花、着物、時々ハンドメイド

ゆったりスローライフをめざしています
ぷららのblogが閉鎖されたので
2014年3月にお引っ越ししてきました

南禅寺金地院~京都東照宮

2024-10-29 19:36:48 | 歴史散歩サークル

6人でお出かけ。

蹴上駅下車、三条通と仁王門通合流地点の水力発電所の横を通って南禅寺へ。

日光東照宮が一番有名だけれど、

この金地院の東照宮は日光と並ぶ家康の遺言により作られた東照宮

建造されたのは秀忠の時代とのこと。

参拝順路に従い進んでいきます。

日光に比べると地味ですが家康の遺髪と念持仏が納められているとのこと。

天井画は狩野探幽作。

鳴き竜とのことですが、お堂の外で手をたたいても反応しません(当たり前だけど💦)。

壁に飾られた絵は土佐光起の三十六歌仙。その下は別の画家による複写?

明かりが無いので肉眼では真っ暗でよくわかりません。

カメラの威力、すごい。

ここを通り過ぎて方丈前の鶴亀の庭にむかいます。

開山堂。

扁額は後水尾天皇作。

金地院崇伝の塔所(お墓?)、

金地院崇伝は家康のブレーンで金地院中興の祖。

扁額の奥の間にこんな像。崇伝の像でしょうか?

扁額の両サイドに十六羅漢。

お堂に明かりが無いのでこれもまた肉眼ではよくわからないけれど

カメラを通すと見えてくる。不思議ですね。

次は方丈前の鶴亀の庭。

左側の亀島はわかりやすいし亀の頭のように見える石も置かれています。

右の鶴がよくわからない・・・。

スマホで検索したらこんな説明。

そう言われればそんな風にも見えますね。

私たちだけが拝観者になったとき、

庭の手入れをしていた人が手を休めて

いろいろ説明してくれました。

記念写真撮らせてと言ったら断られました・・・。

亀島の上の「しんぱく」、半分枯れて残った部分に葉が出ている。

「盆栽みたい」と言ったら元は盆栽だったんですよ、と。

しんぱくの樹齢800年以上、長寿を意味している。

鶴の方は子宝を意味しているなど。

ちなみにお手入れ、

しんぱくはへたにさわったら折れてしまうのでほったらかし、

台風などで折れるのも自然のままに。

 

襖絵なども拝観したかったのですが

公開時刻が都合悪くて残念でした。

ランチは南禅寺周辺はお値段がちょっと・・・。

バスで三条まで出て「がんこ」でお食事。

その後地下鉄で帰宅。

歩数は約5,000歩くらいかな?

 


知恩院へ

2024-04-15 12:24:51 | 歴史散歩サークル

14日、歴史散歩サークルで知恩院へお出かけ。

地下鉄降りて古川町の商店街を通っていきます。

以前はこの商店街が一つのスーパーマーケットのように何でも買えるところだったのに

いまはお店が減って旅館やホテル、マンションが多い通りになっています。

たぶん有名ですよね。白川の石橋。

このあと私も通ったんだけれど、橋の真ん中がすり減っていした。

水の流れを見ながら渡ったら自分もゆらゆら揺れているみたいで何だか船酔い気分。

山門に行く道すがら、親鸞上人旧御廟所

この場所にあると言うことで親鸞が法然の弟子だったことがうかがえる。

続いて解放戦士の碑があり、おまいりしてきました。

駒札にはこの土地は知恩院のご厚意で永代無償貸与されていると書かれていました。

次は宇治の山宣のお墓も行ってみたくなりました。

 

三門の所まで急な階段上がって一休み、

上がってから緩やかな階段があること、三門前から上の境内までのバスが出ていること発見。

その後、緩やか階段を登って境内へ。

ここでも一休み。ゆるやかとはいえきつい。

エレベーターかエスカレーターがあればうれしいのに。

知恩院は開宗850年、記念の法要が行われていました。

お堂に入って少しお経を聞きました。

「仏説阿弥陀経」の途中から入ったんだけれど、

宗派によってお経の読み方が違いますね。

大勢のお坊さんが集まっての法要。

法衣の色がいろいろ。位によって違うんでしょうね。

三門の横です。仏教大学建学之地ですって。

京都の大学は宗教絡んでいるところが多いよねって話になりました。

お天気がよく、新緑が美しい。

帰りに円山公園のいもぼうのお店でランチ。

このお店、入るのは初めてです。

落ち着いた個室に案内されました。

網代天井に襖絵、欄間もすてき。

テーブルは漆塗り?

