグル人を観察したところ、麺と具を箸で食べ尽くしたあと、皿を持ち上げて、残った汁を最後の一滴まで飲み干すのが、彼らの流儀のようだった。
あの大きくて浅い平皿を持ち上げて口をつけ、こぼれないように傾けながら、底に残った汁を飲み干すのなんて、ウイグル人ってスゴイ。
私にはとてもできない。肉や野菜のエキスが出ていて、美味しいに違いないけど・・・。

ラグメンも美味しいが、ポロはその上を行くと、私は個人的に思う。
ポロはピラフの一種である。
羊肉のぶつ切りを人参の千切りや玉ねぎと一緒に炒め、出た汁に水を足して、米を炊く。
具は途中で取り出しておき、炊き上がったごはんの上にのっけて食べる。
羊肉のかたまりを使うため、ラグメンよりは高級だが、その分ボリュームと満足感があるのだ。

私が初めてポロを食べたのは、カシュガル郊外のバザールに出ていた屋台だった。
給食用の鍋みたいな、巨大な鍋がふたつ置いてあって、ひとつには羊肉の煮込みが、もうひとつには羊の油でテカテカ光ったご飯が入っている。
注文すると、鍋の後ろに仁王立ちしている体格のいいおじさんが、丼に景気よくよそってくれる。
おじさんの背後には、木の板でこしらえた簡易テーブルとベンチで客席がしつらえてあり、地元の家族連れがせっせとポロを掻き込んでいる。
私たちも隅っこに腰を下ろして仲間入りをする。
丼にてんこ盛りのそのポロを、私は余さず平らげた。
だって私の好みにぴったりの味だったんですもの。
よく煮込んであって、口の中でとろける羊肉には、ほのかな甘みがある。
羊の出汁で炊いたご飯も、いい感じに脂っこくてステキ。
口の中が脂っこくなりすぎたら、お茶で口直し。
ヤカンに入ったお茶(ジャスミンティーっぽい味と香り)は飲み放題である。
お茶はどこの店でもたいてい、無料で飲み放題だ。
本当は、冷えたビールがあればもっと嬉しいのだが、そんなことを口に出すわけにはいかないので、大人しくお茶を啜る。

カシュガル最後の夜に食べたカワプ(ケバブのこと)も、忘れられない味だ。
街のいたるところにあるカワプ屋の前は、いつ通っても、忍者の煙幕のような白い煙が充満している。
店先の路上で、炭火のグリルに串を並べて焼き、その背後に巨大な扇風機を配置して、通行人に向けて煙と肉の焼ける匂いを拡散させるのが彼らのやり方だ。
そんなことされたら、つい引き寄せられて、店に入っちゃう・・・。
私が入った店は、狭いけど大盛況だった。
ヨーグルトやスパイスにマリネしてから焼くタイプのカワプを3串と、ナン1枚を注文して、焼きあがるまで他の客の食事風景を観察する。
彼らは太くて長い金串を口元に運び、よく焼けたかたまり肉をじかに歯で食いちぎっていた。
さすが遊牧民である。
私はナンで串を包み込むようにして、ナンごとお肉を串から引き抜いたのち、ちぎったナンで肉を包んで食べる方式をとった。
このお肉が汁気たっぷりで、柔らかくて、臭みがなくて、焼き具合も味付けも絶妙だった。
中国旅行中に食べたもので、一番美味しかったのは、このカワプかもしれない・・・。

私がはるばるウイグル自治区まで旅することは、おそらくもうないだろう。
つまりカシュガルの、このお店のカワプを食べることは、もう二度とない。
だからこれは私にとって、幻のカワプなのである。


幻のカワプ・・・


ウルムチのカワプ屋さん


カシュガルのポロ屋さんで食べたポロ


カシュガルの屋台村(?)で食べたサモサ。中身の羊肉が見えるよう、ちょっと外皮をちぎってみた。わかりにくいけど・・・


かわいいナン屋さん


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中国旅行(5) ウイグル自治区の印象

2012-07-14 18:36:54 | ウイグル・中国

民族衣装姿の、ウイグル人の美少女



「中国旅行(1) あらまし」で書いたように、私の中国旅行の主目的は、ウイグル自治区でウイグル人の暮らしぶりを観察することだった。
上海のインパクトがあまりに強かったため、そちらのほうは幾分かすんでしまったことは否めないが・・・。

