ウオーキングサークル例会で山科川べりを歩きました。
暑い夏の間はすぐヘトヘトになって短い距離で終わっていたのですが、
今回は久しぶりに地下鉄の次の駅付近まで。
黒い実発見!
Google フォトで調べたらどうもシロヤマブキのようです。
松尾大社で購入したのもこんな感じでした。
こんどは花の時期に歩けたらいいですね。
ウオーキングサークル例会で山科川べりを歩きました。
暑い夏の間はすぐヘトヘトになって短い距離で終わっていたのですが、
今回は久しぶりに地下鉄の次の駅付近まで。
黒い実発見!
Google フォトで調べたらどうもシロヤマブキのようです。
松尾大社で購入したのもこんな感じでした。
こんどは花の時期に歩けたらいいですね。
先日のウオーキングは桃山御陵。
車で駐車場まで行って昭憲皇太后陵の側から回りました。
メンバーの一人が明治陵の落書き事件の跡を見たいなと言ったのがきっかけ。
坂道をどんどん登ります。
昭憲さんのところまではまだましだった坂も
そこから明治さんのところまではすごい坂。
写真は撮っていないけれど、手水のところ、石に黒っぽい跡。
細い竹筒から水が流れているんだけれど、
山の水なのか水道水なのか?
あの山のてっぺんみたいなところで?
天然石みたいなので完全に落書きを落とすのは難しそうですね。
ちょうど監視カメラの正面でしたよ。
捕まえてくれと言わんばかり。
お馬鹿さんの犯人ですね。
帰りは大手筋に繋がる参道をダラダラと。
途中で左折、乃木神社に行ってみました。
乃木神社は過去に2回行っています。
以前は境内にかわいいアヒルがあったり碇のオブジェがあったり。
アヒルも碇もなくなっていました。
今回の発見。
以前にもあったかもしれないけれど、気付きませんでした。
さざれ石ですよ!
「さざれ石は学名を石灰質礫岩といい
これは、地中の石灰質が長い年月の間に
雨水で溶解されその時に生じた粘着性
の強い乳状液(鍾乳石)が地中の砂礫を
凝結して形成されたものです」
以上、横の看板より。
科学的な解明です。
君が代の作者がここまで考えて作ったとも思えませんけれど。
酸性雨などの関係で石灰質が溶けるのも増えているかもしれませんね。
そのうちあちこちでさざれ石出現?
本殿(?)の手前両側に馬。
狛馬?と思ったら両方とも口は閉じていて
乃木さんの愛馬をかたどったものらしい。
奥には普通の狛犬。
乃木の名水?
「勝水」手水用の水。地下水をくみ上げているそうです。
帰りにランチして手芸屋さんに寄ってその後解散。
なかなか素敵な風景。
かなり遠出をしたみたいな風景。
実は東部クリーンセンター跡地の緩衝緑地。右に見えているのは図書館。
少し道から外れただけで、落ち着いた散歩道(とても短いけれど)。
川沿いにここまで歩いて石田杜(いわたのもり)神社へ。
石田(地名は「いしだ」と読みます)地域の氏神さんですが、近所は昔からの住民よりも
UR賃貸、市営団地、マンション、そしていわゆる新興住宅地などが多い地域です。
11月3日がお祭りだそうで、ちょうちんなどの準備が。
後ろに移っている鳥居、近づいたらあらま。
石の鳥居が鉄材で補強されていました。今まで気がついていませんでした。
神社の入口に万葉集の藤原宇合の歌など紹介されていて
ははそはら(柞原)が歌の中に。
以前にも調べてみたけれど、すっかり忘れていました。
ハハソの木がいっぱい茂っている様を柞原と言うんだそうです。
ハハソの木とは?
コナラ、転じてクヌギの木なども、とありました。
ドングリ系ですね。
近辺の地名に小栗栖(栗栖は栗がいっぱい茂っているところ)があるし、
もしかしたらこのあたり、大昔は熊が主人公だったかも?
歩数は一日で7,000歩強。
ウオーキング、本日は街道から西の山にむかってあぜ道を歩くことに。
団地横の遊歩道から出発。
この花はなんでしょう?