海老芋のコロッケ御膳1,980円なり。

突き出しは昆布巻き、湯葉の刺身、あんかけの豆腐、などおなかがいっぱいになりました。

ご飯の後はぶらぶら石段下まで。

漢字博物館をのぞいたら祇園祭の辻回しの映像が流れていたのでそれを楽しみ、

帰りはバスを利用して地元まで。

約4,000歩くらいのお出かけとなりました。

 

 


輪違屋~2023京の夏の旅

2023-09-21 20:46:24 | 歴史散歩サークル

湿度の高い一日でした。

午前10時に駅で待ち合わせ、JR二条駅から丹波口へ。

そこから歩いて7分、の予定でしたが・・・

うっかり快速に乗ってしまって京都駅から引き返し。

駅構内から出ることはなかったので料金は一駅分です。

丹波口から千本通を南へ、スマホナビに頼りながらテクテク。

島原の大門を目指して歩いた先に輪違屋。

まずは入口前で記念写真。

自撮りがうまくできないので(近すぎて全員が入らない)、

同じく見学に来ていた男性3人組の方にお願いしました!

「べっぴんさんにとってね~」とメンバーが声かけしたら、ちょっと固まってました(笑)。

そちらの方にも男前に撮ってね、と言われてかわりばんこに写真の撮り合い。

入口に「観覧謝絶」の木札があって、帰ってから調べたら、

いわゆる「一見さんおことわり」の意味ですって。

ふだん御茶屋営業しているから見学お断りの意味かと思っていた。

入場料は800円。

輪違屋はふだんは非公開(営業しているんですよ)、少し暑い時期ですが、特別公開はチャンスです。

「京の夏の旅」ですから現地では要所要所にガイドがいて説明をしてくれます。

まずは「島原」という地名の由来。

江戸時代に東本願寺近辺にあった遊郭が現在地に移転させられたとき(1641年)、

忙しくドタバタの移転のありさまが

天草四郎の島原の乱(1637年~1638年)のように乱れたようすだったので

「島原}と言われるようになったとの説でした。

輪違屋はもともと置屋で「養花楼』という置屋だったけれど、

明治になって御茶屋になったとか。その時にお店の名前も輪違屋に変更したとのこと。

いまは置屋兼御茶屋。

江戸時代の当初の建物は一旦なくなって(火事かなあ?)今の建物はその後再建されたもの。

安政4年(1857年)というから今は2023年、古い建物ですね。

いまは京都市指定文化財になっています。

お店の歴史は元禄年間(1688~1704)からですって。

近藤勇の書の屏風。

正面の書が近藤勇。読みやすいきれいな字ですね。

ガラス越しに見た小さな庭。

右端の灯籠はキリシタン灯籠かお地蔵さんか?

この灯籠の右側にお茶室があるそうですが公開されてませんでした。

玄関入ってすぐの部屋の天井の模様もかわいい。

最近修復が行われて版木が残っていたのできれいに修復されたとの説明。

1階は写真を自由にとっていいけれど、階段と2階は写真不可。

有名な傘の間。

この部屋は二階の撮影不可の場所なので入場券をスキャンしました。

本物の傘が貼り付けれているからよく見てくださいねって言われました。

高島屋の「高」と同じ漢字が傘に書かれています。

軒丸瓦も同じものが。

お聞きしたところ、経営者が高橋さんで、今○○代目、そこは忘れてしまいました。

300年以上も営業が続いているってすごいですね。

2階には桂小五郎の書もあって大胆で力強いと思いました。

ちょうどお昼すぎたのでJRで二条まで引き返してやよい軒でお食事。

その後場所を移してモスバーガーの店でお茶。

いつものようにいっぱいおしゃべりして帰ってきたら3時過ぎになっていました。

今日の歩数は3,000歩強。歩数は伸びてないけれど、ダラダラ歩きのせいか疲れちゃいました。

今日の着物は江戸小紋切れ取り風ポリエステル単衣に博多の帯。

帯揚げは秋をイメージして御濃い茶風の深い緑色、帯揚げは茶色をセレクト。

帰ってすぐシャワー、着物は洗濯機に入れて丸洗い。

ポリエステルはこういう季節に助かります。


霊鑑寺へ

2023-03-29 21:10:28 | 歴史散歩サークル

いいお天気に恵まれたせいか、三条京阪の停留所は観光客で市バスが満員。

あきらめて京阪で丸太町に行ったら、ウソのように簡単にバスに乗れました。

 

