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京の冬の旅 非公開文化財の特別公開~島原 角屋

2017-02-23 23:07:24 | 京の冬の旅2017

今シーズンの非公開文化財の特別公開は

今日でコンプリート。

大河ドラマで見たような名前がどんどん出てきます。

角屋入り口柱の新撰組による刀傷。乱闘があったのではなく・・・。

あまりにも遊びすぎなので、つけはダメ、現金でと言ったら逆上して柱を切りつけたとか。

さわらないで、とありますが、年月たってすっかり丸みを帯びています。

お台所もお寺のお台所に匹敵するような大きなものでした。

三宝荒神、とありました。

実際に使ったかまどではなく、神様をおまつりするためのかまど。

使っていたかまどはこれ。

大きなものが5口。左の小さなものは、上から見ると4口あって、

七輪のように焼き魚などに使われたそうです。

写真撮影はガラスケースの展示品以外はOKとのこと。

西郷隆盛が使ったというたらいがありました。

1945年、戦争末期、家屋疎開で角屋も取り壊されそうになったとき、

「明治の元勲にもご縁がある」と訴えて、取り壊しを免れたそうです。

 

芹沢鴨最後の宴会場、松の間。

とにかく広い大広間。角屋最大の宴会場だそうです。

このお部屋だけは火事で焼けて再建されたものなので重要文化財から外れているとのこと。

お庭には「臥龍松」、善峯寺のように一本の松が龍のように伸びて広がるものだったそうです。

残念ながら初代は枯れてしまい、

今は3本の松を使って往時の面影を伝えています。

(初代は屋根をつけて残されています)

お庭の奧にはお茶室が三つ。

一つはこちら側には壁がなく、太夫がお茶を点てるのがお部屋から見えるもの。

ガイドさんがオープンカフェですね、と。

 

網代の間。

軒先からこんな天井。

お部屋の網代を支えるのは8メートルの北山杉。

床の間の明かり取りの窓も網の目。

 床の間の富士山に

お庭の富士山。

ひとつひとつが本当に凝った意匠で見事です。

新撰組が通っていたり、久坂玄瑞がいたり。

政治の一方に偏らず、お客として受け止めるのは

お商売の生き残りの技ですね。

 

このあとふらふら歩いて梅小路公園の鉄道博物館に立ち寄って帰宅。

 

約13,000歩。


京の冬の旅~非公開文化財特別公開 壬生寺

2017-02-10 22:09:44 | 京の冬の旅2017

雪の中、壬生寺へ。

奥に見えるピラミッドのような塔はお地蔵さん。

解説員によると、市電の敷石剥がしたらいっぱい出てきた!?

お堂は過去に火事で焼失、今のお堂は1970年に建てられたもの。

1962年、放火による火事だったそうです。

ご本堂の内陣の障壁画は友禅作家により奉納されたものだそうです。

カラフルな優しい絵です。

天井画は正方形のマスのように区切られた中に向かい鳳凰の画。

壬生狂言の衣装からとった絵だそうです。

 

ご本尊の地蔵菩薩、焼失前は定朝作のお地蔵様の座像。

お堂と一緒に焼けてしまったので、

唐招提寺から地蔵菩薩立像をご本尊として譲り受けておまつりしているそうです。

始まりは天台宗のお寺だったのですが、今は律宗(南都六宗の一つ)

 

壬生狂言の建物に入らせていただきました。

なかの写真は撮れませんので外から・・・

暗くて詳細がわかりませんね。

観客はどこから見るんだろう?謎。

内部には柱に名前が書かれているのがあって、

たぶん寄贈者のお名前なんだろうと思われます。

同じ方のお名前がいっぱい。地元の有力者だったようです。

舞台裏のいろんな小道具や衣装の展示もあり、

縁者が飛び移るときに足をかけるための「穴」もあり。

木の壁に横長の足の幅より少しだけ大きな穴が開けてあり

その壁を乗り越えて舞台の天上近くに出ていき、

綱を渡る・・・。

一度は壬生狂言を見てみたいですね。

 

 

水掛地蔵。

帰るころにはいったん晴れて青空も見えました。

屋根の上に太った鳩がいっぱい。太った、というより、

「冬雀」と一緒で羽根をふくらませて保温に努めているんでしょうね。

境内のおいなりさんの石灯籠、寄進者の名前が刻まれています。

右側の石灯籠。これって伊藤若冲?

