4月1日を迎え、学校は平成30年度に入りました。
3月26日には
「世の中に 絶えて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし」
という歌を引き合いに、いつ満開になるかと書きました。
しかし、早くも三中の桜が散りはじめています。
残念ながら入学式には散ってしまっているでしょう。
昨年、一昨年と入学式には、残っていて、新入生を桜の花とともに迎えることができましたが、今年は望めそうにありません。
ひさかたの 光のどけき 春の日に
しず心なく 花の散るらむ (紀 友則)
いまは、こんな気分です。
日の光が のどかに降り注ぐ春の日なのに、
なぜ桜の花は散ってしまうのだろうか。
わたしは、この歌を中学生のとき習い、春の情景を思い、「本当にそうだなあ」と感じたことを思い出します。
この歌が詠まれたのが900年ごろだとすれば、1000年以上も、その歌に託した人の思いが残っているのです。
このように考えると、すごいことだとしみじみと感じます。
そういえば、映画「ちはやふる 結び」でも、セリフの中にありました。
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか (壬生 忠見)
これと、対になるのが・・・
しのぶれど 色に出にけり わが恋は
ものや思うと 人の問うまで (平兼盛)
恋の歌が1000年以上たった今でも、人々に共感されている。
では、私たちは、1000年先に何を残すことができるだろうか。
このように、瑞沢高校かるた部の部員が、映画の中で言っていました。
そこで、私たち大人はこれから先を時代を生きる子どもたちに、何を残すことができるだろうかと、私は思いを巡らせます。