「ウイグル人の印象は?」と聞かれたら、「見かけはトルコ人みたいなのに、お箸を使って食事をし、ウイグル語と中国語を話す人たち」と、私は答えるだろう。
トルコ系の民族だけあって、ウイグル人の顔立ち、体型、行動パターン、生活習慣などは、かなりトルコ人に近いように思えた。
だから、ウイグル文化を目の当たりにしても、トルコで数ヶ月暮らした経験のある私にとって、特に新鮮な驚きはなかったといえる。
ただ、彼らが箸を自在に操って麺類を食べている姿をみるにつけ、「ああっ、この人たち一見トルコ人なのに、箸使って食事してる~!」と不思議な気持ちになったものだ。
箸を使用する習慣は、中国支配の影響かもしれないけど。
ウイグル人が中国語を話すのは、もちろん学校で強制的に習わされるからである。
だから、ウイグル人はみんなバイリンガル。
英語を話せる人は少ないので、私が外国人だとわかると、みんなこう聞くのだった。
「中国語は話せますか?」
話せません。


ウイグル人男性は民族衣装ではなく、普通の洋服を着ているが、緑色のウイグル帽をかぶっているのが特徴的だ。
おかげで中国の他の都市で見かけても、「あ、この人ウイグル人だ!」とすぐわかる。
女性はというと、サイケデリックな模様の、極彩色の民族衣装を身につけている人をたまに見かけたが、たぶんお祝い事の時だけ着るのだろう。
普段は男性と同様、洋服を着て過ごしているようだ。
ヒジャーブで髪を被っている人は少ないが、中には髪だけではなくて、頭部全体をすっぽり被っている人もいて、多様である。

ウイグル自治区には、漢人も大勢住んでいる。
これは中国政府による、自治区への漢民族入植政策の結果である。
カシュガルはいまだにウイグル色が濃厚だが、それでも漢人の姿はいたるところで見かけたし、ウルムチにいたっては、入植があまりにも進んでいて、ウイグル人は狭いウイグル人地区に追いやられてしまった、というかんじだった。
漢人とウイグル人の衝突を警戒してか(あるいは、ウイグル人の独立運動を取り締まるためか)、警察のパトロール隊がいたるところで目についたし、ウルムチ・カシュガル間の国内線では、セキュリティチェックが異様に厳重だった。

カシュガルに到着した日、夜中の2時頃、誰かがホテルのドアを激しくノックする音で目を覚ました。
ぐっすり眠り込んでいるところを起こされて、何がなんだか分からない状態でドアを開けたら、そこには警官が数人立っていた。
早口の中国語で何か言っている。よくわからないが、どうやら身分証明書を見せろと言っているようなので、パスポートを渡した。
受け取った警官は、こちらが外国人だとわかって当惑した様子で(外国人が泊まるようなホテルじゃなかったので)、パスポートをめくりながら、どこかへ携帯で問い合わせていたが、結局無罪放免という結論になったようで、パスポートを返して立ち去った。
ドアを閉めて様子を伺っていると、彼らはほかの部屋のドアをひとつひとつ叩いて、泊まり客の身分証明書をチェックしているようだった。
やがて廊下に甲高い叫び声が響き渡ったので、ドアを開けて覗いてみると、寝ているところを起こされて憤懣やるかたない、といった風情の若いウイグル人女性が、警官に食ってかかっている。
どうなるか気を揉んだが、警官たちはあまり相手にせず、あっさり別の階へ移動していった。
あたりがすっかり静まったあとも、私はしばらく眠れなかった。
あれは一体なんだったのだろう。



人民公園をパトロールする警官たち




ウイグル人はこのまま、自治区とは名ばかりの漢人支配地域の、そのまた片隅に追いやられて、ひっそり暮らすしかないのだろうか?

中国からの独立は彼らの悲願だろうが、その日は一生こない、と私は思う。
ウイグルやチベットが中国からの独立を果たす日、それは中国崩壊の日である。つまり、ほとんどありえない。
しかし、いずれ中国全体で民主化運動が盛んになり、その波にのって、ウイグル人もより多くの権利を手にする可能性はある。
これがおそらく彼らにとって、最良のシナリオだろう。

ウイグル人自身は漢人による支配をどう思っているのか、自分たちの民族の将来についてどう考えているのか。
語学力不足のせいで質問できなかったのが、とっても心残りである。