白川通の錦林車庫辺りから東に入り坂道を登っていきます。

途中哲学の道を横切ったのですが・・・、

美しい桜とどっさりの観光客。

鹿ヶ谷の尼門跡寺院、霊鑑寺。

まずは階段下で記念写真。

今日は私含めて6人の参加。

谷の御所という別名の由来、今日はっきり確認。

京都市の駒札によると・・・

臨済宗南禅寺派の禅尼寺で、はじめ、南の鹿ヶ谷の渓流沿いに位置したため、

谷御所または鹿ヶ谷比丘尼御所と呼ばれている。

承応三年(1687年)に後水尾上皇が皇女・浄法身院宮宗澄を開祖として創建し、

荒廃していた如意寺の如意輪観音像と霊境を併せて祀ったことから霊鑑寺と名付けられた。

貞享四年(1687年)に、後西天皇の宮殿(今の書院・居間)を賜って現在地に移建された。

その後、代々皇女、皇孫女が住職となり、

明治二十三年(1890年)までは伏見宮の尼僧が門跡として在院した。

現在の本堂は、徳川幕府十一代将軍・徳川家斉の寄進で、

本尊の如意輪観音像の傍らの不動明王像は伝教大師の高弟・智証大師(円珍)の作といわれる。

御奈良・正親町・後水尾・後西天皇の震翰をはじめ、二百点におよび御所人形、

東福門院の十二単、歴代門跡の遺品など、皇室ゆかりの寺宝が多い。

境内には後水尾上皇遺愛の散り椿のほか、多数の名椿が植えられている。

このあたりの地名は鹿ヶ谷**町となっています。

拝観料をお支払いして順路に沿って進みます。

建物の入口、留め石ならぬ留め椿。

青竹を花器として、かわいい椿たち。

これ、覚えがあります。

前回来たのも同じ時期でした。

座敷に大きなお内裏様があったのも共通。

大きな花小さな花、さまざまな椿。

見て下さいな、私の手ぐらいの大きな花、ビックリです。

庭から一部建物の内部も入って三つ折れの御所人形(130㎝のお内裏様)も遠くから見学。

三つ折れというのは関節が動いて座らせたり、立たせたりできるお人形です。

その他、多くの御所人形や皇女達が使っていたお道具類も展示されていました。

建物内部は撮影禁止なので、紹介できないのが残念。

帰りは、哲学の道を若王子神社の所まで歩き、白川通に出て市バスを待ちます。

こんどもいっぱいの人で乗れない。

丸太町まで歩いて西向きのバスに乗り、市役所前で降りて、

遅めのランチは「がんこ二条苑高瀬川」。

2,000円くらいのお食事がこれ。

ちょっとずついろんなものが出て大満足でした。

この季節らしく、茶わん蒸しにもタケノコが入っていましたよ。

バス停でのバス待ちで疲れてしまいましたが、お食事で回復?

木屋町通から地下鉄駅に向かいます。

高瀬川にかかる桜も素敵。

霊鑑寺に椿を見に行ったんだけれど、

あちこちで満開の桜も見ることができて

大満足の一日でした。


修学院離宮へ

2022-10-05 21:04:28 | 歴史散歩サークル

友人たちとお出かけ。

総勢4人、車で行くことになり、少し早めに出発。

コイン駐車場に預けていざ見学へ。

これは入口、予約時間の20分前から受付なので、ベンチで待つことになりました。

案内の人がつき、そして一番後ろには皇宮警察の人がついて、

落ちこぼれのないように見てくれていましたよ。

修学院はそもそも後水尾上皇の別荘(離宮)として作られたところ。

中に入って最初の門。

花菱の透かしが入っています。

「寿月観」の入口。上皇は輿に乗って行きます。

輿が横付けできるようになっているとのこと。

輿を横付けする入口の反対側、東山に向かっての座敷。

東山を借景に月が昇るのを見ることができる。

上皇は御所から約6キロ輿に乗って移動、

さすがに疲れるので一旦この寿月観で休憩だったそうです。

一番手前の部屋、畳が一段高くなっているのが見えますか?

上皇の座るところですって。

さらに奥へ。

まずは馬車道。

両サイドに田んぼがあります。

山沿いなので棚田になっているんですが、それも含めての離宮なので、

宮内庁が買い上げて、米作りをお願いしているとのこと。

かつてはそのお米を皇居?で使ったこともあったそうですが、

今は作っている人に持ち帰ってもらっているとのこと。

馬車道は元は田んぼのあぜ道だったのですが、

明治天皇が来たときに道を広げて松並木にし

馬車が通れるようにしたので馬車道。

田んぼの上には凧が飛んでいました。

かかしがわりなんでしょうね。

ビックリしたのは下の方から見たら山があるだけなのに、

上まで行って見下ろしたらさまざまな庭園が作られていること。

この池は浴龍地。

真ん中の島が龍ではないか、

龍が水に潜っている感じでしょうか、との説明。

途中、密に刈られた生け垣があって、

一番上に登るまでこの池は見られないようになっています。

そして京都市内がよく見える。

よその人の後ろ姿が入ってしまいました。

長い緑が下鴨神社で、そのちょっと左の小さな緑が京都御所で、

と説明されましたが、カメラと撮影者の力不足でうまく撮れませんでした。

その後、池の方に降りていき、橋の説明。

この橋、右側は上皇の乗る鳳輦(天皇の正式な乗り物)のイメージで金色の屋根飾り(鳳凰?)が付き、

左側は座るところのある、橋だけれどあずまや風のものですって。

ここは通行できませんでした。

橋がつくまでは舟で島に渡るようになっていてここが船着き場。

足元に石でできた段々があります。

別の角度から。

この石に舟の綱を巻き付けたとか。

離宮ともなれば優雅ですねえ。

 

