ダブダブ姐さんからの便りが届きました。
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三月はじめにお便りしたあと「東日本大震災」がおこりました。
胸が痛くなるような状況です。
そのとき和歌山沿岸にも大津波警報が発令されました。
串本でも養殖のいけすに被害が出ました。
串本町は、病院を高台に移転する計画を持っていますが、
町の中心は低地なので心配です。
警報が出たとき、我が家にはヘルパーさんが来ていて、
その方は海岸近くに住んでおられて、
母が早く帰るよう言っても、大丈夫といって
仕事を済ませて帰られたそうです。
みなさまいかがお過ごしですか?
Kさんの経歴
女学校に入れてもらったが、勉強について行けなくてやめた。
自分では工場に働きに行くといっていたが、
お姉さんの友達が「看護婦になれ、看護婦になれ」といった。
その人のきょうだいに女医さんがいて、
そこの病院(和歌山にあった)に見習いに行って、
看護婦になった。
看護婦になって、和泉砂川の保健所に勤めた。
尾崎の家から遠かったので住み込んだ。
そこに疎開してきている先生がいた。
婦人科の先生だった。
その先生について、帝王切開などの手術介助をした。
その先生が今度はまた「産婆になれ、産婆になれ、僕のところにこい」といわれた。
それで大阪市東区(行政区再編成で現在は大阪市中央区)にあるカシハラ病院に行った。
先生は隠居されて、息子さんがされていた。
カシハラ長光と書いてたけひろと読んだ。
そこで働きながら、学校へ通った。
緒方洪庵先生の学校で、その頃の校長は祐正(すけまさ)といったが、
学生たちは、ユウショウと呼んでいた。
緒方の学校には看護婦になるのと、産婆になるコースがあった。
また、院内生と院外生があって、
私は、カシハラ病院で働きながら、緒方に通う、院外生だった。
(2011年4月28日)
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追記
昭和8年の緒方病院院長・緒方助産婦学会会長・大阪府産婆会会長の名前として
「緒方祐將」さんというのが文献にありました。
「ユウショウ」さん、この人のことでしょうか?
代々よく似たお名前かもしれませんが。
文献
年報社会科学基礎論研究>第4号
出産の正常と異常をめぐるポリティックスと胎児の生命観(大出春江)
追記その2
緒方洪庵さんについてググってみました。
お子さんはたくさんおられたようですが、
医学に進んだ方はおられなかったのかな?
緒方洪庵ー緒方拙斎 (養子)明治20年緒方病院,22年大阪慈恵病院を設立した(明治44年没)ー緒方正清(養子)緒方病院の産婦人科長となり,35年大阪今橋に緒方婦人科病院を設立した。(大正8年没)
緒方病院は今「くりにっくおがた」という名で産婦人科病院として開業しているようです。
緒方洪庵さんの記念館もあるとか。