外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

日付不明まとめ書き日記 2012年2月

2012-02-27 01:56:22 | 日記


2月某日
節分なので、夕方、墨染の藤森神社の追儺祭を見に行く。
地元の有志による雅楽や舞踊が披露された後、人形(ひとがた)が焼かれ、鬼が登場して豆まきが開始される。周りは近所の子供だらけで、ぎっしりと舞台を取り囲んで楽しそうに声を上げている。こういう地元参加型の行事は楽しいけれど、魂を揺さぶられるほどではなかったな、と帰りの電車でふと思ってから、「そうか、私は今、魂を揺さぶられたいのか!」と気がついた。魂をゆさゆさと揺さぶる行事といえば・・・やっぱり奈良の東大寺のお水取りだろうか?それともフラメンコのコンサート?

2月某日
近所のガード下の猫溜まりに行って、キャットフードをあげる。
4匹ほど集まってくるが、目のつり上がった不吉な容貌の三毛猫が、エサを独り占めしてしまう。2,3箇所に分けて撒いてみたが、ミケを怖がって他の猫が食べにいけないので意味がなかった。私が近づくと、ミケがシャーッと威嚇してくるので激怒して、「ちょっとアンタ、なんで独り占めするのん?!他のヒトたちにも食べさしてあげなさい!!」と責めると、素知らぬ顔をして、後ろ足で耳の後ろを掻き始める。「あんたたちもじっとしてないで戦わんかい!」と他の猫を叱咤するが、効果はなかった。このミケをバッシャールと命名することにする(バッシャールとは、シリアの大統領の名前)。

2月某日
家の2階へ続く狭くて急な階段を、両手を付いて登りながら、「よつあし、よつあし、よ~つあし~」と即興の歌を歌う。題名は「四足で階段を上るときの歌」である。

2月某日
久しぶりに電車に乗って、京都駅に行く。
「suvaco」の食料品コーナーのお酒売り場を観光していたら、ビールや白ワインと並んで赤ワインまで冷やしてあるのに気づき、つい気色ばむ。私は冷やした赤ワインを見ると、条件反射で戦闘態勢に入ってしまうのだ。しかしよく見るとその脇には、カップ入りの日本酒や、ポケットウイスキーなども置いてある。瓶入りのウイスキーを冷蔵コーナーに置いている店を見るのは、生まれて初めてである。・・・きっと、他にスペースがなかったんだな、じゃあしょうがないか・・・と許してあげることにして、急いでその場を離れる。

2月某日
餃子の皮と挽肉とキャベツを買ってきて、餃子を作る。
つぶしたニンニクとニラも入れて具を作り、皮でてきとーに包む。1人で餃子を作るのはこれが初めてだが、大変気分が盛り上がり、「わあ、ちゃんと餃子らしくヒダが出来てる、アタシってすご~い」などと騒ぎながら作った。実際には幼稚園児の泥遊びのような、稚拙な出来なのだが、他人の目がないので全然気にならない。結局、餃子の皮32枚入りパックを使い切ってしまった。3分の1だけ晩御飯に食べ、余りは冷凍することにする。この、「作りすぎた餃子を冷凍する」という作業が、「賢い主婦」っぽくてカッコイイ!と、また気分が高揚してしまう。

2月某日
餃子を作ったときに余分につぶしたニンニクを、ビンに入れて冷蔵庫に入れておいたが、今日見たら緑色に変化していたので、ショックを受ける。まるで生まれたての宇宙人の肌のような、鮮やかな緑色だったのだ。匂いをかごうかどうしようか少しの間迷ったが、結局やめて、生ゴミ入れに廃棄する。

