箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

子どもは、好きな人からしか学ばない

2018年04月30日 08時33分17秒 | 教育・子育てあれこれ





自宅近くの川の水面に今にも届きそうな藤の花を見て、ふと思い出しました。

中学生のとき、国語で習った短歌を。

「瓶にさす藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり」(正岡子規)


机の上の花瓶にさした藤の花は美しいのだが、垂れ下がっている花房が短く、もう少しのところで畳の上に届かないのだ。

こんな意味でしょうか。当時、正岡子規は結核を患い、寝たきりでした。藤の花房の短さは子規の命を表していると、国語の先生から聞きました。

このように、たまたま藤の花を見て、中学時代に習ったことを思い出します。

中学時代の学習が血となり、肉となり、私の中に染み込んでいるのです。これが教養というものかもしれません。

中学時代の学習がいかに大切であるかを、あらためて実感します。

「なぜ勉強しなければならないの」と、もし中学生に問われたら、私は冒頭のような経験を話すかもしれせん。

しかしながら、私が教養で満ちているかといえば、そんなことはありません。

中学生のとき、習ったことで忘れていることもあります。


それよりも、私がいいたいのは、中学生は、「なにを学ぶかよりも、誰から学ぶかの方が大切である」ということなのです。

中学生のとき、私に国語の短歌を教えてくれた先生は、初任2年目の若い女の先生でした。

教職経験が短いので、至らない点もありましたが、その先生は一生けんめいに教えてくださいました。

国語の世界を、自分の感情を込めて、ていねいに伝えてくださいました。

私はそんな一生けんめいな先生に惹かれ、国語が好きで、短歌の学習が好きでした。

だからこそ、藤の花を見ただけで、40年以上たっても、当時習った短歌が鮮やかに蘇ってくるのです。

そこで、次のことが言えると思います。

子どもは、好きな人からしか学ばない。

三中の生徒たちも、「この先生が好き。だからこの先生の授業が好き」という教師と出会ってほしいと、私は願うのです。