見ごたえのある庭園でした。

お天気は晴れでもなく雨でもなく、歩くのにはいい感じ。

ただし細かい砂利道の連続、足が疲れちゃいました。

 

帰りは久しぶりに新大石道の「再會」でお茶。

プリンとコーヒーのケーキセットで1300円。

甘さ控えめでしたがボリュームのあるプリンでした!

最後に記念写真。

今日は藍切れ取り模様の単衣に博多の帯。

10月だから袷の季節ですが、暑いし、お茶席でもないし、と単衣をチョイス。


蔵のネズミ

2022-06-08 19:07:45 | 歴史散歩サークル

先日見学に行った醍醐の歴史的建物。

元庄屋さんだった家にあった蔵で見たもの。

一つはネズミ返しと言ったら良さそうなもの。

正式な名前はわからないのだけれど。

ここが蔵の入口。

下の方に注目。

この溝に合わせて斜めに板をはめたらネズミが乗り越えられないんですって。

それと、扉の彫刻。

大工さんの遊び心かなとおっしゃっていたけれど、

扉のフレームにネズミの彫刻。

こちらは鮮明。ネズミが魚を食べている。

こちらはネズミが伏せているのかな?

蔵の入口にネズミの意匠。

多産から多くの財産?米蔵に住みついたりするから裕福の意味?

ネズミって金運アップの置物にも使われたりするようです。

そういう意味で彫刻されたのでしょうか?

さて、この蔵、火災時に中のもの(米とか家宝とか)を守るため、何枚にも重ねた扉がありました。

火事だ、と言うときには蔵の始末をしてから脱出なんですね。

 

財産を守ると言えば、大きなお寺には大事な書物などを収蔵した蔵のとなりに井戸がありました。お寺の財産と言えば経文などですね。

火事の時には書物を井戸に落として水に浸ける。

書物は墨で書かれているから水に滲まないとか。

 

それぞれの分野で、火事から財産を守る工夫があっておもしろい。

 

加筆

開運ネズミの置物の商品説明ににネズミがなぜ開運につながるのかが説明されていました。

https://www.kouyuu.co.jp/smp/item_htmls/6203/

 


醍醐の歴史的建物の見学(山田家、下村家)

2022-06-02 15:44:14 | 歴史散歩サークル

本日は醍醐寺ゆかりの歴史的建物の見学です。

山田家住宅は醍醐寺に勤めていた坊官(寺侍)の旧宅。

醍醐寺南門前にあります。

坊官とは、格式の高いお寺に勤めた事務方の武士。

お庭はちょうどサツキが終わった頃でしたが、緑が目に優しい。

ここを管理しておられる醍醐の歴史を学ぶ会の方の説明によると、

本来は枯山水、サツキはあとからのもの。

サツキがこんもりした右側が石組みの築山で亀を表す。

踏み石の先にちらっと見える三角の石が亀の頭。

踏み石が水の流れを表しているのかしら?

左の奥には石組みの瀧(水はないけれど)に見立てたものなどもあるのですが樹木に隠れていて見えません。

亀があれば鶴は?とお聞きしたのですが、よくわからないとのこと。

黒松があったけれど、枯れてしまったとの説明で、もしかしたらその松が鶴だったのかもしれませんね。

背景の木々が静かさを維持していますね。

けれど、本来はもう少し木の高さを低くして醍醐の山を借景にする設計だそうです。

こういう庭の管理って、プロに入ってもらうと非常にお金がかかりそうで、個人ではとっても難しそうです。

お座敷に座っていろいろ説明をしていただきました。

お座敷は風が通ってなんだか別世界みたいに涼しいのでビックリです。

日本家屋ってそうなのかなあ。

建物の中に表装された書があちこちに。

撮影OKと言ってもらいました。

私はこれが一番のお気に入り。

誰かの詩歌をこちらのご家族さんが展覧会用に書かれたものだそうです。

読めないけれど、すき。

 

