11月に購入したときは299円でした…。
タイミング次第でお値段が変わるんですね。
そのうち株式の売買みたいになったりして。
11月に購入したときは299円でした…。
タイミング次第でお値段が変わるんですね。
そのうち株式の売買みたいになったりして。
油掛地蔵(油懸地蔵)のお堂が開かれる金曜日。
時間に合わせて中書島界隈にお出かけしました。
芭蕉も訪ねたというお寺だそうです。
今日はお堂の扉が開いていて油のにおいが充満していました。
参拝のあと、龍馬通りを南に進み、宇治川派流沿いに長建寺にむかいます。
川の向こうに、見えるのは酒造会社?
長建寺につきました。
伏水らしく水を司る弁財天。
真言宗醍醐派のお寺だとか。
門を内側から見るとこんな感じ。
こんなプレートがついていました。
境内には江戸時代に寄進された石灯籠も。
マリア観音。
宇治川派流を戻ってさらにすすむと向こう岸のビルの合間に寺田屋が見えました。
宇治川派流は水運として使われていたのであちこちに荷揚げ用(?)の跡地があります。
京都市内の観光社寺仏閣はけっこう行ったけれど、伏見はあんまり行ってないなあ。
いい風景がけっこうありますね。
帰り道、龍馬通りのお花屋さんで買ったアレンジメント。
たまにはお正月らしく…。
こんな物語を読むと日本史が好きになるかも。
西行も清盛も文覚上人も…
あくまで物語なので史実そのものではないでしょう。
でも、歴史書は勝った方に都合よく編纂されるものですから
そっちもまったく正しいわけでもないでしょう。
私としては、楽しく読めたらそれでよし。
三七日法要の帰りに乃木神社に寄りました。
明治天皇陵の参道からいつも案内看板は見えているのですが、
行ったのははじめて。
境内、お正月の準備はされていましたが、お守り等の窓口は無人。
公式サイトによると創建は大正5年。
乃木夫妻が祭神。
『山城えびす神社』と案内看板に併記されていましたが、
これは平成18年からだそうです。
えびす神社そのものは、乃木神社よりあとにつくられたとか。
境内、ごっつい碇のオブジェや英霊碑などがめだちます。
もともとは秀吉の時代伏見城があった一帯で
当時は板倉周防守の屋敷跡。
『殉死』…古墳の時代や中国の兵馬俑を思い起こさせます。
もしも位の高い人が亡くなってお仕えしていた方々がみな殉死したら
次代に優秀な人が残らなくなるんじゃない?
なんてことをはるか昔、高校時代に考えました。
考え方は人それぞれです。
帰宅途中、通りかかりました、
スマホでの撮影はあんまりきれいではないですね。
手前の道路照明が邪魔です。
LEDでのライトアップは明るすぎるかもですね。
納屋町商店街に用事があったので
ついでに油掛地蔵さんにたちより。
竹田街道大手筋のちょっと南の交差点を東に行ったところ。
お地蔵さんのお堂。
公開されている曜日が決まっているようです。
扉の外からお参りしてきました。
撮影禁止となっていなかったので、お内陣の様子を撮らせていただきました。
お地蔵さん、黒々しておられます。
地名も「下油掛町」。
帰りに竹田街道に沿った和菓子屋さんで購入。
伏見駿河屋というお店。
クリスマスツリーももっちりとおいしかったですが、
こなし、という製造方法だそうです。
「電車みち」について
この和菓子屋さんは日本で最初の路面電車(竹田線)ができたとき、
お店の敷地を電車のために譲ったそうです。
そのご縁でネーミングされたとか。
私なんかミーハーだから、この名前だけで買ってしまいました。
今日の目的は着物を運ぶバッグをなんとか、と思っていたのですが、
呉服屋さんで木綿の風呂敷を使うよう推奨されました。
たとうしサイズにたたんだ着物をさらに三つ折り。
風呂敷は結ばず包むのみ。
それを普通のゴロゴロにいれて固定ベルトでとめなさい、とのこと。
お襦袢と着物だけきちんとしてたらあとは少々大丈夫、だそうです。
着物専用なんて考えなくてもよいですよ、とのアドバイス。
なるほどねえ。
懐かしい写真が出てきました。
職場に出入りしていた整備工場の社長が写真好きで
撮影したものをパネルにしてわけてくれたもの。
もう色が変わっています。
撮影された方も故人となりました。
たんすから出した喪服が、虫か経年劣化か、
ボロボロになっていました。
一回も著ずに、こんなことになろうとは・・・
着物にも持たせてくれた親にも申し訳ない。
処分のきっかけにはなりましたが。
夏用はあらためてないけれど、またゆっくりしたときに確認しなくては。