桜と同じような幹ですが、花が小さい。1~2センチくらいの直径。
Google フォトで調べたら、スモモ、ナシ等が候補に出てきます・・・。
カリンの花もきれい。
八重の桜は葉と一緒に出てくるんですね。
ふだん桜って上の方で咲いてるからこんなに大きな花だとはわかりにくいですね。
あぜ道に沿ってに歩いていると、田おこしがされたところや休耕田(耕作放棄地?)等があり、
蓮華が茂っているところも。
つくしの群生もありました。
もう開いてしまっていて食用にはなりませんね。
こんな花も。
キラキラ光ってきれいです。キンポウゲ?
石灯籠見つけました。
愛宕 常夜
側面は明治44年?
塀の瓦がおもしろいなと思ったらお寺でした。
龍ですよ!
見下ろせば対面の醍醐の山。
結構高台まで歩きましたね。
いつものウオーキングの半分くらいの時間でしたが、「山登り(大げさ)」、
坂道を歩いたので心地よい疲労感。
川べりのベンチで休憩した跡、期日前投票に行ってきました。
梅が咲いていないかな、と歩き出しました。
まだつぼみですね。
街道沿いに見える天神宮。
いつも気になっていたんです。
今日の目的地はここ!
以前は薄暗くうっそうとした木々に囲まれていたイメージで
一人で行くのはちょっと怖いかなと思っていました。
ところが2018年の台風21号でここの斜面の木々もたくさん倒れて街道沿いに見てもスカスカ。
そして、道路の拡幅工事が行われたのでさらに明るくなりました。
入口に「大正九年」の石碑。
鳥居の両側にあった榊も新しく、階段も落ち葉がたまっていることもなく、お手入れされている感じ。
急な階段、ステップ一段が20㎝以上はありそう。
一人が段数かぞえていて「100段有ったよ。」
なんとか登り切って、道沿いにくるっと回ったら社殿。
トタン屋根が見えます。
屋根がトタンなの?と近づいたら、トタン屋根は社殿をカバーして保護するもののようですね。
銅葺きのきっちりした流れ造りの屋根。
建物自体はそんなに古くはないようです。
由緒書き
北小栗栖天神宮
所在地 京都市伏見區小栗栖天神山町
祭神 伊佐那岐命
伊佐那美命
創社
社殿旧記ともに火災にあって
正確には創立の年代はわからないが
口傳によると法琳寺が創建された
時、その鬼門除けに、この地に
天神社を建立されたとも傅えられ
る。とすれば、法琳寺は藤原鎌足
の長子、定慧の創建と傳えられて
いるところから、天智天皇の御代
(西暦六七〇年頃)で約千三百年前
に當る。以来、北小栗栖の産土神
として崇敬を受け親しまれて来た。
かかっていた絵馬には道真の姿と「東風ふかば・・・」の図柄のものもありましたが、
よく読めば、天智天皇の時代だから道真さんは全然関係ない?
社殿の向かい側に小さな建物があってシャッターが閉まっていました。
祭礼神事の時にそこで絵馬、御守りその他の受付をするのかな?
ロウソク立ても流れ造りの屋根。
山中なので防火体制バッチリです。
そうこうしているうちに保育園のお散歩でしょうか、
子ども達が賑やかに階段方向から登ってきました。
元気いっぱい。
子ども達が降りていった道を降りることにしました。
階段よりましだけれど、急な坂。
歩数はたいして出なかったけれど、
あの階段の運動量がすごかったよねといいながら帰路につきました。
夕方お出かけしたら、とてもあたたかい一日だったからか、
あちこちで梅が咲き出していました。
春ですね!
車があまり通らない道を選んで醍醐寺南門へ。
ここからまっすぐ進むと醍醐寺仁王門前を通って長尾天満宮の鳥居にたどり着きます。
冬枯れの並木道。両サイドの木々は2018年の台風21号の痛手を受けて切り株だらけ。
この写真より南側の南門に入ったばかりの所は白壁の屋根(?)瓦もガタガタのまま。
この南門は、台風のあと、随分長い間通行止めになっていましたね。
最初は階段の下で拝んどこうかと言っていたけれど、
せっかくだからボチボチ登ることになりました。
彼女らの後ろに見えるのが、天満宮への階段。
階段の途中に頼政道跡。
頼政って?