山田家住宅では1時間くらいおじゃまして、次は下村家住宅。

個人のお宅ですが、ご縁があって見学させていただけることになりました。

下村家は醍醐寺黒門前。

幕末の大田垣蓮月さんが一時期住んでいたこともあるおうち。

大田垣蓮月さんは幕末の志士をかくまったりした歌人。

蓮月さんの短冊。

書が蓮月さんの書。

特徴的な字体です。

絵は別の人の作。男性と女性が踊っています。

富岡鉄斎さんの手紙も表装されていました。

よく見れば、切手と消印?そう言えば、鉄斎さんは明治、大正期を生きた人でした。

山城西加茂村神光院智満大和上殿、とありますね。

富岡鉄斎さんは蓮月さんのお世話をされた方だと聞いています。

Wikipediaによると蓮月さんは神光院茶所にて亡くなったとか。

そのご縁なんでしょうね。

さてさて、こちらは獣害被害のお話もありました。

昔の作りの家なので、自然石に柱を乗せていて床下がずっと見通せるのだけれど、

アライグマやハクビシンが出没して、床下で糞をしたり、庭の苔をめくったり、

があるので、床下の周辺に金網を張ったとか。

鹿が来て大事な花を食べてしまったりとか。

ご近所ではイノシシ用くらいの大きな罠檻を設置しているとか。

え、とビックリしたけれど、山裾の住宅だからあり得ますね。

捕まえたらどうするのか?

外来種だったら処分するけれど、もともといる動物だったら基本は山に放す。

う~ん、また来そうだなあ。

下村家住宅は庄屋のお屋敷?醍醐寺の寺領の農地を束ねる役割の家だったようです。

本来醍醐寺の寺領は南は六地蔵のあたり(巨椋池あたりかしら?)まであったという広大な寺院。

明治の廃仏毀釈の中で、寺領が大幅に狭められ、寺侍や田畑管理の庄屋などは失業。

もともとは境内地にあった屋敷も寺領外になってしまったとか。

 

歴史に浸った半日でした。


近江西教寺

2020-12-21 10:09:42 | 歴史散歩サークル

先日歴史散歩サークルで近江西教寺へのお出かけがありました。

私はちょこっと微熱でめまいがあったので大事をとって欠席しましたが、

友人が感想文を書いてくれたので、

新婦人の班ニュースに載せました。

記録として転載します。

*******************

小春日和の11月30日、光秀ゆかりの近江坂本西教寺を訪ねました。

京阪比叡山口駅から歩く事30分ほど、里坊、石垣(穴太衆積み)、日吉大社の鳥居、琵琶湖、皇帝ダリアを見ながら、西教寺に到着。

説得力ある光秀の展示館を見学後、西教寺の本堂へ。

西教寺は聖徳太子が創建に関わったという由緒ある立派なお寺で、明智一族の菩提寺。

お坊さんの特別案内もあり、とても満足!

充実の歴史散歩でした。

****************

写真からは晩秋の紅葉の美しさが見えます。

行きたかったなあ。

ちなみに体調は、家でゆっくり過ごしたらしっかり回復しました。


長岡京 勝竜寺城跡公園~恵解山(いげのやま)古墳~長岡天満宮

2020-10-31 22:19:10 | 歴史散歩サークル

けっこうハードな一日でした。

まずはJRで長岡京へ。

駅から勝竜寺城跡公園まで歩き。

中から矢を射るための窓のようなものが壁面に設置されていました。

写真ではよくわかりませんね。

お堀にはおおきなコイ。

ちょっとお堀に近づいたらいっぱい寄ってきて

大きな口を開けてエサを催促していました。

入り口前には友好都市の寧波から贈られた龍のオブジェ。

管理棟では細川ガラシャの特別展、勝竜寺城に関係する細川幽斎や細川忠興(ガラシャの夫)、光秀などの展示も行われていました。

中は撮影禁止でしたが、信長や光秀、幽斎、忠興、秀吉等の時系列での紹介があって頭の中が若干整理できたようです。

お昼時になったのですが周辺にお食事できるところがないとのことで、近くのコンビニでお弁当を買っていざ恵解山古墳へ。

右側に前方部がある、前方後円墳。

大きすぎて私のカメラでは一枚に収めきれませんでした。

iPodをもっていけばパノラマ風な写真が撮れたかも。残念。

出土した土器のレプリカがずらりと並べられていて、上に上れるようになっています。

一説によると、山崎の合戦で光秀がこの上に陣を設けたとか。

異説もあって、サントリーの施設内の古墳の上とも。

小高い丘になっているので見通しはいい感じ。

後円部はお墓になっていました。

古墳全体を見られるところにベンチがあったので、そこでお弁当。

少しゆっくりして、こんどは長岡天満宮を目指します。

歩いてはきついので、阪急の西山天王山駅から長岡天神まで電車で一駅。

長岡天満宮では一昨年(2018年)の大阪地震や台風21号の爪痕らしきものもいっぱい。

破損したままの保存で、台風のすごさが後世に残るんだなと思いました。

元通りきれいにしてしまったら被害のすごさを忘れてしまうかもしれません。

境内、七五三参りの着物姿の子供さんもいてとってもかわいかったです。

八条池を背景に友人たち。

霧島ツツジの頃にまた来たいなと思いました。

 

帰ってきてみんなでお茶しておしゃべり。

ソイラテ(ミルクの代わりに豆乳を使用)、けっこうおいしかったです。

今日は12,000歩くらいかな?