2月某日
ピタパンを焼いた。
ピーターパンがピタパンを焼いた・・・おやじなダジャレ。
私がパンを焼く理由は2つある。(1)ピタパンは近所のパン屋には売られていない。(2)パン類は基本的に、自分で焼いたほうが安上がり。
しかし、つい全粒粉などを買ってしまったので、コストは結局あまり安くなかった。
ドライイーストを使い、発酵させたりこねたり、計3時間半費やして作ったわりにあまり膨らまず、一見せんべいのような冴えない出来に終わった。それでもボールや台を片付けたあと、お正月のようなすがすがしい気分になった。あたりにはパンの焼ける良い匂いが、ほわほわと立ち込めている。

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ラッテ・ルネッサンス

2012-02-19 23:18:07 | 日記


以前このブログで、「ラテの金縛り」というタイトルの下に、日本における「ラテ」関連商品の繁栄ぶりと、それに対する私の心の葛藤を書いた。イタリア語で牛乳を意味する語である“latte”は、“ラッテ”と発音するのが正しく、イタリア長期滞在経験者として、私はラとテの間に「ッ」が入っていない商品を買うことができないのだ、と。

それを読んだ友達がメールで教えてくれたところによると、森永乳業によるJRの車内広告には、「ラテは牛乳でラテになる」というキャッチコピーがあったんだそうな。「ラテ」がイタリア語の「ラッテ=牛乳」の日本語訛りだと考えると、この文は「牛乳は牛乳で牛乳になる」という意味になるのだが・・・くらくらくら。その友達は、「ラテ族の味の決めては牛乳なのだという、森永乳業の矜持は感じるけれど、しばらく頭の中がTVクイズ番組のようになっちゃった」と書いていた。

試みにネットで検索したら、ウィキペディアには「カフェラッテ」という項目がちゃんと存在した。それによると、森永乳業は1991年に「カフェラッテ」を登録商標にしたそうである。つまり最初はきちんと「ッ」が存在していたのに、おそらくスタバなんかの進出のせいで、アメリカ式の「ラテ」地獄に引きずり込まれてしまったようだ。スターバックスコーヒーがイスラエルの手先であり、シオニズムの先鋒だと知ってからは、なるべく関わらないようにしていたが、避ける理由がまたひとつ増えてしまった・・・。

そんな私のストレスを一気にカタルシスへと導く事件(大げさやって)が先日起こった。
ふふっ、スーパーのラテ関連商品コーナーを通りかかったとき見つけたのだ、
「NESCAFE カフェラッテ」を!
抹茶ラテだのキャラメルラテだのラテマキアートだのといった、うろんな商品群の間で、かぐや姫のように眩しく輝くこの宝物を(だから大げさやっちゅうねん)、私はまるで竹取の翁のように大事に手に取り、家へ連れて帰りましたとさ。まだ飲んでないけどね。別に飲みたくないもん。
とにかく、ネスレ日本社の勇気に他社が続いて、ラッテ・ルネッサンス(ラッテの復興)が実現するのを切に願っています。ロッテ社あたりはどうだろう?「ロッテ・ラッテ・買って!」てな感じで・・・新製品開発会議でこんなこと言ったら、チョコパイ投げつけられそう。

ところで、牛乳→ミルク→オ・レ(またはオーレ)→ラテ(またはラッテ)という流れは、一体どこまで行くのだろう。次に来るのは、スペイン語の「レチェ」?アラビア語で牛乳は「ハリーブ」なのだが、これはどうだろうか。「抹茶ハリーブ」「キャラメル・ハリーブ」「ショコラ・ハリーブ」・・・・・・ううん、どうも駄目っぽいな。
コメント (2)
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サマル先生の思い出~期末テスト・後編~

2012-02-13 02:05:33 | イタリア
「猫背」バッジ



アラビア語の試験当日、私が教室に入って、空いている席に座ろうとすると、複数のクラスメートから「ミーテ(アラビア語のクラスでは、私はこう呼ばれていた)、私の隣りに座って!」「いや、ミーテは僕の隣りだ!」とお声がかかる。当時私は優等生で通っており(アラビア語学習に全身全霊を傾けていたので)、テスト当日だけ急に人気者になるのだった。席に着くと、「ほら、僕はカンペを作ってきたんだ」と、後ろの席の男の子が小さな紙切れを見せてくれる。小さな文字がびっしり書かれていて、なかなかの力作のようだったが、私には判読不明だった。