1180年後白河法皇の皇子以仁王が平氏追討を命じ、
挙兵した源頼政が平氏に追われて園城寺(三井寺)から
奈良に抜けようと宇治に向かった間道。
結構高台にあるんですけれど…。
日野にむかう山道が残っているようです。(友人が途中で無くなっているかもしれないって言ってました)
園城寺から宇治まで三里ぐらい、と書かれた文書が残っているようです。
さらに階段を上がって境内。
おみくじを結ぶところに小さな傘。
なんと、傘みくじがありました。かわいい!
何回か来ている神社だけれど、宮司さんが居てはるのははじめて。
ご朱印もあるようですが、書き置きはないとのことでこんど出直すことにしました。
帰りは正面参道階段ではなく脇道の階段から降りました。
段数は少ないけれど、手すりがないのでちょっと怖い。正面参道の横に出られました。
ここから帰り道、お地蔵さんを見ようと理性院へ。
前回は気付かなかったお猿のお地蔵さん見つけました。
最前列かなあ、むかって右側に一体。
他にも探したら居てはるかもしれませんね。
理性院は非公開寺院なのでお寺の中には入れないんですが、
しだれ桜や藤があるようで、花の季節にはまた来てみたいものです。
醍醐寺北門から醍醐新町へ、そして新奈良街道を歩いていると、三宝院が見えました。
会社の看板の向こうにお寺の入口。新奈良街道も坂の上にあるんですね。
ここでランチしようよと外環状線のガストにむかいます。
かなり急な下り坂。途中に墓地があってその中を通り抜けたらすぐに外環状線。
行きはなだらかだけれど、結構山に登っていっていたんだなあとビックリです。
ガストにした理由。
ロボットが配膳するんですって!
いました!猫耳。お正月仕様なのか胸にお花、頭にピンクのターバン。
通路が狭いので時々通り抜けられなくってまごまごしていました。
お客さんは小さな子どもさん連れが多かったです。
ゆっくりおしゃべりして帰宅したら10,000歩を超えていました。
ゴロゴロしていたお正月明けにちょっとハードだったかしら?
昨日のウォーキング例会。
熱中症危険レベルで「屋外活動は避けて」のYahoo!防災情報が出ているので、
欠席者が多かったのですが、
醍醐寺の水掛けさんやったら涼しいのと違うか?の意見で
女人堂まで行ってきました。
アスファルトの暑いところを歩くのも危ないし、と
醍醐寺の駐車場まで車で行ってそこからの歩き。
駐車料金が5時間1,000円であと時間が増えれば料金追加。
めったにない高額料金。
一般的には1,000円も取ったらその日1日分くらいになるよね。
近くに500円のところがあったので、次からはそこに停めましょう。
一旦黒門から出て南門からまた入り、遠回りして歩きました。
南門あたりは、数年前の台風(2018年)で木立がなくなり、太陽が照りつける感じ。
大きなお屋敷かなと思ったら、石柱に「醍醐山仏法学院」とありました。
このあたりは台風前であれば、木々が茂って木陰を楽しめた道です。
少し脇道に入れば、木も茂ってきて、いい感じ。
左手にフェンスを見ながら登っていきます。
地元の友人たちの
「前はただで入れた場所やし、子どもらとよう遊びに来たんやけどなあ」
「なんでもお金取って・・・」
ぼやきを聞きながらさらに山の中へ。
女人堂と上醍醐寺の入口です。
以前は無料だったのですが、入山料が600円必要。
女人堂までは無料。
ここまで来ると風がさあ~っと通って涼しく感じます。
左手に女人堂。無粋ですが赤いカラーコーン(パイロン)から先は有料部分。
右手には水掛けさんがあります。
左から、お不動さん、理源大師、弥勒菩薩、??(読めませんでした)、地蔵菩薩。
5柱の石像。
醍醐寺のホームページで調べたら、読めなかった右から2番目は役行者ですって。
理源大師は上醍醐寺の創設の人。
醍醐のお山の水を飲んで「醍醐味なるかな」と言ったとか。
手前には石のトユに山水が流れ、ひしゃくが準備してあります。
コロナ禍の最初の時点ではひしゃくが撤去されていましたが、
今はひしゃくで石像に水をかけられるようになっていました。
山の水はつめたくて気持ちがいいですね。
手を浸けて、ほっとひととき。
掛け流しの流水ですから感染の心配はありませんね。
女人堂はお不動さんがまつられていました。
下界に降りてきたら夏の雲。
先日訪問した下村家が見えます。
ここから駐車場まで歩いてあとはクーラー効かせながら集合場所まで。
約4,000歩になりました。
今日はウオーキングの日。
山科川の上流、地下鉄の一駅先まで往復。
春に桜がきれいだったところは緑の並木になって木陰が涼しい!