歴史散歩~亀岡へ

2020-09-30 17:59:25 | 歴史散歩サークル

今日は光秀の旧跡めぐりで亀山城址を目指しました。

まずは京都サンガのスタジアム(正式には京都府立京都スタジアム)に特設の大河ドラマ館に入場。

亀岡駅の北側、本当に何もないところにドン!とサンガスタジアムができた感じ。

建設の時には絶滅危惧種が生息するところとして反対運動も起きましたね。

高いビル建設や山を切り崩しているところなど、まだまだいろんな工事が行われていました。

スタジアム前に蹴鞠(けまり)像。

中大兄皇子と中臣鎌足の出会い伝説の蹴鞠(けまり)。

特設会場の入り口には「麒麟がくる」の人物の実物大(たぶん)の写真看板?

イケメンの前で記念写真。

会場に入るに当たって検温と連絡先の記入は鉄則ですね。

おばさんたちの集団ですから、みんな好き勝手なことを言いながらぞろぞろと。

帰蝶役はSさんの方がよかったなとかワイワイガヤガヤです。

ビデオ上映ではオープンセットを使い回してこんな撮影してますよ、

火事の場面ではCGを駆使していますよ、とか、

特殊メイク(いわゆる坊主頭)は1回外したらまた新しいのを作るんですよとか、

撮影の裏話があって、本編を見たことのない私は、そのあたりがとっても興味深かったです。

船から手を出してる俳優さん、背景は市松模様、そこにいきなり海、波がくっつく。

普通の写真をいじるときに背景を消して合成するのと同じように

動画でも市松模様になっているんですね。

とってもおもしろそうです。

私のようにお金がかからないソフトではなく、

プロ用のすごいソフトを駆使しておられるんでしょうね。

すばらしくてため息が出ます。

会場を回った後はお土産コーナーへ。

すっかり旅行気分です。

自分へのお土産はやっぱり食い気に走りました。

ラスクと冷や奴のお供に良さそうな「九条ネギご飯だれ」。

亀山城址にも行く予定だったのですが見学停止中。

大本教本部の中にあるのですが、残念でした。

光秀ゆかりの谷性寺は、

路線バスが行ってしまって次は1時間後なのであきらめて帰ることになりました。

帰りの列車の中からは刈り取り前の稲穂の色がとってもきれいでした。

小倉山トンネルを越えて京都市内に入った途端、

線路脇に迫るビルなどがごちゃごちゃした感じ。

帰ってきてからみんなでお茶して解散。

歩数は6,000歩くらい。


ウォーキング~明智光秀胴塚~明智藪

2020-05-06 18:42:23 | 歴史散歩サークル

曇り空の中、体を動かさなくっちゃということで友人たちと歩いてきました。

もちろんマスク着用、間隔開けて。

まずは川沿いに上流の方に進みます。

これはなんの花でしょうか?

斑入りの葉にツツジのような花。葉はあじさいにも似ています。

花はタニウツギに似ていますね。

色々調べたら、一番近いのがオオベニウツギ。たぶんこれで決まりかな?

 

カエデは、花の時期を通り過ぎて実になっていました。

 

たぶんオオデマリ。

 

コバンソウ。

 

ランニングしている人もいました。

 

光秀の塚です。

以前はこのような駒札がなく、石碑だけだったので、

てっきり首塚かなと勘違いしていました。

街道沿いの葡萄の直売所の敷地内にあります。

 

ここをあとに、街道沿いに南下。

街道沿いには竹が茂っていて、竹の皮がいっぱい。ほしい!

途中竹藪への入り口があって、関係者以外入ったらダメと立て札。

タケノコ畑(?)だったんですね。

明智藪160メートルですって。

なんだか思いっきり造成地って感じ。

藪なんか何にも残っていません。

石碑は離れたところに立っていました。

小栗栖城というのもあったらしい。

この石碑にある信長近臣の飯田一党の「小栗栖館」のことかな?