壬生寺をあとに坊城通りを北に、四条めざします。

四条通と坊城通りの角っこにこんな神社。

元祇薗梛神社

ビルのあいだにひっそりと。

なんだか風情があります。

 

本日は6800歩。

 

 

 

 

 


京の冬の旅 未公開文化財の特別公開~妙心寺

2017-02-09 17:23:20 | 京の冬の旅2017

三日間連続の通院も今日で終わり。

同じ病院に毎日通うのもちょっとね。

科と診察日、検査日が違うからやむを得ないんだけれどね。

今日も受診後、お出かけ。

みぞれ交じりの雨の中、妙心寺に行ってきました。

ナビがむちゃくちゃで、最も近いところ?で案内終了。

行き止まりの細い道でした!

必死でぐるぐる回って北門にたどりつきました。

駐車場があってよかったあ。

まずは大庫裏経蔵

 

お寺の建物ってよく似ていますね。

この入り口入って左横に大きなかまどのたき口が数個。

上には煙抜きが設置されています。

鍋などを載せるコンロ側、厨房(ちゅうぼう)側とのあいだには壁があります。

ご飯を炊くお釜は二斗分を一つのお釜で炊けるとのこと。

厨房側の床は廊下より一段下がっていて、水などが流れていかないようになっていました。

おくどさんってよそでは土間にあるのが多いと思いますが、

こちらはたき口は土間、コンロ側には板張り。

巨大です。

水は、裏に大きな井戸、そこからトユを使って

厨房にある大きな石造りの水槽?に水が来るようになっていました。

底に穴が開けてあったから、

米をといだり野菜を洗ったりの流し台だったかもしれません。

屋根は近年瓦葺きだったのを創建当時のこけら葺きに作り替えられたとのことで、

瓦屋根の煙抜きの蓋になっていた「波乗りウサギ」の飾り瓦が展示されていました。

波は「水」、火災防止。ウサギは多産。瑞獣だそうです。

食堂(じきどう)、大廊下など。座禅会の折のお食事をするスペースだとか。

「大廊下」、大広間といってもよいくらいの立派なものでした。

次に経蔵へ。

雪の中、移動です。

お堂の真ん中に回転する、お経をいっぱい収めた輪蔵というのがあって、

それを回転させたらすべてのお経を読んだことになる、というもの。

アジアのどこかの国にもそういうのがあったような?

今は回転させるのは年に一回お経の虫干しをするときだけだそうです。

冬の旅のガイドブックでは、経蔵正面に座る傅大士の写真があるのですが、

残念、現地では横顔が見えるだけでした。

経蔵をあとにこんどは養徳院へ。

雪は相変わらず。

こちら、天正11年秀吉の重臣石河光重(いしこみつしげ)が父の菩提を弔うために創建。

お茶がいいのかお酒がいいのかという問答の書、細かい文字でびっしりと。「酒茶論」の掛け軸。

阿吽になっている二福の鷹の絵。

鑑真和上のものと伝えられる鉄鉢。

柱のくぎ隠しは石河家の家紋である向かい鶴。字が違うかもしれません。

室内写真不可なのでお見せできません。

窓辺にかなりふくらんだ福寿草が飾られていました。

少し季節がすすんでから拝観される方は

落ち着いたモノトーンの鷹の絵と

鮮やかな福寿草の対比が見られるんでしょうね。

お庭は、小さいけれど枯山水のすてきなものでした。

雪の中、お庭には梅の花が咲いていました。

養徳院を出て大雄院(だいおういん)へ。

慶長8年尾張家家老石河光忠が父の菩提を弔うために創建。

父の菩提を・・・このフレーズ、多いですね。

養徳院の石河さんはこの人のおじいさん。

豊臣に仕えた石河家は西軍に参加したので、助命をされたけれど、領地没収となりました。

石河光忠さんの生母は光忠さんを生んだあと実家に帰り、

その後家康の側室となって尾張藩主を生んだ方だとか。

そのご縁で光忠さんは尾張藩に取り立てられて、

尾張の石河家の初代になった方だそうです。

ややこしい。現場で説明を聞いただけではよくわかりませんでした。

瓦に注目。

 

丸い日の丸みたいなのは、石河家の紋、向かい鶴の略紋だそうです。

お仏間にも略家紋があしらわれていました。

建物入り口の瓦はきちんと家紋。

襖絵は猿が遊んでいる部屋、

唐の武将で長寿を全うして将軍職に上り詰め、子宝に恵まれた武将の晩年を描いたもの、

ひまわりの絵、などなど部屋ごとに違う意匠で作られていました。

お庭は、枯山水の部分や池のある部分、池のある部分は歴史が新しいとのこと。

枯山水の松の横・・・樹木の化石が置かれています。

このお庭、椿と皐が植栽されていて、 花時は大変見事だそうです。

 