桜の下のベンチで一休み。
今日初めて気付いたんだけれど、このあたり、公園らしい。
看板に、「都市の中の水辺公園」とありました。
たしかに、川に降りていける階段やベンチも設置されています。
折々の花、今日はヒペリカム二種、ヒメジョオン、桃色のクローバー(帰ってから調べたら、アカツメクサとありました)などなど。
ヒペリカムはシベの長いのと短いのと。
ももいろクローバーZってバンド名がありましたね。
クローバーの写真は取り損ねました。
仲間が桑の実だ、と見つけたので、黒く熟したのを持ち帰り、植木鉢に。
木イチゴみたいな小さな集合果、種も小さい。
芽が出るかしら?
今日は約8,000歩。
5月4日(水)新婦人の班会かねて山科疏水に沿って歩きました。
JR山科駅の改札東側、ガード下を通って北側の道へ。
歩道トンネルになっているんだけれど、
昔は駅が地上にあったことを示す名残がありました。
写真は撮りそびれたけれど、トンネルの上の方に
ペンキでで大阪方面のホームはこちらとの案内が。
書かれた文字がレトロな昔の書体でした。
きっとここは昔の踏切だった場所なんですね。
大きなお屋敷がいっぱい、でも道は狭い。
桜の大木が道の端っこに生えています。
いよいよ疏水。
この看板のところで右に曲がって進みます。
東山自然緑地、疏水《記:注意》沿線に整備された都市公園との説明。
御陵から四宮までの約3キロ、ウオーキングやジョギングのコースにもなっていました。
ここに来るまでは上り坂でしたが、いったん来てしまうと平坦な歩きやすい道。
疏水がトンネルになっていました。
飲料用の第2疏水は水が汚れないようにトンネルを作ったとの説明板も。
ちなみにここは第1疏水です。
水がきれいです。
舗装されていないから歩きやすい。
途中、疏水公園があり、トイレも設置。
お弁当もって歩きに来てもいいねとの声あり。
お昼には帰っている予定のお出かけだったので、Google Mapsで現在地確認。
もとの道戻るのか四宮駅に行くのか、どちらが近い?
結果四宮から京阪、地下鉄と乗り継いで、きっちりお昼前には帰ってきました。
観光地と違って混雑することもなく、自然を満喫。
見下ろせばJRの電車も見えて、結構山の上なんですね。
琵琶湖まで5キロとの表示もありました。近い!