近辺昔からの地元の人たちのお家ばかりなのか、大きな敷地の家が多く、ビックリです。

道ばたにお地蔵さん。

 

八幡宮です。宮司さん常駐ではないみたい。

こちらの神社はお百度ならぬお千度参り?というかお堂のまわりをまわるのが千周。

ただし、三周回ったら千周と見なすんですって。

思いっきり省略化ですね。

絵馬は大黒さん。

 

神社から下りたら、タケノコが販売されていました。

ぬか付で700円(自分でゆでなければなりません。)、ゆでてあるのが300円、400円、700円・・・。

一番小さな300円のゆでてあるのを購入。本日の小栗栖土産。

 

ちょうどお昼になったのでランチして帰ってきました。

今日は地下鉄2駅分の往復、8,000歩ちょい。

 


仁和寺~龍安寺

2019-06-05 19:56:24 | 歴史散歩サークル

本日は地下鉄一日券(600円)と嵐電一日券(500円)を活用。

でも、嵐電天神川のところで知ってしまいました…。

地下鉄と嵐電合わせて1,000円の一日券があった!

こういうのは事前のリサーチが大切ですね。

ただし、本日の場合、私以外は高齢者パスで地下鉄無料の人ばっかり。あまり影響はありません。

仁和寺、入り口が災害復旧工事中。

2018年6月18日大阪府北部地震or2018年9月5日21号台風?

 

横手から入りました。

せっかく来たのだから、有料部分についてはすべて拝観。

 

御殿も工事中。檜皮(ひわだ)の葺き替え工事だそうです。

三脚は使わないで、とありましたが、写真を撮っていいところが殆ど。

襖絵や杉戸絵もきれい。

池には睡蓮、ニシキゴイ。

霊明殿には歴代門跡の位牌。

歴史ある寺院だけれど、何回かの火災で当初の建物は焼失、再建がおこなわれてきたとか。

お坊さん移動中。若そうな人が多かったから、学生さんかも?

仁和寺密教学院というのがあるそうです。どうも、そこの学生さんですね。

本日のお目当て、観音堂へ向かいます。

いろんな人に寄付をお願いして修復工事完成、落慶ということで特別公開がおこなわれたとか。

ここの内部は撮影不可でした。

でも記念品として絵はがきをいただいたのでそれを紹介しますね。

この観音堂、ふだんは修行の場として使われているので公開はしていないそうです。

今回の特別公開が終わったら、また修行の場に戻り、非公開になるとか。

本尊千手観音菩薩立像、二十八部衆立像など全三十三体。風神雷神も。

風神雷神、足の指は2本、手の指が4本、そこの意味について説明されたんだけど、

覚えられませんでした。

そのうちにガイドブックを買いに行こうかな?

観音さんや仏像のに他に壁画もびっしりと。創建当時は美しかったでしょうね!

さて、観音像からつながる五色の紐、お堂の外まで伸びて、

その紐を持つと観音様とつながれる、真言を唱えましょうと、お堂の外に紹介されていました。

細い紐が見えますか?

このあと、御室会館でランチ。

駅に向かう途中に桜を紹介する石碑が建っていました。

里桜系の樹種ばかりのようですが、いずれも、普通に大きくなる木ばかり。

御室の桜(花が低い)は、土地に秘密がありそうです。

嵐電の駅舎がかわいいです。

次に龍安寺へ。

駅から進むと道標が。

「丁」ってどのくらいの長さ?

調べてみました。約110メートルだそうです。

軒からトンボぶら下がっています。誰かがぶつからないように、でしょうか?