問題用紙が配られ、試験が開始される。
監督はサマルとベッティーニ先生である。サマルがあらかじめ予告した問題ばかりなので、私はスムーズに書き進めるが、勉強してこなかった子達は慌てて、「これなんだっけ?!」とか質問しあっている。私にも、「ミーテ、ミーテ、ここの答えはなに?」と、しょっちゅう小声で質問が飛んでくるので忙しい。ささやき声のイタリア語を聞き取るのは難しいので、先生の目を気にしつつ、何度も聞き返す羽目になる。また、周りの子たちが答案を覗き込んでくるので、読みやすい大きな字で答えを書いてあげないといけない。

見渡すと、半分以上の生徒がカンペを使っていた。あまり露骨にやるとカンペを取り上げられ、一番前の席に移動させられて、監視を受ける憂き目に合うが、サマルとベッティーニ先生は基本的に生徒に甘いので、退場させたり、処罰したりはしない。2人で和やかに談笑しながら、暖かな目で生徒を見守っている。

参考までにいうと、英語科の試験はこんなにユルくない。
イギリス人やアメリカ人の先生たちが総出で試験会場をぐるぐる巡回し、イーグルのような目でチェックするのだ。席はひとつ置きに座らされ、私語は厳禁。
試験監督主任の先生は、テスト開始前にこう宣言する。
「我々はアングロサクソン流でやります。イタリア人の先生がたはカンニングに甘いですが、我々は容赦しません。カンニングを発見したら即刻追放し、受験資格を剥奪します。それでもやりたければ、やりたまえ」


アラビア語の試験結果の発表のとき、私はいつも不思議だった。
いくら試験問題を事前に教えてもらっているにしても、そして試験中カンペをこっそり見ているにしても、基本中の基本単語さえ覚えていない子達が、満点近い点をとっているのは、なぜ?

ある日の授業中の雑談で、その疑問が解けた。

試験の話題がでたとき、サマルが告白したのだ。
「私は自分の生徒たちを深~く愛してるの。どんなに愛してるか、きっとあなたたちには想像もできないくらい・・・。あまりに深く愛しているので、試験の採点をしているときに小さなミスを見つけたら、自分で修正してしまうくらいです」
どういう意味かさっぱり理解できず、私たちはビクターの犬のように首をかしげて、サマルを見つめた。
サマルは言葉を続ける。
「つまりね、少しくらいの間違いだったら、私がその生徒の筆蹟を真似して、こっそりペンで修正して正答にしちゃうのよ。そのために私は、いろんな色のペンを20本くらい用意しています」そう言いながら愛用の黒い革カバンを開けて、ペンの束を取り出す。イタリア人の生徒は、思い思いの色のボールペンで答案用紙に記入するのだ。

私はあっけにとられ、照れたように微笑んでいるサマルを凝視した。
・・・そこまでするのか、サマル?!
生徒のミスをこっそり修正して正答にしてしまう先生って、ありなのか?そんな話はいままで聞いたことがない。
私はすっかり呆れていたが、他の生徒たちはうっすらと感動したような面持ちで、黙って話を聞いていた。おいおい、ここは感動するところじゃないぞ、と私は心の中で突っ込む。

サマルはかくのごとく、比類なき教師だった。シリアでも、彼女のような教師にはついぞ出会ったためしがない。あの人は一属一種の特殊な生物なのだと思う。フィレンツェ大学を自主退学して以来、彼女には会っていないし、連絡すら取っていない。サマルはいつも、「あなたは遠い国からやってきた大切なお客様だから」と言って、なにかと目をかけてくれたのに、ずいぶんと恩知らずな話である。あんなに一生懸命教えてくれたイアラーブも、今ではもうすっかり忘れてしまった。ごめんね、サマル!でもやっぱりイアラーブは、何の役にも立たない無駄な学問だと思うぞ・・・