妙心寺を出て、まだ歩数が五千歩くらいだったので、東山ドライブウェイを登って

青蓮院の青龍殿に立ち寄りました。

手前の阿含宗のところに迷い込んでしまったりしながら

頂上の公園の駐車場に車を止めてあとは歩きです。

お目当てはガラスのお茶室。

雪がいっぱい残っていて大変冷え込んでいました。

青龍殿の青不動さんはレプリカが常時置かれていて

本物は特別の時に拝観できるそうです。

青不動さんの前の床は床暖があってゆっくりと座らせていただきました。

お堂をまわって大舞台へ。

ガラスのお茶室が見えてきました。

ちゃんと炉もあります。

舞台から見下ろせば、平安神宮の鳥居や知恩院の御影堂修復工事中の建物も。

お堂とお茶室を大舞台から。

 

将軍塚があったのはここ青蓮院。

今日の雪もいいけれど、桜や紅葉のシーズンに来たらきれいでしょうね。

 

雪国だったのに、下山したら、地面は濡れているだけ。

お山の高さを感じました。

全部で七千歩くらいになりました。

 

 


京の冬の旅 非公開文化財特別公開~金戒光明寺から知恩院

2017-02-08 16:24:14 | 京の冬の旅2017

耳鼻科受診の後、金戒光明寺と知恩院へ。


金戒光明寺(黒谷さん)は、中に入るのは初めて。
法然さんが最初に草庵を作った地だそうです。。
法然さんが比叡山から出て、このお山の上にあった岩の上でお念仏を唱えたら

紫の雲がたなびき、光が差してきた。

それにちなんで紫雲山光明寺、

後に天皇から金戒という文字をいただいて

紫雲山金戒光明寺となったとのこと。
幕末に京都所司代がおかれて、新選組ができた場所と言ってもよいとのこと。

最初に入ったお堂には中山文殊(シシに乗った文殊菩薩、空を飛んでいるようすを表したものだとか)、

吉備真備が作った(?)千手観音様、どちらもいいお顔。

間近までいけるように順路が設定されていました。

実は黒谷さん、火事で焼失、今のお堂は昭和19年に再建されたもの。

あの時代にすごいなあ。

とにかく大きい。ご本山クラスのお寺はみんな巨大なんですね。

新島八重さんの写真も飾られていました。

昭和3年に元会津藩士が集まっての集合写真

かなり拡大してプリントしたものが展示されていました。

 

トラの襖絵がおもしろかったですよ。

四枚のふすまに書かれたトラの絵、「何頭に見えますか」

四頭のようなのだけれど頭は三頭分。

端っこのふすま分けると・・・。あとはご自分で・・・。

 

ここにも伊藤若冲の絵がありました。

 

京都所司代だった松平容保(まつだいらかたもり)の書、

新島八重の書なども展示されていて、

私としては、とってもすてきな字だと思いました。

お庭に下りて歩くことができました。

白砂部分は入らないように言われました。

 

四阿が見えます。

お庭の一部は、テレビの企画?で作られたところもあるようです。

四阿の後ろにあった掲示板。

石の配置がお花模様等になっていたり、何かと楽しい。

四阿から見下ろしたお庭。

下りてきたらししおどしが。

ここにもお茶室があるようです。

 

御影堂をあとに、塔頭寺院の西翁院へ。

お茶室の縁側から、大文字の舟と左大文字がくっきりと見えました。

こちら西翁院の見所説明は学生ガイドの方です。

お茶室から淀を見ることができたとのことで「淀看席(よどみのせき)」。

京都タワーの左に淀方面、あべのハルカスも見えるかも?

参加者のひとりがあそこにボ~ッと見えるものがそうかな?

とおっしゃって、みんなでそうしておきましょうということになりました。

黒谷さんはかなり高いところにあるので、将軍塚の青龍殿もよく見えました。

たぶんこれ。

次は知恩院。

こちらもド~ンと大きなところ。

奈良の南円堂とよく似たお堂。

御影堂が修復工事中。

鉄骨組んで壁や屋根を作っての工事。

阿弥陀堂から入ったらその外壁と御影堂のあいだを通って大方丈へ行くルートをとることができました。

工事の見学のような・・・。

なかなか興味深かったです。写真は自粛。

とちゅう、法事が行われているところを通過。

ふだん法要をしていた御影堂が今使えないので

集会室(法然上人御堂)を広くして対応しているとのこと。

廊下は歩くとキュッキュッと音がします。ウグイス張り。

大方丈、小方丈と見学。

襖絵、抜け雀、猫の目がどこにいてもこちらを向いているように見える・・・。

豪華な室内でした。

こちらのお庭の入り口。

石に木が接がれています。どういう意味なんでしょう?

