いまの生徒たちは、グループのどこかに所属して、そこからはみ出したくないと思う傾向があるということは、以前にも何回か述べています。
そして、自分の意向よりも、グループの「こうしよう」というきめごとを優先しがちです。
自分だけが、グループの方向に異を唱えるのにはかなりの勇気がいります。
グループ内の「同調圧力」が強いからです、
自分の本音を言って、「何、この子」と思われないように気を遣っている程度は、保護者の方の中学生時代の比ではありません。
とくに、友だち関係が新しくなる今頃の時期は、それで疲れている生徒も多いのではないかと思います。
ためしに、お子さんに友だちづきあいについて、尋ねてみてください。
「疲れている」と答える子も多いと想像します。
しかし、この「同調圧力」の問題は、子どもの世界だけではありません。大人も同じです。
子どもの世界の問題は、大人社会の反映です。
こんな話があります。
ある女性は、やりがいのある仕事に従事し、充実した毎日を過ごしています。
しかし、この女性にはある悩みがあります。
その職場には同年齢の仲良し女子4人グループがあります。
4人はランチを一緒にする機会が多いのですが、このグループでは、週末も一緒に行動することが多く、「みんなで映画を観に行こう」となります。
この女性は、職場では一緒にいたいけど、休みの日までいたいわけではない。
「今週は忙しかったので、家でゆっくりしたいな」と思っても、グループの決定に従ってしまいます。
イヤイヤ行くので、心から楽しめず、一人だけ機嫌が悪くなってしまうのです。
グループに従うは、人一倍他者の心理を気にします。そして、自分の感情よりも相手からどう思われるかを気にしてしまいます。
「空気を読む」のはたいへんです。生徒のグループの場合は、「空気を読まない」ことがきっかけとなり、いじめが始まることもあります。
ただし、私の経験上言います。
中学生の場合は、一定程度、クラス集団が成長してくると、仲間関係が広がり、グループの意向の圧力は小さくなってきます。
一人ひとりが自立に向かうからです。
「あんな雲はなければいい。
何気なく言ったひとことに
傷ついているだれかがいる
教室の片隅で」
これは、「あの空」の歌詞の一部です。
いま、音楽の時間に、ふたたび、この曲のコーラスをしています。1年生も歌いながら、歌詞の意味を考えています。
実際の「あの空」を聴いてください。クリックすると映像に切り替わります。
「あの空」コーラス視聴
それでも、いじめは起こりえます。
しかし、取り組むことで、いじめが起こっても、深刻な事態になりにくいのです。
あの子はあの子。私は私。違っているからこそクラスなんだ。こう思い、お互いを尊重しあえる仲間関係を育んでいきたい。
「いじめZERO」活動には、こんな思いを託しているのです。