無粋な赤い布ではなくてかわいいですね。

瓦に反射テープも貼ってありました。

龍安寺入り口。木もれ日がいい感じ。

寺域は広いけれど、拝観できる建物はあっという間に終わってしまいます。

本日のお目当て。

芭蕉図の襖絵。

明治時代に寺から失われた襖絵を100年以上たって買い戻したんだそうです。

石庭がある方丈に展示されていました。

狩野派?近年は海北派かもしれないと言われているそうです。

石庭前の縁側は人がいっぱいだったので、横の縁側で座ってちょこっとゆっくり。

石庭を出ると回遊庭園ということで「鏡容池」周辺を巡るコース。

池に映り込む。

そして参道商店街の喫茶店で一休み。お水とアイスコーヒーがとってもおいしかったです。


妙心寺 龍泉菴~臨祥院~天球院

2019-03-05 22:20:12 | 歴史散歩サークル

3月4日(月)歴史散歩サークルで「京の冬の旅~非公開文化財特別公開」妙心寺へ。

二条駅からJR花園駅へ。駅から歩いて数分。

まずは龍泉菴へ。

こちらは妙心寺の塔頭の中でも最大のところだそうです。

平成11年に、龍泉庵を開かれた景川(けいせん)禅師の五百年法要をするにあたって

お堂の修復など行われ、現代画家による障壁画が作られたとか。

写真を自由に撮れるところも多くすてきな障壁画が多かったです。

これは菩提樹。木の後方には金で描かれた太陽。太陽はお釈迦様を表すとのこと。

400年以上前の杉戸絵もかなりきれいに残っていました。

枯山水のお庭もすてき。梅の花が咲いていました。

富士山だったと思います。

こちら越前岬。

沙羅双樹の木(夏椿)。

客用の間は絢爛豪華にしつらえられ、

プライベート空間(今は使われていないでしょうけれど)は

水墨画の落ち着いた障壁画(古いものがそのまま見られるようになっていました)。

もちろんそこの障壁画は撮影禁止。

広大な龍泉菴のごく一部の見学でしたが、

お寺って昔からこんなふうにお堂の修復をするたび、

新しい障壁画を作ってきたんでしょうね。

長谷川等伯の真筆は博物館に行っていて

お寺ではレプリカが展示されていました。

 

次は麟祥院。

こちら春日局の菩提(ぼだい)寺。

軒丸瓦の菱形の中に三の紋は

春日局の嫁ぎ先稲葉家の家紋だそうです。 

こちらの展示で印象に残ったのは雲龍図。

写真撮影は不可だったので冬の旅のパンフから。

雌雄の龍。角がお下げのように下がっているのが雌、角が立っているのが雄なんですって。

海北友雪(かいほうゆうせつ)の作品。

海宝友雪の家は父親の代から春日局の実家とのご縁があったとか。

龍の表情がかわいい。

方丈前の枯山水。

元は石組みだけだったんでしょうが、長い年月たって苔に覆われています。

大きな木の左側の三つの岩が瀧を表し、小石が水の流れ、右端の平らな石が船を表すんだそうです。

春日局の御霊屋というのもあり、お骨はお江戸の麟祥院にあり魂はこちらの麟祥院にあるとか。 

御霊屋(みたまや)。

お堂の中は撮影できなかったので冬の旅パンフから。

庭の端っこには稲葉氏の城、淀城のしゃちほこもありました。

 

次は天球院です。

天球院は拝観寺院ではないとか。今回は特別公開です。

 

つるべ井戸のあと。

井戸蓋に乗せられているのは、軒丸瓦と流木を利用したプランター。

いろいろ家庭園芸風に蘭などが植えられていました。

竹林の虎の絵。

当時の日本には虎がいなかったので虎の毛皮を猫に着せて絵を描いたとか。

毛皮には足先や尻尾はなかったのでその辺りは想像で描いたそうです。

仕草が猫っぽい絵が多いでしょう?とガイドさん。

尻尾が蛇みたいなのは、そのせいですって。

 

「京の冬の旅」は現地に観光協会からのガイドがついて

詳しく教えてくれるところがいいですね。

もちろん非公開文化財が見られるのも魅力だけれど、

ただ見て終わり、ではなく、解説付きなので

いろんなことを知ることができるのも魅力。

 

三つの塔頭(たっちゅう)でスタンプをもらって、花園会館でお抹茶と和菓子のサービス。

お寺の板敷きを歩き、こぬか雨が時々降って、寒い一日でしたが、

一日の歩数は10,000歩をちょいと超えていい運動になったと思います。


千本えんま堂~釘抜き地蔵~千本釈迦堂~北野天満宮⑤

2018-11-12 19:49:01 | 歴史散歩サークル

鳥居の手前にこんな看板。

パナソニックになる前の社名がそのまま。

いろんな社があって、これはかまどの神様。

もみじも近づいたら葉っぱがカサカサ。夏が大変だったしねえ。

楼門の扁額は「文道大祖 風月本主」と読むそうです。

新しい建物、「文道会館」。

参道には「筆塚」。

道真のお母さんのお社も。

この間の台風でやられたのかな、大木がねじ切れています。

石碑に「仁和小昭和10年卒業記念」とありました。

長い年月かけて大木になったのに気の毒なことです。

今出川の出口に近いところに洛陽三十三ヶ寺の「東向観音」のお寺がありました。

泉涌寺派別格本山とありました。

のぞいたけれど、観音さんは見えませんでした。


千本えんま堂~釘抜き地蔵~千本釈迦堂~北野天満宮④

2018-11-12 19:00:45 | 歴史散歩サークル

千本釈迦堂を出てひとまずランチ休憩。

天神さんに行く途中で町家を改造したカフェ。

坪庭だったところ〈?〉には屋外テーブルあり。

トイレは一旦外に出てから。

お店の許可取らなかったので店内写真はありませんが、お店の前で記念写真。

少し南に下がって上七軒を歩きます。

風情のある町並み。

これって郵便局です。

北野郵便局。いいじゃないですか!

上七軒の歌舞練場入り口。

天神さんの東の入り口が見えてきました。