一日の歩数は約8,000歩。
本日は山科川の桜を楽しむ。
小野のあたりに桜の回廊があってとってもすてき。
時々、風で桜吹雪。
ちゃんとベンチも設置されています。
今日は小野までの間の往復です。
紅葉もかわいい新芽と花。
葉っぱと花の形から、たぶん桃。
ツバキも咲いていて、気持ちのいいお花見となりました。
歩きながら
「北陸新幹線延伸、とんでもない話やねえ。」
「直径メートルのトンネルが敦賀から京都まで?」
「残土はどうなるの?」
ちょうど山科川の浚渫工事が行われていて
川床をほって土砂を集めていましたが、
この川のどこにこんなに土があるの?というくらい掘りとられていました。
川の深さはそんなに深くなっているようには見えないのに。
「ここ(山科川)だけでもすごい土の量なのに、トンネルほった土はどうすんの?」
残土問題や水資源問題、地中に存在する可能性のあるヒ素問題。
そして2兆円以上の予算が国や自治体負担とのこと。
北陸新幹線計画、反対です。
新年最初のウォーキングは長尾天満宮へ初詣。
醍醐寺南側の長屋門の前を通り、醍醐寺境内へ。
この二軒だけが残っています。
個人の家です。以前にはこういった家や町家が門前にたくさんあったのですが、維持が大変なのか、更地になり売り出され、普通の住宅になってしまった区画が増えています。
こういった風景も合わせて世界遺産ではないかと思うんだけれど、個人に委ねられては維持が大変です。
南門から醍醐寺へ。
三宝院の前は通り過ぎるのみ。お正月三が日は無料拝観できたそうです。
三宝院の入口。ここに引っ越してきた頃一度だけ入ったことがあったけれど、記憶がない…。
仁王門の前を通って長尾天満宮へ。
沿道、2018年の台風で木々が倒れて更地みたい。無残です。
いまの社殿は江戸時代(1821年)に再建されたもの。創建は神仏習合の時代(940年頃)、醍醐寺の一部として作られたようです。
中の鳥居からは長い階段。
途中、台風の爪痕。
住宅のすぐ裏の木がやられたみたい。さぞ怖かったことでしょうね。
階段登り切ったところ、天保11年(1840年)、石に彫られています。
石段を作った年なんでしょうね。
天保年間を調べると、世の中騒然としていた時期、江戸末期。
天保元年(1830年) 伊勢御蔭参り大流行
天保8年(1837年) 大塩平八郎の乱
天保10年(1839年) 蛮社の獄
そして1853年(嘉永6年)黒船来航。
記念写真です。
写真の時はマスクを外して、はい!いい顔で!
撫で蛙。初めて見たよ!
宮司さんが居るときしか置いてないのかな?
本日の歩数は約7,900歩。
今日の例会は川沿いに小野あたりまで。
落葉が進んでいます。
折戸公園横のコミバス。
他の交通が途切れたところを狙ってのショットでしたが
奥の方に歩行者が。
イチョウの葉がきれいです。
手前の枝は桜の木。
暑い時期には緑の葉が木陰を作ってくれていたケヤキも
ほとんど葉が落ちて逆さ箒の樹形がしっかりと見えます。
桜並木も花芽がはっきりとしてきました。
往復で6,000歩くらいになりました。
一人だとあまり遠くまで歩く気にならないけれど、
みんなと一緒なら次の駅くらいまでは歩いてしまいますね。
月イチだけれど、これからも続けていきたいです。
すこしまえのはなしですが、11月3日はウォーキングサークルの例会。
お天気もよいことだし、醍醐寺へ行くことになりました。
今回は醍醐寺正面から。
三宝院の拝観料がなんと1000円。
あっさり通過。
奥の方、長尾天満宮で出店が出ていて、杉と桜の木を使ったコーヒーなどのお皿に使えそうなものを購入。
長尾天満宮の秋まつりでした。
御神輿は御神酒などが並べられた奥に安置されていて、今年は居祭ですね。
大道芸なども披露されるとのことでしたが、そこまで待っていられなくて降りてきました。
帰り道、「霊宝館の庭と仏像が特別に無料で公開」を見つけて、見学。
コロナ禍で社会貢献というところでしょうか?
青空と建物との対比が鮮やか。
醍醐寺もたまにいいことするね。
展示されている仏像は撮影不可でしたが、仏像の手前に柵があり、
「ここを超えると警報が鳴ります」との表示。
なんだか身を乗り出して音を鳴らしてみたい!という気分になっちゃいました。
その後は、それぞれお買い物や自宅に近い人から流れ解散。
集合写真を撮ったのですが、コンピューター処理を誤って映像が消えてしまいました!
残念。