建物沿いにお庭を歩きました。中で解説されている声が聞こえます。

 

 

スタンプラリーがたまったので。和順会館でお茶して帰りました。

道沿いにロウバイが咲いていて本当にろう細工のようです。


今日は八千歩くらい。

金戒光明寺でもう少し奥まで行ったらよかったかしら?

 


京の冬の旅 未公開文化財の特別公開~高台寺

2017-02-07 12:42:15 | 京の冬の旅2017

検査が午後なので、朝から高台寺に。

家紋の瓦?

ここは建仁寺をご本山とするお寺とのことで

久昌院でもお名前を見た三江紹益(さんこう じょうえき)さんのお名前がありました。

最初は曹洞宗だったのが建仁寺から三江紹益さんをお招きして臨済宗に変わったとか。

雪がちらついて、一時は軽い吹雪になりました。



高台寺は白と黒を基調に質素な雰囲気。
解説者がついていたのは、
釈迦の八相涅槃図、たぶん南北朝時代の作品。

真ん中に涅槃図があり、その周辺に

「お釈迦様の生涯」

まずは生まれる前の天上での生活、母のおなかにたどり、

生まれ、出家し、修行し、悟りを開き、・・・

といった絵が8図。


精密な複製があしらわれたお堂があって、そこは無料。
そこの係員さんが本物には十二支の動物がいるんですよ、と。
お堂の複製品には犬がいないとのこと。

前もってわかっていたら、涅槃図で十二支を探すんだったなあ。

南北朝時代だろうと推定された根拠の一つが、

十二支が書き込まれていることだそうです。

お庭はそんなに広くはないけれど、
高低差があって、見晴らしがよく、いい場所です。
お隣の霊山観音様がよく見えました。
八坂の塔も足下にある感じ。

入場券に掌美術館がセットされていたのでそちらにも寄ってみました。

秀吉、ねねの年表があって、秀吉の系図は途絶えているけれど、
寧々さんの実家は、江戸末期まで続いていました。

かな文字のお手紙が表装されていたのですが、

普通に右から左に読むのではないので、

解説があっても難しい。

昔の人ってすごいですね。

せっかくだから霊山観音にも立ち寄りました。

雪が舞っているのがわかりますか?

1955年開眼だそうです。
戦没者慰霊の為に建立されたとのこと。

この塚の文字、音羽山良慶とありました。

清水寺の大西良慶さんが書かれたもののようです。

観音さんの体内めぐりもあるそうです。

仏足石もありました。

 

検査のあと、時間があったので、病院横の東福寺へ。

毘沙門堂のある勝林寺、ちょうど修学旅行の座禅体験中。

いつもはお寺の外からお庭を拝見して終わっていたんですが、

今日はお堂の中に入って毘沙門さんをじっくりと拝見。

 

紅葉の時期に中でお土産ものやさんが入っていたお寺、同聚院。

同聚院では丈六の御不動さんを拝見。

かなり大きい。なんだか優しそうなお顔だったような・・・。

中に入らせてもらえたので間近で拝んでおきました。

(まぢかってこんな字だったんですね)

重文の臥雲橋をわたって更にテクテク。

重文だけれど、普通にみんなが通っている橋。

臥雲橋から見た通天橋(有料)。

東福寺日下門を通り過ぎて雪舟寺(芬陀院)へ。

雪舟が設計したお庭だそうです。

写真はご自由に、といってもらえました。

落ち着いたお庭。

変わった雨どいです。

学生時代に知っていれば、学校サボってゆっくりするのに気持ちいい場所。

受付でそう言ったらまた来て下さいね、と言ってもらえました。

 

今日の歩数は7000歩プラスアルファ。ちょっと足りませんね。


京の冬の旅~非公開文化財特別公開 妙法院 西福寺 建仁寺久昌院

2017-02-04 17:23:15 | 京の冬の旅2017

前日まで忘れていた公休日。

お天気もよかったので朝から着物を着てふらふら。

京阪バスが馬町で止まってくれたの歩く距離が短くすみました。

東大路を南に、妙法院をめざしました。

幕末の七卿落ち、尊皇攘夷の七人の公家が長州に落ち延びた出発のお寺だそうです。

梅の花かな?