顔を完全に被ったウイグル女性



郊外のバザールで、羊を売る男たち



民家のドア



アパック・ホジャの霊廟 中央アジアっぽい骨太な建築



羊肉屋



写真は全部カシュガルで撮影したものです。

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中国旅行(4) 老西門の小食堂での癒しのひととき

2012-06-17 23:19:14 | ウイグル・中国

魚の形のお皿にのったホイコウロウ



上海に滞在した3日間(旅の初日と、最後の2日間)、私は毎晩宿の2軒隣りの大衆食堂でごはんを食べていた。
この食堂は狭苦しくて、庶民的で、しかも料理が美味しいので、私の好みにぴったりだった。女将さんはすぐに私を覚えてくれ(外国人観光客なんて、めったに来ないせいだと推測される)、初日に冷たいビールを注文すると、その次からは「ビールください」と言っただけで、冷たいやつを出してくれるようになった。

話はそれるが、中国ではビールを室温で飲むのが普通らしく、「冷たいビールが欲しい!」と主張しないと、ぬるいものが出てくることが多い。むろん室温で飲むほうが身体にはいいだろうが、しょせんアルコールなんだし、身体に悪くてもいいから、思いっきり冷やしたやつが飲みたい。ぬるいビールと冷たい赤ワインには、できるだけ関わらずに生きていきたい、というのが、私のささやかな願いなのだ。

1日目はスパイスがいっぱい入った魚のスープを、あとの2日間はホイコウロウと、揚げナスのあんかけ鍋をそれぞれ食べた。どれもとても美味しかったが、ナスのあんかけは非常に熱かったので、舌を火傷した。私は猫舌なので、普段はあんかけ料理を避けるようにしているのだが、この時はメニュー(もちろん英語や日本語のメニューなんてない)の中国語を解読するのが面倒だったので、適当に指差して頼んだら、これが来てしまったのだ。火傷するかも、とびくびくしながら食べたら、やっぱり火傷した。でもナス大好きだし、美味しかったからいいの。

この店では、料理をするのも、給仕をするのも女性であった。
最終日、一人で食事をする私の様子を、壁にもたれて休憩しながら眺めていた、調理係兼給仕係の小太りの女性が、私の手の指がひび割れだらけなのに気がつき、「どうしたのこれ?何の病気?!」と叫んで、気の毒そうにマユをしかめた。それを聞いて、もう一人の給仕の女性もやってきて、「どれどれ」と私の手を取り、仔細に観察した。

私は慢性的なアトピー体質なのだが、特にこの時期、手の荒れがひどかったのだ(今も全然治ってないが)。両手の指や手の平がやたらに乾燥して痒くなり、ステロイドの塗り薬の副作用で皮膚が薄くなったせいもあって、指のところどころがひび割れて、パックリと傷口が開いていたのである。

「小さい頃からアトピー体質で、手が乾燥して荒れているけど、大したことないから気にしないで~」と言いたかったが、そんなことを中国語で説明できるわけがない。途方にくれて首をかしげている私を前にして、二人は大声でなにやら相談し始め、やがて最初の女性が、なにか透明な液体の入ったビンを取ってきて、「これが効くから」というようなことを言って、その中身を私の両手にパシャパシャと振りかけた。匂いから察するに、どうやらそれはお酢だったようだ。さすが医食同源の国(?)である。酢をふりかけられた手は、最初鋭く痛み、その後やたらに痒くなったが、しばらくしたら収まった。旅先で思いがけず遭遇した、この素朴でストレートな親切に胸を打たれ、私は半ばウットリしながら残りのナスを食べ、ビールを飲み干した。

彼女たちにお礼を言い、別れの挨拶をしてホステルに戻ったら、フロントの陽気な男の子に、「You smell vinegar(あなたは酢の匂いがする)」と言われたので、自分でも両手の匂いを嗅いでみると、確かにお酢の匂いがプンプンしていた。「酢の匂いのする女」って、小説のタイトルみたい・・・コメディーの。

翌日には手の皮膚が乾燥してポロポロ剥がれてきたが、パックリ開いていた傷口は、ほぼふさがっていた。お酢療法のおかげかもしれない。数日後には、また開いてしまったが。自分でもう一度試してみようか、とも思うが、私は基本的に民間療法を信用しない質なので、どうも気がのらない。

いつかまた上海に行って、また老西門のあの小食堂でご飯を食べたい。
そして、全身にパチャパチャとお酢をふりかけて欲しい(うそ)・・・
その日までは、とりあえず西洋医学の世話になろうっと。


サントリービールの中国バージョン。プラスチックのコップがイカすでしょ。

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