去年生協のカタログで注文したロウバイ。
花が咲き出しました。
焦点が合わなかったなあ。
門扉に鉢をひっかけてあります。
蕾がたくさんありますが、全部咲いたらうれしいですね。
去年生協のカタログで注文したロウバイ。
花が咲き出しました。
焦点が合わなかったなあ。
門扉に鉢をひっかけてあります。
蕾がたくさんありますが、全部咲いたらうれしいですね。
昨日、ケーキをいただきながらのおしゃべり会。
17日から始まったゆうちょでの硬貨入金の有料化?
五百円玉貯金をしていたんだけれど、どないしたらええのん?
あれこれあれこれ対策はこうで、等みんながいっぱいおしゃべり。
庶民は暮らしにくい世の中になっているねえ。
介護費用、資産が1,000万以上あったら高くなるというのに何年か前なったけれど、
なんと、そこが500万以上に下げられるとのこと!
老後2,000万必要といわれていたのに(ほんまは4,000万くらいは必要らしいよとの声)。
そんなら資産基準を4,000万くらいにしてもらわなあかんやん。
小銭問題からあちこち飛びながらのおしゃべり会でした。
ゆうちょ銀行の有料化で波紋入金枚数に応じて手数料「小銭貯金どうすれば!?」森永卓郎氏「『…
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/fuji/life/fuji-_economy_investment_N7RZNRIUURKULBFUAUN5A4LJHU
先日、随心院に行ってきました。
先日編んだネックウォーマー、
メガネ掛けていると装着しづらいので、朝からほどいて改造。
同じ色の毛糸玉を購入しておいたので、
一つ追加してマフラーに変身させました。
本物はローズピンクに近い色だけれど、蛍光灯の下では色が変わって写りますね。
使った針は、クローバーの8㎜かぎ針。
百均の針も試してみたけれど、
やはり手芸用品メーカーの針は手にしっくりきて
編み進むのが楽です。
糸はハマナカ。
今回編んだのは、ネックウォーマーの編み方の応用でマフラーの端っこが斜めになります。
途中で追加の結び目や端の始末はこれから💦
久しぶりに烏丸通を通っての帰宅。
京都タワー、青いライトアップ。
烏丸六条あたりで車を止めてパシャッ。
朝の雪のせいか、珍しく交通量の少ない烏丸通です。
元旦、潮御﨑神社からの帰途、
潮岬周遊道路から国道に出る途中、「こもれびの道」と名付けられた道を通りました。
車を止めて撮影。
道の先の明るいところに土木機械があったけれど、撮影マジックです。
フォーカスを木立に合わせたら明るいところの風景がとびました。
道を抜けたら狭い道の住宅街。
開発が進んでどこかの新興住宅地とかわらない(でも家は広い)風景もありますが、自然はまだ残されています。
新年最初のウォーキングは長尾天満宮へ初詣。
醍醐寺南側の長屋門の前を通り、醍醐寺境内へ。
この二軒だけが残っています。
個人の家です。以前にはこういった家や町家が門前にたくさんあったのですが、維持が大変なのか、更地になり売り出され、普通の住宅になってしまった区画が増えています。
こういった風景も合わせて世界遺産ではないかと思うんだけれど、個人に委ねられては維持が大変です。
南門から醍醐寺へ。
三宝院の前は通り過ぎるのみ。お正月三が日は無料拝観できたそうです。
三宝院の入口。ここに引っ越してきた頃一度だけ入ったことがあったけれど、記憶がない…。
仁王門の前を通って長尾天満宮へ。
沿道、2018年の台風で木々が倒れて更地みたい。無残です。
いまの社殿は江戸時代(1821年)に再建されたもの。創建は神仏習合の時代(940年頃)、醍醐寺の一部として作られたようです。
中の鳥居からは長い階段。
途中、台風の爪痕。
住宅のすぐ裏の木がやられたみたい。さぞ怖かったことでしょうね。
階段登り切ったところ、天保11年(1840年)、石に彫られています。
石段を作った年なんでしょうね。
天保年間を調べると、世の中騒然としていた時期、江戸末期。
天保元年(1830年) 伊勢御蔭参り大流行
天保8年(1837年) 大塩平八郎の乱
天保10年(1839年) 蛮社の獄
そして1853年(嘉永6年)黒船来航。
記念写真です。
写真の時はマスクを外して、はい!いい顔で!