ふだんはお庭以外ははいれないそうです。

お天気最高。

青空に建物が映えてきれいです。

檜皮(ひわだ)ぶき?

襖絵などがとってもすてきでした。

こちら、ご本尊のお堂が一番小さくて質素でびっくり。

 

次は西福寺を目指しました。

六原界隈を歩くのは久しぶり。昔の町家が並んでいた風景はすっかり変わっていました。

公園にこんな看板。

新しい地名表示。陶板です。 

これは登り窯の煙突?

途中、六道珍皇寺にも立ちより。

小野篁ゆかりのお寺。

地獄と現世を往復したという井戸があったりします。

そして西福寺。

 むか~し、選挙の個人演説会で西福寺に行ったことがあります。

入り口に水掛(?)のお不動さんが有ったのは記憶通り。

六道の辻にあるお寺で、六道参りの時にだけ公開される絵図を見ることができました。

地獄めぐりの掛け軸と、檀林皇后(嵯峨天皇の皇后)の絵図。

檀林皇后というのは大変美しい方だったそうですが、

死去にあたって、「風葬」してほしいということだったそうなんです。

そのご遺体の変化を一枚の絵図にしたもの。

亡くなって、まずは腐敗にともなってガスでご遺体がぶくぶくになる。

次には破裂して内臓やなんかがこぼれていく。

ウジ虫がわく。

鳥や獣に食べられる。

白骨になる。

白骨がだんだんバラバラになる。

・・・

ついにはあとかたもなくなる。

なんなんでしょう。

栄華を極めた方でも死んだらみんな同じ?というお説法でしょうか。

地獄図は三途の川や地獄、等の死後の世界を説明したもの。

地獄に落とされたものでも心を入れ替えれば、

次にもっといいところに転生できるというような感じ。

昭和の終わりくらいに天井画や壁画、襖絵などが奉納された(?)とのことで、

狭いお寺ですが大変華やかになっています。

 

その後建仁寺へ

栄西禅師のお墓?

その足で建仁寺久昌院へ。

お庭以外の撮影は控えてくださいとのこと。

長篠合戦図のふすま絵が公開されていました。

この「枠」、ここを通してみるお庭、というのがあったんでしょうか。

お茶室がとても多かった。

ついでなので、建仁寺も拝観。

宗達の風神雷神図はレプリカが展示されていました。

玄関脇の風神雷神の書。

奉納されたものとのことですが、なんだかとってもすてき。

お寺そのものはとっても広くて道に迷ってしまいそうでした!

写真はご自由に、といわれました。

小鳥が一羽。

これはカワセミでしょうか。

空間の美を感じました。

現代美術の襖絵も。

こうして受けつがれていくのですね。

さて、床の間の壁もふすま絵も唐子で埋め尽くしたお部屋もありました。

お勉強らしきことをしていたり遊んでいたり。

お目当ての法堂の龍の天井画を見てきました!

 

帰りに、建仁寺塔頭の摩利支天(まりしてん)禅居庵に立ちより。

夫がこの近くの職場にいたとき、

待ち時間に禅居庵駐車場のトイレにお世話になりました。

猪づくし。

ここは狛犬ならぬ狛猪がいます。

 

帰り道なので、六波羅蜜寺へも。

清水焼きの地なので町名もそれらしい。

ただ、このあたりは「鳥辺野」、古代の葬送の地なので

「どくろ」がなまってろくろとなった説もあるらしい。

六波羅蜜寺はいっぱいの人で、御朱印待ちの列がぐるっとターンしていました。

ご本堂は一応拝んでおいて弁財天で御朱印をいただいて今日はフィニッシュ。

東大路まで歩いて喫茶店でサンドイッチ&コーヒー。

五条坂のバス停ではちょっと待っただけでバスが来て、

しかも、自宅近くのバス停まで来てくれる路線だったので楽でした。

今日の歩数は一万歩をちょっとだけ超えて目標達成。

 

着物姿の若い女性が大変多く

きゃぴきゃぴとポーズを撮ったり、楽しんでおられました。

見ているだけでかわいい。


京の冬の旅 東寺の五重の塔(非公開文化財の公開)

2017-02-01 21:10:31 | 京の冬の旅2017

半日人間ドックの帰りにせっかくだから、と神社仏閣まわり。

吉祥院天満宮、若一神社、六孫王神社、東寺、大石神社。

初めて行った吉祥院天満宮は、宮司さんがひとりでがんばっているみたい。

ちょうどお宮参りのご祈禱中でお守り等の窓口は無人(施錠されていました)。

菅原道真がここで生まれて幼少時代をここで過ごしたそうです。

梅の花がきれいでした。

蕊がすごく長くてびっくり。梅ってみんなこんなのかしら?