サマルとイタリア人の生徒たちの逸話は尽きないけれど、「サマル先生の思い出」シリーズは一応これで終了です。読んでくれた人、ありがとう。
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サマル先生の思い出~期末テスト・前編~

2012-02-11 03:37:47 | イタリア
雪の日のうさこちゃん(またの名をミッフィーちゃん)、両脇にはエジプトのビールと、アラクという透明な強いお酒



イタリアの大学では通常年2回、前期と後期の終わりに試験がある。日本の大学と違って、筆記試験よりも口頭の面接試験のほうが一般的だが、アラビア語講座は語学学習という性質上、毎回筆記試験のみであった。私は2年生の終わりに自主退学したので、アラビア語のテストを計4回受けたことになる。

サマルの作るテストは、ムツカシイのか簡単なのか、微妙なところだった。

難しいといえば、難しい。なにしろ問題数が多かった。全部解くのに、2時間くらいかかるのだ。私は体力も気力もあまりないので、いつも途中で疲れてしまい、時々机に突っ伏して、休憩していた。設問自体は毎回ほぼ同じで、穴埋めとか、同義語や反意語、動詞の活用表の作成、アラビア語からイタリア語への訳やその逆、そして「イアラーブ」と呼ばれる文法解析や、「イムラー」と呼ばれる書き取りなどであった。この「イアラーブ」と「イムラー」が曲者であった。

「イアラーブ」というのは、文を単語レベルまで分解して、各単語の文法的な働きを専門的なアラビア語で説明する学問で、アラビア語の文法学習に固有のものである。要するに、「難解な文法用語ばっかりの、古代の呪文みたいなアラビア語の文を、何も考えずに無理やり丸暗記して書く」ことだと思って頂ければ間違いがない。サマルはこのイアラーブに固執していて、毎回必ず出題していたが、生徒たちの方はこれを忌み嫌っていた。イアラーブが好きな外国人学習者は、少し頭がおかしいと思う。私はわりと好きだったけど。
「イムラー」の方は、単なる書き取りである。先生が読み上げる文章を聞き取って、白紙に書きとっていく。アラビア語には似たような発音の子音が多く、慣れない人間にとって、その聞き分けは容易ではない。

このように、一筋縄ではいかないサマルのテストだったが、そのわりには、高得点をマークする子が大勢いて、落第する子(30点満点で、17点以下が落第)は滅多にいなかった。
なぜならそれは、サマルがあらかじめ、出題する予定の問題をほとんど全部教えてくれたからだ。イアラーブについては、5例ほど黒板に書き、このうち2つが出るから、覚えてくるようにと言ってくれた。イムラーのほうも、出題候補の文章のプリントを2枚渡してくれた。どちらか片方が出るから、両方覚えておけば間違いがない。

「こうしてテスト問題を教えてあげるのは、私があなたたちを深~く愛してるからなのよ。ほんとはダメなんだけどね」とサマルは言い、人差し指をくちびるに当てるのだった。
「これはベッティーニ先生には内緒よ!」 ベッティーニ先生は、アラビア語学科の主任教授で、活火山のように気性の激しい女性である。私たちは声を揃えて、「ハイハイ、もちろん内緒にします!」と頷くのだった。

そんなわけでサマルのテストは、地道に暗記さえしておけば、とても簡単なのだった。

しかしイタリアの大学の試験は厳しい。
短期間に数多くの科目を受験する必要があるし、1日に2,3科目の試験が重なることもある。また、授業内容以外に、課題として本を2冊ほど読ませる先生も多い。
時間は有限である。面接試験では誤魔化しが効かないが、筆記試験ではカンニングという手がある・・・というわけで、アラビア語の試験では、カンニングが花ざかりなのだった。
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