撫で蛙。初めて見たよ!
宮司さんが居るときしか置いてないのかな?
本日の歩数は約7,900歩。
昨日訪れた丹生神社、
境内から県道を見る。神社のすぐ前の道は整備された広い道です。
この道と混じり合うように所々斜めに交差する狭い道があって、旧道かなと思われます。
神社庁のHPによると、
「人皇十三代成務天皇の御宇庚辰9月15日現社地の一大栗樹に白幡2懸ありき、その幡に「我ハ是、日本武尊ニテアリ假リニ白鳥ト化シテ王法ヲ守護シ諸国ニ飛行キ、当所ニ休宿ノ因縁ニ今爰ニ顕現ス、当所ノ氏神ト成テ守護シ給ハン」との告文あり、土民隨喜して氏神御垂迹の宮社を建立し、当村名を名付けて山縣明神と稱せり。
應神天皇の御宇山縣村を粟栖村と改名されるや、御神名も栗栖明神と稱号し奉る。
反正天皇の御宇山城宇治郡に小栗栖の宮を建てるや、栗栖大明神と稱へられるに至る。」
京都の地名が出てきました。
「人皇」というのは神様じゃない天皇のことでしょうか?
「御宇」とは天皇が納めていた期間、後世の言葉でいうと、「御世・御代」だそうです。
なんとなく文脈でそうかなとは思いましたが。
「栗栖」、栗がたくさん生えているところ、天皇または神社への栗の供給どころ。
小栗栖の宮ってどこなんでしょう?
紀の国に栗栖大明神があるから山城国は小栗栖?
本当は原典に当たって調べるべきなんでしょうが、ついついウィキペディアを見て知ったかぶりをしてしまいますね。
小栗栖の宮に当たる神社は現存しているのかしら?
現存の神社を見ても、反正さんが建てたというのは見当たらない。
どこにあったのでしょうね。
高速走行中に眠くて眠くてしょうがない。
和歌山インターから下の道に。
とある交差点で、「木の国一之宮伊太祁曽神社」という看板発見。
読み方がわからないけれど、その方向に進みました。
道沿いに小さな神社を見つけたので、そこに立ち寄り。
入っていったら巫女さんが出てきて「あけましておめでとうございます」とあいさつされました。
おまいりしてご朱印をもらい、お下がりのみかんをごちそうになりました。
地元の氏神さんだそうです。
ご朱印と合わせて張り子の虎も購入。
ちゃんと首を振るんですよ。
丹生神社、今ネットで調べたら、宮司さんが女性だったので、巫女さんじゃなくて宮司さんだったみたい。
丹生神社さんで伊太祁曽神社の読み方を教えてもらって、ナビに設定。
たどり着きましたが、参拝客が(車も)すごく多くて神社の駐車場待ちに思いっきり時間がかかりました。
和歌山電鉄伊太祁曽駅付近に臨時駐車場もありました!
境内には露店も出ていてお祭り気分ですね。
これはご神木。杉の木ですね。
遠目からは脇から新しい枝が出ているようにも見えたのだけれど、まわりに植えられた北山杉の枝葉でした。
なんと、祗園神社。
神が降り立ったという磐もありました。
帰り、和歌山電鉄の踏切で列車通過を待っていたら。たま電車!
そう言えばネコの駅長がいる鉄道会社でしたね。
再び高速道路を通って帰ってきました。
たま電車を見たのは収穫でした!
おまけ。
玄関飾り棚に安置したトラさん。
鳥獣戯画のお隣。
お参りの前にお蕎麦で腹ごしらえ。