交通安全のおロウソクをつけてきました。

 

次は西大路八条の若一神社。

平清盛の八条御所があったところとのこと。

この楠は清盛が植えたものだそうです。

八条通を通るたびに気になっていた神社。

創建が1166年とのことで昨年は850年祭をしたそうです。

 

次に六孫王神社。こちらは清和源氏系のお宮。

組合の取り組みではよく来るところですが、神社としての拝観は始めて。

石造りの太鼓橋を通って拝殿に。

弁財天のお社があったのでお参りしておきました。(確か技芸上達の神様?)

境内に「南区戦没者慰霊碑」がありました。

学区別に亡くなられた方のお名前が刻まれています。

戦争はあかんよね。身近なところに引き寄せて思います。

 

神さんのハシゴというのもいかがなものかとも思いながら、

どうせ近くやし、と東寺へ。

八条通の駐車場に駐車してテクテク北門から。

雀ではないと思うんだけど、小鳥がいっぱい。膨らみ始めた花のつぼみがお目当てかな?

ちょうど非公開文化財の公開で五重塔の中に入れました。

さぞかし創建時はきらびやかだったんだろうと思わされました。

壁も扉も柱も天井もいっぱいの絵が描かれていました。

まだまだ色もしっかり残っているところもあって、すてきでした。

お寺のイメージって黒っぽいんだけれど、装飾がしっかりされているのですね。

清水寺の子安の塔だったかな?昔を再現したら赤い柱の鮮やかな塔になりましたものね。

弘法さんの時の喧噪とはまったく違う東寺に会うことができました。

 

帰り道、大石神社へ。

昭和10年創建。時代の要請だったのでしょうか。

「忠君愛国?」

入り口すぐの狛犬。

なんだかかわいいですね。

そして拝殿脇の狛犬。

これもかわいい。

この神社、なんと馬がいました。

ハナちゃん。

人なつっこくてすぐよってきます。

 

ところで人間ドックの結果ですが・・・。

詳しくは後日、といわれましたが、腹囲が一年前比マイナス6センチ。

これだけでほくほく気分。もっと運動がんばらなくては。


聖護院 京の冬の旅 非公開文化財の公開・・・追記あり

2017-01-29 17:47:42 | 京の冬の旅2017

所用で京都に来た友人とお茶して新幹線ホームまでお見送り。

入場券で新幹線ホームまで行ったのは

今を去ることン年前、父が幹候から帰ってきたのを迎えに行ったとき以来では?

おしゃべりの中で車椅子での電車移動などの大変さがよくわかりました。

駅の売店で生八つ橋の生菓子購入。

おいしかった!

ニキニキというお店で、季節ごとのデザインで出していると聞きました。 

その後ランチして、みんなと別れて聖護院までお出かけしてきました。

丸太町で駅から出たら雨。

雨に煙った大文字を見ながら東に向かいます。

今年は「大政奉還150年」、それにちなんだ文化財の公開とのこと。

始めて知ったのですが、聖護院は修験道の中心的なお寺。

明治の神仏分離、廃仏毀釈(きしゃく)、修験道の禁止などの嵐の中で、

無くなったお寺がいっぱい。

そういう中で仏像などを聖護院さんに託して廃寺になったところもあるとか・・・。

 

歴史は古いながら聖護院さんも戦争や火事の被害に遭ってあちこち転々とした中、

創建の地に戻ってきて落ち着いたそうです。

 

襖絵などはみごとなものでした。

役行者さんの像がいっぱいありましたよ。

いろいろな像の中で、保存のよい物、悪いものなどがあり、

捨てられていたものを救い出したものはかなりあれた感じでした。

 

室内は撮影禁止だけれど、お庭はOK。

冬枯れのコケが素敵。

遊び心満載のウサギさんの置物。

ウサギのほかにはリスや猫の置物も。お寺さん楽しんでいますね。 

修験道のお寺、そして門跡寺院ということで、寺紋は菊にほら貝。

長年暮らした京都ですが、まだまだ初めて知ることが多いですね。

 

追記

みんなの見学コース内に「3・11バイバイ原発」のチラシがありました。